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彼女の死と帰還

 彼女の最期は、驚くほど呆気なかった。

 俺はリンカーギルドの入会試験に二年連続で落ち続けたものの、並みの冒険者を遥かに凌ぐ力と技術を身に着けた。

 レベルも相当上がり、彼女と二人で幾つものダンジョンを攻略した。

 第一制覇者として表彰台に祀られたことも三度ほどあった。

 そして、最恐とも謳われる、トバルダンジョン。

 クレイグが挑戦すると言っていた、あのダンジョンだ。

 そこに、二人とリンカーギルドの護衛六十五人で向かう途中、七人組に襲われたのだ。


 結果、俺たちは完敗した。


 いずれも精鋭たる六十五人の護衛は、全員五分と経たぬ間に葬り去られ、彼女は、あれほど強く気高い彼女は、開始十分で既に満身創痍だった。

 俺は腰を抜かして動けなかった。殺されていてもおかしくなかったのに、敵は俺を戦力外と判断したのかそのまま捨て置き、未だ闘志の消えぬ彼女を散々に痛めつけた。

 肉を裂き、骨を折り、関節を砕き、内臓を潰して、ちょうどネコがネズミを甚振(いたぶ)るように、彼女を(もてあそ)んだ。

 彼女は、彼らに傷一つつけることすらできなかった。

 あんなに俺が尊敬し、崇拝し、時に嫉妬の念すら抱かせた彼女が、無残にやられていく様を、俺は見続けることしかできなかったのだ。

 そして、万策尽き果て、もはや立つ足すら無い彼女の姿を最後に、俺は気を失った。


 目が覚めた時に、改めて俺は現実を知った。

 戦いの中で麻痺しかけた感情が、血に対する恐怖が、鼻を削ぐような鉄の臭いが、斬撃と打撃音が反響する耳鳴りが、目に焼き付いた仲間の血肉が、脳裏にこびりついた思い出が。

 ――何よりも、彼女の死が、俺の心身を酷く(さいな)んだ。

 胸の奥から込み上げる何かに任せて、俺は身体を折って吐き続けた。

 吐いて、むせて、涙が止まらなくて、鼻が詰まって息ができなくて、なおさらむせて。

 それでも何も収まらなくて、心の中に蔓延(はびこ)ったドス黒い何かを、胃液と涙と混ぜて地面に零しながら、うずくまって泣いた。

 彼女の死体は、原形が分からないほどに損傷していた。

 右腕は肘から千切れて転がり、肩には貫通痕が三つ。左腕は上腕が潰され、かろうじて残った手首から先は、人差し指と中指が欠損していた。残った指も全て爪が剥がれ、皮膚で覆われたところは身体中探しても見当たらない。右脇腹がウエストの半分も抉られていて、ぺしゃんこになった腸がはみ出ている。骨盤から下は、上半身とほとんど離れそうなくらい斬り込まれて、左膝と右足首が鋭利な刃物で切断されていた。太腿の肉は削がれて、露出した大腿骨は粉砕済み。無事な細胞があるのかどうかすら疑わしかった。

 特に被害が(いちじる)しいのは頭部だった。

 それは少し離れたところで見つかり、首を横一文字に()(さば)かれていた。

 赤い瞳は白濁して、それもぐちゃぐちゃになっている。左目は見つからなかった。

 あの綺麗なブロンドの髪も、三分の一は頭皮ごと剥がされ、四分の一は抜かれ、残りの半分は黒焦げで半分は生白い地肌しかなかった。

 どうしてこんな状態になってまで戦ったのか。何で逃げなかったのか。その最期の最期まで、彼女の心を支配していたのは何だったのか。

 その答えは、今となっては知る(すべ)もない。

 ただ確実なのは、彼女の背と頭に残る一筋の斬撃痕。

 縦一文字に走るその傷が、彼女を絶命させたという事実だけだった。

 震える身体を這わせ、腕を伸ばして、彼女だった頭を抱えた。

 さっき枯らしたはずの涙は滂沱(ぼうだ)として、痛む喉から嗚咽(おえつ)が漏れる。

 腐臭が肺に流れ込み、乱れた意識を朦朧とさせた。

 酸欠と心労で、俺はその場に倒れ込んだ。


 全て、一ヶ月前のことだ。



  * * *



 再び目覚めた俺の目に飛び込んできたのは、今俺の隣を歩く男の顔だった。

 リティア。本名は未だ知らない。

 俺を助けてくれたのではない。彼女の死の現場に、こいつはいた。

 彼女を殺した七人組、その一人がこいつだった。

 そして、ケディとベルも彼らの一員だ。

 リティアたちは、廃人寸前の俺をなぜか救って、自分たちと同行させることにしたらしい。

 理由はわからない。殺してくれた方が良かったのに、とは今でも思う。

 もしかしたら、リティアの元来の世話焼き気質が、エゴイズム的な方向に遺憾なく発揮された結果かもしれない。

 貪っていた男の死骸を引きずってついてくるメリア。

 こいつは当時、七人の中にはいなかったが、リティアたちの仲間であることは間違いないだろう。

 死体が、地面にうっすらと赤い線を引いていく。もう血液もほとんど残っていないのだ。

 上半身は食べ尽くされているが、下半身は服を纏ったままで、健康的に焼けた肌が固まった血でさらに茶色くなっている。

「……メリア」

「…………なに」

 屍を指さし、

「これの上着はどうしたんだ?」

「……捨てると、もったいないって怒られるから、ここに」

 メリアは“戦利品”とインクで書かれた、革製の(かばん)を掲げてみせる。

「貰っていいか?」

 返答も頷きもせずに、メリアは鞄を寄越した。

 ごそごそとまさぐると、すぐにそれは出てきた。

 思った以上に、デカい。それだけではなくて、厚みもある。

 しっかりと鍛えていた証拠だ。

「アレン、それどうするんだ? サイズ合わないだろ?」

「いっつも追い剥ぎみたいなことしてるよねー。リティアがやるって言ったものは受け取らないのにさぁ」

 リティアとベルが疑問四分の一、興味四分の三といった調子で問うてくる。

 追い剥ぎとは失礼な。少なくとも、彼らよりかは崇高な目的があってしていることだ。

 俺は無言で装甲を調べ、そこにあった、目的のものを取り外した。

「……『冒険者の(コルンバ)』?」

 リティアが首を傾げる。

「いつも取っているのはそれか?」

「………ああ」

「なに? アレンってもしかして、コルンバコレクターだったりしちゃう!?」

 何だそれは。

 ベルが人差し指立てて説明するところによると、一部の殺し屋や殺人鬼などに、冒険者を襲ってその証たるコルンバを収集し、楽しむ者がいるのだそう。

 悪趣味だな、と吐き捨てると、ベルは、違うのか、と少々残念そうにしていた。

「それじゃ、俺は服とかいらないから、ライにでもやってくれ」

「それはいいね。サイズ的にもちょうど良さそうだ」

 上着を鞄に戻し、リティアに放る。

 片手でキャッチして、背中のケディごと肩にかけた。

 メリアは、自分の荷物が減ったからか、何も言わなかった。


  * * *


 テントに戻ると、気弱そうな青年がこちらに駆けてきた。

「ただいま、スペル」

「どうも、お疲れ様です。戦利品は俺が持って行くんで……」

 スペルはそう言ってリティアから鞄を受け取り、残りの三人が何も持っていないのを確認すると、 “倉庫”とペイントされた大きなテントに入っていった。

 他に十個ほど建てられているテントは、大きさも形も様々だが、一様に黒く塗られた天幕が張られている。

「じゃあ、アレン。晩飯の準備よろしく頼むよ」

 リティアはケディを担いだまま、自分のテントに帰っていく。

 この二人は保護者被保護者という関係と、貴重な資材を節約するために、同じテントで暮らしていた。

 よろしく頼まれてしまったので、俺は“食物(しょくもつ)庫”と書かれたテントに向かう。

 すると、入り口付近で動く人影。

 ふんわりとウェーブのかかった長い金髪が、夕暮れによく映えた。

「ルリ」

 俺の声に気付くと、ルリはその青い目をこちらへ向ける。

 そして、

「アレンんっ! 大丈夫だったぁ? 怪我とかしてない? お姉さんがキスしてあげよっか??」

「寄るなこのキス魔。俺は無傷だしお前の弟でもない」

「つれないなぁ」

 長いまつ毛が、まばたきするたびに揺れる。

 俺の腕に押し付けていた無駄に大きな胸を離すと、赤い唇を妖艶(ようえん)に歪めた。

「何してたんだ?」

「うふふ、ナ・イ・シ・ョ? 女性のプライベートに土足で踏み込む男は嫌われるわよぉ?」

 わざとらしいウインク。逐一付き合ってもいられないので拳を振り上げると、ルリは、ごめんごめん、と言って話し始めた。

「ウィンディがね。アレン用の食材が食物庫に保管してあるから、スペルに持って行ってくれって」

「それを隠す必要がどこにあるんだ」

「ふふ、女のコって、秘密とか内緒とか秘め事とか言う言葉に弱いのよ」

 全部同じ意味では?

 深まる俺の疑問をよそに、ルリは続ける。

「まあ、本人が来ちゃったし……どうせこの後スペルのとこ持ってくんでしょ? 自分で食べたいもの探して持って行ったほうがいいわよね」

 それじゃ、私はテントに戻るから。

 その言葉と血の臭いを残して、ルリはヒールを響かせ歩いて行く。

 途中一度振り向いて「愛してるよぉアレン――!!」と叫んでいたが、面倒臭いので無視した。

 別にルリは、俺に対して特別な好意を抱いている訳ではない。誰に対してもああなのだ。

 博愛主義者と言うべきなのか。まあどっちだっていい。




 俺は食物庫に一歩足を踏み入れた。



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