第00話 夢
夢を見た。
白い、気の狂ってしまいそうなくらいに真っ白な空間。
だから、これがすぐに夢だと気が付けた。
となると、成る程。これが所謂『明晰夢』と言うものか。
確か見ている夢の内容を本人がある程度いじれたり、悪夢を自分の望んだ内容に変えたり、思い描いた通りの事を覚醒時に体験したりする事が可能だとか。
けど、こう言う場合はどうしたらいいのだろうか?
真っ白な空間に、唯佇んでいるだけ。
手足も、目も、全て自由が利く。
(一先ず……、適当に歩いてみるかね)
もしかしたら、どこかに辿り着くかもしれない。
見えている物だけが真実でないかもしれない。
夢なのだから。
自分が歩く足音だけが響く。
嫌味ったらしいくらいに明瞭に。
そこで一瞬だが、奇妙な感覚に襲われた。
例え難い、これ以上踏み込んではならないと警告するように、波紋が俺を後ろへと押し返そうとする。
だが、もう遅い。
既に踏み込んでしまっているのだから。
感じた時点で足を止めておくべきだったのだろうが、そうも咄嗟に歩みを止められる程、俺の足は機械仕掛けじゃない。
と、
「は?」
着ていたはずの寝巻きがいつの間にか鍛錬で使う着流しに変わっていた。
腰にはしっかりと二本の日本刀が紐に括られて納められている。
「……鍛錬後にそのまま寝たわけじゃないんだがなぁ」
それに鍛錬後にそのまま寝るとしても日本刀だけは外す。
拵えた状態で寝る等俺からすれば狂気の沙汰だ。
となると、考えられる原因は一つ。
「何の気なしに歩いているが、境界線があったか」
夢なのに、と付け足す。
多分数歩戻れば寝巻きに切り替わるのではなかろうか。
そういったところに身を置いているが故、夢にまでそういう特異な影響が出ているのかもしれない。
――まぁ致し方ないと言えば致し方ないのだが。
そういう家柄に生まれてしまった以上文句も言えないし、そもそも今の家柄について浮かぶ文句もない。寧ろ日々退屈せずに済んでいるのだから文句よりも感謝が溢れるというものだ。
一人頷いていた、次の瞬間だった。
ぶわっ、と歩いて来た道を辿るように、それでいて辿ったところから伝播するように。
あるいは、綺麗な水に一滴と黒い絵の具を垂らしたかのように。
色が、付いた。
真っ白だった空間が、唐突に。
「…………ああ、本当に境界線だったんだな」
眼前に広がっている光景が、現日本のそれとは考え難い。
いいや、それ以前に、どうしてあの時点で服装が切り替わったのか合点が行った。
考え難い光景で行われているのが、戦いなのだ。
硝煙の香りや血の匂い。
悲鳴や雄叫び。
正に戦火に今、俺は佇んでいた。
ああ、夢から夢に――でなく、夢から覚醒したらそこは戦火だった。
夢なんかではない。
現実だ。
「ふ、っ、くく、だからこいつを持たせたわけか」
喉の奥から搾り出すようにして笑う。
わずかに茫然したものの、取るに足らない。
どうやら人と物怪の類の戦のようだ。
驚いてしまったが、それは人生で似たような事をこうも何度と経験するものなんだな、とそこに驚きを覚えたに過ぎない。
だから、狼狽えない。
これが初体験だったら今頃みっともなく狼狽えていた。
実際そうだったのだから。
「■■■■■■■■■■――!!」
どうやら標的が此方に向いたらしい。
(まぁそりゃ戦場で突っ立っていたら向くわ)
黒い毛並みに大柄な肉体。
特徴的な豚面、獲物は槍。
槍に対し剣で立ち向かう等、と笑われそうだが、要は攻め方次第だ。
一歩二歩、ぐぐ、と重心を落とし踏み込んで来る豚の物怪の挙動から察するに、そこから槍を突き出して来るつもりだろう。
「■■■!!」
「見え見えなんだよ、豚」
案の定、愚直に突き出された槍をわずかに身を横に逸らし躱せば、槍の中心に向け、
「抜刀するまでもない」
ぐ、と重心を落とし、膝を曲げ、槍の中心に向け弧を描かせながら蹴りを放つ。
本来なら奇襲のために使うような体術だが、十分だ。
大量生産品というのは得てして脆い。
弱点さえ知っていればこのように、
「■■■■■■!?」
槍を圧し折る事だって出来るのだから。
物の見事に――我ながら此処まで綺麗に決まると思っていなかったのだが――槍の中心を穿った蹴撃は槍を中心から折り砕いた。
それに驚愕し一歩二歩と後ろへ退く豚の物怪。
「しっかりと手入れされてたら無理だったか」
パンパン、と手を払い、視線を豚の物怪へと移せば、
「消えろ。殺さないでやる」
そう我ながら驚く程に爽やかな笑顔で告げたのだった。