昔物語2 -好転と窮地-
俺が第二競技場に到着した時、すでに廊下は人で埋まっていた。
人々の隙間から戦いを覗いて去っていく者もいるが、掻き分けて室内まで入る度胸のある野次馬はいないらしい。まあ、競技場に入るということは、問答無用で彼女と手合わせをすることになるのだから、当然と言えば当然だ。
子どもじみた好奇心にすがって生きていけるほど、冒険者は甘くないからな。
腕を組んで観戦する者、冷静に分析し弱点を見出そうと苦心する者、ぶつぶつと何かを呟きながら眉根を寄せる者、余裕をかましている者、我先にと彼女へ飛びかかる者――。
皆一様に、真っ直ぐに、その視線を余すことなく彼女へ注いでいる。
大注目の的は、たった今蹴り倒した男二人を群衆の中へ放り出し、代わりに飛び出した青年の拳を避けながら華麗なる輪舞を踊っていた。
荒削り故、決して綺麗な戦い方ではない。
綺麗ではないが、その燃えるような闘志。烈火の如き攻撃。しなやかな防御。流れるような回避動作。
そして、純粋な勝負への期待。己の限界を試すことへの、背徳的な悦楽。
それらが相まって、彼女から、彼女の、心まで燃やして灰すらも残さない、燃え盛る美しさから、目を離すことが出来ないでいた。
長い髪が弧を描いて奔る。白い四肢が躍動する。赤い目がめまぐるしく動く。
スカートが翻る。ブーツの踵が鳴る。照明を反射して軽鎧が煌めく。
魅惑的な、あまりに暴力的な円舞は、観客に等しく手を伸ばし、付いてこられなかった者を拒絶する。
――物理的に。
「ぐげあああああああああッ!!」
拳を回避され、バランスを崩したところに胴薙ぎを食らった青年が拒絶された。
軽く数メートルほど吹っ飛んで気絶した彼を、『医務室員』の腕章を付けた女性たちが担架に乗せて運んで行く。
そして、新たな踊り手が加わる。
彼女を中心とする舞踏は、もはやワン・オン・ワンではない。一対多数の中でも、いや、だからこそ、彼女の攻撃は激しさと華麗さを増していた。
血気盛んなものから跳びかかっていって、次々に玉砕していく。
俺はその光景に、ただただ呆然として見惚れていた。
* * *
背後から迫り来る男を、逆手に持った長剣で殴打する。
続く動作で左前の青年にハイキック。歯が何本か折れた。
構わない。私は止まらない。
二人の敗北を見届ける間もなく、短弓に矢をつがえた女性が、人混みから姿を現した。
矢が放たれる。もうその手の攻撃は何度も経験した。
払うように叩き落とす。鏃の代わりに黒い硬化ゴムを取り付けた矢が、がらがらと音を立てて転がった。
それを少し剣の先端でつついて、自分の右へ押しやった。左手を伸ばし、女性の腕を引いて誘い込む。
そのまま反時計回りに百八十度回転した後、遠心力を利用して、女性を人混みへ放り投げて返した。
入れ替わるように出てきたのは、年端もいかない少年。
けど、そろそろ来る頃だと思ってた。
さっきから私の方をじっと見てたもんね。
緊張と恐れの入り混じった表情で、私に短剣を突き出そうとする。
その瞳は、しっかりと私を捉えていた。
開かれた瞳孔に、強い意思が宿っている。
敵を見ることは大事だ。
でも、ちゃんと敵以外も見ないとダメだよ。
戦場では、少しの隙が命取りになるんだから。
少年の足が、私がさっき転がした矢を思い切り踏みつけた。
掻き消えた勇気が、一瞬で驚愕に埋もれる。
丸い木製の軸は、少年の足を滑らせ、その身体を後ろに傾けた。
彼の姿勢を見る限り、受け身が取れていない。このままでは後頭部を強かにぶつけるだろう。
短剣を握る右手。その手首を握り、引き寄せ、そのまま対称線上に突き飛ばす。
もはや少年に戦意は無い。無用な戦いは不要だ。
群衆に受け止められた少年を一瞥すると、両斜め背後から気配。
すぐさま少年の右手から短剣を奪い取り、逆手に持ち替える。
「――あッ!?」
少年がワンテンポ遅れて声を上げるが、その時にはもう私の攻撃は終わっていた。
柄で喉仏の下を強打された二人は、息を詰まらせ崩れ落ちる。
振り向きざまに短刀を投擲すると、銃を構えた手に当たる。
呻き声を上げながら短髪の女性が手を押さえた。跳ねた短剣を持ち主へ投げ返す。
スナップを利かせた短剣は、僅かに少年の右側にズレ、飛来した火炎弾を食らって彼の足元に落ちた。
視界の隅で動く影。魔法を防がれた敵が、追随を恐れて身を隠したのだ。
すぐに仕掛けては来ないだろう。それよりも、短剣の少年を支えていたうちの一人が、腰に手を伸ばした。
黒く長いローブの隙間、そこにホルスターが見える。拳銃だ。
そして瞬く間に抜き打ち。約六メートル先から、ゴム弾が私の胸を狙う。
フードを深く被っているため、視線から射線をあらかじめ特定するのが難しい。厄介だ。
タメが必要な回避動作は間に合わない。強引に右手の長剣で、外側に打ち払った。
硬音がして弾丸があらぬ方向に飛ぶ。人混みの中に突入し、鈍い音がした。
続いて小さな悲鳴と倒れる音。誰かに弾が当たったようだ。悲鳴は現場近くにいた女性のものだろう。
私には誰に当たったかわかっていた。いや、狙って当てたのだ。
担架で担ぎ出される青年。その手には、予想通りグリモアが携えられている。
さっき私を狙った火炎弾の主だ。まさか当たるとは思っていなかったが。
……運が良かったのかな。
ともかく一発目は防いだ。後は距離を詰め、頭に一撃叩きこめば済むだろう。
一気に接近しようとした瞬間、二発目の銃声。
右手は無理やり振った反動で戻せない。駆け出すために前傾姿勢になった今、左右への回避も難しい。
おまけに、悪いことには、背後で足音がした。恐らく新手の剣使いが攻撃を仕掛けようとしているのだろう。軽いヒール音からして、多分女性。
困った。
困った、が、悩んでいる暇も無い。
私は体を丸め、初速の勢いに任せて床を転がった。
頭上をゴム弾が通過する。後ろで剣を振りかざしていた女性が、慌てて身を捻った。
髪や服が乱れるが、構っている時間は無い。
姿勢を立て直すべく、右足を立てて止まる。両足を付いてしまうと、とっさに立ち上がりにくいからだ。
相手との距離は後三メートルほど。
二発目も当たらなかったとみるや、黒ローブはすぐに三発目を放つ。
至近で人を撃つことに躊躇は無い。射線もしっかりと調整されている。
手練れだ。
一方、こちらは座った姿勢。先ほどよりも更に都合が悪い。
斜め上から発射された弾丸。狙いは少し左にズレている。
右足を立てた状態で左右どちらかに回避しようとすると、左側の方が動きやすい。それを見越した上での左狙い。
ここで左に跳べなくもないが、そうすると足に着弾する。まだ挑戦者が山ほどいるのに、足をやられてはその後の情勢が圧倒的不利になる。
…………強い。
正直な感想だった。
もっと言えば、是非お近づきになって共に鍛錬に励みたいレベル。
ライバルがいた方が燃えるし……って違う。そんなこと考えてる場合じゃない。
左狙いとはいっても、避けなければ確実に腰に当たる。
しかし、相手は更に追い打ちとして、
……二発追加!?
右と頭上に一発ずつ。ほぼ同じタイミングで撃ってきた。
だが左の弾丸とのタイムラグはある。ひょっとしたら右に少し動いて左を避け、通り抜けた瞬間に左にかわして右と上を避ける、という離れ業も、可能性として無いわけではないが……
……いくら本物の銃より速度が落ちてるとはいえ、この時間差じゃ、ちょっと厳しいかな。
力メインに小技で押す自分と違い、純然たる技術で織り成された戦闘方法。
多少羨ましくもなるが、これから熟練していけばいい。
今は目の前のことに集中する時だ。
* * *
俺は、絶体絶命とも思える窮地の中、彼女が動くのを確かに見た。