光と闇と青
つばを飲み込んだ俺に、しかし変わらぬ調子でウィンディは話し続ける。
「君は光ではない。君は消えてはいない。――そして、君が残光を追う意味もない」
その瞳は、俺を見ていないかのように思われた。
さっきまで俺を捉えていた赤眼は、伏せられた瞼に半分隠れ、遠いどこかを見遣っている。
話す、というより、自分の内に眠る何かを、一方的に吐露しているかのようだ。
「君は、闇だ。栄光の影に潜む闇。陳腐な言い回しだが、“光あるところに闇あり”だ」
言葉は笑みを作った端からぼろぼろと零れ落ちるが、この表情は確実に笑顔ではない。
畏怖すべき対象を前にした時の、畏れを誤魔化すような曖昧な笑い。
ウィンディに限って、そんな顔を見せるはずがないが……。俺の気のせいだろうか。
「光は闇を生む。対し、闇は光を生み出さない。平等に浸食し、呑み込み、同化する」
「……障壁がなければ、光に照らされたところで闇は生まれないだろう」
俺の疑問に、ウィンディは口角を更に持ち上げた。
「そうだね……。まさにその通りだ」
だが、という声。その声色に、俺の背筋に悪寒が走る。
「同時に間違いだ……。仮に全方向から一斉に照射したとしても、闇はやはり生まれてしまう。そうして、徐々に光を呑み込んでいく」
息を継ぐ間もなく、ウィンディは声を零す。
「やがて、全ては闇に包まれる」
「で、でも、全てが闇なら、何を以て光とするんだ?」
光があるから闇がわかるように、比べる対象の存在があって、初めて両者を知覚し得る。
絞り出すように言った俺の言葉に、ますます笑みは濃くなるばかり。
「簡単な答えだ。その“深さ”を以て、判断すればよい」
「“深さ”……」
「そう、“深さ”だ。誰もが均等な闇を抱えていることはない。誰もが平等に光を浴びることのないように」
口を動かしながら、呼気の間を縫って、せわしなく爪を噛む。
「抱える闇の深さは個々人によって異なる。ちょうど、一人ひとりの性別、種族、年齢、顔つき、体型、性格、態度、口調、出身、身分、職業、学歴、嗜好、生い立ち、人間関係――列挙すればキリのない、個人を形成する内的要素……“個性”とも言うべきそれらと同じように。様々な要因が複雑に絡まり合って創り上げられた二つとない渓谷には、個人の闇が満ち満ちている。我々生きとし生ける者各々が擁する闇には、個性があり、それを紐解くことでその背景を知ることは容易だ」
そこまで言い、困惑した俺にはたと気づいたのか、
「すまない。脱線したね……。こうしてマトモに君と向かい合って話すのは初めてだから、気が高揚して心ともなく要らぬことまで話してしまう」
困ったような顔をした後、丸まっていた背筋を正して、
「まあ、外面にしろ内面にしろ、己と他者の性質が違えば、少なからず争いが起こる……。闇の深さも同様。いわゆる“不幸比べ”という奴だね。素直に与えられた幸福を喜べばいいものを、他者と張り合うあまり、毛ほども自慢にならぬ身の上話を聞かされたところでこちらが興ざめだ……」
言いながら、ウィンディは哄笑の際モビールに引っかかった髪を、一本ずつ丁寧に解いていく。
「『何を以て光とするか』だったね。つまりは、己の闇より他者の闇の方が浅く、明るければ、それは自分にとって光と変わりないのさ」
半ば強引に纏めると、オルゴール・メリーに捉えられた最後の一本を抜き取った。
心配事を全て取り払うと、悠然として執務机に戻っていく。
理解の及ばぬ俺にくつくつと微笑を投げかけると、
「急に小難しいことを言って、さぞ混乱しただろう。どうか忘れてくれ」
その言葉に、何となく俺は小馬鹿にされた気がしたが、考えても仕方がないので早々に思考を中断した。
「ほら。せっかくの贈り物だ。つけておいてほしい」
遠ざかる声に乗って、再び手元に舞い戻った青い宝玉を、しげしげと見る。
何故か、これに見覚えがあるのだ。
アレックスが着けていたからではない。もう少し以前に……。
この滑らかなフォルムと光沢、嘘のように鮮やかな、それでいて底知れぬ悲哀を覗かせる色彩――。
俺は電流が脳髄に奔る感触と共に、既視感の正体に気付いた。
そうだ。この色は。
ベリルの部屋にあった、あのガラスの空き瓶と同じ色だ。
もちろん、ガラスと宝石では価値も色の深みも全く違う……はずだが、その青色は、類似という言葉では片付かないほど、確かに同一の感覚を俺に投げつけた。
すなわち、ニル・アドミラリイ。
ガラス瓶ほど露骨ではないが、その深淵に燻るのは正しく虚無。
諦観とは違う、ただただ傍観的な受動性が、青の底から俺を見据えていた。
見つめ返すことが出来なくて、俺は宝玉を、コルンバのフレームと装備とを連結する金具に引っ掛ける。
銀の三角環が揺れて、ナイフの残光のような閃きが俺の瞳に差し込んだ。
ウィンディは笑っている。
笑いながら、親指を齧っている。
彼女の方から口を開く気配が無いので、静かに俺は問うた。
「……要件は、全部終わりか?」
これで「まだある」と言われても困るが、「ない」と言われれば、俺は茶と脅迫と贈り物を受けるためだけに半日悶々と過ごしていた、ただの馬鹿ということになる。
ウィンディの答えは、そのどちらでもなかった。
「いや。思いのほか長引いてしまったから、続きは明日話そう」
つまり、明日も来い、ということか。
無駄に疲労を長引かされる身となった俺の表情が、よほど曇っていたのか、ウィンディは笑みを濃くして、
「取って食うようなことはしない……。それに」
空いた左手で俺の腰を指さした。
反射的に目をやれば、ウエストポーチがある。普段、符や薬草、弾薬や切符などを入れておくためのものだ。
「――君もこの後用事があるのだろう?」
言われた言葉に、脳より先に身体が反応し、ポーチを手で押さえて半身になる。
俺の行動が随分悦に入ったのか、幾度目かになる高笑いを数秒上げた後、
「もう夜も遅い……。――疾く、所要を済ませて横臥せよ」
きっぱりと言い放つと、左手を俺の背後に移し、
「――――」
勢いよく五指を開いた。
轟音と爆風。
圧縮された室内の空気が波打ち、吊られたモビールとシャンデリアがガチャガチャ嗤い、オルゴール・メリーは迷惑そうに声を張り上げた。
心臓を縮こまらせた俺は、肩越しに後ろを見る。
背後の扉が勝手に開き、冷たい風がうっすらと流れ込んでくる。廊下から室内へ押し開けるタイプの扉なので、ウィンディが風か何かの魔法を用いて中から開けたとは考えづらい。
当惑する俺の耳を、耳障りな残響と彼女の笑い声がかすめた。
と、視界の端に映る人影。
俺がその名を呼ぶより早く、部屋の奥から声が飛んだ。
「アレックス。アレンをテント外まで案内せよ」