表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

水よ、祈りと降り注げ

 リアンはリーヴルの羽根を受け取り、取り込んだ自分の手を見つめる。

 感じたことのない熱の奔流が体中を駆け巡っている感覚。けれど熱すぎず、冷たいわけでもなく、むしろ心地よい。ただ、あまりなじみのない感覚に戸惑いを覚える。

 これが魔力というのだろうか。


「これはボクのとっておきだよ」

「キミに足りない魔力を分けたんだ」


 先のリーヴルの言から察するに、リーヴルの羽根に込められていたのは魔力に違いない。


「譬、命を賭したとしても、その誓いを守ってよ。それがボクの啓示であり、キミという存在に対する願いだよ」


 リーヴルの行為には意味がある。それはリーヴルの願いであり、彼の主であるセフィロートの主神の意思も少なからずあるであろう。

 ダート使いに魔力を渡すことは一見、無意味に思える。ダートは先天的な能力で、魔力も先天的に少なく、ダートの利便性もあり、魔法を使うことなどないのだ。

 しかしながら、リアンはその魔力の使い道を知っていた。おそらく、リーヴルが魔力を渡すと同時、使い方を念じておいたのだろう。──これだけの魔力があれば、きっと。

 可能性に思いを馳せ、心中でリーヴルに感謝し、目を閉じる。手は小瓶の冷たさに触れる。


 必ず、守り抜く。


 今一度、その誓いを胸に刻み付け、目を開ける。

 ざわり、と風が動いた。それと同時、傍らにいたフェイがきゅ、と腕を引く。

「リアン、森に誰かが」

「うん、きっとリヴァルだね」

 断言したリアンにフェイが目を丸くする。思わず見つめた湖水の瞳には一片の迷いもない。

「もう三人、人がいる。そのうちの一人はこないだケテル付近の森を襲った風魔法使いのリュゼって人だ。一回戦ったことがある。リヴァルの仲間だ。他の二人もそう」

「リアン、わかるの?」

 戸惑いの表情でフェイが問いかける。リアンはこくりと頷き、気配を察知した方向を見据える。

「きっと、リーヴル様に魔力をもらったから、魔力の気配がわかるようになったんだ。それに、リヴァルとはもう何度も戦っているからね」

 最後の一言には苦笑が混じった。近づいてくる闘志にリアンは柔らかく目を細める。それをフェイは不思議そうに見上げた。リアンが何故か、とても嬉しそうに見えたのだ。

「きっと彼らは森を越えた先の、マルクトにあるディーヴァの神殿を目指してる」

「目的は、それだけ?」

 順当に、勇者として辿るべき道を考えれば、リアンの言った通りである。しかし、あまり戦いとは縁のないフェイでも、闘志とともにこちらへ向けられる明確な敵意がありありと感じられた。

 リアンもフェイの言わんとするところは察していた。それでもなお、彼は微笑んでいた。

「リヴァルは絶対、僕との決着を望んでいる。だって、後ろにセフィロートを救う救わないの決着が控えているんだもの。その前に僕くらい倒せないと。リヴァルはきっと前に進めない」

「リアン、それって」

 リアンを見つめる夜空の瞳に咎めるような色が混じる。自然と、リアンの腕を握る手に力がこもる。触れているのはごつごつとした木の枝の手なのに、柔らかな温もりが、伝わってきた。

「大丈夫だよ、フェイ」

 優しいその面差しに翳った不安を払うために、リアンは言った。

「僕は死にに行くわけじゃない。リヴァルや他の人たちにこの森を傷つけさせはしないし、僕も死んだりなんかしない。死んだら闇の女神の糧になるわけだし、そんなのまっぴらごめんだ」

 リアンの微笑みは徐々に深まっていき、次第にいつもの無表情に──真顔に戻っていく。

 それに伴い、空気もいつも纏う涼やかな冷気に変わる。いや、何かいつもと違う。

「いつか帰ってくるソルのために、いつも見守ってくれるフェイ、君のために、僕は戦う」

 真摯に立ち向かう顔で。

 フェイは手リアンにそっと手を重ねると、いつもなら枝越しでも冷たいはずのリアンの手に、温もりを感じた。体温の感じられる手にフェイははっとする。

「だから、いってくるよ」

 もう一度、フェイを見たリアンは確かに微笑んで。

 直後、ばりん、と音を立てて割られた氷壁のほうを見やった。

 リアンがぱっとフェイから手を放すと、腰に下げた柄を抜き放つ。神速の剣閃は氷壁を突き破った何かを弾いた。

 リアンの放った氷の短剣に阻まれ、土に突き刺さったそれは風の魔力を帯びた属性矢だった。魔力を持っていない人間というのはダート持ちも含めていないが、潜在的な魔力量にはやはり個人差があるため、魔力が少なく、魔法が苦手な人間もいる。

 そんな人のためにあるのが属性付きの武器だ。魔力を帯びさせてあり、使用する際にその属性の効果を発揮する優れもの。飛んできたのは矢の形をした属性武器だった。かけられている属性は風のようで、突き刺さった地面から軽く風が渦を巻いて立ち上り、消えた。

 リアンが即席で作った氷の短剣がばらりと一部砕けた。即席とはいえ、こうもたやすくリアンの剣を砕ける者はそういない。ただの風の属性矢というわけではないようだ。

 リアンは油断なく、矢の飛んできた前方を見据えた。

 やがて、四つの人影が近づいてくる。

「あれ、当たってない」

 心持ち緊張感の欠けた声がした。近づいてくる四つの影のうち、弓をつがえた長身の青年のものだ。

 ゆったりとした足取りでこちらへ向かってくる。青年の両脇には深緑色のローブを纏った魔術師と背丈の小さい長い棒を持った子どもがいた。

「さすがね。私の魔法でブーストかけたのに」

 魔術師がぽつりと呟く。リアンが目を細めた。かちり、と柄を腰に戻し、氷の刃を納める。欠けた刃は消失し、短剣は元の柄のみに戻る。

 複数の敵を前に武器をしまったのには意味がある。リアンは並んだ三人を見据え、紡ぐ。

「リィエ」

 たった一言。ただそれだけだったが、冷気が三人を取り囲み、強固な氷壁が生まれる。空間が狭いためか、武器も魔法も自由が利かないらしい三人。もう一人と引き離されることを拒んでいるが、どうにもならない。弓使いの青年が背中の矢筒から矢を取り出し、矢じりで氷を砕こうとしているが、そこでもう一つの効果に気付いたらしい。

「属性が消えてる」

 おそらく先ほどと同じく属性付きの矢だったのだろう。青年の呟きに棒を持った子どもがこぼれんばかりに目を見開き、魔術師──リュゼは、やはり、と口にした。

「これは、原語魔法よ。神レベルにしか破れない」

「ええ? 神?」

 狭い空間でこの上なく縮こまる羽目になった子どもがリュゼの言葉に声を上げる。

 リアンも薄々感じてはいた。神の使徒であるリーヴルからの魔力を織り交ぜた魔法である。

 原語魔法、というのはよく知らないが、リアンの詠唱が通常と違うものであるのも自覚していた。リーヴルが魔力と共に自分に流し入れてくれた詠唱の知識は聞き慣れないものだったから。

 けれど詠唱の効果は想像以上で、言葉こそ短いが、かなり強力であることはリアン自身にもよくわかった。魔力を得たことで、魔法の纏う魔力量もなんとなく察せるようになったが、氷壁の纏う魔力は尋常じゃない。リュゼの言った「神レベルにしか解けない」というのも、あながち間違いではないのだろう。

 それは、いい。舞台は整った。

「お前はつくづく、反則的だな」

 目前に迫りつつあるもう一人から、そんな声が上がり、リアンはそちらに目をやる。双つの剣を携え、髪を紅蓮に染め上げた人物が静かに歩み寄ってくる。

「リヴァル、一人で戦う気?」

 氷壁の向こうから、青年が問いかける。リアンに焔の敵意と闘志をたたきつける、炎の勇者に。

 ゆらり、と双つ剣に炎を纏わせた勇者は決然と答える。

「みんな、ごめん。こいつとは俺一人でやらせてくれ」

 それはリアンも望むところだ。そのために魔力を織り交ぜたダートの氷壁を作り、お膳立てをしたのだから。

 だが、リアンと対したことのないうちの一人は不安げだ。

「無茶だよ!」

 子どもが声を上げる。しかしリヴァルは揺るがない。真っ直ぐ、リアンの方へ突き進む。

「無駄よ、ジェルム。ああなったリヴァルが私たちの言うこと、聞くわけないでしょう」

 リュゼが子どもを宥める。彼女とて、不安がないわけではないだろうが、この戦いは見守ることにしたらしい。

 それもそのはず、あの氷壁の中では、魔力は打ち消されるのだから。何故なら、あの氷壁にはリーヴルの力が反映されているから。魔力を行使できなければ、魔法は使えない。闇の女神のやったように物理攻撃が効かないわけではないが、見たところ、あの三人には元々強固なのを更に魔力で補強された壁を打ち砕くほどの武器はないようだ。青年の属性矢も、属性が消えればただの矢と変わらない。子どもの持つ棍も丈の長い細身のものであまり威力はなさそうだ。

「むう」

「まあ、そういうことだ」

 むくれるジェルムと呼ばれた子どもの頭をぽんぽんと叩き、青年はリヴァルを見た。

「リヴァル、負けるなよ」

「当たり前だ」

 青年にぶっきらぼうに応じると同時に、リヴァルは地を蹴り、リアンに肉迫する。

「らあっ」

 焔を纏った剣は袈裟懸けに振り下ろされる。リアンはその一撃を避け、二撃目に斬り上げられた剣を、腰から抜き放った太刀で受け止める。剣に凝縮された冷気は、迫り来る焔のあぎとを凝固させた。

「昔から、君はそうだ」

 リアンが太刀で氷と化した炎をを砕きながら、リヴァルに言い放つ。

「届かない間合いを埋めるために、ダートで間合いを伸ばそうとする」

 氷の刀身が翻る。

「間合いに頼りすぎるのも、よくないんだよ」

 斬り下ろし、斬り上げの単調な動作を繰り返しながらも流麗に、リアンはリヴァルに迫る。炎は凍らされ、リアンを捉えるに至らない。剣を動かそうにも、凍ったせいで自由に振り回せない。正に間合いに拘ったが故の自業自得。リアンの氷刃が無慈悲なまでにリヴァルを切り裂く──と思われたが。

 瞬間、リアンの太刀から刃が消え、リヴァルは意表を突かれる。その隙を突き、リアンは柄のみとなった刀を手の中で返し、リヴァルの手から剣を叩き落した。

 地に落ち行く半分凍った剣に、リアンは逆手に持ったままの柄を振り下ろす。その意図を飲み込み切れなかったリヴァルは、瞬間ほとばしった冷気が一刹那で氷の刃を──大剣の刃を生み出すのを見た。

 リアンは両手で柄を握りしめ、ずどん、とリヴァルの剣にそれを突き立てる。一見して脆そうな氷の刃は、あっさりとリヴァルの双剣の片割れを砕いた。

 一同が唖然とする。リアンの強さに信頼を抱いているフェイですら息を飲んだ。

「嘘だろ……」

 氷壁に囚われた青年が、思わずといった体で声を漏らす。他二人も目を瞠っていた。こんなにもあっさりとリヴァルの剣が砕かれるなんて──そんな思いが氷壁の中の三人にはあった。

 リヴァルは少し違う感情を抱いていた。一つは畏怖。自らの剣をやすやすと砕いたこともそうだが、リアンのダートが作り出した大剣の形、それを地面に突き立てたリアンの威風堂々とした構えが、かつて師であった鬼人フラムを彷彿とさせたからである。

 そしてその姿に対して、もう一つ沸き上がる感情があった。

「リ、アン……リアン、リアン、リアアアアアアアアアアアアンッ!!」

 それは底知れぬ怒り、憎悪とも呼べそうなほどの憤怒だった。

 片手の剣に炎を纏わせ、揺るがぬ氷色の少年に向かい振り下ろす。

 リアンは瞬時に大剣を引き抜き、焔の剣を受け止めた。燃え滾る炎が大剣を飲み込む。大剣ともども、リアンは炎に呑まれ、フェイが悲鳴を上げる。

「リアン!」

 派手に燃え上がる炎。

 しかし。

「昔、フラムが言ってたよね」

 炎の中から、静かな声が。

「剣は雄弁に、心は寡黙にって」

 ぱんっ、と炎が割れ、中からは氷の剣を携えたリアンが現れる。服はところどころ焼け焦げているが、火傷一つない。大剣からいつもの太刀へと姿を変えた刃をかちゃりと持ち直し、リヴァルに対峙する。

 刃をすべる水滴が、ぴん、と弾けた。

「それが、なんだ!?」

 フラムの名を出されたからか、渾身の炎を軽くいなされたからか、応答する程度にはリヴァルの頭は冷やされていた。

「言葉に乗せずに思いを伝えるのって難しいと思うんだけど、フラムはね、剣士なら剣で語れるはずだって言ってた」

 リアンはほろ苦い笑みを浮かべて言い放つ。

「僕は、リヴァルが剣士だって信じてるから」

 君になら届くと、信じているから──心のうちでそう付け足しながら走り出す。

 リヴァルは薙ぎ払うように振るわれた太刀を片手の剣を立てて受け止める。立て続けに、二閃、三閃、剣戟が走り、リヴァルはじりじりと圧されていく。

 心を研ぎ澄まして、静かに──不意に、リアンがそう唱えたような気がしたが、がきんがきんと刃がぶつかり合う音で、声など聞こえるはずはない。

 リアンの顔はいつも通りの無表情──いや、いつもより心持ち、穏やかに見えた。静かな風の吹き抜ける湖を思わせるような、心地よい穏やかさを漂わせて、リアンが氷の太刀を振るう。

 その表情がリヴァルのささくれだった心にじくじくと突き刺さる。

「何故……」

 知らず、リヴァルの口から呟きが零れる。

「何故、お前は、いつもいつも!」

 リヴァルが斬り上げる刃をリアンが横薙ぎで弾く。けれどリヴァルは間を置かず、リアンに剣を振り下ろす。

「いつも、俺の一歩先に立つ!? 一歩先にいるんだあああっ!?」

 リヴァルの叫びとリアンが流れるような動作で斬り上げ、リヴァルの剣と切り結ぶのは、ほぼ同時だった。

 剣から溢れ出すように炎が噴き出し、リアンの太刀を舐める。しかし、炎の熱はリアンのダートによって奪われ、その刀身を溶かすには至らない。同様に、リアン自身にも傷を与えることはない。

 変わらずのリアンの無表情が、リヴァルの神経を逆撫でする。その変化の乏しさが、余裕の表れのように感じられるのだ。

 リアンは表情が乏しく、感情が希薄に思われるが、違うのだ。リアンの本質にリヴァルは歯噛みする。

 剣は雄弁に、心は寡黙に──これは師であったシュバリエ・ド・フラムに教わった剣士の戦いの心得である。修行の中、幾度となく繰り返されたその言葉を、リヴァルもよく覚えていた。けれど、常に心に留めていたわけではない。

 リヴァルにとって、その言葉は枷としか思えなかったのだ。剣に思いを乗せる──激情のままに振るうことは容易い。けれどその中で心を鎮めることなど、リヴァルにはできない。リヴァルを戦いへと突き動かすのは、身を焦がすような怒りと憎しみなのだ。それが力となるのなら、封じる必要がどこにある? ──だからリヴァルは叫ぶのだ。

 憤怒を、憎悪を、ありのままの感情を焔の剣で叩きつける。それがリヴァルの在り方だった。

 対するリアンはどうだろうか。幼い頃、同門の徒であった頃から、袂を分かち、今に至るまで。幾度も剣を交えてきた彼は。ともにゲブラーで研鑽を積んでいた時代、心を殺しすぎだ、剣に何も宿っていない、と師に言われていたリアン。ゲブラーにいる間、彼の剣はただ強く、しかしそこにあるべき信念が欠落していた。

 それが今はどうだ? この森に来てからのリアンは、リヴァルの知る限り、負けを知らない。ゲブラーでは互角だったはずのリアンはいつも、リヴァルの傷を最小限に、そして森の犠牲も少なく留め、彼は誰にも手を下さずに戦う。


 氷で研ぎ澄まされた太刀は、圧倒的な力で、森に害なすものを追い払うだけなのだ。

 僕は、この森に恩があるから──魔物の存在をも守ろうとする彼がいつも口にする答えだ。本来なら味方であるはずのリヴァルにそう答えたリアンの剣は、鋭さを増し、効率的に、しかし誰も傷つけない、ある意味無敵の刃となっていくような気がした。

 身をもってリアンの増していく強さを体感するリヴァルは、そこに壁を感じた。

 透明で、分厚くて、とても壊せそうにない、乗り越えられない壁が、二人の間には存在した。

 無表情の中に、決して折れない信念がある。剣を交えるたび、その志は強固になり、彼の太刀となっているのなら……

 剣に思いを乗せて戦い、心を鎮めて、平静に技を放つリアンは、師の言葉を一言一句たがわず覚えている。そしてそれを実行している。

 それがリヴァルとの決定的な差。

 それでも──ぎり、と両手に持ち替えた刃をリアンに押し込み、リヴァルは思う。

 それでも、俺はこいつに負けたくない!!

「負ける、もんかっ」

 リヴァルは唸り、剣を更に押し込むが、リアンも負けじと押し返し、湖水色の瞳で決然と炎の刃を押し返す。

「僕も、負けない」

 リアンの瞳には、強い意志があった。その確固たる意志に氷色の焔が、双眸に宿る。

 リアンは、たくさんの守るべきものと守りたいものを、この森で見つけたのだ。

 だから、譬──


 命を賭したとしても。


 建前などではないその思いが乗せられた剣が、リヴァルの刃を押し返す。

 純粋なその思いにリヴァルの剣は払われ、リヴァル自身も弾かれる。たたらを踏んで数歩退き、リヴァルは目の前に佇む剣士を見据えた。


 リアンはそう、紛れもなく、剣士だった。


 リアンはリヴァルを追い、一歩踏み込み太刀を突き出す。リヴァルの喉めがけて。

 リヴァルの体は自身の危機に反射的に動き、また一歩、さがる。リアンはさらにそれを追い、突きを繰り出す。その繰り返し。

 幾度か繰り返しが続き、リヴァルはやがて、大樹の幹にぶつかった。

 突きが来るなら、横に避ければ大丈夫。リヴァルはそう判断し、横に一つ跳ぶが、直後、腹部に衝撃が起こる。リヴァルの跳んだ方向から太刀が向かってきたのだ。

 動きを読まれた、とリヴァルは腹部を押さえ、咳き込みながら思う。幸い峰打ちだったため、目立って傷はない。

 リヴァルは剣を構え直し、リアンと相対する。相変わらず、リアンの眼差しは静かだ。

 リヴァルは剣に炎を纏わせ、リアンに斬りかかる。リアンは紙一重でひらりと躱し、リヴァルを太刀の峰で薙ぐ。リヴァルはその衝撃を腕でいくらか緩和し、飛び退く。

 リアンはそこから斬り上げ、一歩踏み込む。リヴァルの服が裂け、傷口から血が流れだすが、浅い。リヴァルはそのまま後退するが、またしても幹に背がぶつかる。すでにリアンが突きを繰り出していた。剣を振り上げて弾くしか、その凶刃を防ぐ術はない。

 リヴァルがほぼ反射で剣を振り上げ対応したが、剣のぶつかり合う音が、手に来るはずの衝撃が、ない。

 リヴァルがその違和感に気づいた時にはもう、終幕は完成していた。

「リアン!」

 涙混じりの少女の声が谺する。その声でリヴァルと、氷壁に囚われていた三人が現状に気づく。


 柄のみの剣を振り上げ、焔色の剣に貫かれている剣士が、そこにいた。


「終わりだよ、リヴァル」

 剣士が柔らかな声音で紡ぐ。その声にリヴァルは相対する少年の顔を見た。

 穏やかな湖水色の瞳と焔色の乾いた眼差しが交錯した瞬間、剣士が振り下ろした柄が、勇者の剣を握る手に叩きつけられる。

 リヴァルは思わず手を放してしまい、その隙をついて、リアンがとん、と肩を押して距離を取った。

「お、い……」

 信じられない光景にリヴァルは上手く声が出ない。ただ戸惑いの表情を向けるだけ。

 リアンはそれに少し微笑んで言った。

「リヴァル、これ以上、誰も殺さないで。命を、殺さないで──どうか、僕で終わりにして」

 ぴきぴきと音を立てて、リアンに刺さったリヴァルの剣が凍りついていく。いつの間にか柄のみだった太刀にも氷の刀身ができ、リアンはそれを地面に突き刺した。

 リアンの周囲を白い靄のような冷気が漂う。リヴァルがこれまで幾度となく見てきた冷気だったが、何か様子が違った。

 ぴきぴきぴきっ。

「リアン?」

 人の奏でるはずのない音に、フェイが不審げな声を上げ、駆け寄ろうとするが、リアンはそれを手で制する。上げられた手を見て、一同がはっとする。──その手は凍り始めていたのだ。

「アミ・ド・ソル」

 凛とした声が響く。

 その足を見れば、温かみのある土色の上で白く凍っていた。

「フェー・ド・アルブル」

 胸を貫く剣に切り裂かれた布の合間から、小瓶と赤い花が覗く。リアンの全身は徐々に凍りついていくが、小瓶と花だけはそのままの姿であった。

「ギャーシュ、レスポンサービリティ・アン・タン・クー・アミ・ド・エテルネル」

 事態を呆然と見ていたリュゼがはっと息を飲む。

 その変化に気づいたジェルムが不思議そうに彼女を見上げた。

「どうしたの? リュゼ」

「……これは、詠唱よ」

「え? どういうこと? あの子はダート使いなんでしょ? なんで魔法の詠唱なんて」

「わからないわ」

 リュゼは眉をひそめ、胸元できゅ、と手を握りしめた。

「けれど、彼のはただの魔法じゃない。原語魔法──セフィロートの神が人に最初にもたらした原初の言葉による詠唱よ」

「原語魔法? じゃあ、この壁と同じ──」

 ジェルムが氷壁に触れようとしたその時、氷がびきびきとひび割れ、粉々になる。

 リアンを見やれば、刺さっていたリヴァルの剣も同様に砕け、リアン自身も足の先から消え始めていた。

「リアン・ド・エペイスト」

 そう紡ぐと、リアンはその場に崩れ落ちる。フェイが名を叫びながら、地につく前にその体を抱きとめた。

 その様子を静かに見やり、青年がリュゼに問う。

「それで、彼はなんて詠唱していたんだ?」

 リュゼは砕けた氷が霧へと変わっていくのを見つめながら答えた。

「土の友よ、木の精霊よ。誓おう、永劫の友として、剣士の絆としての盟約を」

 ふわりと風がそよぎ、霧をはらんで吹き抜ける。白く優しいそれらは森の彼方へと広がっていくようだった。

 大樹の側で立ち尽くす少年に三人の仲間が歩み寄る。行きましょう、と苦しげにリュゼが手を取って、四人は去っていった。

 四つの人影が霧の向こうに消えるころには、リアンの体はほとんど消えかかっていた。両腕は肩口まで、足は腰のあたりまで霧へと変わっていた。

「フェイ、ごめんね」

 湖水色の瞳がフェイの夜空を見上げると、彼女が顔を歪める。もう、そこに浮かぶ涙を拭うこともできない。それがとてももどかしくて、痛かったけれど、リアンは微笑んだ。

「でも、僕はずっとここにいる。ここで森を、君を──永遠に、守るから……」

「うん」

 その言葉に、フェイも笑った。

 腕の中からすり抜けていく温もりを感じながらも、懸命に笑った。

「うん……」

 もう一度頷くと、腕の中から完全に彼は消えた。

 ぽとり、と何か固いものが落ちたのに気づき、滲む視界の中、それを拾う。

 土塊が一欠入った小瓶と、それを首から下げるための麻紐にくくられた赤い花。

 それを抱きしめ、フェイは呟く。

「ありがとう、リアン──」

 彼女の頬を伝う一筋の雨滴を、柔らかい涼風が凪いでいった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ