プロローグ
プロローグ
「この作戦はタイミングが肝心だね。マグロ軍をどのタイミングで一揆軍に突っ込ませるか? その頃合さえ間違えなければ勝てるはずだよ」
少年――、汐崎 龍星は戦局を見ながら、やや力強い声で言った。眼前には人間と多種多様な海洋生物が混ざり合って混戦状態という光景が広がっている。
「龍星様、私はそのマグロ軍と共に敵へ仕掛ければよいのですね?」
龍星の傍らにいた、言葉遣いの上品な少女――、皇 涼夏は龍星の作戦を改めて確認する。口調は清楚であるが、その言葉尻には並々ならぬ決意と覚悟が秘められていた。
おしとやかそうな少女である。長い黒髪を自然と、それでいて柔らかく背中まで垂れ流している。黒き瞳に桜色の唇と整った顔立ちをしているが、彼女の魅力を醸し出している顔の部位全てから決死の気迫を感じさせている。自分が戦の主導権を握っていることでいくらか緊張しているのだろう。表情にもいくらかピリピリした色が滲み出ている。
「ああ、ホタテ兵が敵の意識を引き付け、その隙に海流の流れを利用して一気に突っ込むんだ」
腕組みをしながら言う龍星。言葉にも指揮を取る司令官としての重みがある。
「分かりましたわ」
敵軍は足軽部隊のみで編成されている。対して、龍星の軍勢は、見た目からして強固な2枚のシールドを持つホタテ兵軍。そして、敵軍が気づいていない所で、紡錘形の体型に三日月形の尾鰭という、水の抵抗が少なく高速遊泳が可能なマグロ軍が待機している。
今は人間と海洋生物の戦いである。もっとも、海洋生物だけが戦っているのではなく、人間が海洋生物に乗っているというものであった。いうならば戦国期で言う騎馬兵の代わりである。言い換えれば騎馬兵もとい、ホタテ兵、マグロ兵といったところである。
「よし、それじゃさっそく頼むよ」
「はい!」
涼夏は笑顔で力強くうなずくとマグロ軍の元へ行った。その後ろ姿は逞しくもあり、美しくもあり、凛々しくもあった。
涼夏が移動して間もなく潜伏場所から合図が上がる。相変わらずの素早い動きに龍星は感心した。自分ではとてもああはいかないだろう。
「さて……」
涼夏を見送った後、すぐさま戦況に目を戻す。敵軍の勢いが激しさを増してゆき、龍星軍は次第に劣勢になりつつあった。
「龍星殿、このままでは……」
傍らにいた三十歳くらいの男性が心配そうに声をかけてくる。
「ご心配なく、これも作戦のうちですよ」
男性の不安を紛らわそうと横を向き微笑んだ。
相手は勢いづいてきたことによるのだろう、顔には余裕の色が見える。だが、その様子を見て龍星は逆に内心で、そうやっていられるのも今のうちだ、と毒づいていた。
涼夏が龍星のいる場を離れて数分が経過した。自分の出番が今か今かと待ち遠しがっている彼女の様子が目に浮かぶようであった。
敵兵の勢いが先ほどにも増して強まってきた。その様子を見て口元に笑みを浮かべる。
「今だ、行けぇっ、涼夏ぁっ!」
両手をメガホン代わりにし、ありたっけの声量で叫んだ。その気勢に呼応するかのように、潜んでいるマグロ軍が一斉に雄叫びを上げる。
興奮の坩堝と化している戦場を揺るがすかのような咆哮に、敵兵は元よりホタテ軍もハッとした顔を浮かべる。次の瞬間、岩場の陰に潜んでいた数百のマグロ兵が、一斉に敵軍へ向かって突撃を開始した。意表を突いた攻撃に敵兵は完全に反応が遅れたようだった。
加えて、龍星にとって神風とも言うべき海の流れ―海流の方向が突如として変わり、敵兵へ向かってなおかつ急速な勢いで流れ出したため、マグロ軍による攻撃のスピードが急速に高まったのである。この点も龍星は計算に入れていたのであった。
「はいやーーーーーーーーっ!」
涼夏の甲高く、それでいて美しくも凛々しい声が、聞こえた。兵士達が興奮する声、武器同士がぶつかり合う音。様々な音声が芋を洗うように鳴り響く中であるにも関わらず、龍星の声には彼女の声がハッキリと聞こえてきた。龍星自身、涼夏がどんな動きをするのか内心で密かに期待していたので、どれほど騒がしかろうと確実に聞き取れたのである。
「インフェリス王国・第一王女、皇 涼夏! お相手仕りますわ!」
マグロの軍勢を率いて、敵中へ勇猛果敢に突撃する涼夏。立ちはだかる眼前の敵を、持っている刀で次々と薙ぎ倒していく。その鮮やかな刀捌きは鬼神をも圧倒するであろう立ち居振る舞いであった。そして彼女の表情は恐怖や迷いといった、後ろ向きな気持ちは微塵も感じられない。遠巻きに眺めていてもハッキリと分かった。
明王のごとき強さを見せる涼夏に刺激されたのだろう、後に続くマグロに乗った兵達の表情が先ほど以上に引き締まったように見えた。
勝てる! 涼夏の動きと気迫を見て思わず拳を力強く握った。戦況の流れは完全に自分達のものになっている。このまま一気に勝負をつけたいものだ。
「その程度の腕では私の首は取れませんわよ!」
龍星の胸中にある予想は次第に膨れ上がっていき、涼夏の言葉で予想から確信に変わった。海流の勢いを利用する作戦は想像以上の効果があったようで、敵兵の数は自軍の倍以上でありながらも、後ろを振り向くような素振りを見せている者はいなかった。
「オオオーーーーーーーッ!」
更にそれまで防戦一方であったホタテ軍も勢いを盛り返したようで、防御に活用していたシールドをブーメラン状に投げつけ、一度に複数の敵兵を叩き伏せていく。
敵軍はマグロ軍に横っ腹を突かれたことによる動揺と、更に勢いを取り戻したホタテ軍の奇天烈ながらも強烈な攻撃により、完全に後手に回ってしまっていた。即席で作ったと思われる、ボロボロの布に奇妙な文様が描かれた粗末な旗が、次々と倒されていくのが見えた。
そして、一瞬ではあるが、それまでの激闘が嘘のように静まり返ったところに、涼夏の声が雷名の如く響き渡った。
「皆様! 私達の勝利でございます! 勝ち鬨を上げましょう!」
涼夏の声に自軍が喚起の声を上げる。天下を揺るがす声が大地を震え上がらせた。
「龍星様、ありがとうございます。貴方様のおかげで今回の戦は私達の勝利に終わりました」
戦が終わり、帰還した二人は涼夏の自室にいた。
「いやいや、礼を言われるほどのことじゃないよ。ちょっと知恵を貸しただけだからね」
戦が無事に終わり、龍星と涼夏は思い思いの時間を過ごしていた。
「ご謙遜を……、龍星様の知略は殊勲賞でございますよ」
涼夏が自分を見上げ、尊敬の眼差しを向ける。
「いやあ、君の無鉄砲さなら大丈夫と思ったまでだよ」
と、思ったままを言ったまでであったが、傍らで何かが不敵に光った。
「龍星様……、それは一体いかなる意味でしょうか?」
言葉遣いはいつもの清楚なそれである涼夏だったが、込められている気持ちは明らかに別のものであった。
「え、い、いやあ……、ははは……」
ちょっとからかうだけのつもりであったが、時すでに遅し。
「わたくしをそのようなヤンチャ娘だと思っていたのですね! 酷いですわ!」
言うが早いが鳩尾に強烈な衝撃を感じる。涼夏の正拳突きがおもむろに入ったのだ。ものの見事、背中からひっくり返る龍星。後悔の念と共に、地面の感触を堪能するハメになった。
(見事な一撃だなあ……)
幼少時から武芸に励み、読む書籍も武芸に関するばかりであるため、良家のご息女としての嗜みは身についているものの、それ以上に闘争本能が高く、ちょっとしたことでもすぐに今のような空手技が炸裂してしまう。一緒に行動している龍星は特に火の粉を被る立場にいるため、色々な意味で気苦労が耐えない。
それでも龍星は涼夏といることが、彼女にドツかれる以上に充実感を覚えていた。
全ての発端は今から二ヶ月前。彼らが高校に入学した直後に遡る。




