第14回 涼夏の祖国・海底世界インフェリス王国
海に入る際の水を叩く音がし、水中に飛び込んだと実感。しかし、どういうわけかまったく息苦しくない。どうやら本当に水中呼吸ができているようだ。
涼夏は片手で自分を抱き、もう片方の手で水をかいていた。かなりの速さで進んでいるようで、すれ違う生物が線のようにも見える。
「……」
涼夏の豊かな胸が顔に張り付いている。龍星は罪悪感に駆られ目を閉じた。見なければさほど意識しなくて済むだろう。しかし、頬に張り付く柔らかな感触だけはどうしようもなく、再び顔が真っ赤になる。
そうした状態で何時間が経過しただろうか、突如眩い光を感じた。その光が収まった後、龍星の目に新たな世界が飛び込んできた。
「着きましたわ」
涼夏は自分を地面に降ろし、元の姿に戻った。
「ここが……、海底の国?」
周りを見回し龍星は呟いた。小さな魚達が群れを成して飛んでいる、いや泳いでいるという方が適切だろう。また、自分達が降り立った場所は街外れなようで、周囲には人の気配は感じられなく、閑散としている。
「ええ、そしてわたくしの故郷のインフェリス王国ですわ。あちらに見えますのが、わたくしの居城と、その城下町です。さあ、行きましょうか。ちなみにわたくしの本名はメルフィ・インフェリスと申します。まあ、龍星様は涼夏と呼んで頂いて構いませんわ」
涼夏の指さす方には城壁で囲まれた街が見える。
「メルフィって言うんだ、まあでも、涼夏の方が呼びやすいね」
「まあ、名前のことはいいとして。龍星様はピンと来ないかもしれませんけれど、ここは確かに海底なのです。一般の常識では海底は真っ暗で陽の光も届かない世界と思われているようですが、ここでは陸上のモラルは通じませんので、そのことをお忘れなきようお願い致しますわ」
「あ、ああ……」
自分達の常識がまったく通じない世界に来たのだ。今はとにかく、ここの住民である涼夏の言葉に従うしかないだろう。
「この国では海流が陸上の気候に取って代わるものなのです。海流が穏やかな国は土地も肥沃になり、作物も豊富に取れます。この海流が内政において大きな影響力を持っているのです」
「そうなんだ……」
涼夏に海底世界の説明を受けながら、門まで来たが、門番のような見張りは立っていない。どうやら、自由に入っていいようだ。職務質問のようなことをされないなら好都合である。
「こちらがわたくしの街ですわ」
「わあ……」
龍星は思わず周囲に見取れてしまった。市場のような食品を扱っている店はよく見るが、他は陸上ではお目にかかれないものばかりであった。
どこから見ても本物としか思えない、大小それぞれの刀身がキラリと光る剣を何本も置いている武器屋。鋼鉄製の兜や鎧、そして金メッキが施されている盾を置いている防具屋。そして、戦に出向くための兵士を育てる養成場もあり、中から気合の入った声が聞こえてくる。
龍星はようやく完全なる異世界に来たと実感が沸いた。
「ふふっ、そんなに珍しいですか龍星様」
幼児が母に連れられて初めて散歩に出た時のように、龍星は好奇心に満ち溢れた目をしている。その様子が涼夏には微笑ましく見えたのだろう。
「ああ、こういうのって本やゲームの中だけと思ってたからさ。まさか実際にお目にかかれる日が来るなんて……」
ファンタジーに憧れる年頃にとって、本物を目にするというのは非常に感動的だった。
「なあ、涼夏……」
涼夏に話しかけた龍星は、彼女が悲痛な表情をしているのに気づいた。それは今まで見たことがない、悲しみに暮れている感じであった。
「龍星様……」
周囲の様子を見ろ、というように涼夏は辺りを見渡す。彼女に倣って龍星も周囲を見回した。
「………………んっ?」
表通りは武器防具屋に兵士の訓練場、喫茶店などから、それなりに声が聞こえるが、奥を見ると乞食のように人が横たわっている。それも一人や二人ではない。ホームレスのような連中が海底にもいるのだろうか? それにしては数が多い。ざっと見渡すだけでも十数人近くいる。
「変わりましたわ、この国も……」
街中の様子を嘆くように、涼夏は呟いた。これだけの浮浪者を出しているということは、政治を執っている者が、何の救済措置も出していないということの裏返しであろう。どうやら賑やかなのは表通りだけで、わずかでも奥に入るとかなり危険な目に遭うようだ。
「母から近くの農村で一揆の動きがあると聞かされましたが、この様子では明らかに内政を怠っていますわね。これでは民百姓から不満が上がるのも無理ないですわ」
涼夏はいつになく真剣な表情で、歩調もペースが上がっている。置いて行かれないよう、慌てて龍星は彼女の後を追った。