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食人嗜癖

 原形などとうの前に無くなって、赤黒い染みと幾枚の黄色い骨、細胞の小さな塊のみを残すだけとなった頭部。

俺は体育座りをして、じっとそれを見つめていた。

 ハゲワシに似た鳥が、肉片を刺すようにして(ついば)んでいる。

 もう可食部はほとんど無いにもかかわらず、首無しの“本体”の方には虫一匹とて近づこうとしない。

 そちらを見遣(みや)ると、既に上半身は裸で、肋骨が上から五本目辺りまでむき出しになっていた。

 濁った赤色が纏わりついた硬骨は食べやすいように左右に押し広げられていて、彼岸花でも咲いたかのように見えるその姿は、太古の儀式に捧げられた生贄(いけにえ)のようだった。

 首から上が無い男よりもさらに小さな殺人犯は、こじ開けた肋骨の隙間から顔を突っ込み、腐りやすい内臓を食べているところだった。

 その全身も返り血に染まっていて、何も知らない者の目から見れば、死体が()り成す奇妙なオブジェに見える事だろう。

 腹腔(ふくこう)にぐちゃぐちゃという音が響く。くぐもった破砕音は骨を噛み砕く音だろう。

 ここ最近で急激に見る頻度が上昇したため、俺は特に吐き気を催すことも無くその光景を眺める。

 最初の頃こそ、眩暈(めまい)、失神、嘔吐(おうと)はそれこそ日常茶飯事だった。

 何せ、俺の目の前でカニバルを繰り広げている人間は、茶でも飲むように生き血を啜り、飯でも食うように人肉を喫する。

 慣れなければ身が持たない。

 すると、視界の中でそいつが動いた。

腰から背骨を徐々に持ち上げ、胸部に開いた穴から、ぬるりと上半身を抜いた。器用なものだ。

 俺の視線に気付き、おもむろに顔を向ける。

 一面べっとりと血で汚れていて、虚無的に真っ黒な大きな瞳がこちらを見据えていた。

 乱れた銀髪は胸辺りまで伸び、そこには微かな膨らみが見て取れる。


 殺人犯は、少女だ。


 まだ十代半ば頃の少女。

 儚げな容姿には到底釣り合わない絶望を孕んだ眼差しに、俺は「どっちが死人だよ」と喉から出かかる声を呑み込んだ。

「…………なに?」

 見られていることが気になったのだろうか。少女は虚ろな目を向けたまま短く問うてきた。目が合っているはずなのに、焦点は俺の後頭部を遥かに突き抜けて、どこか遠い所に据わっている。

 微かに(かし)いだ首は、重力に負けて折れそうなほど細い。その柔肌(やわはだ)を、つるり、と血雫が滑っていく。

 別に食事の邪魔をする気はないし、目的があって見ていたわけでもない俺は、ただ「いや」とだけ返答した。

 すると少女は、今のやり取りを記憶から抹消したように、一心不乱に死肉に貪りつく。

 一体何が美味しいんだろう。人肉なんて。

 ぼんやりと考えていると、背後から馴染みのある声が飛んできた。

「おォ――い、アレン、メリアぁ」

 よく響く重低音は、小走りの速さでだんだん近づいてくる。

 土を蹴る力強い足音は俺の横で止まり、俺はそいつを見上げた。

「……リティア」

 可愛らしい名前だが、実際は二十歳を少し過ぎたくらいの男性だ。

 仁王立ちしたリティアは、その金色の瞳を少女の方へ向け、

「メリアはまた独り占めしようとしてるのか? なんかいつもより血色良いなァ」

 確かに、普段は病的に青白い肌だが、今は(いささ)か血色が良すぎる――というか、リアルブラッドカラーだ。

「ああ…………。まあ、殺したのはあいつだからな。皆は?」

「ベルが二人殺()った。もうすぐ来るだろ。スペルは他の三人と一緒にテントに戻った。ケディは……俺の背中だ」

 言われてリティアの背後を覗くと、半目の少年が背負われていた。

 (くま)の酷い顔。生気が全く感じられない表情。

 伸びるがままに任せた前髪で半分以上隠れた目。充血した白目同様に赤い瞳孔は焦点が定まっていない。

 背負われているのだって、リティアが少しでも気を緩めれば頭から落ちそうなほどに脱力している。もはや人形だ。

「……毎度聞くが、そいつ生きてるか?」

「毎度答えるが、今日も生きてるぞ」

 平然と答えるリティア。恐らくケディはこの会話すら聞こえていないだろう。

 と、リティアはケディを抱え直しながらメリアの方へ近づいて行く。

 歩きながら右手で(ふところ)を探り、少し前屈みになって左手でケディの腰を押さえる。こいつも器用だ。

 小さめのガラス(びん)を取り出すと、ほい、と言ってメリアに差し出した。

 彼女はそれを数秒見つめた後、無言で受け取り、胸郭内に無造作に突っ込む。

 そのままごそごそと数回動かし、引っこ抜いた。瓶の中には、赤黒い液体が何かの粒と一緒になって溜まっている。

「さんきゅー」

 リティアはそれを受け取って、背中のケディを優しく地面に降ろす。

 後ろに倒れそうになるケディの首を支え、少し上を向かせた後、半分開いた口に瓶の中身を流し込んだ。

 ワンテンポ遅れて喉が動く。飲んだようだ。

 リティアはそれを見て満足そうに瓶をしまうが……お前は保護者か何かなのか? ケディもケディだが、よくこいつの面倒を見ようと思うな……。

 感心半分呆れ半分そんなことを思っていると、新たな足音に気付いた。

 結構な速度で近づいてくるが、その足取りは軽く、スキップしているようにも聞こえる。

 そしてやはり俺の隣で停止。視界の端に栗色の三つ編みが垂れているのが見える。

「やあ、アレン! 生きてた!?」

 見るからに生きているのに(すこぶ)物騒(ぶっそう)な事を()うてくる三つ編みを、じっとりと睨む。

 何が楽しいのか微笑を湛えた童顔。大きな緑色の瞳。瞳孔は縦に裂けている。

 顔の横からは栗毛の獣耳が生えていた。半獣人の少女だ。

「見ての通りだ。ベル。メリアが瞬殺したおかげで、俺は満身(まんしん)創痍(そうい)とは最も遠い状態にある」

「生の対義語は死じゃないの?」

「俺の価値観では生と死は同一であり、生きること(すなわ)ち死ぬことだよ」

「どうでもいいよ」

 じゃあ聞くな。

 更に鋭利になった俺の視線を華麗に無視したベルは、男の頭……の、残骸に気付いて近づいて行く。尻から伸びた、ふさふさとした尾が揺れる。

 虫を蹴散らし踏み潰し、威嚇する鳥を平然と追い払うと、骨片を摘まみ上げて口に入れた。

 地に散在する肉の粒も、一つ一つ拾っては砂も払わず口腔(こうくう)に放り込んでいく。

 人肉嗜食だけでも理解しがたいのに、虫の卵や鳥の糞に塗れた残飯を食うなど、どうかしているとしか思えない。

 思えない、が、それと慣れとは別だ。

 ベルは、ぼりぼりじゃりじゃりと咀嚼の音を響かせながら、メリアへ歩み寄る。

 そして、メリアの目を盗んで、かろうじて左腕とわかる棒状の肉片に手を伸ばし――、

「待った待った」

 リティアに止められた。

「そいつはメリアの獲物だぞ。というかベル、お前もう二人殺ったんだろ? 食わなかったのか?」

「まさか! 食べたよ、まあまあ美味しかったね!!」

「じゃあ晩飯まで待てるだろ?」

「別腹」

「待て待て待て」

 いつもの茶番だ。

 ベルはやたらに大食いで、しかも()い物の()(ごの)みをしない。

 よく言えば好き嫌いは無いが、悪く言えば口に入る物なら何でも食う。

 リティアにたしなめられたベルは、(わる)びれる素振りも無く、地面の虫を摘まみ始めた。

 甲虫を貪るベルと、それを微妙な目つきで眺める俺に、ケディを背負い直したリティアが言う。

「じゃ、俺はテントに戻るよ。今日の晩飯はスペルの当番だから、アレンも手伝ってやってくれないかな」

「誰の担当でも俺が手伝ってるじゃないか」

「君が一番調理スキル高いからね」

 俺はため息を()く。他の奴らは、貴重なスキルポイントをほぼ全て戦闘系のスキルに回しているのだ。

 調理や調合、鍛冶(かじ)裁縫(さいほう)、釣りや鑑定、罠探知に鍵開け……。

日常生活を営むうえでも、冒険者としてダンジョンに潜入するうえでも、スキルの配分は大きく命運を分ける。

 幸いにして、俺は以前一緒に行動していた冒険者によってスキルポイントの真っ当な配分法を教わっていたため――というより、“彼女”が強すぎて、俺はそのサポートに特化したため、俺が一番実用的なスキルを有しているのは当然の結果だった。

 そして、俺がその冒険者と別れたのは一ヶ月前。

 俺がこいつらと共に行動するようになったのも一ヶ月前。




 “彼女”が殺されてから、もう一ヶ月も()つ。



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