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夕餉の始まり

 瓶に蛆を満たし、それを持つ俺の顔は自ら想像するに難くない。

 取り切れなかった蛆たちが波打つ死肉を、魔獣は涼しい顔で平らげていく。どうやら本当に餌だとしか思っていないようだ。

 肉の端を噛み、手繰る様に口に放り込んで咀嚼。嚥下の後は歯茎をなぞるように赤い舌が動く。

 みるみるうちに死肉の山は崩され、地面には黒い血溜まりだけが残された。

 すると、魔獣は舌を伸ばして血を舐め始める。

 ぺちゃぺちゃと音を響かせて、粘つく血液を器用に飲んだ。

 ざらついた舌が染みた砂を削り取っていく。

 ライラとリムの二匹が人一人分の肉を完食するまでには、ものの数分と掛からなかった。


  * * *


「そろそろ晩ご飯の時間じゃないかしら?」

 ルリが沈みかけた太陽を眺めて呟いた。

 網膜を焼く光は、煌々と輝きつつも、ゆっくりと地に呑まれていく。

 赤と黄金の放射が暗闇に追いやられて勢いを失っていく様は、世界の終焉のようでいて、厭世的な、それでいて耽美的な感慨を俺に抱かせる。

 魔獣は再びルリの『淫魔の胎内(リリス・ウテルス)』によって“この世界”から異空間へと還っていった。

 ようやく本当に役目を終えたゴム手袋を外す。本来の色が分からないくらいに血色に染まってしまったそれを今すぐ投げ捨てたい衝動に駆られるも、ぐっと我慢。

 今のところ、俺の手や爪を、あの赤黒くてねばねばした悪魔から守ってくれるのはこいつだけなのだ。後で洗ってやろう。その後消毒液に漬けこんで煮沸する。

 ともかく、これでやっと飯が食える。

「じゃ、お先――!!」

 いち早く駆け出したベルは、思い出したように俺を振り返り、踵でドリフトすると、

「アレン! 蛆は自分で持って行ってね――!!」

 マジか。

 どうせウィンディに呼び出しくらってるでしょ、との無情な宣告を突き付けて、ベルは三つ編みと尻尾を靡かせ一回転すると、加速してそのまま走り去った。

 俺としては、一刻も早くこの小瓶を手放したいが、ウィンディは晩飯の席に顔を出さない。要件ついでに、ご機嫌取りとして持って行くしかなさそうだ。

 溜息吐きつき、どさくさに紛れてキスを迫る変態に裏拳を叩き込んで帰路に着いた。


  * * *


 さほど離れていないのに、調理場に戻る頃には、太陽は残光のみとなっていた。

 ランプに火を灯し、大丸太を真っ二つに断ち割って脚を付けただけの簡素なテーブルに等間隔で置く。

 表面はやすり掛けして磨いてあるものの、テーブルクロスなどはない。ベルやライのテーブルマナーが悪すぎて、すぐに汚してしまうからだ。

 リティアが運んできた椅子――少し太めの丸太をテーブルと同じように縦に割っただけの、これまたシンプルなものだ――を、礼を言って受け取り、両脇に設置する。

 俺が来る前は、丸太を輪切りにして個別の椅子を作ろうという考えもあったようなのだが、八人分の輪切りを作るよりも、縦二つに割れば自動的に椅子が二個できるので手間が省け、さらに誰とは言わないが食事中に席を移動する輩がいるので、現在のベンチ型になったらしい。

 少し長めに作られた丸太ベンチのお陰で、俺が食卓に加わる際も、隣人が少し詰めるだけで席が確保されていた。スペルよありがとう。

 数メートル離れたところには、ガスコンロ代わりの魔法道具や食材用のカート、カウンター代わりの古びた木箱に、骨片や内臓の入った金属カゴが見える。

 積まれた道具類からちらりと覗いた薄茶色の袋は、例の“レバー”が入っていた袋だろう。

 スペルが両手に料理を載せて運んでくる。ソーセージも無事に茹だっていた。

 ランプとランプの間に大皿を滑り込ませ、取り分けるための小皿を両端三枚ずつ並べる。これは、ライとケディ、ウィンディにそして俺が、皿を必要としないからだ。

 スプーンとフォーク、ナイフを置く。箸もあるが、俺とスペル以外はあまり使わない。

 ルリがコップをテーブルの端に寄せて、次々に液体を注いでいく。鮮やかな赤い液体に嫌な顔を浮かべていると、俺に気が付いたルリは薄ら笑って、

「やあねぇ。変な顔しちゃって。……ほら」

 唐突に鼻先にコップを突き出され、俺は一瞬たじろいだが、

「…………酒の臭いがするな」

 鼻を突くアルコール臭。見れば、液体は赤というより濃いオレンジ色だ。

「ただのカクテルよ。血じゃないわ」

「日頃の行いのせいで信用ならないんだよ」

 というか、血以外も飲むのか。水を飲んでいるのは見たことがあったが。

「ふふ、飲んでみる?」

「遠慮する。俺はまだ成人してないからな」

 やり取りの間に、ルリは四杯のコップにカクテルを注いだ。

 と、俺はあることに気が付く。

「おい、誰が飲むんだ」

「メリアとスペルとケディ以外」

 ちょっと待て。

「お前ら成人してないだろ。少なくともお前とベルは俺と同い年ないし年下のはずだ」

 何言ってるのといわんばかりにルリが首を傾げるが、こいつは自己紹介の時に「ルリって呼んでね! 年はヒ・ミ・ツだけど特別に教えちゃう! 十七歳よ!! ぴっちぴち!!」などと言って俺をキレさせかけた記憶がある。間違いない。

 ベルはメリアよりも幼い容姿をしていて、身長こそさほど変わらないものの、メリアと異なり性格は無邪気そのもの。この中では一番年下に違いない。

「先言っておくと、ライは今年で十九歳よ」

「駄目じゃねえか」

 彼は百九十を超える大男だが、身体のデカさと年齢は別だ。

「カタいこと言わないでよ~。酒飲める年齢なんて誰が決めたのよ」

 この荒野から一番近くて、かつ世界最大規模の国家トバルでは、飲酒は二十歳(はたち)からと定められている旨を告げると、ルリは唇を尖らせた。

国外(ここ)じゃ適用されないじゃない。基本的に城壁の中が適用範囲でしょ?」

「それはそうだが……」

 上級モンスターの狩りスポットとなっているこのトバル荒原はかなり広く、現在地からトバルの城壁までは数百キロ以上ある。

 こういった荒原や草原、山脈などを挟んで隣接する他国との抗争を避けるために、特殊な事情が無い限りは、法律の適用範囲はルリの言った通り城壁で囲まれた“国内”に限定されているのだ。ここはどこの国内でもないので、冒険者の間では生まれ故郷の法律に従うのが暗黙の了解だが、ルリたちの故郷が分からない以上追及することは出来なかった。

 渋っている俺に笑みを向けると、ルリはさっさとコップを配ってしまう。

「……ちなみに、それ何て名前のカクテルなんだ?」

 考え疲れて観念した俺の質問に、ルリは悪戯っぽく舌を出して、


ブラッディ(血塗れ)・マリー」


 本当に酒なのか?


  * * *


 保温庫から野菜炒めを取り出した俺は、待ちに待った食卓に着く。

 如何に心労で神経を摩耗させ、度重なる疲労で空腹を忘れようとも、生きていくうえでカロリーの摂取は必要不可欠であり、身体はそれを欲しているのだ。

 食卓の配置はいつも決まっている。

 テーブルは本部テントと調理場を結ぶ最短距離上に置かれている。理由としては、隙が多くなる食事中に、向かいの奴の背後を見張るためだ。

 本部テントから見て右、遠くから順にライ、リティア、ルリとなり、左はベル、メリア、スペル、そして俺、アレンが座る。

 ライとベルが調理場に近いのは、おかわりをしに行く回数が多いことと、食い散らかすので単純に避けられているからだ。幸いにして最も下品なライとは対角線上にいるため、俺への被害は少ない。

 ケディはウィンディ同様不在だ。今頃リティアのテントで目を半開きにしたまま横たわっているだろう。

 俺を含めた七人全員の着席を確認したスペルが、いただきますの音頭を取る。

 料理当番が合図をするのだが、つまみ食いをしたりフライングしたり祈祷を行ったりと、実質食べ始めるのはバラバラだ。料理が来た時点で片端から食う奴もいる。ライとか。

「……いただきます」

 俺は両手を合わせて、箸を手に取り食べ始める。

 しっかりと火が通りつつも程よい歯ごたえを残す野菜炒めは、塩加減も相まって美味しい。スキル様様だ。

 他の奴らはというと、正面のルリは上品にナイフとフォークで肉を切って口に運び、隣のスペルは他人の分まで小皿に取り分けて配り、左斜め前のリティアは小さな蓋のついたプラスチック容器に料理を詰めている。ケディの分だろう。なんと過保護な。

 ライとベルは何かを競うかのように、がつがつと貪っている。ベルは一度大皿から取り分けて食すが、ライは大皿一つを独占してかき込むように食べる。早食いはライの勝ちだ。

 そして、スペルを挟んで俺の左に位置するメリアは、

「――――――――」

 小さな唇を細かく動かして、何やら念仏じみたものを唱えていた。声は聞こえない。

 細い手は、何かを祈るように組まれている。

 黒い瞳は伏せられていて、瞬きもせずに祈祷を続ける。宗教なのか趣味なのかの判別はつかない。




 俺の野菜炒めが半分ほど減った時、ようやく彼女は手を解き、スプーンに手を伸ばした。



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