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命の森に灯る霧

 ずさっずさっ

 誰かが足を引きずって、森の中へ入ってくるのをフェイは感じた。あの二人の決戦以来、この近くを人が通るのは初めてだ。そう思いながら彼女は音のする霧の向こうを見つめて待った。

 黒い影が徐々にはっきりしてくる。音も足を引きずる音の合間に固いものを地面につく音が混じってきた。

 それは刃が大きく欠けた大剣を杖代わりに歩く満身創痍の鬼人だった。二本あった角は片方が半ばから折れ、残る片方も煤で汚れ、小さな傷がいくつもある。結い上げられていたでえあろう緋色の髪は乱れ、その端正な面差しを半分ほど隠していた。

 フェイはその鬼人の青年に歩み寄る。木の枝が絡み合ってできた足がぴしりと音を立て踏み出すと、青年は足を止めた。一瞬、青年が手負いであることを忘れさせるほどの殺気が空間を切り裂いた。フェイは思わず身を固くしたが、空気はすぐに弛緩する。

「鬼人、フラム」

 フェイがまだ緊張のために固い声で青年に呼び掛ける。ゆったりと顔を上げた青年は、自嘲の滲んだ笑みを浮かべて応じた。

「よう、精霊のお嬢さんか。はじめまして、だな」

 傷だらけで苦しげな様子とは裏腹に鬼人の青年──シュバリエ・ド・フラムは飄々として言った。

「フェイと申します。少し、お話しいたしませんか?」

「はは、そうだな。俺もちょうど話し相手を探していたところだ」

 快活に笑うと、フラムは足を引きずりながらフェイへと歩み寄った。

「随分、酷い……」

「ああ、これか?」

 フェイがフラムの怪我を見て思わず呻く。フラムは顔に苦いものを滲ませて笑った。

「馬鹿弟子の仕業だよ。俺には剣の弟子が二人いてな。その片方がえらく馬鹿に育っちまったようでさ。罰でも当たったのかねえ。それでこのザマよ」

 がっと剣を突き刺し、それに寄りかかるフラム。その額からぽたぽたと紅いものが落ちる。

 フェイが見かねて回復魔法を施そうとするが、フラムはその手を払った。

「この傷もまあ悪くない。馬鹿とはいえ、弟子の成長を見られたからな。まんざらでもないんだ」

「ですが……」

「それより」

 明らかに大丈夫ではなさそうなフラムだが、フェイを遮って言葉を次いだ。

「アミドソルから、リアンがここにいると聞いて来たんだが、知らないか?」

 その一言にフェイは凍りつく。フラムが不審そうに覗き込むと、フェイははっとして俯いた。

「お弟子さんはリアンのこと、お話にならなかったんですね」

「あの馬鹿が話すかよ」

 フラムは溜息混じりに吐き出す。渋面のまま、ただ、と続けた。

「あの阿保勇者の仲間の魔導師が、勇者の敗北は剣士との戦いだけで充分だ、とか言ってたな。要はリアンのやつ、あの馬鹿を負かしたんだろ?」

 フェイはぎゅ、と枝の手を握りしめた。静かに花色の髪を縦に揺らし、首肯した。

 フラムはその意をわかっているのかいないのか、満足げに笑う。

「それで、最期にあいつと手合わせしたかった。リアンとまともにやりあったことはなかったからな」

「えっ? あなたはリアンの剣の師だと聞いておりましたが、手合わせしたこと、なかったんですか?」

 フェイが問い返すと、フラムは再び自嘲的な笑みに戻り、遠くを見つめる。

「馬鹿の方はよくよく刃向かってきたから、その度ぎったぎたにしてやったんだが、リアンは真面目な奴だったからな。わかるだろ?」

「ああ、確かに真面目、でしたね」

 ソルとの取っ組み合い、一人での自主鍛錬。抜刀の練習で切り傷を作って、ダートでごまかしていたリアン。ぽつりと語った、心の中で唱えている師からの教え。契りを守らんと剣を振るっていた。

 思い出の一つ一つが、フェイの心を濡らしていく。

「でもまあ、結局のところは」

 悲しみに浸りかけたフェイは、フラムの声に引き戻される。彼が続けて発したのは意外な言葉だった。

「負けるのが怖かったんだよ」

 きょとん、と緋色の髪から覗く面差しを見つめる。吊り上がった口端が、微かに喜びのような色を成す。

「鬼人フラムともあろうものが、らしくもなく臆病風に吹かれたのさ。あいつは小せえ頃からあの阿保勇者と違って、剣士だったからな」

 剣士──フェイはふと、天使リーヴルを思い出す。彼はリアンをずっと剣士と呼んでいた。ダートを持つリアンを勇者ではなく剣士と。

 それと同じなのか、目の前の鬼人も、リアンを剣士と呼び、もう一人の弟子を勇者と言って、頑なに呼び方を区別している。

「リアンは、剣士ですか?」

 疑問をそのまま口にすると、フラムは柔らかく笑った。

「あいつは生粋の剣士さ。剣に己のすべてを託すことができる。ただ剣で戦うのが剣士ってわけじゃない。だからあの勇者は剣士としてリアンに勝てず、半人前のままなのさ」

 セフィロートの救世主たる勇者を捕まえて半人前とは、フラムもかなり辛辣である。しかしそれよりもフェイはある一言が心に染みていた。

 ──剣に己のすべてを託す。

 その言葉はまさしく、リアンという人物そのままを表していた。リアンの守りたいという信念に、その願いを託された剣に、フェイも森も守られてきた。そのことがとても胸に痛い。

「そう、ですね。リアンは剣士です」

「だろう? 俺は剣の師として魔王軍でも何人か見てきたが、リアン程剣士の素質を持った奴は見たことがなかった」

 そう言い、ふっと苦笑混じりの溜息をこぼすと、フラムは大剣の刃に映る己を見た。

「自慢の弟子だが……剣士として、本気になったリアンには勝てないだろうと悟っちまった。悟っちまったら、負けるのは、俺に燻る矜持が許してくれない。だから俺は、リアンと手合わせしなかったんだ」

「では、何故今は、リアンと戦いと?」

 フェイが訊くと、フラムはからからと声を立てて笑った。

「ちょっとした男心さ。弟子に引けを取るもんかって意地もあったな。あとは」

 乱れた緋色の髪から覗く目が綻んだ。

「介錯を頼みたくてな」

 フェイが苦しげに息を飲む。指先がしん、と冷える心地がした。

「あの阿保勇者に弔われるよりゃ、リアンの方がいいと思って」

 フェイが視線を落とすと、フラムの腹部に添えた手からじわりと紅が滲む。見ていられなくて再び顔を上げると、脂汗の浮かんだフラムの笑い顔と出会う。

 どこか晴れ晴れとした表情に、この人は死にに来たんだと悟った。

 途端、頬に触れる霧の雫が一気に冷たくなった。

「どうして、リアンなんですか!?」

 気づけば、フェイは叫んでいた。

「どうしていつも、リアンが全部背負わなきゃならないんですかっ? 森を守るという約束も、セフィロートを守るという使命も! 誰もかれも、リアンにばかり重い荷を負わせて……ソルも、私も」

「お嬢さん……」

「そのうえ貴方まで、リアンに背負わせるんですか? あなたの命という重い荷を、師を殺すという罪を。リアンはそんなこと、望んでないのに!!」

 フラムは返す言葉もなく、よろめきながらそっと、フェイの肩を叩こうとした。途中、その手が血まみれなのに気づいてやめたが。

「すまん。そうだったな」

 リアンはそういう奴だ、とフラムは霧を見上げて呟く。

「だからこそあいつは強いんだ。剣は生きているものの命を絶つ道具。そんな剣を生きているものを守るために振るうという矛盾にも、折れることのない信念……それこそが、リアンの持っていた本当の剣だ」

 言い切るとフラムはがくりと膝をつき、荒い息を繰り返す。フェイがはっとしてその背をさすると、フラムは苦笑気味にありがとうと言った。

「はあ。しかし、そうか、リアンのやつ、勇者に勝ったくせに」

 フラムは今一度、霧の空を見上げる。

「こんなんに、なっちまったんだな」

 霧に手を伸ばし、空を掴む。

 フェイは静かにはい、と答えた。

「この霧で、森を守り続けています」

 リアンが己の身を賭して生み出したこの霧は、回復以外の能力は効かない。故にもう魔法でもダートでも森を焼くことはできない。

「どーりで、だましにかけてた身体強化、切れてるわけだ」

 フェイから説明を受け、息苦しそうにフラムは深く息を吐き、俯いた。

「ま、あいつらしい選択だ」

 そんな呟きをこぼしながら、フラムはかちゃりと手をかけたままだった剣を引き寄せる。血まみれのもう一方の手で刃についた水滴をなぞりながら、これじゃ手合わせも頼めんな、と寂しげに微笑んだ。

「なあ、お嬢さん」

「はい」

 フラムの呼びかけに応じると、優しげな眼差しが緋色の髪から覗いていた。

「嫌じゃなけりゃ、俺を看取ってくれ」

「……はい」

「それと」

 神妙な面持ちで頷くフェイにフラムは続ける。

「見守ってくれよ。リアンが守っているこの森を」

「はい!」

 もちろん、と言うようにフェイはフラムの眼前で大きく頷く。フラムは柄にかけていた手を放し、フェイの花色をわしゃわしゃと撫でた。

 フラムの髪と同じ色の花飾りが揺れる。

「な、何するんですか?」

 フェイが慌てて花飾りを守ろうと手をやる。すまんすまん、と笑いながら謝り、フラムは言った。

「泣かないでおくれよ、お嬢さん。せっかくリアンが守ってくれたんだからさ」

 フェイは俯き、枝の手をそっと自分の頬に当てる。頬に触れた瞬間枝が消え、白い手がすっと流れる水滴に触れた。

「ちがいますよ」

 フェイは柔らかな声で告げた。

「これは、霧の雫が落ちたんです」



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