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第12回 荒み切った海底世界・我が祖国

「一年D組、皇 涼夏さん。一年D組、皇 涼夏さん。理事長先生がお呼びです。至急、理事長室までお越し下さい」

 翌日の昼休み、生徒達が昼食を取っていると校内放送が鳴った。校内放送という誰もが驚くもので涼夏の名前が出たため、思わずビクリとした龍星。おそるおそる涼夏の方に目をやる。涼夏はお茶を一口飲み、ハンカチで口を拭うと教室を出て行った。その仕草はいつものように清楚で落ち着いており、特にいつもと変わった様子はない。呼ばれたのは彼女なのに、彼女の名前を聞くだけで妙に意識してしまうという自分自身が、情けなく思えてきた。


「理事長室」。大半の学生はここに来ると緊張するものであろう。茶色のドアは教室のように横開きのものではなく、押して開けるものである。ドアのシステムからして他とは違うのだ。しかし、涼夏はドアの前に立つと、深呼吸といったように心の準備をするわけでもなく、ドアをノックした。木製のドアがコンコンと軽快な音を立てる。

「どうぞ」

 中からおっとりと、それでいて貫禄に満ち溢れた声がする。反応があったのを確認して、涼夏はドアを開けた。「いかがされましたか、お母様?」

 後ろ手にドアを閉め、涼夏は場慣れした口調でそう尋ねた。彼女が理事長室に入る際、まったく緊張せず手馴れた感じにドアをノックしたのはこのためである。

「そう畏まらなくてもいいわよ。二人だけの時くらいもっと楽になさってちょうだい。実母に向かってそんな他人行儀になるもんじゃないわよ」

 海雲学園理事長もとい涼夏の母――、涼杏(りょうあん)は涼夏と同じく、腰まで届く長い髪を柔らかく、それでいて自然に垂れ流している。ただ一つ違うのは、少々茶色がかかっていることであった。染めているのではなく、生まれつき純粋な茶色というように、こちらも自然な感じがする。

 理事長の貫禄を示し、真夏の入道雲を思わせる白のスーツ。そして、母性本能が溢れる黒の瞳と、シミや曲がりのない艶やかな肌が完璧なる大人の美しさを誇っていた。そしてキラリと光る薬指にはめられた指輪がまた、涼杏の魅力を絶対的なものにしている。

 美しさにより見た目からも若さが感じられた。年頃の少女を持つ母親なら大体四十歳前後であるが、涼杏の場合は三十代そこそこだと言われても疑う者はいないだろう。

「何を仰います。私をこのように育てて下さったのはお母様でしょう。ご自分の躾を否定なさってしまわれるのですか?」

 涼夏はただ単に目上の者に対する言葉遣いだけではなく、涼杏に対して本気で敬意を払っていた。決して他人行儀というわけではない。

「ふふっ、そうだったわね。さて、前置きはこのくらいにして、これを見てくれる?」

 涼杏は傍らにかかっている白い布を取り払った。畳一枚ほどもある大きな鏡がかかっている。人間よりも大きなその鏡は普通の鏡とは違い、全てを飲み込むかのような威圧感があった。

 涼杏は指をパチンと鳴らした。瞬間、鏡がモニターのように切り替わり、どこかの映像が映し出される。

「え……? これって……、もしかして……?」

 涼夏はその光景に見覚えがあった。何年経っても見間違えようがない。鏡に映っている様子は、自分が生まれ育った海底の祖国であったのだ。しかし、モニター越しに見るその映像は、明らかに様変わりしていた。

 自分の居城の元にある、いわゆる城下町の様子が映し出されているが、人々の表情に生気が見えず、どこか沈んだ感じが街全体に漂っている。

「街の人々の様子がおかしいですわ……」

 涼夏はいち早く人々の異変に気づいた。自分が幼少の頃、こっそり城を抜け出した時、いわば始めて一人で街の中を歩いたとき、人々の表情はもっと笑顔に溢れていたのだ。

「分かったかしら……、後ね……」

 涼杏が指を鳴らすと、小気味良い音がリモコン代わりになって、映像が切り替わる。そこは城下町からいくらか離れた農村であった。

「この村で一揆が起きそうな気配なのよ」

 涼杏の言葉が裏付けられるように、農民一人一人が武装している様子が映し出された。

「一揆って……、狙いはわたくし達の城なのですか?」

「そうみたい……ね。まったく、あの狸オヤジ……、アタシや涼夏がいないことをいいことにやりたい放題やってるみたいね……」

 涼杏の言葉からはフツフツと湧き上がる憤りが感じられた。内政を怠っている城主に対してであろう。一揆が起きるということは、それだけ政治に不行き届きがあるということだ。

「お父様……」

 涼夏の父、いわば国の王位に就いている人物のことが脳裏をよぎった。実を言うと涼夏の父があまりに好き勝手なことをやっているため、愛想を尽かした涼杏は離縁届けを出して地上に上ってきたのである。涼夏はその後、父に代わって世話役に育てられたが、どうしても母に会いたく、母と同じく祖国を捨てて自らも地上に上ったのである。そして、涼杏から涼夏という名前をもらい、地上での生活を始めたのであった。

 父は昔から贅沢三昧な日々を過ごしており、政治は家臣達が行っていた。家臣達は有能な者揃いであるため、涼夏は安心して母の元に行ったのだが、どうやら甘かったようである。

「涼夏、単刀直入に言うわ。国へ戻って、建て直しをして欲しいの」

 思いもよらない母の言葉に、涼夏は思わず目を丸くした。

「アタシは立場上学校を離れるわけにはいかないわ。だから、貴女にお願いしたいの。家臣達も武勇に優れている涼夏ならきっと受け入れてくれるはずよ。何といっても貴女は誇り高きインフェリス王国の次期王女なんだからね」

 インフェリス王国。それが涼夏の祖国の名前であった。海底という人類の未知なる世界。そこが、彼女が生まれ育った故郷の名前である。

「わたくしが……、インフェリスの命運を……」

 ムチャクチャな騒動を起こしてばかりであったが、高校生になってからというもの、ここまでの時間は非常に充実していたものがあった。人間の内面にある、ドロドロしたような醜いものを目の当たりにしてばかりの祖国での日々とは違い、自分らしくいられたのだ。

 そしてその時、傍らにいつもいてくれた龍星……。

「そう、国の未来は貴女の両肩にかかっているの。お願い、どうか国を救って!」

 涼杏の口調は穏やかであったが、その向こうには確固たる決意のようなものが感じられた。

 涼夏の腹は決まっていた。迷うことはない、今すぐにでも国へ戻り立て直しを図らなければならない。それが自分に課せられた責務である。陸に上がった後も、いつかはこうなる日が来ることを感じていたのだ。だからこそ来るべき日に備えて武道部に勝負を申し込み、常に自分自身を磨き続けることに余念がなかったのだ。

 だが、涼夏には大きな迷いがあった。龍星のことである。自分の正体を知っている彼を校内に残していくわけにはいかなかった。この前の様子からしておそらく問題ないとは思うが、それでも学校に置いたまま祖国に戻ることは、どうしても不安であった。

「お母様、実は……」

 涼夏は正直に龍星に正体を知られたことを話した。

「何ですって! それはマズいわね」

 涼杏も血の気が引いたような顔になる。正体をもし広められたりしたら、マスコミの格好の餌食になってしまう。そうなってはもう学校に在籍するどころではない。

「龍星様を海底に連行します。どんなに口止めをするより、その方が効果的ですわ!」

「大丈夫なの?」

 年頃の娘を気遣っているのだろう、涼杏が心配そうな顔をする。

「ええ、お母様は私と龍星様の休学届けの手続きをお願い致しますわ!」

「分かった、それじゃ汐崎君のことは頼んだわよ」

「分かりましたわ!」

 涼夏は急いで理事長室を出て行った。


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