聖飯
「……で、この肉がそいつらの飯になるのか?」
「そうよ」
運んできた肉片の山を見るが、腐敗してるわ虫は集るわで、魔獣が食べるとは思えない。
「…………食うのか? いや、食えるのか?」
「何言ってんのアレン。人間が食べられる物を魔獣が食べられない訳ないじゃん。消化器官よっぽど丈夫なのに」
心底不思議そうな目で見てくるベル。何だか腹が立つ。
ついでに言えば、普通の人間は腐肉は食わない。腹を壊さないのはベルくらいだ。
「そうじゃなくて、神聖な生き物なんだろ? これ、食うのか……?」
ルリは少し考える素振りを見せた後、
「じゃあアレン、逆に聞くけれど」
「おう」
首を傾げながら、
「発酵食品、食べるわよね?」
「食うな」
「あれ、腐ってるわよね?」
「言い方が悪いが……まあ、そうだな」
「腐ってるものって、基本的に身体に悪いわよね」
「ああ」
そこで一度言葉を切ると、再び口を開いて、
「お寿司とかお蕎麦とかに、薬味としてネギ入れるわよね?」
「個人の好みによると思うが……たまに入れるな」
こいつらが寿司や蕎麦などという一般的な料理を口にしているとも思えないが。人肉ばかり食っていそうなイメージがあるというか、実際俺はそれしか視認していないのだ。
「でもネギって、多くの動物にとって毒なのよ」
確かに、そんな話を聞いた事がある。犬や猫にネギ類を食べさせてはいけないというのは、結構有名な話だ。
「でも人間ってネギ食べるわよね」
「……それで、何が言いたいんだ?」
「つまり、人間が発酵食品とかネギとか食べるのと同じなのよ。魔獣にとっては腐ってようが虫湧いてようが関係ないの。はたから見れば「何でこんなもの食うんだろう」って思うものだって、本人たちはごく普通に口にしてる訳でしょ?」
何となく理解出来た。
「要するに、俺が「こんな神聖な生き物は、腐った肉なんか食べないだろう」って思ってても、あくまでそれは俺個人の勝手な思い込みに過ぎないってことでいいんだな?」
ルリが頷く。
「それはわかったが……これ、元は人間だぞ? 人嫌いなのに食うのか?」
「鳥嫌いな人が鶏肉食べないとは限らないでしょ」
「穢れてる、とか思わねえのかな……」
俺の言葉に、ルリは薄らと微笑んだ。
「死んだ人間の罪を気にするほど、彼らは低俗じゃないわ」
* * *
一言で言ってしまえば、“死ねば食料”だ。ベルたちだって、良人罪人分け隔てなく食うしな。
ゴム手袋越しの柔らかく崩れ溶けかけた感触が妙に生々しい。鼻はもはや使い物にならなくなっていた。
死肉だけならまだいいとしても、表面に白いこまごまとした物が大量に這っている光景は、嫌悪としか形容できない感情を俺の中に渦巻かせる。
「そうだアレン! 蛆は集めてウィンディに持って行くと喜ばれるよ!!」
何だその気持ち悪すぎる収集癖は。
第一食物庫の生首コレクションといい、あいつの趣味は常軌を逸している。それとも、俺の心と世の中に対する見識が狭すぎるのか?
何とはなしに一匹を摘まんで顔をしかめている間に、ベルがルリのテントから小瓶を持って来た。ご丁寧に、蓋には通気穴まで空いている。
「……集めろと」
満面の笑みで頷かれ、反論する気すらなくなった俺は、蛆たちをすくい始める。
表面の溶けた肉ごと手のひらに取り、そのまま瓶に流し込んだ。
彼らはそこまで素早い動きではないが、何より数が多い。そして小さい。いちいち摘まんでいたら日が暮れてしまう。
五すくいしたところで、ふと頭に疑問が湧いた。
「ちょっといいか」
「なぁにアレン? そろそろ鼻が限界?」
「俺の鼻ならとうの昔にピークを過ぎているから心配いらない。この蛆たちなんだが」
「え? 食べるの?」
「お前と一緒にするな」
「蛆プレイ? あれ嫌悪感と羞恥心とむず痒さ合わさって新感覚興奮度MAXよね」
「お前守備範囲広すぎるだろ」
どうしてこの二人は発想が飛躍しすぎというか自分基準なんだろうか。
「今日、メリアが一人殺ったじゃないか」
「……ああ、あの短髪の大男ね」
……俺は“一人”としか伝えていないのだが。
ルリは当然その場にいなかったし、リティア(+ケディ)やベルだって、着いたときにはほとんど胴体しか残っていなかったはず。彼の最期を見たのは、メリアと、俺だけだ。
……いや、もしかしたら知らぬ間に情報交換がなされていたのかもしれない。
不審感を振り払うように、別の、先刻頭に浮かんだ疑念を口にする。
「この死肉にはこんなに蛆が集っているのに、メリアの食べていた死骸には、鳥はおろか、虫一匹たりとも近寄ろうとしていなかった」
少し気になった程度だが、俺は違和を感じざるを得なかったのだ。
すると、ルリが肩をすくめて微笑む。
「あの子は特殊なのよ。雰囲気、というか、オーラ、というか……明らかに常人とは違うの」
「……その“常人”の中に、お前らも入っているのか?」
「そう見えるの?」
いいや全く。少なくとも、俺の知っている常人は人を狩ったり食べたりしない。
呑み込んだ俺の言葉を察したのだろう。特に気分を害する様子も無く、二人は作業を続行する。
俺はそれ以上の答えを期待せず、蛆と向き合った。
大きな一匹を摘まんで、そして思う。
確かに、メリアは“異常”だ。この狂気と殺戮の中にあってもなお、彼女の特異性は際立っている。
俺より少し年下。月下に透き通るような銀髪を持つ儚げな少女。
だが、その黒々とした瞳の奥の深淵は、覗きこめば最後、命まで吸い取られてしまいそうだ。
青白い肌には、生気が無い。
ケディとは違う。彼は死人の顔だが、メリアのそれは、例えるならば陶器のような無機質さ。瞬きもすれば、意外に喋るし獲物を貪ったりもする。
なのに、生きているという感じが全くしないのだ。そのことに違和感すら抱けない。
表情はどこまでも虚無。喜怒哀楽などはなから存在しないかのよう。
メリアはその特殊性ゆえ、生ある者または物を寄せ付けないのか?
絶望、という言葉がこれほどまでに似合う人間を、俺は今まで見たことが無かった。
いや、ひょっとしたら、もっと深い――
「…………あッ」
考え込んだ俺は、ゴムで覆われた親指と人差し指の間に挟まった、五分の魂一つと引き換えに我に返ったのだった。