日常・3
そんな平穏で平凡な時間を過ごしていたら、あまり聞きなれてはいない声が俺を呼んだ。
若い男性の声だ。
「あっと。君は煌太君?」
「…えっと誰でしたっけ?」
声した方を向いて呼びかけてきた男性の姿を見たが、誰なのかピンと来ない。
声をかけてくる以上は、面識があるのは間違いないはずだ。
その男性はかなり短い黒髪で、いかにもスポーツしてるという体格の男性だ。
細めな体型に見えるが、それは筋肉よって引き締まっているものだと一目で分かった。
でもそんな体型に反して、黒縁のメガネをかけているのが印象に残る人だった。
けれど俺には誰か分かっていない。
俺はまじまじと顔を見つめていても誰なのか察してないと相手は気づいたようで、勝手に簡単な自己紹介をしてくれた。
「君のお兄さんの友達だよ。そんなに君とは接点ないから分からなかったかもね。僕はけっこう人の顔とか覚えやすいとこもあるし」
「あぁ、そうでしたか、兄の………」
「一応自己紹介しておくよ。僕は翔だ。字は飛翔の翔、よくある名前だから名前は覚えやすいかもね。で、彼女は恋人さん?もしかしてデート中だったのかな?」
優羽のことを恋人を言われて、思わず噴き出しそうになる。
こいつが恋人だったら俺が過労死でもしそうだ。
それほどに優羽の元気の良さには俺とは対照的だ。
「違いますよ。ただの友達です。それに今も他の友達たちと遊びに来てるだけでしたから」
「そうなんだ、それは妙なこと言っちゃったね。ごめんごめん、ところで君のお兄さん…。まだあの屋敷から帰ってきたりしてないんだよね?」
「…え?屋敷?」
初耳だ。
屋敷ってのは何のことか、さっぱりなほどに知らない情報だ。
屋敷から帰って来てないとはどういうことなんだ。
単純に俺の兄はどこかの屋敷とやらに行っていた、ってことになるんだよな。
「すみません、屋敷って何のことですか?」
俺がそう訊くと、俺の兄の友人である翔は少しきょとんとしてしまった。
どうやらてっきり知っていたのだと思っていたみたいだ。
でも生憎にも俺は知らない。
兄が行方不明になる直前に何していたのかすら、どこに向かっていたのかすら把握していなかった。
「お兄さんから何も聞いてないのかい?」
「………兄とは、そんなよく話す仲ではなかったもので」
俺がそう言うと翔は察したように気まずそうな表情を一瞬だけ見せて、そっか、とだけ呟いた。
身内関係の話だから、下手な反応はできないといったところだろう。
俺は別になんと言われても気にはしないが、気を遣われては茶化した言い方はできない。
ただ、このままだと沈黙になりかねないので、俺は続けて翔に兄のことを訊くようにした。
「それで屋敷っていうのは…」
「あ、あぁ、そうだね。失踪する前、君のお兄さんは屋敷に探検だか肝試しだったかに行ったんだよ。それに僕も誘われていてね、予定が合わずにドタキャンしてしまったけれど、君のお兄さんは行ったのは間違いないだろうね」
その話が本当なら、兄がその屋敷とやらに行ったのは間違いないだろう。
屋敷へ行って行方不明とはきな臭いような話かもしれないが、屋敷でじゃなく道中で事故か何かあったのかもしれない。
でないと連絡無いまま消息が途絶えるなんて普通は考えられない。
どちらにしろ確かめないといけない。
「その屋敷の場所は分かりますか?教えてくれるだけでいいです、お願いします」
「場所は分かるよ。ドタキャンさえしなければ僕一人で車で行くつもりだったからね。何ならそこまで運転してあげるよ」
「え、そんな…そこまでしてくれるんですか?」
ずいぶんと気前の良い人だ。
でも確かに屋敷まで離れているなら、運転でもしてくれないと辿り着くことすら不可能だ。
翔はにっこりと笑って快く了承してくれた。
「煌太君のお兄さんが行方不明なんだ。お兄さんは僕の友達でもあるのだから、それぐらいは当たり前さ。それに実はというと、僕一人でも行って確認するつもりだったからね」
「助かります。……翔さん、ありがとうございます!」
俺は声を大きくして、感謝の言葉を発しながら頭を下げた。
すると近くにいた優羽がぬいぐるみを抱えながら俺に声をかけてきた。
手にある荷物と笑顔を見る限り、無事に景品を手に入れていたみたいだ。
「あれぇ?どうしたの煌太?…っと、この人は誰?」
優羽に訊かれたのは俺だが、俺が答える前に翔が先に質問に答えてしまう。
優羽のような無邪気な笑顔じゃなくて、人の好い笑顔を絶やさずにしながら翔は軽く会釈した。
「初めまして、僕は煌太君のお兄さんの知り合いの翔って言うんだ。よろしくね」
「は、初めまして!私、優羽って言います!未熟ながらも煌太の幼なじみ…じゃなくて世話係をしています!えっと、よろしくお願いします翔さん!」
優羽は照れた様子で遅れて会釈を返しながら自己紹介をした。
しかし何をこいつはさらっと嘘を吐いているんだ。
もしかして優羽は、俺の知らぬ所でもいつもこんなことばかり言っているのか。
だとしたら余計に優羽から目が離せなくなってしまう。
すでにあらぬ誤解が生まれていそうではあるけど。
「そういえば見てみて煌太!無事に一回で取れたよ景品!やっぱり私って才能あるよね!これで食べていけるかも!」
俺はチラッとUFOキャッチャーの台を見てみると、残り回数が2回と表示されていた。
いつのまにそんなにミスをしていたのか。
突っ込みたいところだが、俺はあえて回数は見なかったことにして適当に褒めてあげた。
「さすがだな優羽は。お前はすごい、天才だ、さいこうだよ」
俺はあからさまに棒読みで褒めたにも関わらず、優羽は嬉しそうにだらしない顔で微笑んだ。
あまりにも単純すぎる。
本当にそれでいいのかと言いたくなるぐらいだ。
「で、今は翔さんと話しているからな。今は少し黙ってクレーンでもしていてくれ」
「あ!一体何を話していたのかな?邪魔じゃなければ、私も煌太の歴史に残るような名演説聞きたいな!」
うん、黙ってくれと言ってすぐにこれだ。
もはや笑うしかない。
それにいちいち優羽の発言が謎しか湧いてこない。
もう絶対にわざと俺を混乱させてるようにしか思えないぞ。
俺がつい黙ってしまっていると、翔は苦笑いしながら代わりに返答してくれる。
俺が答えなければ、優羽に余計なことを発言させなくて済むだろうから助かる。
「煌太君のお兄さんについて話していたんだよ。ほら、その……行方不明だから。でも、もしかしたら僕が知っている場所にいるんじゃないかなって。それで…」
せっかく翔が説明してくれているにも関わらず、割り込むように優羽は笑顔で賛成する声をあげた。
身振りも大きくしているから、手にしているぬいぐるみが飛んで行きそうだ。
「探しに行くってこと!?それなら私も行くよ!絶対に行く!人手が多いほど絶対に良いからね!問題ないでしょ?」
不思議だ、問題しかない気がする。
なんでだろうか。
多分優羽だからか、それしか考えられない。
「むっ!今、絶対に私が足でまといだと思ったでしょ煌太!顔に出てたよ!」
一体どんな表情してたらそんなことを察せることができるのか。
それも不思議だが、顔に出ていたのなら仕方ない。
俺は素直に謝るしかなかった。
「あー、すまんな。別に邪険にしているわけでは無いんだぜ。それにその好意はありがたいしな」
「ならついて行って良いってことだよね!ちゃんと置いてかないで呼んでね!」
優羽はウィンクして、笑顔で勝手に決めてしまった。
俺がフォロー入れたらすぐに物事を都合いい方に無理やり決めてしまうとは、意外にずる賢い奴だ。
抜けてるように見えてそうでもない。
ある意味、香奈恵より計算高いんじゃないだろうか。
「…すみません、翔さん。なんか勝手に決めてしまって」
翔も少し呆気に取られていたみたいだが、また苦笑しながら了承してくれた。
「あははは。うん、僕は構わないよ。人手が多いほど良いってのは優羽さんが言った通りだからね。だからむしろ人手を集める手間が減って、好都合だったくらいさ」