調理開始
入った瞬間、かなりキツい血の臭いがした。
防臭加護がかかっているはずだが、無理も無い。
この広いテントの内部は、死体置き場も同然だからだ。
床には通路を残してゴロゴロと胴体部分が転がり、隅には出汁を取るための骨が積み重なり、大きな乾物ネットには五センチ四方に切り取られた皮膚が干されている。
薬品棚に並べられた瓶の中身は、型ごとに分別された血液、色ごとに分別された眼球、種族ごとに分別された耳など、多種多様を極め、整然と並べられていた。
壁から装飾品のようにふさふさと垂れているのは、髪の束と、動物系種族の尾。
上からは等間隔で幾本もの手足がぶら下がっているが、天井が高いため頭を打たれたり蹴られたり することは無い。
床の溝には血液が溜まって外へ流れ出し、俺のすぐそばで燻製器が稼働していた。
視界を埋めるのは、ほぼ全て人肉の暗赤色と白く洗われた骨ばかりだ。
腐敗防止の加護を強めるため、冷房の効いたテント内はかなり寒い。
早く出ようと、なるべく口で呼吸しながら、適当なものに手を伸ばす。
焼印で捺された保管開始日時と賞味期限を見比べ、期限間近なものを選び出して鉄 製のカートに放り込んだ。
そのままガラガラと押し、放り込み、テントの奥までたどり着く。
飾り立てられた八つの台座に、生首が七つ並んでいる。一番左の一つには何も載っていない。
以前初めてここを紹介してもらった時、吐き気と頭痛襲い来る中、リティアが説明していたような気がする。
曰く、八種族の首のコレクションだと。ウィンディが酷く大切にしている物だから、決して壊さぬようにと。
そんな大事なものを、どうして宝物庫ではなく食物庫に保管しているのか聞いたが、本人に聞かないとわからないといった具合だった。
宝物庫のテントは、盗賊対策として頑丈な鉄板が仕込まれているが、食物庫はそうではない。それどころか、飢えた獣やモンスターが、血の臭いを嗅ぎつけてやってくることも考えられる。
いつか聞いてみようとは思っていたが、ウィンディのようなタイプが、俺は苦手だった。
まあ、生首よりも飯だ。
忘れられたように隅に置かれた木箱。成人男性一人がやっと抱えられる大きさだ。
臭いが移らないよう、防臭符がベタベタと貼られた蓋をこじ開けると、仕切りの付いた中に野菜や豚肉が入っていた。
基本的に人肉食をするリティアたちと生活していると、なかなかこういった“普通の食材”を目にする機会が無い。
肉を二枚と、キャベツのような葉物を半玉。それに毒々しいほど赤いニンジンのような根菜を一本取り、一緒に箱の中にあった布袋に入れる。
それをカートのハンドルに引っ掛け、食物庫を後にした。
調理場まで来ると、スペルがいた。
今日は晴れているため、外で料理することになる。
雨や雪が降ったり風が強かったりすると、一戸住宅並みに巨大な本部テントで調理することになるのだが、外でやったほうが血の臭いが薄れたり、床を血脂で汚す心配が無かったり、後始末は楽だったりと何かと便利なのだ。
「食材、持って来たぞ」
「あ、ありがとうございます。そこ置いといてください」
スペルは俺にも敬語を使う。その伏せられた銀色の瞳は、どことなく臆病な感じがする。
紫色の髪は、夕闇に溶け込んで消えそうだ。
七人組にいたはずだが、こんなに覇気のない奴だったか? 記憶にない。
だが、控えめで遠慮がちな性格も相まって、リティアたちの中では俺と親しい部類にいた。
スペルに言われたとおりにカートを止め、彼と同じようにアルコールで手を洗う。
ゴム手袋を渡してくれたので、俺は嵌めるが、彼は素手のままだ。
すると、ベルが来て、
「スペル! はいこれ!!」
鋭いスナップと共に、細長い何かを投擲する。風を切って飛来したそれを、
「ん、ありがとうございます」
スペルは軽くキャッチ。握った柄には、緩くカーブした三角形の刃が付いている。
包丁だ。それも、全長四十センチほどの大包丁。
刃物を人に向けて投げるなと教わらなかったのか。誰もベルの行動を注意せず、むしろ当然のように受け止めている。
「じゃあ、俺は下ごしらえしてるので、アレンさんは自分の分先に作っといてください」
「ああ」
カートから布袋を取り出し、フライパンや包丁、まな板など、料理道具一式を借り受けた。
ロール状に巻かれた燃料符を適当な長さに千切り、麻紐で縛った。
符は、魔法の発動・展開に使う文字列、通称“魔法式”が書きこまれた布や紙のことだ。
燃料符には炎魔法を増幅させる魔法式が書いてあって、これに点火すると良く燃える。具体的には、新聞紙を絞って油を染みこませたものよりよっぽど燃える。
料理道具の山から、符を空中で固定するための魔法道具を取り出す。見た目は十五センチ四方の黒い立方体だ。一つの面にリンゴのような電源マークがあって、それを正面として上面には大きなクリップ、下面には四角いフタ、側面には突起状のものが付いている。
フタを一度押し込んで開け、中にバッテリーを詰める。
普通のバッテリーとは違う。電気ではなく魔力を溜めた、俗にマッテリーと呼ばれるものだ。
もう一度押し込めばセット完了。電源マークをタップしてスイッチオン。
マークが淡く発光したことを確認し、クリップに燃料符を挟む。
正面の電源マークが、タッチパネル式の操作盤に変化する。そこから“固定”を選び、
切り替わった画面から、さらに“浮遊”をタップ。
すると、側面の突起に青白い魔法陣が現れた。
魔法陣はすぐに収縮して消え、代わりに細長い羽が突起から生える。
大きさの異なるものが、左右三枚ずつ。計六枚。
一枚一枚は菱形を細く引き伸ばした形に似て、仄かに青く発光するそれが、代わる代わる動いて羽ばたく。風は出ない。
俺は手をそっと放した。立方体は空中に制止している。
つついて位置を調整し、燃料符に点火。
「――炎魔法『地獄の業火』」
瞬間的に炎が燃え上がり、周囲の酸素が持って行かれる。
Sランクの超上級炎魔法だ。現在俺が使える唯一の攻撃魔法でもある。
物理攻撃を中心にスキル配分していった結果、俺はこの炎魔法とある程度の回復魔法しか会得していない。
そもそも、魔法は個人の能力差が激しく、生まれつき才能のある奴は突っ立っていてもAランクくらいまでなら使えるようになるし、才能のない奴はいくら努力したってBランクが関の山だ。
また、同一人物でも自身との相性によって使える魔法が大きく異なる。魔法の属性は十二種類あり、そのうち炎しか出せないやつもいれば、三つくらい自由に操れる奴もいる。
要は99%才能の世界だが、全ての魔法が使える奴は極めて稀だ。どこのギルドに行ってもちやほやされる。
俺は幸い炎に恵まれたようだったが、それ以外は全然ダメだったのでこれしか使えないのだ。
発動した直後に、一気に魔力を絞る。供給の途切れた炎は一度大きく揺らぎ、急速に収縮した。
どんな魔法でも、魔力を媒介としている以上、継続には魔力が必要不可欠だ。属性やランクによって、その量は異なるが。
火炎弾などは、内部に必要な分魔力を込めて飛ばす。そのため、飛距離が伸びると威力が落ち、込められた魔力を使い果たすと消えてしまう。
魔法を行使している間は魔力の残量を表すMPが減り続け、ゼロになると使えなくなる。
が、俺が魔力を絞ったのは残量を心配してのことではない。確かに上のランクほど消費が激しいが、俺とて冒険者の端くれ、MPには余裕がある。
ただ単に、この大火力では食材が消し炭と化すし、保ち続けるのが面倒だというだけだ。
今にも消えそうなくらいに静まった残り火を、燃料符に載せる。
符が反応し、刻まれた文字が赤く光ったかと思うと、みるみるうちに炎が勢いを取り戻した。
操作盤をタップして強火に調節。
フライパンが温まるまでに肉と野菜を切る。折り畳み式のテーブルを展開し、まな板を載せて素早く切った。
野菜用と肉用で裏表を使い分けようとしたが、両面とも縦横無尽に走った細い線の隙間に赤黒いものがこびりついている。多分、ベルかライの仕業だ。諦めて血痕の少ない面で切る。
フライパンが十分に熱されたことを確かめ、カートから油を取って引いた。もちろん植物性のやつだ。
肉を投入。菜箸で引っ掻き回す。
ぶっちゃけたところ、調理スキルは持っていても特別なことができるわけではない。念じただけで野菜が切れたり、指を鳴らせば火が付いたり、一瞬でフルコースが完成したり、電子レンジでチンすれば高級フランス料理ができたりなんてことは全くない。
戦闘系以外のスキルは、基本的に習熟度、つまり“勘”が上がるだけだ。
探索だったら“なんとなくここらへんに宝があるっぽい”。開錠だったら“なんとなくこうすれば鍵が開くっぽい”。釣りだったら“ここなら大物が釣れそうだ”。鍛冶だったら“こんな感じで装備強化できるんじゃね?”といった具合。
俺の調理スキルだって“なんとなくこのくらい火通せば美味いんじゃね?”程度に過ぎない。
そんなノリで、肉の赤みが無くなってきたところで“野菜そろそろいいんじゃね?”が発動したため野菜をぶち込む。
まんべんなくざっと炒める。塩と胡椒を完全目分量……どころか、ロクに見もしないで入れた。多分大丈夫だろう。死にはしない。
そうして、無事野菜炒めが完成した。