第2回 憧れの知略
美濃の国――、現在の岐阜県を治めていた斎藤氏。戦国の覇王と言われている織田 信長が桶狭間の戦いで、当時天下一の軍事力を誇る今川氏を破ったその勢いで美濃に侵攻してきた。
当時の斎藤氏の当主は龍興といい、愚昧で暴虐と悪政をほしいままにするという、おおよそ君主の器には乏しい人物であり、半兵衛のような若造に何ができると彼を色眼鏡で見ていた。主君がそんな調子であるから、家臣達も同様で半兵衛を無能視している傾向にあった。
ある日、城の櫓から半兵衛と同世代の侍達が半兵衛に向けて小便を引っ掛け、仲間と共に冷やかしたという。こんな有様なのは龍興が自分を馬鹿にしているからであった。半兵衛はこの由々しき事態を改善すべく、とんでもない計略を実行に移す。
半兵衛には久作という弟がおり、龍興の居城である稲葉山城で人質として生活していた。ある時、久作が病に伏せて寝込んだために見舞うという口実で十六人のお供と登城。その後、広間に通されると案内した者を斬りつけ、他にも立ち向かって来た連中をことごとく斬殺。
騒ぎを知った龍興はすぐに立ち向かおうとするが、近隣の家臣達が半兵衛一人の策略ではないはず、ここは自分達に任せるように言う。この者達は勇んで半兵衛に立ち向かっていったが、先手を取った半兵衛の配下によってあえなく斬られてしまう。
そして半兵衛の配下の一人が鐘を鳴らすと、城下の要所を固めていた半兵衛の義理の父が二千の兵で押し寄せ、龍興に城を出るように勧告。こうして、半兵衛は城を乗っ取ったのである。
ちなみに稲葉山城は難攻不落の名城として知られているが、歴史上七回の落城に遭っている。山頂部の平坦面は少なく、井戸も雨水を蓄えるもので、戦国末期の大人数による長期篭城戦には本質的にあまり適してはいなかった。しかし、どんなに小規模な城であっても、十数名という少人数で落とせる城など存在しない。半兵衛の稲葉山城奪取の手口は、不落城など存在しないということを知らしめる末恐ろしいものであり、攻城戦の歴史を塗り替えるほどであった。
また、半兵衛は稲葉山城を自分のものとせず、そっくりそのまま龍興に返却したという。半兵衛が城を奪取したのは、己が欲望のためではなく『油断するとこういう目に遭う』というように、龍興に対する諫言の意味であったのだ。この後、半兵衛は主君に刃を向けたという理由で、美濃と近江の国境にある栗原山に隠居してしまう。
この時より半兵衛の雷名が近隣諸国に響き渡る結果となり、後の天下人となる豊臣 秀吉が半兵衛の器に惚れ込み、配下に加えようと何度も半兵衛の元を尋ねたのだ。
また、半兵衛が秀吉の下に就いて祖国美濃を去った五年後、織田 信長によって龍興は皮肉にも稲葉山城を追われ、ここに美濃斎藤氏は滅んでしまった。
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