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ベリルと食材

 青いガラスの空き瓶。そこに挿された、一本だけの(しら)けた造花。

 それを見た途端に、俺の中の鬼胎(きたい)は忽然と姿を消した。

 後に残ったのは虚無。

 ニル・アドミラリイとでも言うべき感情が、脳細胞や精神の一本一本に染みわたって、すうっと頭が冴えていく。

 目の前の光景が、まるで額縁(がくぶち)の中の世界のようだ。

「もういい? 早く帰らないとライがうるさいんだよねー」

 額縁の中でベルが喋る。ベリルが頷いて、服を脱いだ。

 傷を見ても、もう何も感じない。

「じゃあ始めるよー――」

 返答を待たずに、ベルが包丁をベリルに突き刺した。

 鈍い音がして、腹部に深々と銀色がめり込む。

 ブチブチと、糸や筋繊維の断裂する音が耳に届き、湿った柔らかいものがかき混ぜられるような耳障りな音がくすんで聞こえる。

 左斜め上に引き斬る。腹腔から漏れた鮮血がカーペットを染めていった。

 ごぽっという音と共に、ベリルの口から鉄臭い液体が溢れ出す。赤い色は放射状に広がって、彼もベルも床も等しく汚した。

 飛沫が俺の服と顔に飛び散る。生温かいそれは、急速に冷えていった。

 引き裂いた肉から覗く肋骨、その内側に包丁ごと手を突っ込み、無理矢理動かす。

 力を失って倒れそうになるベリルの肩を左手で押しのけながら、ベルは一欠けの肉片を切り取った。

 血の滴るそれを、同じくスカートの中から取り出した袋に入れる。薄茶色の繊維がみるみる染まっていく。

 その時、俺の目はあるものを捉えた。

 ベリルの頭。うなだれて髪が下に垂れている、その隙間から、尖った耳が見えた。

 ゴーレムだ。左耳に大きなピアス穴が開いている。

 そして、ベリルの脇腹。血に染まっていてわかりづらいが、四角形と細かな文字、幾つかの数字が見えた。

 赤黒く、生々しく残る焦げ付きは焼き印。そしてピアス穴。

 ベリルは奴隷だったのだ。

 今まで幼なじみに連れられ、国々を転々と回っていたし、街でも何度か見た事がある。

 “商品”として烙印を捺され、耳標(じひょう)を付けられ、地位も名誉も財産も、人権すらも剥奪されて、死ぬまで働かされる人々。

 雇い主が良ければその生涯は安定したものとなるが、俺が見てきた奴隷たちのほとんどは凄惨な最期を遂げた。

 中には、見世物として獰猛なモンスターと無理やり闘わせられたり、ダンジョンの罠を回避するための人身御供(ひとみごくう)に用いられたり、水商売や闇商売を強制されたりと、数を上げればきりがないが、そんな一生を送った者もいるのだ。

 ベリルがどうだったかは知らないが、彼はここでの生活が「気に入っている」。

 「身体を提供する代わりに、存在を与えてもらっている」と言っていた。

 恐らく、幸福な人生ではなかったのだろう。

 ベルが用済みのベリルを手放した。

 倒れ込むさなか、彼の茶色い前髪が舞い上がる。その額に五文字が刻まれているのを、俺は確認した。

EMETH(エメト)』。

 ゴーレムたる証だ。彼らは生まれた時から、身体のどこかにこの文字列を有している。

 だが、最初の文字“E”が、バツ印状の刃物傷で消えかけている。

 エメトの刻印は、ゴーレムの第二の心臓であると言っても過言ではない。彼らはこの刻印によって、超人的・超物理的な力を引き出すことができるのだ。

 そして、その頭文字を消すことは、彼らにとって“死”を意味する。

 もちろん、すぐに死ぬわけではない。しかし、第二の心臓を傷付けられた彼らは、その種族的特権を失い、体力も膂力も、ただの人間以下になってしまう。

 ゴーレムはもともと魔法が使えないため、身を護る術を無くした彼らは結果的に死を待つ事しか出来なくなるのだ。

 無論、日常生活中の事故により、誤って刻印を傷付けてしまう可能性もある。よって専用の治療所が存在するが、奴隷(ベリル)にそれを受ける権利は無かっただろう。

 この特性は、不幸にも彼らゴーレム自身を奴隷とするのに、最も好都合だった。

 力が強くて作業効率がいい。逆らったら“E”の文字さえ消せば、彼らは従順な飼犬のように、全く無害な存在となる。見せしめとして、一人野外に放り出しモンスターに食わせれば、脅しも効く。

 遅かれ早かれ、彼らは(しいた)げられる運命にあった。

 そして、ベリルはその運命を忠実に辿り、しかし野垂れ死ぬ事無くベルたちに拾われたのだ。

 鈍く大きな殴打音がして、ベリルの身体は床に叩き付けられた。

 留まる事を知らぬ鮮血にも眉一つ動かさず、ベルは彼を仰向けにひっくり返し、針と糸を取り出す。

 裂けた皮膚から覗く腹腔内は、ゴーレムの持つもう一つの特性で埋め尽くされていた。

 すなわち、驚異的回復能力。

 内臓の隙間で肉塊と血管が生物のように蠢き、脈打ち、ボゴボゴと音を立てて泡立っている。

 本来ならば放置してもすぐに完治するだろうが、エメトを傷付けられたベリルの回復にどれほどの時間がかかるのかは、俺にはわからない。

 太い針に、同じく太い糸を通し結び付け、躊躇なく腹部に突き刺す。血の球が膨れ上がって、表面張力が耐えきれなくなって弾けて流れ落ちる。

 そのままブスブスと乱雑に縫い止め、引きつる肌を無理に引っ張って結び止めた。

 肌を汚す、半ば固まっている血液は、糸の隙間に吸い寄せられる。ゴーレムの回復は、ビデオの不完全な逆再生のようなものだ。飛び散った肉片や血液は、ある程度元の場所へと還っていく。

 ベルが、彼に残った血痕を濡らしたタオルで拭き取る。恐らく魔法道具か符の一種だろう。(ぬぐ)われた箇所には、赤いシミ一点もない。

「……ん? ああ、これ? 吸血符っていってね。私はスペルとかリティアみたいに綺麗に出来なくて、よく汚すから重宝してるよ」

 俺の視線に気付いたベルが、タオル、もとい吸血符を掲げる。

 符は血を吸うたびに、その白い全容を、万遍(まんべん)、表裏の区別なく薄ら赤く染めていく。

 すると、ベリルの指がびくりと動いた。

 ゆっくりとうつぶせになり、這うようにしてベッドの上まで移動する。自我はほとんど無いように見えた。床にはみ出た右足が落ちている

 震える五指がシーツを掴み、身体を引き上げた。毛布を手繰(たぐ)って肩に掛ける。

 そして、ベリルはそのまま意識を手放した。

 ベルの方に目を向けると、彼女はせっせと血を拭いている。カーペットに染み込んだ血液も、吸血符を当てて軽く押すことですっかり消えてしまった。便利なものだ。

 飛沫も残らず吸血する。符がすっかり赤く染まったところで、肉片の入った袋に放り込んだ。

「こうしておくと、血抜きが楽なんだよねー」

 袋の口を縛り、ベリルの右足をベッドに押し上げ、毛布を直してやる。

 部屋中を見渡し、何も残していないことを確認すると、ベルは足早に出ていった。

 しばし放心していた俺だが、ふと我に返って意味も無くベリルを見る。

 腹の中から響く、再生の濁音は続いているが、寝息は穏やかだった。

「…………」


『親も兄弟も友人も、皆死にました。僕を置いて』

『だから、僕には、僕の身体を必要としてくれる人。僕を食べてくれる人。僕の居場所を作ってくれる人が必要なんです』

『僕の身体が、血肉が、存在が、皆さんの身体の中に入って、血肉となって、存在となるんです。僕には皆さんが必要だし、皆さんは僕を必要としてくれる』


「……………………」


『僕らは、お互いに必要とし合っているんです。――素晴らしいでしょう?』


「…………………………………………やっぱ、狂ってんな」


 脳裏に反響するベリルの声を、無理に押し込めることなく、しかし奥深くに仕舞い込む。

 どうせ俺には理解できないだろう。

 ベリルは家族や友人を失った。

 俺は、ここ数年帰っていないものの家族がいる。幼なじみを亡くしたが、他に友人がいないわけではない。

 まあ、彼らともしばらく連絡が取れていないのだが。

 しかし、俺とベリルとでは環境が違い過ぎる。

 特に不自由も無く育った俺に対して、ベリルは奴隷というレッテルを貼られ、精神が追いつめられた中で親しい人々を失ったのだ。

 そりゃ、狂いもするだろう。

 同情に似た気持ちを、目線に込めて部屋の片隅へ向ける。深い寝息を立てて眠るベリルは、どこか幸せそうにも見えた。

 そのまま三呼吸分見続け、視線を切り上げる。こんなことをしている場合じゃないし、してもどうにもならないのだ。

 スペルの手伝いを失念していた。あいつは怒らないとは思うが、一人で全員分の食事を作るのは大変だろう。特にベルとライは大食いだし。

 ドアノブに手をかけ、黒い扉をゆっくりと開き、そして閉じた。




 白い造花が俺を見送った。


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