腸詰め
「メリア」
俺の呼びかけに、白髪の痩躯はゆっくりと振り向いた。
調理場から少し離れた場所でテントの戸締りをしていた彼女を見つけ、声を掛けたのだ。どこかへ行こうとしていたのだろうか。
「手伝ってほしいんだけど、今空いてるか?」
「……空いてる」
これで忙しいと言われたらウィンディに頼まなければならないところだったと、俺は少し安心した。
次の言葉を待つメリアに、なるべく簡潔に説明する。彼女は言葉少ななため、わからないことがあっても自己解釈で何とかしようとする節があるからだ。
「肉をこねるのに氷水が必要だから、氷を作ってほしいんだ」
「……本部に製氷機がある」
「お前のテントの方が近いし、俺はウィンディが苦手なんだよ」
後半は隠しても仕方がないので率直に言うと、メリアは納得したようにうなずいた。
無駄に気を遣ってまどろっこしいことにならなくて済む彼女の性格は、俺はどちらかといえば好きだ。
「……手渡し?」
「いや、出来れば一緒に来て欲しい。無理ならこの場で構わない」
「わかった。……行こう」
足早に歩き出す。もしかしたら暇していたのかもしれない。ここの奴らは退屈を嫌うからな。ケディを除いて。
* * *
調理場に戻ると、ルリが水を張ったボウルにアラレを浮かべ、そこに一回り小さいボウルを重ねて肉を冷やしてくれていた。
しかも、いつの間にかしっかりと挽かれている。まごうことなき挽肉だ。
「おい」
「あらおかえりアレン! どう!? 気が利くでしょ!?」
自分で言うのか。
「キスならメリアにしろ。俺は鮮度が落ちないうちに調理しなきゃならないからな」
「……氷、作らない」
こいつ、なかなか聡い……。
「え~。じゃあ誰にすればいいのかしら?」
キスする前提なのか。
メリアが無言で、鋭くスペルを指さした。
「え!? え、えと、あの、俺も作業中なので、あの、頬なら……」
流れ弾を食らったスペルが両頬を口紅塗れにされているのを横目で見つつ、メリアに氷を入れてもらう。
「……氷漬け」
「普通でいい。アイスピックが手元にないんだ」
「………冗談の通じない人」
お前が言うな。
すると、メリアはそっとボウルに手のひらをかざし、ふわりと握り込む。
そのままおもむろに手を開くと、ぼぢゃん、という濁音と水飛沫を伴って、何か固形物が沈んだ。
浮かび上がってくるのは二センチ角の氷塊だ。
続くように、手のひらから、ぼぢゃぼぢゃと落下しては水に沈んでいく。瞬く間にボウルには無数の結露がこびりついた。
無詠唱・無魔法陣でいともたやすく量産するところをみるに、メリアの氷魔法適正はケタ違いだろう。
もういいだろうと思ったのか、メリアは手を握り、身体の横に垂らした。
「ありがとうな」
俺の礼にうなずきを返すと、無言で踵を返し、自分のテントへ帰っていく……かと思いきや、ルリの横を通ってカートを覗き込み、そのまま地べたにぺたりと座り込む。
直後、変態が突如としてくねり踊り出した。
「…………」
「な、なにアレン!? その氷点下の眼差しは!? ああん興奮する!!」
「…………………」
「待って冗談抜きに何これ超冷たい! いやでもアレンの眼差しほどじゃないのよ!? 違、そうじゃなくて、背中!? 背中に何か入ってるぅ!!」
俺にはお前の脳ミソに虫でも入ってるようにしか思えねえよ。
「め、メリア! 服に何か入れたわね!? 氷!? おぅん……」
ルリの脳内スイッチが入ったようなので放っておくことにした。当のメリアは虚無の表情で地面の蟻を潰している。
戻っても退屈なので、調理を見ていることにしたのだろうか。何にせよ、邪魔さえしなければ構うところは無い。
再びゴム手袋を装着した俺は、氷水に浮かべた小さいボウルに挽肉を放り込み、アラレをすくって一緒に入れ、こね始める。
塩と砂糖も投入し、最初はふんわりと、徐々に力を入れてこねる。こねる。
ゴム越しの冷たさと感触が心地よい。アラレが溶けたので、新しくすくって入れた。
続いてスパイス。完全に目分量だが、いつものことだ。
三度アラレと水を追加し、素早く混ぜる。肉の温度が上がってしまうとハンバーグのような食感になり、美味しくなくなってしまう。どうせ俺は食べないが。
肉がピンク色になり粘りが出てきたところで、腸詰め作業に入る。
積まれた調理道具の上に置いてあった絞り袋を取り、口金をセット。
小腸の端を探そうとして、適当に摘まみ上げた三センチ先がそうであることに気付き、スキルに感謝しつつ口金を挿入。
たくし上げるようにして、素早く、かつ破れないように丁寧に、全て口金に嵌めた。
人間の小腸は六メートル以上あるらしいが、あらかじめ切り分けられて塩漬けされているため、たいした長さではない。普通のソーセージを作る感覚で作業を進めていく。
叩きつけて空気を抜いた挽肉を袋の中に入れ、ふと、俺はあることに気が付いた。
「……何か肉の量多くないか?」
肉が、はじめに手に載せられた量より少し、もといかなり増えている。
先程こねているときは気付かなかったが、今はわかる。重さが違うのだ。
絞り袋の上部を捻じりながらスペルを見ると、口紅塗れの彼はバツが悪そうに、
「あの……、ライさんから頂いた方の調理法が思いつかなかったもので……挽くときに混ぜました。すみません」
あの哀れな肉人形か。
「いや、丁度いい量になったし、肉は新鮮な方が上手くいくから。むしろ感謝してる」
「そうですか。よかったです。……あ、表面は土や虫が付いていたので、削いで向こうに置いてあります」
袋から肉を少しだけ押し出しつつ目線を移すと、座り込んだメリアの向こう側、赤黒い肉片が地面に直接積まれている。
さっきから無言だったベルがそれを見つめているが、まさか食おうとしてるんじゃないだろうな? もちろん反語だが。
一センチほど絞り出した肉をカットし、ベルめがけて弾き飛ばす。
すると、予想通り、急に面を上げたベルの口内に肉片は吸い込まれて消えた。
そのまま丸呑みし、唇を一周舐めた彼女は、
「大丈夫ー! スパイス効いてて美味しいよ――!!」
「そりゃどうも」
お前物食って美味い以外の感想言ったことないだろ。
腸の端をしっかりと結び、もう一度引っ張って口金に密着させたあと、体重をかけてゆっくりと押し出していく。
詰め過ぎないように慎重に、それでいて肉が温まらないように素早く。
半透明な小腸に生肉が押し込まれていく。これが結構楽しく、柄にもなく夢中でやっていると、誰かの視線を感じて我に返った。
視線の主を辿ると、背中の氷が解けたのか、脳内スイッチの切れたルリがソーセージ(仮)を凝視している。
絶対に聞かない方が良いのだが、余りにも見てくるので俺は訊ねた。
「…………何だよ」
ルリは、え? と一瞬顔を上げた後、再びソーセージ(仮)に目を落として、
「いえ………………………………………………肉棒だなぁって」
俺の横蹴りが炸裂した。
繰り出した左脚は変態に真っ直ぐ飛んで行き、踵が右脇腹にクリーンヒット。
ふぁ、と、素っ頓狂な吐息とも悲鳴ともつかぬ声を漏らした変態は、軽くくの字に折れつつ一メートルほどの距離を滞空。着陸寸前ピンヒールを地面の窪みに引っ掛け、後ろに沈み込み、しかし勢いを消しきれずに数回転して、砂埃を上げながらうつぶせに倒れた。
その間に俺は平然と腸詰め作業を終える。
終点の片端をこれまたしっかり結び、ゴム手袋を嵌め直し、役目を終えた左足のブーツを、地を軽く叩くことで正した。お疲れ。よくやった。
一方、金髪を振り乱し全身砂に塗れ半貞子と化していたルリは、唐突に立ち上がり髪を払って埃を一掃すると、俺を勢いよく赤い爪で指した。
「ふ、ふふ……。流石だわアレン……なかなかいいキックよ……。冒険者Lv.73は伊達や酔狂じゃないわね…………」
「低級ダンジョンのボスくらいなら一撃粉砕だからな」
「しかしアレン!! 脇腹は急所よ!? 下手すると肋骨折れるのよ!?」
「折れろ」
むしろ今ので何故折れない? 割と殺す気で蹴ったんだが。
骨折どころか、衝撃を受けて飛んだだけ、といった風だ。石だらけの地面を転がったくせに、擦傷すらも見当たらない。
思い返せば、こいつらはA級ダンジョンを単独攻略できるほどの実力を持つ幼なじみを、無傷でいともたやすく葬り去った化け物だ。
俺の攻撃くらい、本当は見ずとも避けられるし、当たったとしても全くダメージは入らないだろう。一体Lvはどれほどなのか?
「それにしても、女性にいきなり乱暴狼藉は如何なものかと思うわ……。私何も悪いことしてないのに」
「男がいるのに食品に向かってアレはないだろ」
いちいち構っているとせっかくの肉が冷えて美味しくなくなってしまうので、俺の手は作業を淡々とこなしていく。
捻じり終わったところで、腸詰めが最早アレにしか見えなくなってきたので変態にもう一発蹴りを入れておいた。