ラジエルの書
前回のあらすじ
なかよくラズベリーパイを食べました。
「さてと続きだ」
休憩が終わった月斗は台上に手をかざす。
スリープモードから復帰し、ホログラムが表示される。メインで起動させているのは、西洋魔術や陰陽道、風水など様々な術式をシミュレーションするための特製アプリケーションだ。
「安息日なのに部屋に閉じこもって、月斗さんは何をしているのですか?」
手の動きに合わせて移動するホログラムを不思議そうに見ていたルスキニアが、沈黙に耐えかねるように聞いてきた。
『月斗ちゃんはね、ラジエルの書を読もうとしていたのよ』
「余計なことを言うな、アスモデウス」
『あら、良いじゃない。別に知られて困ることはないでしょ。仲良くなるにはお互いをよく知ることからよね』
そう言ってアスモデウスが怪しく笑うと、デュナミスが珍しく同意した。
『その意見は一理あります。神聖性や主のご加護が解読のトリガーならば、ルスキニアには内容が理解できる可能性があります』
月斗は小さく呻き考えた。
歴代の所有者を考えるとその可能性はある。
「……おい、おまえ天使文字は読めるか」
「はい! 学校で習いました!」
ついに活躍の場が来たとばかりにルスキニアは薄い胸を張ってみせる。まるで信用出来ないけれど、ルーレットも賭けなければ当たらない。
「ちょっとこれを読んでみろ」
台上に置いてあったサファイア色の本を手に取り、ルスキニアに投げ渡す。キャッチしたルスキニアは本の重さに取り落としそうになった。
「わっとっと……綺麗な表紙ですね。どういった本なのですか?」
「お前、天使のくせにそんなことも知らないのか」
『学校の授業で教わっているはずですが、カリキュラムに変更があったのでしょうか』
月斗が呆れるのはもちろん、珍しくデュナミスも驚いたようだった。
「学科は不得意で……」
「だろうな」
即座に納得する月斗に、ルスキニアが不服そうに口をへの字に曲げる。
『天使ラジエルによって書かれた有名な本です』
「へー、そうなのですか。でも、なんで天使の書いた本が下界に――」
ぶつぶつと疑問を口にしながら、ルスキニアは何気なく本を開いた。
「あっ!」
「どうした!」
ルスキニアが上げた驚きの声に、月斗は思わず身を乗り出した。
「アプリコットジャムの美味しい作り方が書いてあるのです! ちょうど庭に美味しそうな杏がなっていたので気になっていたのです!」
何がそんなに嬉しいのか、ルスキニアは興奮気味にまくし立てた。たいして期待していなかった月斗も、これには長いため息を止めることができなかった。
「はぁーーーー、まったく使えないやつだ。ルスキニアなんて立派な名前じゃなくて、ウッドペッカーに改名した方が良いぞ」
「役立たずじゃないのです! ちゃんと読めましたよ!」
ラジエルの書から顔を上げたルスキニアは全然納得がいかないといった表情をしていた。
「他のページを開いてみろ」
促されたルスキニアの顔がページをパラパラめくるたびに曇っていった。
「あれ? 読めません……」
「だろ。そいつには閲覧を制限する封印がかかっている。だから、毒にも薬にもならない微妙な知識しか読めないんだ」
ちなみに月斗が開くページには、フレスコ画の修復方法が載っている。イタリアからの帰途で興味本位で開いてしまったからだ。開いた者が必要とする内容が読めると、気づいたのはその後のことだった。
「アプリコットは便秘や冷え性に効くのです。れっきとした薬なのです」
ルスキニアが自信満々に見当はずれな反論をしたが、月斗はこれを聞き流した。
「とにかくだ、これで普通の天使文字じゃないってことは分かった。となると、強引に封印を破るか、読むための正規の手順を探すしかないな」
月斗は喉の奥で唸った。ここ一週間ほど前者を試してきたけれど、何も進展はない。かといって、後者のあてがあるわけでもない。
「そこまでしてこの古い本が読みたいなんて、月斗さんは読書家なのですね。そうだ! わたしが天界の図書館で、同じ作者さんの本を借りてきましょうか?」
「お前はなんにも分かってないな。こいつは宇宙の秘密が書かれた三千世界に一冊しかない魔術書なんだぞ」
三千世界とは仏教用語だが、天界や地獄、幻獣界、人間界、地獄などありとあらゆる世界を包括する言葉として使われている。
「宇宙の秘密? 美味しいアプリコットジャムの作り方がですか?」
「ちっっげえよ!」
会話の噛み合わなさに耐えかねた月斗は、全身全霊全力で突っこんだ。
なんで怒鳴られたか分からずきょとんとしているルスキニアに、満を持してといった様子でデュナミスが説明を始めた。
『必要とする知識と力を過剰なまでに与えるのがラジエルの書です。まず例を上げればノアの方舟です。当時の技術水準を遥かに超えた巨大な船を作り上げました。またソロモン王には国を統べる政治学や膨大な魔術の知識を授けました。これらは世界を変革する程に強大な力です。その後の所在は判然としませんが、13世紀にカスティーリャ王アルフォンソ10世の下で大体的に行われた文化振興事業の中で、ラジエルの書がラテン語に翻訳されています。この翻訳本の経緯は不明ですが、原本のような力はありません。しかし、一部の人間達は護符のように用いているようです』
一気にまくし立てるデュナミスの説明にルスキニアは面食らっているようだ。半分も頭に入っていなさそうな顔をしている。
「えっと……それで、月斗さんはなんでイタリアの教会に?」
「お前こそ、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「天界でクズイアル様にヴィジョンを見せてもらったのです。えいやーって悪い人たちを倒してましたよね」
いくらポンコツとはいえ、監視対象の直前の行動ぐらいは教えられているようだ。
教会とその周囲は天界の領土のようなものだから、この屋敷と違って盗み見するぐらい簡単なのだろう。
「イタリア国内でラジエルの書を探しまわってる連中がいるって噂が入ってきたんだよ。結果的にはあのナチ野郎どもだったんだが、まあいい。その噂を聞いた時点で手がかりになりそうなものは2つしかなかった。1つはダンテ・アリギエーリだ。地獄と煉獄、そして天国について克明に記した神曲は、ラジエルの書の知識をもとに書かれたものだと考えた」
『それで月斗ちゃんはお墓まで行ったんだけど、完全に無駄足だったのよ。しかも、そのせいで危うく先を越されちゃいそうになったしね~』
アスモデウスが余計な茶々を挟んでくるが、事実なので否定のしようがない。
「ま、そういうわけで次に向かったのがサン・フランチェスコ聖堂だ。こいつは当時の技術水準からすると驚くべき短期で聖堂が作られたという逸話が残ってる。ソロモン王が悪魔を使役し神殿を作らせた伝説と合致するわけだ。結果はそっちがビンゴで、無事こうして本が手に入ったわけだ」
「なるほど、そういうわけなのでしたか」
話を締めくくった月斗は、聞き入っていたルスキニアの手元からラジエルの書を取り上げた。
「これで大体のことはわかっただろ。上司に出す報告書には、ちゃんと書いておけよ」
「……はいなのです」
ルスキニアは今まさに思い出したようなハッとした表情を浮かべていた。
「あ、でも、月斗さんはラジエルの書を読んでどうするのですか? すごいお金持ちで人望もあって魔術にも精通していて、これ以上なにが欲しいのですか?」
敢えて話さなかったところに、ルスキニアはズカズカと土足で踏み込んできた。
「ふん、手に入れるためじゃない、奪われたものをとり戻すためだ。まあ、お前には関係ない話だな。キッチンを貸してやるから、アプリコットジャムでも作ってろ」
「ふわ、ありがとうなのです! 美味しくできたら、月斗さんにもおすそ分けしますね。期待していてください!」
よほど庭の杏でアプリコットジャムが作りたかったのだろう、話を誤魔化されたことには気づかずルスキニアは嬉々として書斎を飛び出していった。
『天使ちゃんを追い出しても解読がはかどったりしないわよ』
あんなチンチクリンのどこがいいのか、アスモデウスは女っけがなくなったのが不満そうだった。
「ラジエルの書が読めないなら、いても邪魔なだけだ」
『ふ~ん、ちょっとは読めるかもって期待してたのね』
訳知り顔のつもりか、アスモデウスは口元を歪めた。
「あんなポンコツに期待するぐらいなら、全財産をコーヒー豆の先物取引にぶっ込んだほうがまだマシだ」
『もぉ~、素直じゃないんだから』
茶化すように言ってラジエルの書に首を乗せるアスモデウスを月斗は鋭く睨みつけた。そこに、本の山からピョンと飛び降りたデュナミスが言葉を挟む。
『しかし、現状はなんの手がかりもなく手詰まりです。気は進みませんが、狭間の魔女に情報提供を求めるべきだと提案します』
使いたくない切り札を提示され、月斗は露骨に嫌な顔をした。
「……嫌だね。クソババアに借りを作るのは」
「ほお、こんなカワイイ美少女を呼びつけておいて、ババアじゃと? 新しい眼球が必要かもしれんの」
何の前触れもなく、それこそ別世界の皮膜を剥いだかのようにその気配は現れた。
次回ロリババア登場! お楽しみに!
明日の18時頃、投稿予定です。
【宣伝】講談社ラノベ文庫より、高橋右手の名義で『白き姫騎士と黒の戦略家』というファンタジー戦記小説も出しています。よろしくお願いします。




