昔物語1 -入所試験-
彼女は幼なじみだった。
物心つく前から一緒にいて、小・中・高等部と同じ学園に通った。
俺が彼女の才能に気付くのに、そう時間はかからなかった。
中等部を卒業する頃、かねてより憧れていた冒険者になるべく、二人で有名な育成所に通うことにした時のこと。
ただっ広い競技場に集められた俺たちは、クラスを決めるために、まず実戦テストとして入所希望者同士で手合わせをすることになった。
地元で名高い冒険者の息子、大貴族の令嬢、逞しい青年、妖艶な美女――。
三ケタはいる希望者は、老若男女こもごもだが、皆一様にやる気に溢れていた。
くじ引きでペアが決められ、余りに年齢や経験差がありすぎるところは交代し、武器は支給された訓練用の硬化ゴム製のものを使用する。
シンプルな長剣を手に取った彼女は、素振りをして感触を確かめ、物は試しと俺をぶっ叩こうとしたのでさすがに止めた。
いくら広い場所とはいえ、一度にこの人数が手合わせをするのは無理なので、三回戦に分けられる。
彼女は一戦目、俺は三戦目だった。
血の気の多い若者の集団が、待ちきれないとでも言うように手指の関節を鳴らす。
そして、開戦から一時間三十二分。
彼女は、数百人といる希望者を、片端から叩きのめした。
* * *
圧倒的な強さだった。
彼女の最初の犠牲者は、あの活気づいた若者グループの一人だった。
明らかに五歳は年下、しかも女性である彼女を見る、青年の相手を舐めきってニヤついた表情が、 俺にはよく見えた。
そして、開始の合図と共に彼女が軽く頭を下げた直後、鈍い音が響いた。
周囲にいた人々が、己の相手も忘れて音源を見る。
青年が、白目を剥いて昏倒していた。
高らかにホイッスルが鳴り響く。開始からわずか三秒と経たない間の出来事に、監督者も驚きを隠せないようだった。
本来なら、全員の一戦目が終わるか、時間切れになるまで待機するのだが――
「て、てめえ!! よくも俺の弟をやってくれたな!!」
自分のペアを無視して、人を突き飛ばしながら男性が彼女に駆け寄ってきた。
三流悪役のようなセリフと、何のことかわからず首を傾げる彼女に、何となく先の展開が読める。
確かに、これは“手合わせ”であって、個々人の実力を見るために行われるものだ。気絶するほどの攻撃を加えろとは言っていないし、普通そこまでしないだろう。青年の気持ちも、わからなくはない。
しかし、もともと勝気な彼女は「戦うからには真剣勝負」の思考の持ち主だ。勝てば官軍、とまではいかないが、別にズルをした訳でもないのに咎められるのは納得がいかなかった。
罵声を浴びせる男性を監督者が止めようとするが、騒ぎが大きくなったせいで野次馬が集まって彼らの元まで辿り着くことが出来ない。
そのうち男の罵詈雑言に卑語が混じると、彼女が眉を寄せる。
微妙な表情の変化だったが、十数年来の付き合いである俺は、事態が不穏な流れに向かいつつあることをいち早く察した。
しかし、俺は傍観者に徹することにした。
彼女に一度火がつけば止められないことは、四ケタを超える喧嘩で身をもって知っていたからだ。
だから、彼女が右手に下げた長剣を軽く後ろに振った時も、俺の心の中では「やっぱりな」という、相手への同情の気持ちが強かった。
滑らかな動きで、剣が宙を滑る。
余りに自然な動作。唾を飛ばす男は己に迫る危機に気付かない。
そして、彼女の怒りが突然牙を剥いた。
逆袈裟に斬り上げた剣の切っ先が、男性の顎を打ち抜いた。
非致死性なので死にはしないものの、硬化ゴムで頭を叩かれたらどうなるかは自明の理だ。
男性は一瞬で脳震盪を起こし、後ろに尻もちをつく。
すぐに意識を取り戻すも、何が起こったのかわからず呆然とする男性。
そして一層ざわめきを増した群衆から、男性と青年、それに女性が、何やら叫びながら飛び出してきた。
先程の様子を見ていると、いかに頭数が多かろうと二の舞を演ずることになるだろう。
それ程までに、彼女の強さは圧倒的で、熱烈で、華麗で、美しかった。
無言で獲物を振りかぶる男性。武器は彼女と同じ長剣だ。青年が持っているのはゴム弾を装填した六発式拳銃だろう。
剣に銃とはセコい気もするが、彼女は全く怯まなかった。
相手から先に仕掛けてきたので、自分がこれから行おうとしていることを正当防衛と見なした彼女は反撃体勢にシフト。
速度も膂力もある男性の剣を、身軽な右ステップで回避。
巻き込みそうな野次馬を、軽く剣を振ることで散らし、距離を取った。
制止の声は歓声と怒声に遮られて届かない。仮に聞こえていたとしても、頭に血の上った男たちは止まらないし、負傷を防ぐために彼女も反撃の手を止めることは無かっただろう。
最初の一撃が空振りしたことを知るや、青年が容赦なく引き金を絞る。弾は三発。
狙いは正確だ。もともと射撃が趣味だったのか、もしくは訓練でもしていたのだろう。
しかし、正確な狙いほど避けやすい攻撃は無い。
少ししゃがめば、彼女のポニーテールに結った髪の隙間をゴム弾が通り抜ける。
驚愕した青年には目もくれず、剣を構え直した男性の足元を狙って、彼女の脚が高速で放たれた。
ブーツの踵は狙いを過たず、男性の向う脛に激突。これは痛い。
骨が折れなかったのは彼女が手加減したからか、運が良かったのか。少なくとも後者とは思いたくない。
激痛に蹲る男性。すぐさま立ち上がった彼女は、その隙を狙ってトドメの一撃を振り下ろした。
脳天を突き抜ける衝撃に意識を刈り飛ばされた男性が沈む。ゴム弾が飛来する。首を振ってかわす。
四発目。今度は避けることを想定し、少し右にズラして撃たれた。
続けざまに五発目が放たれる。これは左胸に向かっている。
とっさには避けづらいが、避けなければ弾が当たる弾道。
胸を狙った弾を跳躍で回避できるほど、“当時は”彼女の脚力も完成していなかったし、下に避ければ追撃を回避することが難しくなる。
だが、彼女は迷わなかった。
避ける事すらしなかった。
ただ腕を振って、弾を叩き落とした。
一振りで二発のゴム弾を打ち払い、倒れた男性の背中を、
「ごめんね」
遠慮なく踏みつけた。
青年が一瞬怯むが、すぐに顔面狙いの一発を撃ち放つ。
これは屈んで回避。前傾姿勢の勢いのまま、青年に体当たりを敢行すべく、数メートルを三歩で詰めた。
引き金が引かれる。弾は出ない。
残弾ゼロだ。
「――――!!」
背中を向けて遁走しようとする青年に、低い位置、肩からのタックルが綺麗に入った。
青年はうつぶせに倒れ、口から泡を吹いて失神した。
「――炎魔法『ファイア』」
凛とした女性の声が、突如として響き渡る。
と、低威力の火炎弾が、空気中の塵を焼きながら低空で飛んできた。
蛇行する火の玉は、高速で人々の間を縫い、肌を焼く。
訓練用に威力を抑えられた魔法。それを繰り出したのは、
「あんまり調子に乗らないでよね……」
金茶色の髪を後ろでラフに束ねた女性。
……魔法使い、か。
高い魔力(MP)とスキルを駆使し、多種多様な魔法を自在に操る遠距離アタッカー。
赤いマニキュアが塗られた手には、訓練用の分厚い魔術書が携えられている。
今は『ファイア』や『ウオーター』など、ごく低レベルで殺傷能力の低い魔法に制限されてはいる が、魔法が使えるというのは一種のステータスだ。
彼女は、火炎弾を手に持った剣で勢いよく斬り下げて掻き消し、女性の方を睨めつけた
過剰防衛はしたくない。出来れば話し合いで済ましたい、というのが彼女の本音なのだろうが、女性はそんなことお構いなしだ。
「水魔法『ウオーター』」
水魔法は、本来回復系魔法の基礎となる魔法。炎とは違い攻撃には向かない。
不審に思ったのか彼女は眉を潜めるが、幅広の長剣を叩き付けるようにしてやり過ごす。
水飛沫が飛び散り、彼女の肌や服を濡らすが、威力さえ弱まればただの水だ。
と、女性が唇を歪めた。笑みの形。「してやったり」とでも言いたそうな表情。
「――雷魔法『サンダー』」
炎と同等レベルの攻撃魔法。そういうことか。
濡れた肌は伝導性が増す。そこへ電撃をぶち込むことで、ダメージを増幅させるつもりだ。男衆より冷静な分、逆に怖い攻撃をしてくる。
グリモアにMPが注ぎ込まれ、ページが淡く発光する。
細い紫電が女性の腕に絡み付いたとき、彼女は危機を察した。が、距離は走っても五歩以上ある。 発動前に仕留めるのは無理そうだ。
女性が右手を突き出すと、電光が龍のように迸り彼女に襲いかかった。
すると彼女は、剣を腰だめに構え、半身になる。
そして、剣を電撃に向かって一直線に突き出した。
丸く尖らせた先端に紫電が命中し、放射状に散る。女性が驚愕の表情を浮かべる。
長剣はゴム製だ。電気を通さない。
どこでそんな防御法を知ったのか。少なくとも、俺との喧嘩で魔法を使用したことは無かったはずだ。
一度凌いでしまえば、この戦闘は彼女のものだ。
「せいッ!!」
気合一発、獲物をぶん投げる。
回転しながら真っ直ぐに飛んで行った長剣は、見事に女性の眉間に直撃した。
衝撃で仰け反り、そのまま崩れるように倒れる女性。額の傷は、血は出るだろうが、痕には残らないだろう。
やっとたどり着いた監督者が、彼女を軽く諌める。もともとふっかけてきたのは相手の方なので、強くは咎められない。
四人に治癒魔法をかけていく監督者を見て、タオルで髪を拭いた彼女が素直に待機場所に戻ろうとした時――
「待たれよ」
低く威厳に満ちた声がかけられた。
振り向くと、口元に豊かな髭を蓄えた中年の男が、腕を組んで彼女を見下ろしている。
身長差は四十センチ以上あるだろう。威圧を振り撒いて仁王立ちする男に、彼女は臆することなく問う。
「なんでしょうか?」
「貴殿の戦いぶり、実に見事なり。単刀直入に申し上げる。我と手合わせ願いたい」
「手合わせ?」
訝しげに首を傾げるが、考える素振りも無く即答する。
「私は構いません。ただ、監督の方たちの許可が得られれば……」
それを聞いた大男は、ふむ、と言って、床の水を拭いている監督者へと向かう。
何やら問答しているようだ。その隙に俺は彼女へと駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
「ん? ……あ、アレン。うん、どこも怪我してないよ」
「びっくりしたなぁ……。お前、いつの間にそんな技術身に着けたんだよ?」
「え? ああ、いや、何となく出来ちゃっただけで……」
照れたように頭を掻く。その仕草から謙遜は感じられない。
「で、さっきのアレどうするんだよ? 本当に勝負受けるのか?」
「うん。私を褒めてくれたし……嬉しかった。それに、自分の強さを知ることはとても楽しいしね!」
屈託なく笑う彼女。きっと本心からの言葉だろう。
「そうか……。無理すんなよ。あと、怪我に気をつけろよ」
「へへ、大丈夫だって。私、そこそこ強いよ? 自分で言うのもなんだけど……」
確かに彼女は強い。ワン・オン・ワンの喧嘩では、小等部高学年から徐々に勝てるようにはなったものの、依然勝数には歴然たる差があった。
「おい、許可が取れたぞ。第二競技場を使えとのことだ」
大男が許可証を持ってきて、再び群がり始めた人々に見せる。
「そこの嬢ちゃんさえ良いと言えば、一緒に手合わせをしてもいいそうだ」
「え? あ、私は別に構わないので、えっと、戦いたい……方? は、あの、第二競技場でお待ちしております?」
最後が疑問形になってしまっているが、どうやら先程のような騒動が起きぬよう、彼女との手合わせを望む者は別室にて受け付ける、ということらしい。
案内者の女性に二人がついて行く。それに続いて、ざわざわとしていた群衆から、一人、また一人 と第二競技場へ向かうものが現れた。
予想外の数の多さに驚いたが、もともと冒険者になりたいという人々の寄せ集め。
向上心に溢れているか、またはただの好奇心からだろう。
残った希望者でくじが引き直され、第一、第二戦目が開始される。
出場予定の第三戦目まではまだ時間があったので、俺は彼女の武勇伝でも見物しに行くことにした。
そして、そこで俺は更なる驚愕に見舞われることになる。