第6回 正義の鉄拳
「頼んだぞ、柴崎! 空手部とエースの意地を見せてやれ!」
「はい!」
顧問の発破で多少は元気付いたのだろう。最終番手の選手が勇んで立ち上がった。
涼夏は五人のうち四人を開始から瞬く間に撃破した。眼にも止まらぬ速さ、といった感じであり、秒殺以上のスピード、まさに瞬殺であった。
「始めぃっ!」
もう後がないことによるのだろう、顧問の声にも気合いが入っている。柴崎は腰をわずかに落として構えた。エースというだけあって、他の連中よりも漂わせる雰囲気が重く感じる。
「むんっ!」
駆け出した瞬間、リーチの長さが特徴のローキックを立て続けに繰り出す。無駄のないそれらの動きは、明らかに今までの者とは別格であることが感じられた。
涼夏も足を曲げてそれらの攻撃をガードする。攻撃の重みがこれまでとは違うのか、涼夏が足に体重をかけ、踏ん張ろうとしているように見えた。
「はあっ!」
柴崎が鋭い回し蹴りを放った。風を切る音が生じる。しかし、涼夏は風に揺れる柳のように至極滑らかな動きでその攻撃をかわし、肘打ちを柴崎の眉間にぶち込んだ。
柴崎は立ったままわずかに痙攣し、そのまま畳の上に倒れた。
「勝負……あり……」
信じられないといった現状に、顧問と残りの部員一同は完全に言葉を失っていた。全国大会三連覇を遂げた名門といえる空手部が、名もなき女子生徒にいともたやすく敗れた……。
「どうもありがとうございました」
涼夏は深々とお辞儀をする。気楽勝ちしたことなどまったく鼻にかけないその仕草は、いつも見せる涼夏の態度のそれであった。
「では、行きましょうか、汐崎様」
「ああ……」
殴り込みを仕掛け、なおかつ主力メンバーを瞬殺するという出来事に、龍星は夢でも見ているのかと、本気で思ってしまった。
「なかなかの腕前でしたわ。空手部の皆様方は」
「そうだな……」
瞬く間に打ち破った人間が言ってもまったく説得力がないが、立て続けに起きた、にわかには信じられない事の繰り返しにより、龍星は反論する気が起きなかった。
「さあて……、次はどこを回りましょうか?」
「え? まだやるつもりなのか?」
「もちろんですわ、わたくしは強い殿方が好きですもの!」
言うが早いが、涼夏はレスリング部の練習場へ駆け込んでいった。彼女の隣を歩けるほどの存在がこの学校にいるのだろうか? などと心の中でツッコみながら彼女の後を追った。
「はあ、やれやれ……」
龍星は盛大なため息をついた。結局、あの後、武道関連の部活全てに殴り込みを仕掛け、各部の主力メンバーを叩き伏せたのだった。涼夏は楽しんでいたようであるが、これまでに武道に携わった経験のない龍星としては、見ていただけとはいえ生きた心地がしなかった。
「皆さん相当な手練れでしたわね」
満足そうな笑顔を浮かべる涼夏。あれだけの勝負をしたにも関わらず、息一つ乱していない。あの清楚な佇まいの一体どこに、これほどの力があるのだろうか?
「もういいだろ……? 帰ろうぜ」
もう五時過ぎであり、西の空はオレンジ色に照らされていた。放課後になったのが三時少し過ぎだから、二時間以上も武道部の所にいたことになる。荒波のごとく押し寄せる疲労感に、龍星は口を利く気力もなくなっていた。
「そうですわね、そろそろ寮に戻りましょう」
二人は学生寮に向かって歩き始めた。
「それにしても、他の部にまで仕掛けるとはねえ……」
未だ涼夏の超人的な動きとタフさに、興奮が冷めやまない。
「弱い者いじめは絶対にしませんが、強い方を見ると血が騒ぐものでして」
微笑みながら言う涼夏。垂れ流れる汗と共に見せるその笑顔は、ドキリとするほど可愛かった。だからこそ、今言うセリフはあまりにも不釣合いで、苦笑いをするしかなかった。
「まったく見てるこっちが疲れたよ……」
肩を落としてトボトボと歩く。自分は実際、何もしていないのだが、次から次へと非現実的に近い光景により、どうしても気持ちが高ぶってしまった。
「貴重な経験ができてよかったではありませんか?」
涼夏は口に手を当てて微笑む。寿命が縮むような思いが貴重なのだろうか? そう思った龍星だったが、ツッコむ気にもなれないのであえて口にはしなかった。
もう少しで男子寮と女子寮への分岐点に差し掛かるという時だった。
「下着ドロボウ!」
突如、女子寮の方から甲高い声がした。ハッと顔を上げる二人。そして女子寮の方から覆面をした男が、女性者の下着を数枚手に掴んでこちらに向かって走って来ている。
「どけ、どけえ、邪魔だ邪魔だ!」
走って来る下着ドロボウに対し、涼夏は真正面から仁王立ちになった。
「離れていて下さい、汐崎様」
冷静ではあるが非常に強烈な気迫が篭っていた言葉に、ただただ言う通りにする龍星。
「どけつってんのが分からねえのか、このアマぁ!」
ヤクザのように品のないセリフを吐きながら、暴走車のように涼夏に突っ込んでくる。
「女性の下着を盗むとは、男の風上にも置けない外道! 女の敵っ!」
涼夏は地面を蹴り浮遊する。まったく無音であるその動きは、綿毛が風によって空を舞う「フワッ」という表現がピタリと当てはまる感じだった。
「やあっ!」
気合いと共に足を振り抜いた。足の裏が下着ドロの顔面に突き刺さる。滑らかかつ、鮮やかで目にも止まらないその動きは、まさに目にも止まらないものであった。そして、跳躍時と同じく音もなく地面に降り立つ。わずか、コンマ数秒の出来事であった。
「待ちなさーい……、って、あら?」
女子寮から走って来た寮長のオバさんは、眼前の出来事に思わず目を白黒させた。
「寮母様、この不届き者ならわたくしが捕らえておきましたよ。後ほど警察に届けましょう」
「そ、そうかい……、ありがとうね」
寮母は何があったのかは問わなかったが、それは賢明な判断といえるだろう。
「では、汐崎様。私はここで失礼致しますわ」
涼夏は丁寧に頭を下げると、もんどりうって倒れている下着ドロの首根っこを掴んで、ズルズルと引きずり、寮母と共に寮へ戻っていった。
後に残された龍星は、涼夏の軽やかな身のこなしと、矢のように素早く鮮やかな蹴りがいつまでも脳裏に張り付いたままであった。
そして、この日より涼夏の雷名が全校中に知れ渡ることになるのである。




