狭間の魔女πと素足くすぐりプレイ
前回のあらすじ
ジャム作りに行ったルスキニアと入れ替わりに、危険なやつが現れた。
「ほお、こんなカワイイ美少女を呼びつけておいて、ババアじゃと? 新しい眼球が必要かもしれんの」
何の前触れもなく、それこそ別世界の皮膜を剥いだかのようにその気配は現れた。
「呼んでねえよ……」
月斗のぼやきに、仮眠用のソファーに寝そべった少女は手にしたキセルを揺らし意地の悪い笑みを浮かべた。
見た目の年の頃は一〇歳かそこらだが、肩が見えるほどに着崩した朱色の打掛や黒髪をまとめるかんざしは大人びていて、ちぐはぐな印象を受けるだろう。
一度その猫のような瞳を覗きこめば、幾星霜を経た老獪さが宿っていることに誰もが気づくはずだ。
狭間の魔女と呼ばれ、自らをπ(パイ)と名乗る存在だ。月斗はもちろんデュナミス、アスモデウスにも気取られることなく突然出現するなんて朝飯前。その気になれば因果律すら狂わすことができるという。人間には計り知れない領域だが、主神クラスの力を持っていることだけは確かだ。
「ったく、どいつもこいつも、勝手に入ってきて自分勝手なことばかり言いやがって、ここはクソ溜まりなSNSじゃないんだぞ……」
「命の恩人に対してとんだ言い草じゃな。常に賓客として厚くもてなすのが礼儀ではないか」
白々しく言ってπは紫煙を吐き出す。
御大層な力の話は抜きにしても、月斗たちにとって彼女は保証のいい加減な『製造メーカー』でもあった。
「はっ、実験動物がなんでマッドサイエンティストをもてなさなきゃならないんだ?」
月斗の吐いた息が目の前を漂う紫煙を吹き飛ばした。結果的に命を救われたのは確かだが、こんな身体にされたことまで感謝してやるほど、月斗は脳天気ではなかった。
「人聞きの悪いことを言うでない。心臓代わりに、貴重な太極炉を貸してやっとるのじゃぞ」
πが手にしたキセルを、月斗の胸元に向ける。するとシャツのボタンが内側から弾け飛び、ヒヒイロカネ製の胸部が観音開きの要領で左右に開かれた。
喉下の分離機から伸びる幾本ものチューブが肺の代わりに組み込まれた三つの装置につながっている。ふたつは通常の消化装置と擬似肺で、そしてもう一つが超高効率エーテル吸収装置だ。エーテル吸収装置から伸びたチューブが胸の中央、心臓の位置で光る球へと繋がっている。
この球が太極炉、月斗の生命を繋ぎとめ、人間と天使と悪魔をひとつの身体に同居させている装置だ。弱々しい光を中心にして、白と黒の光が互いを飲み込む太極図のようにぐるぐると渦巻いている。
「ふむ、調子は良さそうじゃな」
ソファーから立ち上がり、つかつかと近づいてきたπはキセルの先で太極炉をこんこんと叩いた。
「やめろ」『危険です』
はからずもデュナミスと月斗の声が重なった。多少の物理的な衝撃で壊れるわけはないが、相手が強大な力を持つπとあっては油断できない。うっかりでまた死んでは困る。
キセルを手で払った月斗は、無防備で心もとない胸部を閉じる。密閉のために空気が抜ける音に、さらにアスモデウスの嫌味な溜息が重なった。
『はあぁぁ、ホント最悪。天使ちゃんの良い匂いが、ババアのおしろい臭さで台無しよ』
ラジエルの書から退いてそっぽを向くと、蛇の精神体がフッと消えた。アスモデウスは無類の女好きだが、例外的にπだけにはちょっかいを出さず、避けてるいる。
「天界もずいぶんと変わった娘を送ってきたのぉ。その搦め手は成功しておるようじゃが」
猫が砂をかけるような態度にも、πは特に気にした様子は見せなかった。
「どこが成功だ。あんな何の役にも立たないポンコツを監視に使うなんて、空前絶後の大失敗だろ」
「おぬしが、前の二人のように追い出していないのが証拠じゃろ」
その件については月斗だけではなく、アスモデウスの被害に依るところが大きい。しかし、店子の不祥事は大家にも責任が押し付けられてしまう。
「送り返しても、また別のスパムが届くだけだって学んだからな。だったら、毒にも薬にもならないヤツを、狛犬代わりに庭に置いとくのが最善策だ」
「ほほー、おぬしにしては優しいのぉ」
「暗黙の合意、あるいは妥協点だ。この身体も、お前との関係も、全部な」
苛立ちをぶつけるように言う月斗に向かって、πは全てを見透かしているかのようにニヤニヤと笑っていた。ひとをムカつかせることにかけては、こいつの訳知り顔以上の魔術は存在しないだろう。
『狭間の魔女、あなたは天使ルスキニアを確認しにやってきたのですか?』
デュナミスが警戒した様子で尋ねた。後輩が醜悪な魔術の実験台にされるのを見過ごせないのだろう。天使らしい使命感の強さは、左の眼だけになっても変わっていない。
「なかなか遊びがいのありそうな素材じゃが、それはまた次の機会じゃのぉ。お主たちがラジエルの書の解読に手間取っておるから、我の方から様子を見に来てやったのじゃ」
「封印を解いてくれるなら大歓迎だな」
まるで期待していない月斗の言葉にたいして、πは愉快そうに笑った。
「そうじゃな、我がこれに手を出すと創世記の時代まで遡り、あまたの因果がもろとも消えてしまうぞ。それでもよいのか?」
事実上の人間世界の終焉宣言に、月斗も苦笑しかない。
主神クラスの力は原理原則を書き換えるほどのものだ。ただでさえ、でたらめな魔術な世界に歪みをもたらすと、その反作用は計り知れない。概念の消失など実害の少ない方で、因果が狂って時間的な特異点が出現したり、書き換えられた世界が当然のように続いたりとはた迷惑な話しかない。
πはこうやって人間世界に存在しているだけでも、周囲の時間軸や因果、運命と呼ばれるものに影響を与え続けている。川に小石を投げ込んでも波紋を立てるだけだが、大岩はそこにあるだけで流れを変えてしまうようなものだ。
「お前が直接手を下すとろくな事にならん。さっさと穴蔵へ帰って、いつものようにくだらんアニメでも見てろ」
肌蹴たままだったシャツのボタンを止めながら月斗は言った。特撮やアニメを参考にして、この魔導サイボーグのボディを作ったというのだから、最高にふざけた話だ。
「よいのか、本当に帰ってしまってぞ。優しい我は迷える子羊たちに、ヒントをくれてやろうと思うておったのにのー。は~~、我はとてもとても残念じゃ」
πは白々しく言ってがっくりと肩を落とし、これみよがしにしょげてみせた。月斗としても喉から手が出るほど情報は欲しかったが、この性悪に対して簡単に譲歩するとその支払は高くついてしまう。
「ただの人間が読んでる形跡があるんだ。もったいつけても、どうせしょうもないヒントなんだろ」
「ふむ、霊感を得れば普通の人間にも断片ぐらい読めるじゃろう。しかし、おぬしはその程度では満足できんはずじゃ」
ここまで調べて月斗も薄々は気づいていた。必要なのは力技ではなく、パズルの完全な答えだ。
「三千世界に散ったおぬしの身体を集めるには、ソロモン王と同程度かそれ以上の理解が必要よのぉー」
もったいつけて紫煙をくゆらせたπは、さもいま思い出したかのようにキセルの先でポンと掌を打った。
「おお、そういえばおぬしがイタリアで相手をした連中は、その方法を掴んだようじゃな。このままでは、確実に先を越されてしまうのぉー」
「ちっ、あいつら他にも仲間がいやがったか。ペストを媒介するネズミみたいな連中だな」
クロノハンターと呼ばれる月斗の素性を調べることはそれほど難しいことではない。にもかかわらず、ラジエルの書を奪いにやって来ないのは、他に優先すべき物があるということだ。
「このままではネズミにチーズを齧られてしまうぞ」
πはこうやって回りくどく他人を追い詰めることが大好きな性悪ババアだ。最高にムカつくが、今はそれに乗るしかない。
「……教えてくれ」
「それがひとに教えを請う台詞かい?」
鞭打つように言って、πは口角を上げて加虐的な笑みを浮かべた。
「ものを知らない私めにどうかご教授くださいませ、πさま!」
月斗はやけくそ気味な声で怒鳴りつけ、精一杯のプライドを保とうとした。
「誠意がまるで足りないねえ。こぼれ消えゆく言葉ではなく態度で示すべきよのぉ。ふむ、そうじゃのぉ……」
少し考えてからπは下駄を脱いで作業台にぴょんと腰掛けると、月斗へ向かっておもむろに右足を突き出した。
「敬愛のキスをするのじゃ」
「こっっっのぉおお、くそババアぁぁぁ」
怒りに両手をわなわなと震わせた月斗は、目玉が飛び出るほどに力を込めてπを睨みつける。
肝心のπは月斗が怒り悶えるその様子を、まるで犬が自分の尻尾を追っている様でも眺めるようにニヤニヤとしていた。
落ち着け、ブチ切れてもこいつを楽しませるだけだ。月斗は自分に言い聞かせ、一度深呼吸をした。
「どうした? 我の足の匂いでも嗅いでおるのか? フェティッシュな奴じゃのぉ」
πがこれみよがしに人形のように形の整った小さな足先を、月斗の鼻先に伸ばしてくる。もちろん無視だ、無視!
月斗は左手で踵を持ち、右手で爪先を包み込むようにπの右足に触れる。ひやりと冷たいが表面は柔らかい。バニラアイスを餅で包んだ氷菓のような感触がした。
「ほれ、我の気が変わらんうちに早くするのじゃ」
急かすように言ってπは爪先をもぞもぞ動かし、月斗の掌を刺激した。
月斗はグッと奥歯を噛みしめてから、そっとπの小さな足の甲に口を近づけた。吐息に指の間を撫でられたπがぞくっと身体を震わせる。唇が触れるかギリギリの所で、月斗は首をクイッと曲げてるとそのままガブッと噛み付いた。
「ひァッ! な、何をするのじゃ!」
πは予想外の攻撃にたじろいでいた。その隙を逃さず、月斗は握ったままの指先を動かし足の裏をこしょこしょと刺激してやった。
「いっ! ヒィッ! ひぁあっ! それはっ! ひぁっ! こ、こそばゆいのじゃぁあ! あっ! やめ! ひゃんっ!」
苛烈なくすぐり責めに、πは打掛の袖を振り回し足をバタつかせ逃れようとするが、月斗は手も口も離さない。
「ほへでひひのかよっ!!」
指の間から土踏まず踵の後ろまで、月斗の指がすべてを蹂躙した。
「ひゃっ! そこっ! ふひぃっ! も、もうよい! やめるのじゃ! ひっ、ひっ! そなたの誠意はっ! あっ! 十分に伝わったのじゃぁあああ!」
耐え切れなくなったπがついに音を上げた。その言葉を聞いた月斗は、ふんっと鼻息を漏らしπを開放した。
「さっさとヒントとやらを言え」
口の周りについた涎を月斗は無造作にシャツの袖で拭いた。口の中に他人の肌の感触が残っていて不快だ。
「くすぐりは卑怯なのじゃ」
まだ余韻が残っているのかπは歯型を気にしながら、しきりに右足を振っていた。
「隙を見せた奴が悪い」
月斗は悪びれずに言った。どうにか痛み分けといったところだろう。
「まったく、思い通りにいかん奴じゃな。まあ、よい。ヒントと言ってもすでに、そなたの意識を通過したものじゃからな。そういう意味では、いい線をいっておったぞ」
できの悪い教え子を褒めるような言い草だ。腹は立つわけではないけれど、すこし納得がいかなかった。
「俺が見落としてただと?」
「神曲は調べたのじゃろ。天国篇14歌は覚えておるかの?」
「ざっと読んだだけで、さすがに細かい内容は覚えてないぞ」
『前半は太陽天でソロモンの魂から、主のご加護を受けた者が持つ光輝の性質と取り扱いを聞くシーンです。後半では火星天に昇り磔刑にされたキリストのヴィジョンを見ます』
月斗の代わりにデュナミスが要約を述べた。宝探しにあたってデュナミスが大量の資料を読み込んでいてくれるので、咄嗟の時にありがたい。
「なぜこのふたりが同じ歌に登場するのかのぉ?」
「そりゃ、もっとも偉大な地上の王であるソロモンと、ただひとり神の子であるキリストを対比しただけ……だと……」
何かが引っかかった。大物ふたりを同時に登場させる理由があるはずだ。
πの口ぶりからして、今回の件が絡んでいるのは明らかだ。
「ソロモン王がラジエルの書だとすると……キリストは…………いや磔刑の方に意味が…………十字架……聖十字架か!」
月斗の言葉にπは満足気な笑みを浮かべる。
聖十字架とは、キリストが磔刑にされた十字架そのものをさす。伝承によれば、素材となったのはエデンの園から持ちだされ、アダムの墓に埋められた木だ。
「どれ答え合わせをしてやろう、そなたの推論を聞かせるがよい」
πは偉そうに言ってキセルをふかした。
「ラジエルの書の解除条件はアダムの光輝、つまり魔力だ。魔力は遺伝子と同じように個人個人で違う。それを利用した封印がされていたんだな。本人が死んだ後はアダムの魔力情報を転写した木を受け継ぎ、それを鍵にしていた。ノアやソロモンがラジエルの書の真の力を使ったことや、聖十字架なんて御大層なただの墓木が数千年も残っていた理由になる」
エデンの園とは、いわば生物の実験場だ。生命の樹や知恵の樹があったならば、魔力の樹と呼ぶべきものだってあったはずだ。
『しかし、聖十字架は1187年に十字軍とイスラム王朝の間に起きたヒッティーンの戦い後に消息不明になったのでは?』
「ああ、そうだな。世界中に自称聖十字架は山のようにあるが全部偽物だろう。でも、このババアがニヤニヤしてるってことは本物が今も残ってる何よりの証拠だ」
月斗はπの顔を見て言った。いい加減で、他人が困ることが大好きな奴だ。逆に、他人で遊ぶことにかけては信じられる。
「ヒントありじゃったが、及第点ぐらいはやろうかのぉ」
「手厳しいことで」
進むべき道標を得た月斗は頭のなかで調べることをリストアップしながら、うずうずしていた。せっかちな性分なので、早く動き出したくてしょうがないのだ。
「これで今日のサービスは終わりじゃ。寄る辺なき大海で、お主がどの運命にたどり着くのか楽しみにしておるぞ」
予言めいた言葉を残したπは、月斗の顔にふーっと紫煙を吹きかけ、その煙と共に忽然と消え去っていった。
相変わらず掴みどころはないし、本心も目的も分からない奴だ。とはいえ、あいつが何を考えていようと、お互い利用し合えばいいだけの話だ。
月斗は作業台に背を向けると、集めまくった資料本の山に挑みかかった。
ロリババアの素足ぃぃいい!
ハァハァ……。
次回は明日の18時頃、投稿予定です。
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