第11回 暴かれた涼夏の真の姿
龍星が自らの変化を感じつつある中、季節は夏を迎えた。今は七月の初頭、学生にとって待ちに待った夏休みが間近というところであった。
夜、龍星は一人で学校近くの海岸を散歩していた。通気性の良い白のメッシュTシャツに、縦縞模様の入ったデザインイージーパンツと、今風の若者の格好であった。
空には満月が浮かび、周囲を淡い白光が照らしている。また、初夏の夜風と、波打つ音が肌と耳と心に涼しかった。
ふと、涼夏の姿が思い出される。こういう静かで穏やかな場所を涼夏と歩けたら……、そう思うと不思議と照れ臭くなって、赤面してしまった。
本当、自分は変わったとつくづく思う。今のように誰かと一緒に行動を共にしたら、などという考えはこれまでの自分からは想像もつかないことであった。
(涼夏……か)
龍星は気づいていなかった、いつの間にか彼女を名前で呼んでいることに。
夜空を見上げるといくつもの星が自分を見下ろしていた。一つ一つの輝きは違うが、どれもみんな綺麗に光っている。
涼夏は他人にどう言われようと、自らの正義を貫こうとしている。それが彼女のスタンスであり、彼女の真実なのである。彼女は彼女らしく生きている、夜空に瞬く星のように……。
『龍星様……』
夜空に涼夏の笑顔が浮かんだ。そして彼女も龍星を下の名前で呼んでいた。涼夏のこれまでの生活がどういったものかは分からない、だが、保健室で心を通わせたように、きっと分かり合えるものがあるはずだ。根拠はないが、龍星はそう感じていた。
そう考えているうちに、ちょっとした洞穴に近い岩場まで来た。夏休みに運動部などが肝試しなどで使いそうな場所である。視界が少々悪かったが、何があるのかという好奇心が勝り、龍星は奥へと足を運んでいった。海水が小川のようになって続いている。時折、水が滴り落ちる音が龍星を歓迎しているファンファーレのように、規則的な音を立てていた。
ある程度進んでみたが、特に目ぼしいものはない。RPGならばこういう場所で重要なアイテムを見つけるか、イベントが発生するものだが、さすがにそんなファンタジーな展開などがあるはずはなかった。
龍星はゲームと現実をゴチャ混ぜにしたことを苦笑する。そして、戻ろうかとしたその時、背後で波を打つけたたましい音が響き渡った。思わずビクっとする龍星。そっと振り返ると、暗がりでハッキリとは分からなかったが、壁に小さな穴が開いていた。一メートル七十センチの龍星ならば屈まなければならないが、通れない大きさではない。
龍星は一瞬怖くなり、行くのをためらったが、それよりも知的好奇心が上回った。ゴクリと生ツバを飲み込み、暗黒の穴の中へと入り込む。そこには――、
「っ!」
岩場の上に下半身が魚の女性――、人魚が座っていたのだ。水浴びの最中らしく、全身が濡れている。そして、人魚がおもむろに顔を上げる。目が合った瞬間、龍星はその場に腰を抜かしてしまった。
「りょ、涼夏!」
「龍星様!」
そう、眼前にいる異形の存在は、何と歴史研究会で同じ時間を共にし、互いに心を通わせた、あの皇 涼夏本人であったのだ。
龍星は全身が激しく震えているのが分かる。しかし、意識と視覚は明確で、涼夏の下半身に視線が自然と向けられていた。その姿はどう見ても着ぐるみのそれではない。
何百枚という鱗の集合体によって形成された尾。艶やかで美しく、それと同時に常軌を逸した存在であることを裏付けるように瑞々しさ感じさせた。そして、尾の間を滴り落ちる水滴。それらは岩の隙間から入り込む月光に照らされ、一つ一つが水晶のような光沢を発している。そして、夜風にたなびく艶やかな黒髪、水滴と同じく真珠のような輝きを誇る両眼。
元々、同世代とは思えない清楚さを醸し出している涼夏であったが、眼前の彼女の姿は普段のそれとはあまりにもかけ離れており、その神々しい姿に龍星は唖然としてしまった。
「い……、いやですわ!」
涼夏は慌てて両手で体の前を隠した。その絶対的な神秘性を誇っていた姿に釘付けであったが、涼夏は上半身が一糸まとわぬ姿であったのだ。
「うわっ! ゴメン!」
龍星も後ろを向いた。一瞬にして動揺が最大級になり、全身が震え出す。涼夏が服を着ていれば、ここまで慌てることはなかっただろう。
「どうされたのです、龍星様?」
背中に涼夏の声がかかる。人間ではない姿であっても、言語体系は変わっていないのだろう。口調はいつもの彼女と何ら代わりはなかった。
「い、いや……、ちょっと海辺を散歩していただけだよ。そしたらこの岩場を見つけて……」
「そうでしたか……」
しどろもどろな口調でそれだけ言う龍星。すぐ後ろに裸の女性がいると思うと、ビクビクしてまともな会話にならない。
「涼夏……、君は……一体?」
最大の疑問を口にする。禁断の質問であるかもしれないことに、声が震えているのが自分でもハッキリと分かった。
「見られた以上はお話ししないわけにはいきませんね。わたくしは見ての通り人魚です」
それは見た時にすでに分かっていることであったが、さすがにツッコむ気にはなれない。
涼夏の正体とあまりに現実離れした話に、ますます動揺していく龍星。自分の好きな戦国大名達ならば、湯殿を何人もの侍女と共に入っているというのに、涼夏の顔すらも見ることができない自分自身が歯がゆかった。
「わたくしは海底の国に住む王女であります。色々と事情があって住みにくくなり、母のいるこの陸上に上って来た次第でございます」
「そうなんだ……。でも、人魚って実在するんだね。おとぎ話の中だけの存在だと思ってたよ」
「ええ、実際には人類の未知なる世界がこの世にはまだまだ数多くあるのです。海底もそのうちの一つでありまして」
人類の未知なる世界……。ゲームや小説の中だけかと思っていたことが、実際に、それこそ自分のすぐ背後で起きている……。非現実なことが現実に起きているという事実に、龍星は夢でも見ているのかと、本気で思ってしまった。
「龍星様……」
涼夏が岩場から降り、元の姿に戻ったのだろう。ピタピタと足音がする。自分に近寄って来ているのだろう。真後ろから伝説の生き物が近づいて来ている……、その足音一つ一つはまさに忍び寄る未知なる者への期待と不安が醸し出す、言い知れない気配のそれに等しかった。
自分のすぐ後ろで足音が止まる。涼夏がいる……、裸の、人魚である涼夏が背後に……。足音の代わりに滴り落ちる雫が、水たまりに落ちてピチョピチョと小気味味良い音を出し、それがまた龍星の動揺を一層大きなものにしていた。
「龍星様……」
再び自分を呼ぶ声がしたと思うと、両肩に冷たいものが触れる。それは涼夏の両手であった。そして、彼女は屈んだのであろう、吐息が耳たぶにかかる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」
龍星は冷凍庫に放り込まれたような気分になった。体がいうことをきかず、壊れた時計の針のように痙攣するのみである。
涼夏が龍星の背中に体を預け、両手を前に回してきた。衣服と下着を着用していないため、シャツ越しとはいえ、龍星の背中へほぼ直に大きく柔らかな二つの膨らみの感触がする。そのまま顔を自分の肩に乗せてきた。
「龍星様……」
涼夏の声が耳ではなく、頭に直接届いたような錯覚に陥る。そして、涼夏は自分の手を握った。冷たく柔らかく、そして何より母親が幼児を抱くような包容感があった。一瞬にして、今にも気絶しそうな状態から平常に戻る。
「今日見たことは絶対に他人に言わないで下さいね」
「ああ……、分かってる」
言われなくても元よりそのつもりである。と、言うより仮に話したとしても誰も信じてくれず、逆に自分が気違い扱いされるのがオチであろう。
涼夏は龍星の左手を取ると、何と自分の右胸に押し当てた。弾力があり、しっとりとした感触が伝わってくる。瞬間、龍星は真っ赤になった、顔から湯気が出そうな勢いである。
「絶対に言ってはなりませんよ」
「あ、ああ……。約束するよ」
それだけ言うので精一杯だった。
「そ、それじゃ俺はこれで!」
龍星は強引に涼夏から手を離し、逃げるようにして岩場から出て行った。




