第16回 頼れる親父さん・ガンファ
「お見苦しいところをお見せしましたわ。私の父、ゼーモン・インフェリスでございます」
本当に涼夏の父親だろうか? ともすれば彼女は母親のDNAを多く、いやほとんどを受け継いでいるのだろう。
「廊下を歩いている時から思っていたけど、領民のことを何も考えていないようだね。あれだけの骨董品を調達したり、製造するのにどれだけ領民から搾取してるか分かってるのかな?」
龍星は涼夏に案内され、彼女の部屋にいた。割とこじんまりとした感じがする部屋である。ベッドに机、本棚にいくつかのぬいぐるみと、年頃の少女の家財道具が揃っているが、どれも木造の一般家具のそれであった。ゼーモンと違って倹約する気持ちがあるのだろう、質素を旨としている生活環境であった。
「久々に里帰りしたと思ったら、いきなり一揆の鎮圧とは……。お父様は相変わらずですわ」
ゼーモンが少しはまともな人格者になっているという期待を裏切られたことによるのだろうか。涼夏はベッドに寝転がると溜め息混じりに呟いた。
「大河ドラマや歴史小説で知ってるけど、ああいうのを俗にいう暴君っていうんだろ? 実の父に対してこんなことを言うのは失礼だけどさ」
そうは言ったものの、特に遠慮はしていない。ゼーモンの圧政はもとい、涼夏に対して男遊びに夢中、などという言葉かけがどうしても許せなかった。
「別に構いませんわ。実際、わたくしもあの方の娘でいることが嫌になったことは、これまでに何回もありましたもの。誰だって嫌ではないですか? あのような者が肉親では……」
確かにその通りである。あの調子ではおそらく領民はおろか、家臣の諫言にもまったく耳を貸してはいないだろう。龍星はふと父の姿を思い出した。父もゼーモンと同様で、やたらと独裁者ぶるところがあり、これまでにも横暴に近いことをされた覚えが随分あった。幼稚園の頃に作った思い出の品々を目の前で燃やされたことをはじめ、筋違いなことをされたことが多々あった。そして、そのことについて抗議しても、「うるせえ! 俺に文句つける気か!」などといってまるで取り合ってくれない。だから、龍星は父を敬遠していたし、父に対しては育ててくれたことへの感謝はあっても、敬意を払う理由がまったくなかった。
「でも、こういう時に祖国へ涼夏が戻ったことは、とても大きな意味があると思うな」
「……? どういう意味でしょう?」
「祖国が荒れ果てている状態なわけだろ? そんな時に国の今後を担う涼夏が戻ったってことは、この国を立て直す兆しが見えたってことじゃないか。さっき、家臣達が『この国も救われる!』って言ってたのはまさにそこを言っているわけだろう?」
「まあ、そうですわね。……って、龍星様、何をされているのです?」
龍星は涼夏のクマのぬいぐるみをいじくり回している。
「いやあ、涼夏のような奴がこんな可愛いぬいぐるみに興味があったなんて意外だからさ」
その言葉を聞いた涼夏はムッとした顔になる。
「ヒドイですわ! わたくしだって女なんですからね!」
などと言って風を斬る勢いで空手チョップを繰り出してきた。胸元にクリーンヒットし、龍星は背中から後ろにつんのめってしまった。
「……ってて、本当のことじゃないか……、入学早々、武道部全体に殴り込みを仕掛けるような奴が、こんな少女趣味があるなんて誰でも意外だと思うだろ?」
などと言ってはいるが、本心は涼夏をおちょくってみようと思う、いたずら心であった。
「ムゥ……、だからってそんな言い方……、あんまりですわ!」
涼夏は口を尖らせ、あさっての方を向いた。そのツンとした表情が、いつも見る清楚で可憐なそれとはまた対照的な可愛さを感じさせた。
「クマさん、クマさん。あなたの御主人様はこんなにもおっかない顔をしてますよ~」
龍星がクマのぬいぐるみの手を動かす。そして腹話術のように甲高い声を出した。
「プー、プー。ソンナコワイゴシュジンサマハイヤダプー」
その仕草が可愛いと思えたのだろう、涼夏がポカンとした顔でぬいぐるみを見やった。
「クマさん、クマさん。どんな御主人様が好きですか~」
「プー、プー。イツモノヨウニワラッテイルゴシュジンサマガイイプー」
涼夏はすっかり見とれているようで、唖然とした表情だ。
「ほらほら、いつものように笑っている涼夏がいいんだよ」
「え、は、はい……」
そういいながら涼夏の頬が赤面しているのに気づいた。
「おやぁ、照れてるのかな~?」
龍星はからかい半分に、語調を上げた。
「ち、違いますわよ! と、いうよりそれ返して下さいませ!」
と、涼夏が手を伸ばしてくるが、その途端シーツの端に彼女の手が引っかかり、前につんのめってしまった。そのままの勢いでベッドから転げ落ちる。
「うわっ!」
龍星はとっさに涼夏を受け止めた。その拍子にぬいぐるみが手元から離れて床に転がる。涼夏を抱きかかえており、彼女を見下ろす形である。息がかかるくらいに密着していた。
途端に浜辺での出来事が思い出される。今度は龍星が真っ赤になった。そして――、
「あ、あの龍星様……、手が……」
「え、うわっ!」
左手に何か柔らかな感触が伝わっていたが、涼夏の胸に手を置いていたのだ。慌てて龍星は手を引っ込める。涼夏が赤面して、上目遣いに自分を見つめていた。
「もう、龍星様ったら……」
赤面した頬、円らな瞳、間近で見ると桜色の唇。涼夏、第二の美しさである。
(か、可愛い……)
いつも毅然としている涼夏も綺麗であるが、年頃の少女としてのあどけなさも、また可愛い。思わず彼女の眼差しを見つめていると、おもむろにドアがノックされた。
その音で我に返った龍星、涼夏も慌てて離れる。
「メルフィ、いるかぁ?」
がっしりとした体格に、逞しいあごヒゲを生やした男が入ってきた。年の頃は四十ほどだろうか、見た目からして貫禄が滲み出ている。
「ガンファ様!」
涼夏の表情がパッと明るくなる。
「いや、お前が戻ってきたという話を聞いてな。久しぶりだなー、元気にしてたか?」
竹を割ったような性格なのだろう。一点の曇りもないような、澄んだ目をしている。
「ええ、ガンファ様もお変わりないようで、何よりですわ。そうだ、ガンファ様、こちらが私の連れの汐崎 龍星様でございます。実は陸で……」
「初めまして汐崎 龍星です」
「ああ、どうもどうも。メルフィの教育係のガンファです」
龍星は頭をペコリと下げた。涼夏と出会ったことで人見知りがいくらか良くなったのだろう。自然と挨拶ができるようになっている。
涼夏は自分の正体を龍星に知られたこと。そして、龍星の戦国史の知識は相当なもので、きっと自分の力になってくれることを話した。
「はっはっは、いい面構えしてるじゃないか。これで跡継ぎに対する心配はなくなったな」
「なっ……! あ、跡継ぎ?」
龍星と涼夏は同時に真っ赤になった。この部屋に入って赤面するのは一体、何度目だろう?
「ガ、ガンファ様!」
涼夏が肘でガンファの胸板を小突いた。
「後継者が戻って来たと思ったら、世継ぎをつくるための存在まで連れてくるたぁな。いやはや、大した器になってくれたみてぇだ! 教育係として、これほど嬉しいことはねぇよ!」
「も、もう……、ガンファ様……、からかわないで下さい」
龍星は照れ隠しのために頬をかいた。まともに涼夏を見ることができない。
「まあ、冗談はさておき、ひとまず評定の間に来いや。家臣達一同がお待ちかねだぞ」
「そうですわね。行きましょう、龍星様」
ガンファに促され、龍星は涼夏と共に評定の間に向かった。
竹中 半兵衛と肩を並べるほどといわれている、権謀術策にとても長けている毛利 元就。元就が主人公の大河ドラマで見たことであるが、評定の間といえばその家の当主と共に、大掛かりな軍議が開かれる、城の中で最も大きな場所である。
涼夏の連れであるが涼夏の傍ら、要するに家臣一同を見渡す場所に座ることになるだろう。元就が座った君主の椅子と同じ場所に腰掛ける……。そう考えると今から緊張感に包まれた。




