贈り物
大真面目な俺の返答に、ウィンディは大げさに眼を見開くと、今度は喉に溜めずに笑いを吐き出した。
引きつって、甲高くて、耳に障る笑い声だ。ライのそれは下品で露骨だが、こちらは面白くもないのに無理して笑うようでいて、そしてどことなく嘲笑の響きを含んでいるから、より不快を感じる。
ウィンディはひとしきり笑い終えた後、浮かんでもいない涙を拭うふりをして、
「了解。紅茶でいいね?」
声を発さず頷くと、ウィンディは後ろ手に腕を伸ばして執務机の引き出しを開け、見もせずにティーバッグの箱を取り出すと、俺の左斜め前方を指さした。
「……?」
指された方に目をやると、埋もれるように食器棚があり、ガラスの向こうに白いティーカップが見える。受け皿もあった。
俺が特段飲みたいわけでもない紅茶を俺に飲ませるために、俺にカップまで取らせるのは些かの不条理を感じるが、大人しく従うことにした。
木馬から立ち上がり、ガラクタを掻き分け、ネジや何かの破片を踏まないように気を付けながら食器棚までたどり着く。
引き戸を開け、カップと皿を取り出し、戸を閉め木馬へと帰還。たかが数メートルで何故こんなに疲れなければならないのか。正直、ここまでの道程より余程骨が折れる。
ウィンディに渡そうとすると、彼女はフレーバーを吟味しながら、顎で「投げろ」と指示してきた。
完全にこちらを見ていないし、両手も塞がっているのに投げろとは。
カップは薄く、質感からして落とせば確実に割れる素材。投げる俺の方が戸惑ってしまう。
しかし、ウィンディは一つ一つティーバッグの紐を摘まみ上げて味を選ぶのに夢中で、俺は眼中にない。
このままでは埒が明かない。
本部テントを訪れてからというもの何度目か分からない勇気を出して、
「――それっ」
せめて投げたことが伝わるように、掛け声と共にカップを投げつけた。
そこからは神速だ。
ウィンディは持っていたティーバッグを真上に放り、空いた右手でカップをキャッチ。
無詠唱・無魔法陣で瞬く間に水がカップの底から湧き上がり、次の一瞬で沸騰する。熱湯を宙にばら撒けば、どこも濡らすことなく空中で蒸発してしまう。俺は風系統の魔法だと目星を付けた。
もう一度、刹那の間に湯を沸かしたウィンディは、落下してきたティーバッグを受け止め、カップ内に無造作に投入。
最小限の動作で、僅か四瞬の間に紅茶を淹れたウィンディは、
「……どうぞ。受け皿で蓋をして、蒸らしてから飲むといい」
「…………どうも」
俺に渡してくれるが、色々言いたい事がありすぎて、とりあえずお礼しか出なかった。
言われたとおりに皿を被せる。ウィンディは元通りに箱をしまうと、また爪を噛み始めた。
瞬間的な判断。無詠唱・無魔法陣で高威力魔法の連発。無駄のない、どころか必要さえも削ぎ落とした動作。
目前にして痛感した、最高権力者の強さ。
気付けば喉が渇いていた。十分蒸らした紅茶を、冷ますことも忘れ喉に流し込む。
熱さが舌上を焼き、喉を刺激するが、脳はウィンディの次の動きを予測することに没頭していた。
何の味かはわからないが、やけに赤く、甘い匂いのする紅茶で喉を潤す。カップの中はすぐに空になり、俺は木馬の隣にあったブラウン管テレビの上にそれを置いた。
と、用事の一つを思い出す。
「……ウィンディ」
呼び捨てでは気に障るかとも思ったが、彼女は爪から唇を離して「なんだい?」と問うてくる。
「これを」
短く言って、ポケットの中にあった小瓶を放った。
特に訝しがる様子もなくキャッチしたウィンディは、己の手の中を見て、くつくつと笑った。
「蛆じゃないか。どうしたんだい、これ」
「ライが肉人形にした奴を俺がソーセージに加工する際、スペルが削ぎ取った、ベルの腹の中に廃棄される予定だった肉片をルリの魔獣に食わせることになって、その時ベルからお前の特殊収集癖を聞き、集めて持っていけと暗に告げられた結末だ」
経緯を一気に述べると、ウィンディは笑い声を大きくした。意外とよく笑う奴だ。声と笑顔はやはり不気味だが。
「それは有り難いね。確かに、マゴットの収集は君たちから見れば特殊かもしれないが、非才にとっては非常に意味のある行為だ……暇な時にでも是非協力してほしい」
非才、というのは、どうやらウィンディの一人称らしい。随分と変わっている。
彼女は小瓶を机の脇に置くと、カーテンに留められた袋からペンを取り出し、蓋に何やら走り書きをすると、満足そうにペンを戻した。
「さて……。では、非才からも君に贈り物をしよう」
贈り物?
これで鉛玉でも食らったら俺の人生は終点まっしぐらだが、そうではないらしい。
ウィンディは執務机の上に立ち上がり、手を頭上に掲げた。
そこには、異彩と存在感を放つ、例の“繭”がぶら下がっている。
伸びる糸の一本に爪を掛け、弾くと、“繭”の隙間から何か小さいものが転がり出た。
左手でそれを受けたウィンディは、机から降りて俺へと歩み寄る。
思わず立ち上がろうとするが、
「――座れ」
その一言に、ヘビに睨まれたカエルの如く、俺は居すくまって動けなくなった。
金縛りに遭ったように力が入らず、浮かした腰が木馬に落ちる。
瞬きすらもままならない。ウィンディの目に見えない威圧が、突如毒牙を剥いて襲いかかったのだ。
無論、これは彼女が有する異常性の、ほんの片鱗に過ぎない。
にもかかわらず、その片鱗だけで、歴戦の勇者たる俺は稚児のように無力化せられてしまった。
「――アレン」
呼ばれた名に、心臓が跳ねる。
警鐘が狂ったように打ち鳴らされる。
死の臭いが鼻腔をかすめる。
こいつは、ウィンディは。
その気になれば、いともたやすく、口先の抵抗すらも許さないまま、俺をなぶり殺しに出来ることを、たった三文字で証明した。
「――非才から、君への、贈り物だ」
奥歯が鳴りそうになるが、逆光の中で一層ぎらぎらと閃く瞳は、それさえ許さない。
俺は息も忘れて、氷の中に閉じ込められたみたいに、ただ瞳孔だけが彼女の姿を捉えていた。
「――受け取ってくれるね?」
耳鳴りと頭痛が、頭の遠くでせめぎ合う。
世界が、明滅を繰り返している。
ウィンディの眼光に照らされて、脳裏に蘇る映像。
その時、俺は俺自身を見た。
セピア色の思い出が、胸を抉る光景を連れて、網膜の裏に映し出された。
第三者から見た己の姿。
今のように、俺は、動けず、何も出来ず、無力を恨んで、不運を嘆いて、運命を呪って、そして、
まるで今のように、
あの時、俺は、
でも俺は、
俺は、
俺、
、