宴
ルリが舞う。
金髪を靡かせ、腰をくねらせ、胸を揺らし、四肢を突き出してしなやかに踊る。
カクテルが回ってきたのか、薄ら赤く頬を染めているが、軽快な動きで繰り出されるステップには淀みがない。
食事も終盤に差し掛かった頃、突如席を立ち自分のテントに戻ったルリは、程なくして舞姫のような衣装で帰ってくるや否や、テーブルの周りを舞い始めた。酔ったライが、口から物を飛ばしてゲラゲラ笑いながら口笛を吹いた。
下卑た哄笑と口笛、それにリティアの手拍子をBGMに、ルリの舞が続けられる。
俺の作ったソーセージはだいぶ好評だったようで、空になった大皿が、ベルの要望によるベリルの生レバーを載せていた皿と共に積み上げられていた。
残った料理は大食い二人が片している最中で、俺たちはコップとツマミ片手にルリの舞を眺めている。
ルリは食後には必ずと言っていいほど踊るのだが、酒が入って、しかも満腹の状態で踊ってよく吐かないものだと俺は感心していた。
だが、大胆に露出した腹部が膨らんでいないところを見ると、実は胃の中にはあまり入っていないんじゃないかとも思えてくる。
そもそも、普段作る一食分は数十人分を優に超える。料理を載せた木箱とテーブルの間を何往復もした。
ベルやライがいるとしても、俺を除いた六人で平らげるのは常識的にあり得ない話だ。それ以前に、ベルの小柄な体躯のどこにあんな量が入るというのか。
身体の構造からして一般ピープルと違うのではと疑うが、今更こいつらの非常識性について考え出したところでキリが無い。意味も無い。
スペルが空になったコップにカクテルを注いで回っている。と、俺の所に来て、
「アレンさんも、喉、乾いたでしょう」
「いや、好意は嬉しいんだが……。俺はトバルの法律で酒は飲めないぞ」
そう言うと、スペルはにこりと笑って、
「大丈夫です。ルリさんから預かっているので」
ルリが? 俺に? 何を?
首を傾げた俺の目の前でスペルが取り出したのは、
「……カクテルじゃないのか」
さっきまで注いでいたすこぶる物騒な名前の酒と同じ色の、濃橙色の液体が入ったボトルだった。
「これは大丈夫です。アルコール入ってないので……」
すると、いったん休憩に入ったらしいルリがこちらに歩いてくる。
「ブラッディ・マリーからウォッカを除いたの。れっきとしたノンアルコールよ。さ、コップ出して!」
「はぁ……」
促されるままコップを渡し、どぷどぷと注がれる液体を見る。
僅かにとろみがあって、口元に持っていけば爽やかな酸性の匂い。
そのままゆっくりと口腔に流し込む。鼻に抜ける青臭い風味。
これは、
「……トマトジュースじゃねえか」
「そうよ」
あっさりと肯定され、どういう反応を返したものかと悩みつつ飲む。美味い。
美味いが、
「ブラッディとか言っておいて実質トマトジュースに酒混ぜただけじゃないか」
「ヘルシーでいいじゃないの」
無言で口に運んでいると、スペルがルリにコップを渡して同じように飲み始めた。
「……野菜ジュースも飲むのか」
「アレン本当に私たちを食人鬼だとしか思ってないわね!?」
否定はしない。
「俺たちは、諸事情により今はこうして人を食べていますが、本来の食事はアレンさんのように“普通”の食べ物を食べますよ」
諸事情、とやらを深追いする気はないし、スペルの言う“本来”とやらは一体何なのか、とも思うのだが、
「……じゃあ、何で…………」
言いかけたセリフを慌てて呑み込む。俺が訊ねても仕方がないし、明確な答えが返ってくるとは思えなかったからだ。
気を紛らわすようにコップを空にする。どこか苦い味がした。
「ちなみに、トマトジュースっていうと味気ないから、オシャレに“ヴァージン・マリー”って呼んでね!」
酒が入っただけで処女から血塗れになるとは、マリーとやらは随分過激らしい。
* * *
先刻よりもさらにテンポを上げたルリが、高速でスピンする。
小休憩を挟んで宴は更なる盛り上がりを見せていた。
休憩の間に、手拍子をしていたリティアが、ケディに晩飯を与えたついでにテントからギターらしきものを持ち出して弾き始めたり、ベルがスカートの中から取り出した小瓶に石や骨片を入れてマラカス代わりに振っていたり、スペルがテーブルの端を叩いて小気味いいリズムを刻んでいたりなど。
メリアは、食後の祈祷を済ませた後、ヴァージン・マリーをちびりちびり舐めつつ深閑として一言も漏らさない。
冷めているのではなく、舞い上がった空気に霞むようにして、雰囲気を維持しながらも距離を置いているように感じられる。
ライは相変わらず興奮気味で、いつ暴れ出すかわかったものじゃないが、今は肴のビーフジャーキーならぬヒューマンジャーキーに意識を取られているようだった。万が一のことがあればリティアがギターで殴って止めてくれるだろう。多分。
舞と音楽が加速する。
金の腕輪や首飾りが、じゃらじゃら音を立てて鳴り渡り、金属特有のあの冴えた反響が、熱気に溶け込んで纏め上げる。
桜色の薄絹が閃き、弧を描いて広がり、鳥の羽音に似た響きで以て激しさを象徴した。
ベールの奥で唇が吊り上ったかと思えば、上体をがくりと前に倒し、次の瞬間跳ねあげて戻す。撃ち出された手足はしなやかにたわみ、五指は先端で花開く。
すっかり暗くなった空には月が無い。代わりと言うように星が瞬き、煌めき、ルリを飾り立てるが、地上の舞姫は自分に酔っている。
観客は頭上を仰ぎ見ない。眼前の華とランプの灯火ばかりが目を焼いて、酒と肴に舌鼓を打っている。
輝きが生み出す影に潜むように、俺とメリアは宴を過ごした。
* * *
フィニッシュの後は拍手が湧く。
ライやメリアは称賛を送らないし、手を打つ音は決して大きなものではないが、それが静まれば辺りには凍るような静寂が満ち満ちている。
誰とも無しに後片付けを始める。傍若無人な暴君は、残っていた酒と肉が無くなるや否やテントへと引き返していった。
食器は一度吸血符で拭いた後、カゴに入れて、そのまま本部テントへ持っていく。洗浄には水が必要だからだ。
ベルが、ベリルに支給食を渡してくると言い、幾つかの袋を持って第二食物庫へ駆けて行く。
カートはスペルが返してきてくれると言うので、俺は木箱などを抱え、食器の入った籠や調理道具類を積載した別の大きなカートを押して、本部テントへ向かった。
忘れかけていたが、俺は早い所ウィンディに合って蛆を手渡し、要件を聞き出さなければならないのだ。
ポケットの中の小瓶を手で押さえ、封が破られていないことを確認し安堵の息を吐く。
山積みにした道具類はなかなかに重いが、面倒な事はさっさと済ませたいという心境から、自然と足が早まった。
* * *
ウィンディの自宅(?)でもある本部テントに着いた俺は、決められたスペースにカートを停め、木箱を崩れたり倒れたりしないように規則正しく積み上げてロープで留めた後、上から雨よけのビニールシートを被せて地面に杭で固定した。これでよし。
改めて見上げれば、このテントは本当に大きい。そして高い。
下手な一戸建て住宅よりも大きいので、つい組み立て式だというのを疑うが……、まあ今はどうでもいい。
正面に回って玄関の前に立つ。
入り口はトンネルのように突き出していて、やはり黒い布に覆われている。
カーテンよろしく垂れ下がった布を押し分けて内部に入ると、側面に取り付けられたランプから染み出る薄明かりが俺を包み込んだ。
タイル張りの短い廊下を、靴音を立てながら進む。六、七メートルほど歩けば、観音開きの、木で出来た分厚い扉があった。
厳かな彫刻が施され、金の装飾もきらびやかな煤竹色の扉を睨む。
心臓の動悸が激しくなっていくのを、自分でも感じた。
本部テントには所用でたまに出入りするし、記憶の中には一、二度しかないが、ウィンディと顔を合わせたこともある。
あるのだが、今回は初めてのウィンディからの呼び出しだ。それも一人で。
ベルからの伝言を承った時の、あの重苦しい不安が鎌首をもたげ始めた。
この奥に待ち受けているのは、幼なじみと同じ運命かもしれない。あの狡猾で薄気味悪いリーダーは、いつもの不気味な笑顔で俺の首を跳ねるかもしれない。
もしかすると、この扉の向こうにウィンディの守衛がいて、入った瞬間に滅多刺しにされるかもしれない……。
「…………らしくないな」
これでも冒険者の端くれ。今まで幾度となく修羅場を潜り抜けてきたのだ。たった一度の呼び出しで動揺するなどみっともない。
それに、もし死んだら、それでいいじゃないか。
一ヶ月前。
あの時、あの瞬間、彼女が息絶えたと同時に、自分の中の何かは死んだのだ。
もう恐れることは無い。
三回のノックが、嫌に大きく耳に響いた。