第29回 苦悩する龍星
「大変だ、メルフィ様が敵に捕らわれてしまったぞ!」
「しかも、反乱軍の首謀者は王様の兄君であるブラスト様だというぞ!」
「あの戦上手のブラスト様がか! 大変な方を相手にしなければならなくなったな……」
窓からふと聞こえた声に、ベッドに寝転がっていた龍星は、思わず体を起こした。だが、すぐさま首をブンブンと振る。自分はもう彼女とは何の関係もない。もうこの国の軍師ではないのだ。彼女がどうなろうと知ったことではない。龍星はひたすらそう思い続けた。
廊下をはじめ、そこかしこがにわかに騒がしくなる。
「メルフィ様を助けるんだ!」
「すぐ兵を集めろ!」
「兵科もありったけ揃えるんだ!」
「メルフィ様は俺達が助け出すんだ!」
「メルフィ様の笑顔を取り戻せー!」
「相手がブラスト様だろうと何だろうと関係ないぞ!」
などと、戦時中のスローガンのような声が飛び交う。
「…………………………」
龍星の胸中で激しく何かが交錯する。思わずベッドの上に寝転んだ。そして、涼夏の名を呼ぶ声々から逃れようと、耳を必死で塞ぐ。
(俺はもう無関係だ、無関係だ! この国が滅びようとどうなろうと俺の知ったことじゃない、涼夏がどうなろうと、どうなろうと……)
必死に自分にそう言い聞かせる龍星。しかし、そう思えば思うほど、その思いを弾き飛ばすかのように、胸の奥から得体の知れない何かが次々と、怒涛の如く押し寄せて来る。
その思いが何なのか、龍星も分からない。ただ、何かが自分に警告しているようであった。
(俺は……、俺は……一体……、おうっ!)
遠くから何かに罵声を浴びせられるような気がし、目をカッと見開く。見慣れない天井があるだけだった。しかし、そこに敬愛して止まない、あの天才軍師・竹中 半兵衛が、何と自分を見下ろしていたのである。
「は、半兵衛……」
『バカ者―っ! お前は一体何をやっているのだ! お前はあの涼夏という娘のために尽力すると約束したのではなかったのか!』
無論、半兵衛の存在が見えるはずがない、全ては龍星の幻である。だが、今の自分の視界に映っているのは、紛れもなくあの竹中 半兵衛であった。
「無理なんだよ! 俺の采配のミスであんなに大勢の犠牲者を出しちゃって……、あの犠牲者の中には家族を養わなければならない人もたくさんいたんだ。俺があんなヘマしたせいで、兵士の家族の人はかけがえのない存在を失っちゃったんだ。俺に軍師なんてそんな責任ある役目はできっこないよ」
『そうではない! 私が言っているのはお前の心構えのことだ!』
「心構え?」
思いがけないことを言われ、龍星はキョトンとしてしまった。
『私が秀吉公について行こうと決めた後、生涯私はあの御方に力を尽くした。それが私を高く買ってくれたあのお方に対する一番の恩返しであると信じていたのだ。それに比べてお前は何だ! たった一度の敗戦でしょげ返り、挙げ句、自分の主君である少女を見限るとは……。情けないぞ! 主と決めた以上、どんなことがあってもその者を信頼し、ついていくのが誠の忠義というものではないのか! それが分からないお前に、俺を師などと仰ぐ資格はない!』
そう言うと半兵衛は霧のように消えていった。
確かに半兵衛の言う通りである。戦に負けたからといって凹み、それでいて現実から逃げ主人である涼夏を見限るなど……。どう考えても忠節を尽くす武将のやることではない。仮に涼夏が自分の立場なら、こんなことはしないだろう。
多くの人血を流し、戦死していく。そして、残された家族が嘆き悲しむ様は、確かに直視し難い現実だ。ましてや、精神的に未熟者である自分に耐えられるはずがない。だが、だからと言って目を逸らしてよいわけではない。ここは動乱の世界である。血で血を洗う場所なのだ。
そして、何より涼夏を助け、一緒に国を再考しようという約束を守らなかったこと。これが龍星にとって最大の汚点であるといえよう。涼夏に尽くすと決めたのだ、涼夏を主人と決めたのだ。そう決めた以上、どんな逆境であろうとその誓いを違えることは許されない。仮にここが本当に戦国時代なら、士道に反したという理由で、間違いなく切腹に処せられているだろう。
「………………っ!」
龍星は唇を噛み締めた。分かっていたのだ、胸の中で先程から巻き起こるザワザワしたどうにも落ち着かないこの感じ……。そして、その迷いを吹っ切るために現れた半兵衛。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えている時、ドアがノックされた。その音に我に返り、返事をする。ドアの向こうに現れたのはガンファだった。
「ガンファさん……」
「おう。どうしたい? お前はメルフィを助けにゃ行かねぇのか?」
先の戦いで負傷した傷が癒えていないのだろう。左手にギプスをしている。
「俺はもう……、軍師を辞めましたから……。涼夏とももう縁を……」
そう言いかけて言葉に詰まった。たった今、半兵衛に言われたことが脳裏をよぎる。この言葉を言ってよいのか? 迷った末にどうにか飲み込んだ。お世辞にも美味しくなかった。
「そうか、実は俺もよ、前回の戦いで負傷しちまって、今回は貢献できそうにねえんだよ」
ガンファは視線を落とした。涼夏が命を賭けて戦っているというのに、何もできない自分自身を恥じているのだろう。
「まぁったく武人が聞いて呆れらぁな。実の子供のように接してきた娘っ子が体張って戦ってるってぇのに、俺は留守番だぜ。こんなこたぁ、乳離れしたばかりの三歳児がやるこったぁな」
ガンファはいつものようにべらんめ調であるが、その言葉の裏にはどことなくやるせなさが含まれているような感じがした。
「龍星よ、お前はこれでいいのか?」
「これでって……、どういうことです?」
突如、抽象的な質問をされ、龍星はオウム返しに訊ねた。
「俺ぁ見ての通り、こうして城で療養していることしかできねぇ。だが、お前にはお前しかできない、お前だけがやれることがあるはずなんじゃねぇのか?」
ガンファの核心を突いた言葉に、龍星はハッとした。自分だけしかできないこと。他の誰でもない自分だけが、汐崎 龍星だけができる何か……。
「誰もお前に強要はしねぇさ。自分が今何をすべきか、自分で考えて判断するんだな。俺に言えるこたぁ、そんだけだ。んじゃ、邪魔したな」
ガンファは背中を向け、後ろ手を上げる。そのまま部屋を出て行った。
バタンという音がした瞬間、高校生になってから今に至るまでのわずか数ヶ月間でありながら、非常に密度の濃い時期の出来事が次々と思い出される。
涼夏と交わした会話の数々、自分と似た趣味を持つ者とのやり取りがこんなにも楽しいものだとは知らなかった。
そして、涼夏と共有した時間。武道部に殴り込みを仕掛け、その他にも街中の不届き者に空手技をぶちかます、部室に侵入したドロボウを捕らえるべく、体にロープを巻きつけ三階から飛び降りるという凄まじい立ち回り……。
改めて感じる涼夏のパワフルさに、龍星は思わず渋面になった。しかし、同時に彼女の温もりを感じるようになったのも、そこからであった。
人と付き合う自信がない自分、そうなったのは紛れもない実母の影響であった――。




