プリズナー
「BZ」--1970年代から、アメリカ軍が保持していたと言われるドラッグ兵器。
数トンで世界中を錯乱させる能力を持つ、といわれていた。
この兵器の実験台にされた兵士たちは、当時、アトミックソルジャーと呼ばれた。
生まれた時代がいけなかったんだろうか?
それとも生まれてくる国を間違えたのか?
こんな小さな山小屋の中で、死期が迫った今、そんな思いが心の中をよぎっていた。
小屋のまわりをとり囲むように、鬱蒼と生い茂った潅木の間に、手に手に銃を持った兵士たちの姿が、ちらほらと見え隠れしていた。
夜に入って兵士たちは、その潅木を切り払って焚き火を始めた。
あたりには、その煙がもうもうと立ち込めていた。
初めて“歌”というものに出会ったのは、僕がまだ十代の頃だった。
その頃のぼくは、“言葉”と言うものに妙に惹かれて、よく友達とこっそり集まっては、いろんな事を話しあったり、知っている言葉を教えあったりしていたものだった。
感情起伏制限法施行当時、言葉が好きだというだけで不良扱いされ、近所の人たちからも、なんとなく白い目で見られるのが普通だった。
俗に言う感情起伏制限法や唱歌取締法がしかれたのは、前の戦争が終わった直後のことだった。
話す事自体は禁止されてはいないのだが、今ではもう街なかでは、ほとんどの人が一言も口をきかない。
話す事が感情の起伏を引き起こすからだ。
おかげで、僕らのような言葉に興味を持つ人間は、犯罪一歩手前の、異常な堕落した人間として見られてしまうのだった。
友達と言えるものを持っている人も、もう、ほとんどないだろう。
歌を歌うことは、感情の起伏を呼び起こし、勤労意欲を妨げ、生産性の向上を阻害する、として禁止され、歌そのものが忘れさられようとしていた。
泣くこと笑うこと怒ること、その他の感情を表に出す行為は、すべて前近代的な忌むべきこととされていた。
ちょっと前までは、街なかで突然笑い出したり怒ったりして、警察にしょっぴかれる奴も随分といたらしいが、今ではめったに見ない。
人々は生得の権利を忘れ、なんのために生きているかさえわからずに、ただ誰かの為に家と仕事場を往復する毎日を強いられていた。
ある時、不良仲間(?)に誘われて近くの街に住むHさんの家に行った。
その街には外国の軍事基地があって、沢山の外人が住んでいたので、異文化に接する機会が多かった。おかげで、僕たちも白い眼で見られることもなく、まるで別天地へきたような気分だった。
時々、街なかで立ち話をしている人を見かけ、僕たちはどぎもをぬかれたりした。
Hさんの家で僕は初めて歌に出会ったのだった。
Hさんは、みんながすこしリラックスするのを見計らって、なにげなく言葉をしゃべり始め、その言葉に、だんだん抑揚がついて行って、ついにはそれが歌になった。
ぼくは、歌のもたらす感情の起伏に驚き戸惑い、強いショックをうけていた。
居合わせた友達のK君は、自分の理性と感情の起伏の折り合いがつかず、2曲目が終わる頃にはグロッキーになってうめき始め、Hさんが歌うのをやめて介抱しなければならない程だった。
(後にK君は逮捕され、遺体となって帰って来る事になる。)
僕はといえば、その日から後、その街にはあまり近付かなくなった。
それ以上、歌の世界に深入りするのが怖かったのだ。
Hさんの家の一件から、しばらくたったある日のこと、K君が訪ねて来た。
K君は「さっ最近、う歌の、れ練習をしているんだ。」と言い出した。(最初のうち僕らはこんなふうにしか話すことができなかった。以下略)
僕は妙にドキドキして落ち着かない気分になった。
K君が別の世界の人のように見えて、なぜか目を見て話す事ができなかった。
その日は、まるで追い払うようにしてK君を帰してしまったが、別れ際にK君の言った言葉が頭を離れなくなってしまった。
「歌を歌う事が、そんなに悪い事なんだろうか?感情の起伏を制限して得をするの、いったい誰なんだろう?もし歌うことに、そんなに害がないとしたら、歌を歌うかどうかは、国じゃなくて自分が決めることなんじゃないのかな?」
数日後、ぼくはおそるおそるK君に歌を習い始めていた。
僕たちは夜中にこっそり集まっては、話す練習をしたり,心ゆくまで語りあったりする様になった。
生まれてはじめて、競争や闘い以外の人との関わりを知ったような気がした。やがて、言葉に興味を持っている仲間たちが、みんな多かれ少なかれ歌を知っている事もわかって来た。
レコードというものの存在を知ったのもその頃のことだ。
友達の一人が、プレイヤーと言う電気器具を持っていて、そいつを使うと丸いレコード盤にきざまれた歌を聴く事が出来るというわけだ。
ある日、K君が東京のどこかにレコードが山のように埋もれている場所があることを聞き込んできて、僕たちはそれを探しに行くことになった。
旧都、東京は瓦礫の山だった。
ある時期から急に、寿命を過ぎた建物や手抜き工事の道路が、地震などで、次々に壊れはじめ、人々はやむなく、この都会を捨て去ったのだ。
今では、人前で怒ったり泣いたりを繰り返して、刑務所を出たり入ったりしている生粋の犯罪者か、テロリスト、自殺志願の子供たちぐらいしか、この街にはやって来ないのだった。
僕たちは、ときおりビルの崩れる不気味な音のする中、ほうぼう探し回ったあげく、とある、ビルの地下に放置されたレコードの山を発見した。
ほとんどが割れたり曲がったりして使いものにならない中で、数枚の形を留めた物を持ち帰って、早速、友人の家でこっそり針を下ろしてみたというわけだ。
息づまるような数秒が過ぎて、透き通った女の声がながれ始め、少年たちの声がそれに続いた。
まったく驚いたことに、そのレコードの中では何十人もの人々が、恐れる事もなく歌を歌っていたのだ。
―まるで天国のようだ…・
法律なんかくそくらえ…・・とめどなく涙が流れた。
そしてその時、ぼくは確信した。
遠い昔、この国の人たちにも、歌と共に生きた時代が有ったのだ!誰はばかることもなく歌い踊り泣き笑ったのだ!
―僕はこの事実を人々に伝えなければ・・・・
レコードが終わるころには、そんなふうに決心していた。
その日から僕たちは変わった。
隠れてこそこそとレコードを聴いたりするだけでなく、会う人ごとに信じるままを話してみたのだ。けれど反応はかんばしくなかった。
ほとんどの人が重く口を閉ざしたまま、まるで気違いでも見るような目つきで、逃げるように去っていった。
この国に住んでいる以上、法律は守らなければいけない。とにかく軍や警察とのトラブルはごめんだ。ちゃんと食べていけるじゃないか。贅沢は言うな!-というのが慎ましく暮らしてきた両親の反応だった。
その昔、戦いにやぶれたこの国の大人たちは、爆弾が降って来ない世界、自分や子供たちがお腹をすかせない世の中を夢見た。彼らは世界一がんばった。世界中が目をみはった。
誰ひとり責めるわけにはいかない。
歌なんか歌っていたら子供一人育てられない時代だったのだ。あたりまえの話だった。
僕たちの小さな力では、現実は少しもゆるがないように思えた。なにしろ敵は結局のところ、僕や君、人々の心の中にいるのだから・・・・
そうこうしているうちにK君が捕まった。僕たちはいつのまにか当局に眼を付けられていたのだ。
前にも書いたとうり裁判も開かれぬまま、K君は遺体となって帰ってきた。
-逃亡を謀った結果の事で、いたしかたなかった。-
と言うのが当局の言い分だったが、後にテロリストになったHさんによると、K君は警察のリンチによって殺されたのだった。
K君は死の間際まで歌を歌い続けていたと言う。
やがて僕にも逮捕され投獄される身となる時がやってきたのだった。
捕らえられて幾日目か、拘置所から刑務所へ移送される途中での出来事だ。
その灰色の大きな車には、おかしな事に、僕と年若い警察官と運転手の三人しか乗っていなかった。
夕暮れ迫る郊外の、人っ子一人いない山道に差し掛かったとき、突然車が停車したのだ。
僕は、K君の末路を思い出して血の気が引いてゆくのがわかった。
すると、その若い警官は、意を決したようにドアを開いて一言「逃げなさい!」と言ったのだ。 即座に僕は理解した。
ー逃がしておいて殺すつもりなのだ- 体は石のように硬直したままだった。
すると警官は僕の眼を覗き込むようにして言った。
「私のおじいさんは、よく歌を歌ってくれました。」
まだ、なにがなんだか分からずに居る僕に、警官は
「警察内の唱歌解禁派で、Hさんの友人です。早く!早く逃げなさい!」
次の瞬間、僕は脱兎のごとく、なつかしい母なる自然の大気の中へと駆け出していた。
その後、ぼくは廃都・東京のHさんのアジトを皮切りに、歌を愛する人たちの手引きで各地を転々とし、最後にこの山小屋にたどり着いたのだ。
けれど、ここも官憲の知るところとなった。
すでに、手に手に銃を持った兵士たちが、小屋の周りを取り囲んでいる。
彼らは、こちらが俺一人だということも把握していないらしく、そのおおげさな装備と大規模な捕獲作戦に、ただただあきれ、最後には笑うしかなかった。
夜に入って兵士たちは、あたりの木を切り払って焚き火を始めた。
炎と投光機によって小屋の周りは真昼のように明るかった。
「ただちに銃を捨てて出てきなさい!」
さっきから幾度となく拡声器が叫んでいる。
「六十秒後に一斉射撃を開始し、突入を敢行する!」
ついに最後の通達が下った。
今では俺もテロリストたちのヒーローに祀り上げられていた。
降伏してもたぶんk君のように袋叩きにあって殺されるだろう。
それなら、いっそ今ここで殺されよう。もう逃げ回るのにも疲れ果てた。
だが降伏なんかするものか。たいして悪いことなんかしちゃいねー。
最後まで誇り高く生きよう。
やっと決心が着いた。
すると、不思議なことに、心の奥底から自然に歌がわいて出て来た。
最初はつぶやくように・・・しまいには恐怖を振り払うように力のかぎり歌った。
鉄格子の中で夢にまで見るものは
覚えているだろう?そうさ
子供の頃のこと 陽だまりの小さな時間
なにひとつ 誰ひとり
君を縛れやしない
答えておくれよ
自由の空は見えるかい?
心のどこかで
いつもプリズナー
歌い終わっても俺はまだ生きていた。
あたりはしんと静まりかえっている。
おそるおそるドアを開けてみると、兵士たちは銃口を下ろして立ち尽くしていた。
その時は知るよしもなかったが、数時間前に、一トンで数億人を錯乱させると言われるドラッグ兵器「BZ」が、世界中いたるところで爆発したのだった。
ときは晩秋、あたりには兵士たちの焚いた、麻の潅木の煙が、もうもうと立ち込めていたっけ。
俺の頭の中でも、何かが、すこしずつ狂いはじめていた・・・・・・・・・
(完)