Prologue
「死ね」
冷酷な言葉と共に、男の首が飛ぶ。
前のめり気味だった彼は、噴出する血液によって僅かに仰け反り、無抵抗にくずおれる。
筋骨隆々とした身体も、服も、土と血に塗れて、浅黒い肌に奇怪な文様を描いていた。
肢体が重い音を伴って倒れたあと、遅れて空を舞った首が落下軌道に入る。
焦げた短髪を靡かせながら、崩れた断面から血肉を零しながら落ちて、岩石だらけの地面に激突した。
血と脳漿が飛び散る。衝撃で頭部が破裂していた。
赤黒いグチャグチャしたものが放射状にへばりついている。
変形した頭蓋から、潰れかけた眼球がごろりと出てきた。
「……………」
加害者は首に見向きもせず、無言で身体の胸ぐらを掴みあげた。
止まりかけている鼓動に合わせて、夥しい量の血液が、掴んだ腕に、顔に、上半身に降りかかる。
それを全く気にも留めず、露わになった頸椎へとゆっくりと首を伸ばし――
一片の肉を齧り取った。
咀嚼する。嚥下する。また首を伸ばす。口を開ける。並びの良い歯と、鋭い犬歯が肉に突き立つ。何の抵抗も無く噛み千切る。噛んで飲んで、邪魔なスカーフを解いて投げ捨て、前歯で皮膚を切り裂き剥がし、そして喰らっていく。
頸動脈の断面に唇をすぼめてつけ、鮮血を飲み干す。
血と脂肪とに塗れた骨を、丹念に舐めて少し削る。
口の届く範囲を食したあとは、二メートル近い巨体を造作も無く回転させ、ひっくり返した。
可動範囲を制限する背骨や関節を、苦も無く圧し折り、捻じり取り、外して砕いて四肢をもぎ取り、大きくバラしていく。
休みなく動く手と口によって、屍はもはや人型を留めない。
血溜まりの中で、食事は続行された。
無視された頭部は異臭を振り撒きながら転がっている。
先刻より風が強くなった。
乾いた脳みそに虫が集る。
擦り切れた皮膚をハエが歩く。
血の臭いが空高く立ち上り、風に乗って拡散していく。
嗅ぎ付けた鳥が輪を描いて飛び、首を絞められたような声で鳴いた。
染み出る血を啜る虫たちで首の創傷は埋め尽くされ、波打ち蠢き押し合い圧し合い、敗者はばらばらと地に転がり落ちていく。
やや開いた鼻腔から、薄ら開いた唇から、頬骨の露出した皮膚の裂け目から、視神経の伸びる眼孔から、割れ砕けた頭骨の隙間から、彼らは潜り込み、内部からゆっくりと食んでいく。
白濁した瞳は、ただこちらを見ていた。
――俺を、見ていた。
俺はただ見ていた。
男が襲い掛かるところも。
瞬間的に返り討ちにされたところも。
男の仲間が彼の窮地を救いにやってきたところも。
彼らが叫びを上げる間もなく、喉笛を掻き切られたところも。
泣き喚き命乞いをする男を、無表情に追い詰めていった“俺の仲間”も。
歯の根が噛み合わず呂律も回らず、ただ恐怖に怯えることしか出来なくなった男の表情も。
肩のゴミでも払うような手つきで、男の血涙に濡れた首が飛ぶところも。
自若にして横暴、狂気にして荘厳とすら思える食事の光景も。
絶望に染まりきった、泣きも叫びもしない生首も。
死者を貪る、矮小な生者の虫食みも。
目の前の黄ばんだ眼球も。
俺はただ見ていた。
誰かこの悪夢から、俺を目醒めさせてくれ。
誰か俺を助けてくれ。