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ウィンディ

 ノックの返答はなかった。

 躊躇(ためら)いつつも、銅製のノブを掴み、一気に開け放つ。


  * * *


 中は明るく、とても暖かかった。

 シックな内装にアンティーク調の家具が整然と並べられ、派手すぎないシャンデリアが室内を照らしている。

 守衛がいないことに少し安心して、俺は歩き出した。

 毛足の長い、赤い絨毯を踏みしめて歩き出すが、如何せん不慣れなため、どこがウィンディの部屋で、どう行けばたどり着けるのか、皆目(かいもく)見当がつかない。

 すると、

「…………アレン」

 不意に俺を呼ぶ声がした。

 左後ろに振り向くと、一人の男性が立っている。

 雪のように白い、少し長めの髪に、切れ長の目。覗く瞳は琥珀色に透き通っている。

 精悍な、という形容詞が似合う顔立ちの彼は、良く通る声で俺に告げた。

「ウィンディ様がお待ちだ。……こちらへ」

 どうやら出迎えに来てくれたらしい。それが幸運な事なのか、はたまた不幸の前兆なのかは、俺には分からない。


  * * *


 案内の男性について行く。

 彼の名はアレックス。ウィンディの側近にして、右腕だ。

 人前に姿を現さないウィンディの代わりに、たびたび俺に伝言を伝えたり、本部内を案内してくれたりと、何かと世話になっている。

 理由は判らないが、初めて顔を合わせた時から、俺は彼と初対面の気がしなかった。そのためか、俺はスペルやリティア以上に、彼を頼りにしている。

 奇人変人がほとんどを占めるここには珍しく、アレックスは少しクールだが常識的で、俺が困っていると手を差し伸べてくれる優しい奴だった。もちろん、おせっかいだと思ったことは一度も無い。

 階段を上り、廊下を曲がり、部屋を通り抜けてまた上る。

 ただ進んで上に上がればいいのかと思えば、たびたび下りたり戻ったりする。まるで迷路のようだ。歩く距離が長すぎて、ただでさえ大きな本部テントが、宮殿か何かのように感じる。

 景色はめまぐるしく変わり、塵一つ無い物置を突き抜け、隠し扉を幾重にも潜り、ひたすらアレックスについて行った。

 黙々と歩く彼の横顔を窺う。

 長髪から垣間見える、青い宝石をピアスにした耳。上部が尖っているのはゴーレムの証だ。

 目線を下にずらせば、羽織ったマントから拳銃が覗く。両腰にホルスター。二丁拳銃使いだ。

 彼が何故、その堅強な身体に頼らず火器を頼るのか。その理由はまだ聞けていない。いつか聞いてみようと思う。案外すんなり答えてくれそうな気がするのだ。

 すると、視界の中で革靴がぴたりと止まる。

 俺も足を止め、顔を上げると、そこは廊下の突き当りだった。

 玄関にあったものより更に大きい扉が、押し潰さんばかりの重厚感を持って俺たちを見下している。

 豪華絢爛(ごうかけんらん)と呼ぶに相応しい修飾も、その奥から染みだす威圧にくすんではっきりしない。

 アレックスは胸に手を当てて頭を深々と下げ、滑らかな動きで扉の脇へ控えた。

 後は自分で何とかしろ、ということだろうか。

 無言でただ(こうべ)を垂れる彼を一瞥し、決意を固めた俺は、汗ばむ手で扉に手をかけ――

 ノックもせずに、勢いよく押し開けた。


  * * *


 腕に響く重量を入室と同時に手放せば、隣をゆっくりと過ぎゆく扉が風を寄越し、そして音を立てずに完全に閉じた。

 薄明るい部屋の中には、物が溢れかえっている。

 棚には書物、巻物、瓶、小型機械類などが押し込まれ、上にも箱が積み上がっていた。何に使うのかもわからないガラクタの頂上に、液晶の割れたモニターが静かに佇んでいる。

 壁には、数メートルに及ぶ大きな角を持つ魔獣やモンスターのハンティング・トロフィー、有翼種の翼のコレクション、獣人の毛皮で編まれたストール、ヒビの入った骨董品であろう大鏡、西洋鎧に武器の陳列棚、抽象的な絵画……とにかく、趣向も用途も様々な物たちが雑多に張り付いている。

 ぬいぐるみやドールハウスなども見受けられるが、それすらファンシーで可愛らしい印象は彼方(かなた)へ追いやられて、どこか滑稽で、奇抜で、グロテスクだ。

 窓は黒いカーテンで覆われている。そのカーテンもよく見ると()()ぎだらけで、縫い目から覗くのは暗い闇ばかりだ。錆びた安全ピンが、膨らんだ小さな袋を辛うじて留めている。

 天井からは傾いたシャンデリアの他に、モビールが蜘蛛の糸のように垂れさがり、一部は絡まってしまっている。人型のモチーフの首にテグスが巻き付いているのを見るのは、お世辞にもいい気分とは言えない。

 吊るされたオルゴール・メリーが子守唄を奏でているが、その音色は酷く機械的で、しかも幾つもあるものだから、それぞれが自分の歌を主張し合ってがなり立てる。鳴きやまない不協和音が耳障りなことこの上なかった。

 部屋の最奥の天井には、真っ白いシルクのような繊維で編まれた、人一人が入れそうなくらい大きな“(まゆ)”が重力を無視するが如くくっついている。あまりに白いので、昼間の陽光の元で見たら目をやられてしまいそうだ。

 中でも目に付くのは、散在する本、本、本。それも、かなり年季の入った代物ばかり。

 床にまでのさばる物品たちに紛れて、金銀の装飾や剥がれた背表紙、千切れてしわくちゃになった絵入りのページなどが積み重なっている。

 俺たちのテントや食物庫に比べても恐ろしく広い室内は、地震でも起きたら底が抜けそうなほど詰め込まれた物たちによって、あり得ないほどの閉塞感で満たされていた。

 いるだけで息苦しいその真ん中には、一等上等なアンティーク調の執務机が据え付けられ、いかにも高級そうなその天板(てんばん)の上に、小さな影が一つあった。

「…………」

 俺が無言でいると、その影は丸めていた背を少し伸ばして、うっすらと口を横に開いた。


「……やあ。アレン」


 ウィンディだ。


  * * *


 薄明かりの中でも、その赤い瞳はぬるりと輝いた。

 ねっとりと絡み付くような視線。どこか遠くを見ているような視線が、俺の不安を(あお)り立てる。

 ウィンディは弧を描いた口元に、自身の右の親指をあてがう。そのまま歯を立てて爪を齧った。長い犬歯が覗く。

 ひとしきり噛み終わった後、蛇のような目を細めて俺を手招いた。

「どうしてそんなところに突っ立っているんだい……? ほら、こっちに来なよ」

 裏返りの響きを含んだ声と、頭上で鳴り続ける不協和音に顔をしかめそうになるのを堪え、俺は執務机へと歩み寄る。

 そして、ここを統べるリーダーを見た。

 外見上、歳は俺と変わらないか、一つか二つ年下……だと思うのだが、纏っている異様な雰囲気のせいで実年齢は汲み取れない。

 どこか不完全な笑顔を張り付けた小さな顔。髪はアレックスと同じく白いが、彼には無い奇怪な冷たさを放っている。一部はメッシュを入れているのか、暗闇の中で青く目立った。上部のみ両脇で括られ、流された後ろ髪と二つの先端が机にとぐろを巻いていた。

 細められた大きな眼と凍てついたような長い髪で、ようやく少女だとわかる。着られるように着ているローブで体型はすっかり隠されているし、声色は女性か少年かの判別がつかない上、口調も違和感を覚えるほど文語的で中性的だ。

 何よりも、それほどまでに、ウィンディの放つオーラは、面妖で、無機的で、ひたすらに不気味だった。

 硬い顔で、半ば睨みつけるように彼女を見る俺に、ウィンディは引きつったような笑い声を喉の奥で上げる。

「何故そんなに緊張しているのか理解しかねるね……。まあ、掛けなよ」

 掛けなよ、と言われても、こんなに散らかっているのでは座りようも無い。

 すると、ウィンディは重そうなローブの隙間から細い指を出して、俺の斜め背後を指さした。

 そこにあるのは、積み木や空気の抜けてぺしゃんこになったゴムボールの上に鎮座する、首の折れた木馬だった。

 サイズは明らかに子供用ではないが、丸みを帯びたシルエットや剥がれかけた塗装の色合いは、どこまでも少女趣味的だ。

 俺はどことなく馬鹿にされたような気分になったが、何も言わずに木馬に腰掛ける。腰の下で、ぎしり、と軋みが上がったが、それきり木馬は沈黙して、部屋は再び静寂に包まれた。

 すぐさまウィンディが森閑(しんかん)を破る。

「ご苦労だったね。道程は長くて疲れたろう? 何か飲むといい。……希望は?」

 これが「何か飲むかい?」と聞かれたならば首の動きだけで事足りたのに、希望を聞かれては口を開かずして会話が成り立たない。

 正直なところ、夕食時にヴァージン・マリーを飲んだし、これでも鍛えているので疲れてなどいないのだが、下手に断わって機嫌を損ねても面倒だ。

 仕方なしに“希望”を伝える。




「……動物性タンパク質を原料としていない飲み物を」



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