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第38回 決戦前夜

 後顧の憂いを断ち、国中が一つにまとまった。本陣の準備も整い、決戦の時は迫っていた。

「……………………」

 本陣の中、君主が座るべき場所で涼夏は優れない表情のまま俯いていた。先程は威勢のいいことを言っていながら、一つだけ心にしこりがあった。ブラストのことである。

 涼夏は幼少時から父・ゼーモンがあんな状態であるため、密かに父が怖かった。そのため、ガンファとブラストが父親代わりのようなものであったのだ。ガンファとブラストも意外と気が合うようで、これに母親・涼杏を加えた四人でよく遊びに行ったものだった。

 その第二の父親ともいうべき存在と剣を交えなければならない……。何だってこんな事態にならなければならないのだ。ゼーモンが権力をかさに好き勝手なことをやって来たツケが自分に回ってきたのだろうか? いくら考えたところで納得のいく答えが出る由もない。

涼夏は言い知れぬ葛藤が自分を包み込んでいるのを実感する。これまでに強敵と拳を交えて来たことは何度もあったが、こういった内面をえぐられることは、若干十六歳の少女にとっては過酷極まりない現実であった。思わず深々と溜め息をつく。国中が一致団結した以上、統べる立場である自分が迷うのは禁物である。自分が迷えば、その影響が自分を信じてついて来てくれている下の連中にも及ぶのだ。ともすれば軍の士気は一気に弛んでしまう。そんな状態であの屈強なブラストに勝つなど、どうあっても有り得ないことである。

 盛大な溜め息をつく。このような仕草一つでも軍における士気の乱れの元になることは、歴史研究会の書物を読んで重々承知していた。大将の心根とはとかく横への影響が大きい。分かってはいるが、やはり心のしこりはそう簡単に拭い去れそうになかった。

 武将としての頭角が現れ始めて来た涼夏だが、一人の人間としてはまだまだ発展途上だった。


 夜半、兵達がそれぞれのテントで眠りについた頃。

「涼夏、いるかい?」

 龍星は天幕の布をめくり上げた。と、同時に凍りつく――。

「あ……、うわわ……!」

 涼夏が真の姿であり、しかもまたもや上半身は裸という有様だった。張りのある胸元、突き出た乳頭。純情な少年が見るにはあまりにも刺激的だった。龍星はいつぞやの岩場の時と同じく腰を抜かす。お尻に土の感触が伝わって来た。

「りゅ、龍星様!」

 涼夏が慌てて手で胸元を隠す。龍星は顔を逸らそうとするが腰が砕けているため、なかなか思うようにいかない。

 涼夏は傍らにあったタンクトップを慌てて着る。それでも下着をつけておらず、少女にしてはかなり発育したプロポーションにより、突き出る所はハッキリと出ている上、胸の谷間も覗いているままだ。正直、眼のやり場に困ってしまう。

「失礼致しました。それで、どうなさいましたか?」

 ごまかし笑いを浮かべながら、涼夏が訊ねてくる。

「ん? ああ、ガンファさんから君の様子が変だから、元気づけてくれと頼まれてね。ここじゃナンだし、表を歩かないか?」

「そうですわね」


 静かな夜だった。嵐の前の静けさとでも言うのだろうか? ブラストとの決戦を間近に控えてはいる。間もなくこの辺りは戦場になり、多くの兵の亡骸でごった返すだろう。

 二人は人気のない平野を歩いていた。

「ガンファ様がいかがされたのですか?」

「ああ、涼夏が父親のように慕っていた、ブラストさん……だっけ? そんな人と戦うことになって、かなりショックを受けているようだから、元気付けてやってくれって」

 龍星は先程、天幕で言ったことと同じ事を言う。

「ガンファさんはこう言ってたよ、今までは自分が涼夏の支えだったけど、今度からは俺にその役を任せるって言ってさ。何だかプレッシャー感じちゃうよ……」

 龍星は照れ臭く笑った。

「そうだったのですか……。申し訳ありません、わたくしが不甲斐ないばかりに……」

 涼夏はそう言うと俯いてしまった。

「いや、いいんだよ。涼夏が気に病む必要はないんだから」

励ますつもりが逆に涼夏を追い詰めてしまったのか。龍星は慌てて取り繕った。

「ふふっ、龍星様のそういう優しさ。わたくしは大好きですわ」

 涼夏が自分の腕に腕を絡めてきた。

「お、おい……」

 涼夏の温もり、二の腕に感じる脇乳の感触……。

「わたくしは今まで友達という存在がまったくおりませんでした。この王女という肩書きのおかげで、同年代の遊びなどは知らないまま育ちまして、正直息苦しい時もあったのです」

「そうだったんだ……」

「わたくしは他人を羨む気持ちを押し殺そうと、ガンファ様の下で一心不乱に武道の修行に明け暮れましたわ。徐々に武道の修行に充実感を覚え、それらに夢中になっていきました。おかげで今のわたくしがございます」

「そうだったんだ……。俺もさ小さい頃、親に虐待されて人と付き合うのが怖くなってたんだ。俗にいう対人恐怖症ってやつかな? 自分の存在を否定されるようなことばかりされてね、おかげで人と付き合う自信がなく、いつも一人で本ばっかり読んでたよ」

「龍星様のお母様も酷いことをされますね……」

 涼夏が怪訝そうな表情になる。

「いいって、いいって。もう昔のことだしさ。今までが今までだから涼夏と会った時、正直イヤだったんだ。また、人と関わることになると思って」

「でも、そうは思わなかったのですよね?」

「ああ、君とコミュニケーションを交わすことで、他人とのふれ合いがこんなにも充実したものだと知ったんだ。入学してからすぐに君と出会い、今までの四ヶ月、君とのやり取りがハッキリと教えてくれたんだよ」

「わたくしもですわ。他人を攻撃する武術。それだけに浸ってきたわたくしとしては、先程の龍星様のように、他人に対する優しさというものを知りませんでした。お互いに欠けているものを知らず知らずの間に補い合っていたのですね」

 涼夏はそう言うと龍星にもたれかかってきた。今までの強い彼女しか見てこなかった自分としては、こんなにも女の子らしい態度を見せられたことで、涼夏がとても魅力的に思えた。

 龍星は自分がこの海底世界に来ているのが、単なる偶然ではなく自分と涼夏の運命のように思えてきた。この世界で涼夏とのやり取りを通じ、戦術の駆け引きはもちろんだが、涼夏の心の支えとなるために自分はこの世界にいるのだと。

「俺は涼夏と戦場に出るほどの腕はないから……さ。コイツを持って行ってくれないかな?」

 龍星はポケットから青いバンダナを涼夏に手渡す。

「コイツを……、お守りだと思ってさ」

「嬉しい、ありがとうございます!」

 涼夏はそう言うと頭に巻きつけた。元々ブルーは穏やかな感じがする色である。アクティブな彼女とは対照的であり、それがまた妙に似合っていた。

「へへ……、どうでしょう?」

「ああ……、いいんじゃない?」

 おもむろにフィットしており、思わず見とれてしまった。

「では、わたくしも……」

 涼夏はポケットから小さな貝殻を取り出した。

「小さい頃、お母様がわたくしにくれたものですわ。この十数年間、わたくしにとって宝物でした。まあ、このバンダナと違って金銭的な価値は何もありませんけれど」

 龍星は無言で受け取る。貝殻の肩さと冷たさが指先に伝わってきた。金銭的な価値などどうでもいい。涼夏がずっと大切にしている物を自分に預けてくれるのだ。これが何を意味するか、人としての情がこれ以上ないくらい込められている。

「一緒に……国を……、建て直しましょうね……」

「ああ、そうだね」

 龍星は悟った。本当の意味での信頼が芽生えたのだと。秀吉が信長のために命を投げ打つ覚悟で仕えたように、自分も涼夏に全身全霊を捧げようと誓ったのである。

 慈愛に満ち溢れた和やかな空気と時間が、龍星と涼夏を包み込んでいた。


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