ラズベリー・パイ
強引に屋敷に居つくルスキニア。
うちの庭に天使が住み着いた。
多少詩的に表現すると幸運の前触れのように思えるが、実際のところは野良犬が居着いたのと変わらない。
会って3秒で分かるほどポンコツで無能な奴だから、そのうち諦めるかと思って放置していたけれど、存外に忍耐力だけはあるようだ。
ただ、こちらにもミスはあった。たまたま通りかかった時の事だ。あいつはどこからか拾ってきたブルーシートでテントを張ろうとしていた。
樹の枝に紐を渡して、そこにシートをかけるだけという小学生にもできそうな作業だ。それをあいつは枝を折るは、紐に絡まるは、ブルーシートをぐちゃぐちゃにするはと、とんでもない不器用さで泣きそうになっていた。その無様さにあまりにも苛々して、見本をみせてテントを完成させてしまった。
これがいけなかった。
当主が許可を下したと勘違いした屋敷の連中が、あいつに世話を焼き始めたのだ。餌を与えたり、服を与えたり、シャワーを貸したり、芸を教えたり……。
まったく野良犬を飼うんじゃない。おそらく執事の川岡あたりが中心になっているのだろう。当主として度量が狭いと思われるのも癪なので咎めてはいない。
一応あいつの方も恩を感じているのか、庭掃除や野菜の皮むきぐらいは手伝っているようだ。あのポンコツ具合を考えると、おそらく手伝いの収支はマイナスだろうが屋敷の連中が勝手にやっていることなので知ったことではない。
そんな役立たずのくせに無駄に頑張ろうとするから性質が悪い。特に平日は学園についてくるのが始末に終えない。
最初こそ不審者扱いされていたけれど、草薙家の関係者と勘違いされ、いつの間にか学園に馴染んでしまっている。人間社会に紛れ込んだエイリアンのような奴だ。
他の生徒たちからすると、校庭に紛れ込んできた野良犬なのだろう。ペット感覚で妙に可愛がられている。アレのどこが可愛げがあるのかさっぱり分からない。フンコロガシのほうがまだ愛嬌があるし、生態系に役立っている。
そして、あいつは今も網戸から侵入の機会を伺う蝿みたいに、書斎の窓の外をパタパタと飛んでいる。
翼の扱い方が下手くそなのかホバリングが出来ず、上へ下へ、左へ右へとふらふら動いてしまっている。その様子が作業の合間に視界の端にちらちら見きれてウザいことこの上ない。
「ええええい! 鬱陶しいぞ、このポンコツ天使!」
我慢の限界を超えた月斗は乱暴に窓を開け放ち、苛立ちのままに怒鳴り付けた。
「ふわぁっ! はわわわわわぁああ!」
怒声にあおられるように背中を反らしたルスキニアが、手をぐるぐる回して落ちていった。そのまま地面に激突するかと思いきや、なんとか途中で体勢を立て直しバタバタと藻掻くようにしてもう一度這い上がってきた。
「パタパタ飛び回るな、うざったい」
「すみません。下界だと上手く飛べなくて……」
ルスキニアは上下にふらふらしながら頭を下げる。こいつが、言葉の意味をまるで理解していないことだけが分かった。
『天界と比べると地上はエーテル濃度が低いので、慣れないうちはしかたありません。もう少し大きく翼を広げ、大気を掴むようなイメージで飛ぶと良いでしょう。要領を得れば天界と変わりなく飛べるようになるはずです』
机脇に置かれたタブレットでロシア文学を読んでいたデュナミスが冷静にアドバイスを伝える。後輩を思ってというよりは、単純に教えたり分析することが好きな奴だ。
「なるほど、分かりました! もう少し翼が大きく出せるように、いっぱい練習するのです!」
また無駄に意気込むルスキニアに、月斗は頭を抱えた。庭で飛行練習などされた日には、イライラでこちらが屋敷を飛び出してしまいそうだ。
「お前、ポジティブすぎるぞ。そもそも飛んでるのが鬱陶しいと言っているんだよ。二本の足があるんだ、そいつで地面を歩け」
「それじゃあ、月斗さんの監視ができないのです」
「監視は不要だ! とっとと天界へ帰れ! ごぉー! とぅー! へぶん!」
「すてい・あーす、なのです!」
何度目か分からない押し問答だった。ポンコツな上に無駄にポジティブで、さらに頑固だから始末に終えない。
『そんなにわたしを近くで見ていたいなら、中に入ったらいいわ』
「ありがとうございます!」
ひょっこりと蛇の顔を覗かせたアスモデウスが勝手なことを言うと、それを真に受けたアホ天使が窓枠に手をかけてしまう。
「ちょっと待て俺は許可してないぞ!」
慌てて窓を閉めようとするが、月斗の意志を完全に無視した右腕がルスキニアの手を取り招き入れてしまう。ここぞとばかりにアスモデウスが妨害したのだ。
『月斗ちゃんのことは気にしないで。さあ、いらっしゃい』
「では、お邪魔しますです」
ついに窓枠を越え野良犬が書斎にまで侵入してきた。
「お前ら、家主の言うことを聞け!」
自由闊達な草薙家の使用人でも、もう少しは月斗の意見に従う。ここまで蔑ろにされるのは沽券に関わる問題だと憤るが、ルスキニアもアスモデウスもどこ吹く風だった。
『無駄だ、草薙月斗。悪魔はわがままで、天使は頑固だ』
デュナミスの言葉の意味を痛いほど知っている月斗は、ため息をつくしかなかった。肩を落とす月斗に追い打ちをかけるように扉をノックする音が響く。月斗が許しを与えると、執事の川岡が顔を出した。
「ブランチをお持ちしました」
川岡が押して入ってきたサービングカートには、白磁に青の絵柄が特徴的なティーセットと、銀の皿いっぱいに果実のパイが乗っていた。
「ふわぁ~、おいしそうなのです」
物欲しそうに言うルスキニアの口元は、今にも涎が垂れそうなほど半開きになっていた。
「松内シェフ特製のラズベリーパイです」
紹介しながら川岡は当然のように二人分のカップを準備した。
「もう勝手にしろ……」
完全に集中力が切れた月斗は、倒れこむように椅子に座り足を投げ出した。ナイフの刃がパイ生地をサクサクと切り開き、内側から白い湯気が立ちのぼる。それを見たルスキニアがゴクリと生唾を飲み込んだ。
供されたカップを手に取り口元に近づけると、アールグレイの香りがふわりと鼻孔に広がった。苛立っていた気分が少しだけ落ち着く。まだ少し熱い琥珀色の液体を少し含むと、アールグレイらしい無駄のない味が舌を潤した。
月斗が紅茶の香りを堪能している横で、ルスキニアはすでにラズベリーパイに手を付けていた。
「んっ!? んんんんん~~! 美味しいです! こんな美味しいパイを食べたのは初めてなのです!!」
口の横に赤いラズベリーソースと白いカスタードクリームをつけたルスキニアは、感極まった様子で瞳を潤ませていた。
「天界の主食はフィッシュアンドチップスか」
試しに月斗も切り分けられたラズベリーパイを手でひっつかみ一口齧った。ラズベリーの柔らかい感触と共にパイ生地がサクッと音を立て崩れ、中からカスタードクリームがドロっと溢れてきた。
ラズベリーの酸味とほのかな甘味にクリームの濃厚さとパイ生地のボリュームある食感が口の中を占拠する。確かに美味いが、川岡の作るお菓子や料理はこんなものだ。
「パイごときで大げさなやつだな」
「月斗さんにとっては普通なのかもしれないけれど、このパイの素晴らしさに感動できないなんてちょっと勿体ないのです」
ルスキニアがしたり顔で偉そうなことを言った。かなりイラッとさせられたが、ここで何か言い返しては相手の思う壺だ。
月斗は黙ってパイの二口目を齧った。中のカスタードクリームが適温になったからか、少し美味しくなったような気がするのが癪だった。
美味しいを連呼するルスキニアの横で月斗は黙って紅茶をすする。
普段なら精々パイを二切れのところを四切れも食べてしまった。いつぶりか分からない賑やかなティータイムに、普段の調子を崩されてしまったようだ。
「ふぅ~、満腹なのです。ごちそうさまでした」
そう言ってルスキニアは両掌をピタリと合わせた。こいつのことだ、仏を拝むポーズだと知らないで誰かの真似をしているのだろう。訂正してやる義理はないし、面白いので放っておくことにした。
「ほとんど食いやがって、ポンコツな上にデブになるつもりか。羽で飛ぶどころか、ジャンプもできなくなるぞ」
「むぅっ、女性に体重のことを言うなんて失礼なのです」
ルスキニアはパイ生地の屑がついた頬をぷくっと膨らませた。
「これでもう食い物はないぞ。俺は忙しいんだ、とっとと出て行け駄天使め」
濡れタオルで手を拭いた月斗は再び多機能作業台へと向き合う。一休みしたお陰でだいぶ集中力が戻っているような気がした。
主人の気分を察した川岡は一言断ると、皿やティーカップを乗せたサービングカートを押し書斎を出て行った。
しかし、ルスキニアの奴だけはまだ居座り続けるつもりらしい。『出て行け』という日本語が難しすぎて、コイツの残念な頭では理解できなかったようだ。
「ったく、野良犬に餌なんてやるもんじゃないな」
月斗は誰にも聞こえないような声で呟いた。
まったりはここまでだ!
次回は歴史のお勉強。明日の18時頃、投稿予定です。
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