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第36回 軍神・皇 涼夏

おい、ありゃあ!」

「王女でねえか!」

「また戦をおっぱじめる気なのか!」

 村落のど真ん中を歩く涼夏一行。ついこの間命のやり取りをした敵が通っているというため、あっという間に農夫達が刀や槍、弓矢などを持って涼夏達を取り囲んだ。しかし、龍星は涼夏の後ろ姿を見ながら、涼夏には一分の動揺や恐怖も感じられなかった。

 このとき、軍神または、越後の龍という二つ名を持つ上杉 謙信の行動が龍星の脳裏を過ぎった。


 永禄三年(一五六〇年)。

 小田原を本拠地とし、関東制覇を目論む北条氏一門。当主の氏康(うじやす)はその足がかりとして佐野における唐沢山城を攻め立てる。城主の佐野 昌綱は同盟を結んでいる謙信に救援を頼んだ。

 報せを受け、馳せ参じた謙信。しかし、北条軍・三万五千という途方もない大軍が城を完全に包囲している。それこそ蟻の這い出る隙間もない状態だった。

 謙信は苦悩する。自分達が救援に来たことがバレれば、北条は城を落とそうと攻撃の手を強めるだろう。昌綱が死んでしまっては本末転倒である。

「我が武運に賭けてみる! もしここで死ぬようなことがあれば、俺はそれまでの人物だということよ! 一世一代の大博打を打ってみようぞ!」

 翌日、謙信は一騎当千の武者達四十四人だけで、甲冑もつけず、軍神の象徴である毘沙門の旗を高らかに掲げ、そのまま北条軍の真っ只中へと分け入ったのである―――――!

 北条軍が驚いたのも無理はない。五十人もない人数で、なおかつ鎧兜を何もつけず、丸裸の状態で三万五千の大軍の中を堂々と突き進む者など古来に於いても例がないからだ。

「うわ……」

「あれが、越後の龍……」

 謙信のあまりに堂々たるその佇まいは、北条の士気をあっという間に地に墜とした。謙信の進むところ、次々と道を開け、遮る者は誰もいなかった。いや、遮ることができなかったのだ。

「ワシが首を取ってくれる!」

 勇んで槍を構えた兵がいたが――、

「び、毘沙門天……」

 謙信の背後に戦の神を見たのだ。そして、その者はその場に腰を抜かしてしまった。

「あの様子。きっと策があるに違いない。今は様子を見ようぞ」

 何か考えがあるに違いない、そう思わせることこそが狙い。まさに命がけのハッタリだった。

「我らのため、このような危険を……」

 謙信の姿を見た昌綱は思わず感涙を流したという。

 堂々たる唐沢山城入城。こうして佐野 昌綱を見事救い出し、北条軍を蹴散らしたのだった。


 今の涼夏も謙信と同じであろう。今にも飛びかかって来そうな農夫達を左右に見ながら、涼夏はゆっくりと進んで行った。本来ならばもっと速く動けるだろう、しかし、今は彼女の威光を示すべく、あえて速さを落としているように見える。

 周囲は敵のみ、まさに四面楚歌である。だが、龍星は不思議と恐怖を感じなかった。涼夏の発せられる貫禄や威厳、これまで何度も見ていた涼夏の背中が一段と逞しく見えた。そして、それらを目の当たりにしている農夫達の引きつった表情。今の彼らは北条軍と同じ状態だろう。

「ここの村長はどちらでしょう?」

 囲みを突破した涼夏は呟きがちに聞いた。

「ま、待って下せえ。呼んで来ます」

 涼夏の威厳にたじろいだのだろう、農夫の一人が、一際大きな家に駆け込んで行った。程なく顎に白いひげを蓄え、作務衣を着た老人が現れた。

「村長様ですね。わたくしはインフェリス王国が王女、メルフィ・インフェリスでございます」

 涼夏はマグロから降りると丁寧に頭を下げた。

「王女様がワシらに一体何の用ですかな?」

 未だ警戒が解けてないのだろう。尋ねる声にどこか重々しい感じがする。

「諸豪族達が反乱を起こしました。しかし、本当の黒幕は隣国を統べる人物でございます。今のままではインフェリスを乗っ取られてしまいます。」

「しかし、ワシら下々の者にとってはのう……、国を乗っ取られようと乗っ取られまいと、関係のないことなんじゃよ。こうして苦しい生活を強いられている以上は……の」

 確かにゼーモンの圧政という現状、隣国に蹂躙されたとしても、生活は楽にはならないだろう。それどころか新しい国主に期待しブラスト側に流れる……、という可能性も捨てきれない。

「確かにそうですわね。しかし、わたくしは皆さんにある誓いをするために来たのです。皆さんの生活の安全を保障し、税の軽減と所領を安堵することを約束するために参ったのです!」

 税の軽減に所領の安堵と聞いて、村長を始め、農夫全員が顔色を変えた。

「わたくしはこちら龍星様が生活する地上において、国をまとめる術を勉強してまいりました」

 龍星はいきなり自分を紹介され一瞬たじろいだが、ここでビクビクしては涼夏の今後に関わる。動揺を見せず落ち着いて村長を見やった。

「『民は子なり、国主は親なり』という言葉がございました。遥か昔、陸上が今のこの海底世界のような動乱期だった頃、民を思いやる温かい政治を執った一門がおりました」

 涼夏は学校の先生のような口調で語り出す。ちなみにこの一門とは先の北条氏のことである。

「その一門の初代は、まず年貢を軽くしました。続いて、薬事に詳しかったので、どんなに貧しい病人でも救いました。特に独居の老人の家には介護人をつけたくらいです。そして、侍・百姓の所領を安堵することを約束し、その後、民のことを考えた政治を執り続けたのです」

 村長をはじめ、周囲の村人達が涼夏の話を食い入るように聞いている。涼夏の話がよほど魅力的に聞こえたのだろう。逆に言えば、それだけ村々は苦しい生活だったということだ。

「わたくしはこの一門のやり方に大きな感銘を受けました。父の政治はあまりにひどすぎます。わたくしは父に代わってインフェリスを治め、民第一の政治を執るつもりです! しかし、それはまだ先のこと、目の前にいる隣国の脅威を取り払わなければなりません。インフェリスを奪われないよう、わたくしと共に戦って欲しいのです。皆さんの力は先の一揆軍として戦った時によく分かっております。この国、祖国の未来のために、皆さん一人一人の幸せのために、どうかわたくしに御力添えをお願い致します!」

 傍らで聞いていた龍星は、涼夏の国を統べる立場としての発言に立ち尽くしてしまった。

「メルフィ様、その言葉を信じていいのかね?」

 村長が疑わしげに聞いてきた。他の民は信用してないようで、賛同しようとしない。

「そんな二枚舌に騙されるかよ!」

「結局、俺達を体よく利用しようって腹じゃねえのか!」

「そうだ、そうだ。俺達の生活のことなんかこれまで見向きもしてくれなかったくせしてよ!」

「困った時だけ助けてくれなんて、虫が良すぎるんだよ。このアマ!」

 アマと聞いて龍星は反射的に発した者を睨んだ。思わず剣の柄を握る。しかし、ガンファが無言でその手を握り、「よせ」と言わんばかりに首を横に振った。

「まあ、すぐに信じてくれといっても無理でしょうね。ただ、今は八方塞なのでどうしても皆さんの協力が必要なのです。だから騙されたと思って力を貸してくれませんか?」

「その考えが甘いってんだよ!」

「さっさと帰れ、帰れ! 俺達は畑仕事で忙しいんだよ!」

 取り付くしまもない。龍星は涼夏を見守り続けた。ここが涼夏の、王女として真価を問われる時期であろう。自分がしゃしゃり出てくるところではない。しかし、予想に反して涼夏はすぐに後ろを振り返った。

「一旦引き上げましょう」

「ん? ああ……」

 何か策があると思っていた龍星は、予想外の態度に拍子抜けしてしまった。

「考えがございます。一旦城に戻りましょう」

 涼夏をはじめ、一行は農村を後にした。



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