第32回 やっぱり来てくれた!
冷たい牢屋の中。涼夏は生気のない眼で天井を見上げていた。縁を切ったはずなのに、浮かぶのは龍星の顔ばかり。自分は囚われてしまったし、もうインフェリスは終わりだろうか……。
「お母様……」
優しげな母の顔を思い返す。今の自分を見たら母は嘆きに嘆くだろう。そう思うと目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。そんな自分の心境とは裏腹に、周囲からは祭りのように賑やかな声が聞こえてくる。敵はもうインフェリスを手中にしたかのように、戦勝の前祝いでもやっているのだろう。涼夏にしてみれば、祖国を滅ぼされて喜んでいる連中を目の当たりにしているため、腸が煮えくり返ると同時に、それ以上の悲しみを感じた。
その時だ。ふと耳をつんざくような大きな音がし、思わず身を起こす。
「な、何だ?」
「敵襲か!」
牢番達が慌てふためき、得物を手にする。周囲は鬱蒼というくらいに生い茂る木々に囲まれているため、何が起きているかはまったく分からなかった。
「おい、お前ら手を貸せ! 敵の襲撃だ!」
他の兵士がやって来て、牢番にそう告げた。
「多分、インフェリスの連中だろう。大方、姫君を救出しに来たか……」
そう言いながら、兵士三人は涼夏を見やった。
「ここで姫君を奪われるわけにはいかねえ! お前らも手を貸してくれ!」
「おう!」
二人の牢番は状況説明した兵士に連れ立って、騒ぎの方に向かった。
残された涼夏は一瞬唖然としながらも、訪れた希望の光に表情を明るくした。
「龍星、アナゴ兵の陽動作戦は上手く行ったみてぇだぜ!」
ガンファが状況を告げる。まずはアナゴ兵が地中から突如出現する。ブラスト側からすれば、敵によるいきなりの出現に浮き足立つ。そして、アナゴ兵はそのまま上昇し、敵の意識を上へ向かわせるのが目的だった。
「では、二番隊。お願いします!」
龍星の指示により、第二の軍勢・カニ兵が穴から出現。鋭い二つのハサミがキラリと光った。
「かかれーっ!」
ガンファの掛け声によりカニ兵がハサミを操り、周囲の敵を次々に斬り倒した。鋼鉄をも寸断すると思われるハサミを巧みに扱うその様は、プロの料理人がキャベツを千切りにするかのように鮮やかで無駄がない。カニ兵は敵兵が態勢を整える間を与えないよう、次々と並みいる敵を斬り崩していく。その証拠に、先程から聞こえる声は敵兵と思われるものばかりだった。
「頃合だな……、三番隊。お願いします!」
「よし、ウナギ共! 出番だっ!」
ガンファの声により、穴から第三の軍勢・ウナギ兵が出現。カニの攻撃をかろうじてかわした敵兵に、電気を纏った尾の一撃を叩き込んで行った。
「ぐあーっ!」
「うぎゃあーっ!」
マグロほどではないが、それなりの速さを誇るウナギ兵による素早さを活かした尾の一撃と、電撃による相乗効果により、敵兵達は悲鳴を上げて次々と昏倒していく。
たった二百の兵ではあるが、それぞれの特殊能力を最大限に活用した奇襲であるため、敵の出はなを挫くには十分な効果があったようだ。
「怯むな、態勢を整えろ! 敵はわずか数百に過ぎん!」
拠点隊長と思しき男が自分の兵達にそう呼びかけた。龍星は少々焦りを感じていた。ここで敵が勢いを盛り返しては自分達の勝機はなくなる。兵力では圧倒的にこちらが不利なのだ。何としても敵が勢いづく前に涼夏を救出し、城へ戻る必要があった。
「よーし、四番隊。出撃です!」
自分とガンファを含めた二百のマグロ兵。敵兵は酒に酔いしれている状態である。そうすぐにもとの調子を出せるはずがない。
「行くぞーっ!」
龍星、決死の出撃であった。
「おらおらぁっ! よそ見してると死ぬぞーっ!」
敵兵に突っ込んでいった龍星だったが、それよりも早く傍らを駆け抜けたガンファが敵兵を切り崩していった。自分も負けてはいられない、涼夏は自分が救出するのだ!
「殿下、奇襲です!」
「やはり来たか……」
物見の報告を受けたブラストは予想通りの展開であると思い、杯の酒を飲み干した。
「インフェリス軍が例のリュウセイという少年と、ガンファという男を先頭に、メルフィ様がおられる牢獄へ向かって進んでおります!」
ブラストはまったく動じず、ゆっくりと腰を上げた。
「よし、今すぐ兵を建て直せ! そちらの救援に向かうぞ!」
「いえ、それが……、兵達が酒に酔いしれていてとても戦える状態ではありません!」
「何だとっ!」
ブラストは焦った。今ここで涼夏を奪還されては、インフェリスを勢いづかせるだけである。自分の戦力的に涼夏の存在は何としても譲れなかった。
「ええい、こうなったら俺が直々に出向いて引導を渡してくれるわ!」
ブラストは愛刀であるグレートソードを持ち、立ち上がった。
騒ぎは徐々に大きくなっているようだった。剣戟の音や悲鳴が大きくなってきている。味方の救援である。すぐ傍で敵兵の悲鳴が上がる。しかし、その中に龍星はいるだろうか? いや、彼は自分のことなど気にかけていないだろう。そう考えると、再び眼に涙が浮かんだ。
「涼夏―――――――――っ!」
阿鼻叫喚の図とも言える中、ハッキリと聞こえた龍星の声。涼夏は思わずハッと目を見開いた。涙の意味が悲しみから喜びに変わった瞬間だった。
「龍星様―っ!」
自分も同様に龍星の名を呼ぶ。
龍星が剣を手に片っ端から敵を斬り伏せている。その鬼神をも圧倒するであろう勢いに、涼夏は頼もしさを感じた。不慣れであろうマグロを乗りこなし、自分を助けに来てくれた少年に。
そしてその後には指導役であるガンファの姿もある。二人の軍神が危険を承知の上で、自分を助けに来てくれたのだ。
「涼夏っ!」
牢屋の前まで来た二人。龍星を信じていたことと、その龍星が自らの危険も省みず自分を助けに来てくれたことで、涼夏は感涙を浮かべた。
しかし、扉は見るからに屈強そうで破れそうになかった。
「俺に任しときな……、むんっ!」
格子を握り、力を入れるガンファ。傷が疼くのだろう、少々痛々しげな表情だ。そして、ビキビキという音と共に格子が歪み、人が通れるくらいのスペースができた。
「龍星様―――――っ!」
「涼夏っ!」
通れるようになった瞬間、涼夏は龍星の胸に飛び込んだ。何もかも忘れて眼前の少年の逞しい胸の中で眠りたかった。そして、龍星も自分を熱く抱きしめてくれた。
「龍星様、龍星様ぁ……」
そんな自分を龍星は優しく抱きしめてくれた。龍星を待っていてよかった、待ってて……。
「再会の挨拶は後にした方がいいぜ。まだまだ奴さん共がいるからなぁ」
ガンファの言葉に涼夏は我に返る。そう、今は血で血を洗う戦の真っ只中だったのだ。
「そうだった、すっかり忘れてたよ……」
バツ悪げに龍星は赤面した。
「そうでしたわね、わたくしとしたことが……」
涼夏も同様に恥じらいを覚えた。
「そろそろブラスト側にもこの騒ぎが知られている頃だろう。アイツが出張ってくるとさすがに具合がマズいからな。さっさとトンズラした方がいいぜ」
涼夏もブラストの武勇は聞き及んでいる。味方にすればこれ以上頼もしい存在はないが、敵に回そうものならこれほど恐ろしい人物は知らなかった。
「ブラストって人をよく知らないけど、今の兵力で太刀打ちするのは難しいんですよね?」
「ああ、ブラストは民からも兵からも慕われる存在だからな。アイツがいると敵兵がどうしても勢いづいちまわぁ。アイツ自身もてぇしたタマだが、それ以上に周りに及ぼす影響がまぁた底知れねぇのさ。一騎打ちならば俺もいい勝負をする自信があるんだけどな」
「なるほど……。」
「おら、さっさとズラかるぞ。こんな所に長居は無用だからな!」
「そうですね。さ、涼夏。後ろに乗って」
「うん……」
涼夏は龍星のマグロにまたがり、彼の腰に両手を回した。そして体を彼の背中に預ける。
(温かい……、龍星様の背中……)
と、同時に幼少の頃、父親に抱かれた時の温もりを感じていた。




