暴君登場
スキルの賜物か、いい匂いを上げる野菜炒めを、食べずに保温庫に入れておく。
まだスペルの手伝いをしなければならないからだ。
我ながら律儀な、と半ば感心し半ば呆れていると、もうもうと血の臭いが漂ってくる。
一応血は抜いているはずだが、と訝っていると、案の定と言うべきか、歩いてくる影が一つ。
大柄な男性で、自分より頭一つ小さい物体を悠々と引きずっている。
燃えるような赤髪に三白眼。見覚えがあった。
「……ライか」
「あぁ?」
大股で歩いてきたライは、俺に気付いて足を止める。
獰猛な笑み。彼は血の気が有り余る暴君で、俺は正直少し苦手だった。
「その左手にあるのはどうしたんだ?」
俺の質問に、左手を掲げてみせる。
聞く前からわかっていたが、それには頭と四本の手足があった。
「馬ァ鹿。見てわかんねェのか? 決まってんだろ。……晩飯だよ」
これ見よがしに晩飯候補を振る。血雫が飛び散って、返り血に濡れたライの肌に新しく点々と模様を作った。
今の俺なら見ればわかるが、一ヶ月前の俺なら、こんな赤黒くてぐちょぐちょしたものを人間だとは思わない。その前に吐く。
ライは豪快奔放な人物で、とにかく自分の力でことごとく叩き伏せることを好む。
闘い方にもそれが現れているようで、今回は頭の位置が分かるだけでもマシだ。ミンチとか普通にする。下手すりゃ流動食になる。
マシと言っても、服もロクに残っていないし、腹と背中の区別もつかない。顔面もこそげ落ちて、もはやただの肉人形だ。
強く振ったせいで身体のあちこちから嫌な音がするが、ライは気にも留めない。
徐々に自分の顔が苦々しくなるのを感じながら、俺は口を開いた。
「もう飯作ってるぞ。それに、食物庫にもまだたくさんあるから、狩ってくる必要ないだろ」
「別にいいだろ? どうにも最近ストレスが溜まっててな……。さっき殺った分じゃあ発散しきれねーんだよなァ……」
そう言って右手の関節をぽきぽきと鳴らす。目がかなりマジだ。
しかも、ここ最近彼をイラつかせる出来事があった記憶が俺には無い……もとい、恐らく全員の脳ミソにも無いだろう。
要するに、異常に短気なのだ。ライは。
何も無くても彼の心の中には激情が渦巻いている。その理由を俺は知らないし、特段知ろうとも思わない。
普段はその衝動を、哀れな犠牲者で発散しているのだが……どうにもそれだけでは収まらないらしい。独断でふらりと出かけては、今回のように獲物を引きずって帰ってくるところも、俺は何度か目撃している。
まあ、狩るべき相手がいなかった時の彼の苛立ちは相当なもので、夜中に怒り狂って飛び出し朝まで帰ってこなかったこともあった。
だから、会話が成立しているだけでも、今はライの機嫌が良い証拠なのだ。
ライはぶつりと話を打ち切り、調理場の方へ歩み寄っていく。
「おい、スペル」
「え? あ、ライさん。おかえりなさい」
「これ」
ずいと晩飯を突き出す。スペルはそれを見て、
「わかりました」
とだけ言って受け取った。何か他に言うことあるだろお前。
スペルに処理兼調理を押し付けたライは、乱れた髪を掻き上げオールバックにして、悠々と自分のテントに戻っていく。
入れ違いにベルが来る。駆け足だ。急用だろうか。
俺より近いスペルの所で足を止め、手に持っていたメモを見せる。
「スペル! 久しぶりにレバーが食べたいんだけど!!」
凄くどうでもよかった。
今間抜け面を晒しているであろう俺の耳は、二人の会話を聞き続ける。
「じゃあ、“第二食物庫”に行って取ってきてください」
「了解ー」
第二食物庫?
初めて聞いた。一つだけではなかったのか。
しかし、見たところ第一食物庫にもまだ余裕があった。わざわざ二つに分ける必要があるのか。肉はいくら低温保存しても限度があるので、多すぎても腐ってしまうだろう。
スペルとの会話を終えたベルは、俺の方へ向かってくる。
「アレンにも伝言がー」
「……誰から? 何の用だ?」
メモを裏返して見せる。俺が覗きこむのと同時に、ベルが読み上げた。
「ウィンディから。――呼び出しだよ」
呼び出し?
二度目の疑問符。しかも相手が相手だ。
「ウィンディが? 俺に? ……何の用だ?」
「それ二回目だよー。あと質問多すぎ! でも優しい私が順番に答えてあげると、ウィンディが、君に、要件は知らない、だよ!!」
やかましい。
「緊急か?」
「いや、ご飯食べた後で良いって言ってたし、急ぐ用事じゃないんじゃない?」
俺は、ウィンディとはこの一ヶ月間全くと言っていいほど接していない。今更何を話そうというのだろう。
首をひねる俺に、考え込むことないんじゃない、とだけ言って、ベルは踵を返した。
簡単に言ってくれる。俺の立場を考えてもみろ。
俺はここに拾われただけだ。行動を共にすることを頼んだわけでもないし、まして勧誘されたわけでもない。
仲間というより、捕虜やペット、果ては奴隷に等しい存在だ。
いつ消されてもおかしくない。ここのリーダー格たるウィンディの呼び出しは、俺に“処分”の二文字を想起させるには十分だった。
そして、もしそうだとすれば、俺は先ほど入ったばかりの第一食物庫にて食われるのを待つだけの肉片と化すことになる。
生への執着があるわけではないが、どうせ死ぬなら楽に殺してほしいものだ。
そう、彼女のような死に方ではなく――
「あ、そうそう、アレン!」
思考が深海へ突入しかけていた俺に、能天気なベルの声がかけられる。
「これから第二食物庫に行くけど……一緒に来る?」
* * *
調理場からだいぶ離れた場所に、そのテントはあった。
作業を進めるスペルの姿が、かろうじてゴマ粒のように見える。
「こんなところにあったのか」
やはり黒い天幕に、やはり白い文字で“第二食物庫”と書かれている。大きさは、第一食物庫より少し小さい。
が、その全体に装甲版が張り付けられ、入り口は厳重に施錠されている。宝物庫と同等レベルの防備に俺の疑問は深まるばかりだ。
肝臓、と言っていたから、柔らかい内臓系を野生動物から護るための施設なのか? だとしても、 本部から遠く離れた場所に置くのは不思議だ。
それに、内臓なら第一食物庫にもあった。腐敗しやすいため量は少なかったが、それでも一週間分は保存されていたはず。
悩む俺を完全に無視して、ベルは鍵を一つ一つ解除していく。
ナンバー式。南京錠。カードキー。ピンタブラー。指紋認証まである。
最後に、武骨な閂を二本外すと、大仰な扉を開け放った。
そこには、俺の想像をはるかに超えた光景が広がっていた。