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銀髪の転校生

設定などが甘いかもしれません。実際の建築物や場所やルールに脚色を加えている部分があります。ご了承ください。

 僕は戦慄した。

 

 自分の身長より25センチ高いそのバーはバーよりも身長の低い自分をあざ笑っているかのようだった。

 こんなもの、どうやったって飛べるわけがない。

 カラン

 

 「12番、だめ。」

 

 審判の無情の声が響く。

 日は既に夕暮れを向き、残す競技はこの走り高跳びと4×200メートルリレー決勝を残すのみとなった。リレーはこの走り高跳びが終わった後行われることになるので、必然的にこの競技にリレーに備えた選手以外、約1000人もの人が注目することとなった。第一コーナーの内側で、お昼過ぎから密かに始まったこのバーを飛び越える競技は、80名の出場者の中から3時間あまりの時間を経て、残る競技者が3名まで減った。そしてたった今、2メートルを越える高さを挑戦する権利を得たものは二人となった。

 1・97メートルで脱落した僕はユニフォームの上にジャージを着て、グラウンドにつけたマーキングをとり、審判の方に一礼をすると、自分の学校のテントに戻った。僕の所属校、「県立今石川高校」と書かれたテントはちょうど観客席の奥まったあたりに陣取られている。つい最近までこの高校は市大会以降みることがなかったが、僕が入学した年に陸上部の顧問が代わり、急激に力を伸ばして今日に至る。こうして、僕が県大会の決勝で3位入賞という成績を残せたのも、今いる先生の力によるところが大きい。県大会に出場するというのも10年ぶりというくらいなので、相当弱かったのだろう。そして、6位までが関東大会出場。関東大会出場ともなると学校ができてまだ20数年という今石川高校史上初ということだ。しかも、17歳という僕の年は将来性というものが存分に秘められているのだろうと自分でも思う。後1回、この全国高校総体というスポーツの祭典に参加できる権利を持っているのだ。どこまで行けるかはともかく、今の成績を鑑みるに僕の将来はおこがましくも約束されたようなものだった。

 ただ、人間というのは強欲なもので、今いる環境よりも上を夢見る。

 「たった3センチなのにな。」

 観客席の柵によりかかり、指で3センチを表現してみる。指で表すとたったこれだけなのに、どうしてバーの上ではあんなにも高いのだろうか。

 「お疲れさまです〜関東大会出場おめでとう!」

 「お、ありがとう。」

 マネージャーの武藤さんがねぎらいの言葉をかけてくれた。中学のときはなんでも自分でやったものだけど、高校に入ってからマネージャーという都市伝説が実在するのを初めて知った。うちの高校には3人のマネージャーがおり、選手たちの水分補給に必要なスポーツドリンクを用意したり、タイムを計ったり、練習メニューを伝えたり、はたまたマッサージまでしてくれるという、女神的存在である。ウルド・スクルド・ヴェルダンディと僕は密かに呼んでいる。おまけに美人とくれば陸上部に入ってよかったと心底思う。

 ただ、残念なことにみなさん彼氏持ちなんですが。

 「マッサージいりますか?」

 「あ〜、この試合の結末を知りたいからとりあえずいいや。」

 女神のお誘いを断り、自分が敗北したフィールドを見つめる。高さは2メートル3センチ。両者一回ずつ失敗し、残すことあと2回。

 一人は僕と同学年で今年になってから急に出てきた新顔だ。僕は密かにライバル視をしている。もう一人は3年生で実は僕の中学時代の先輩にあたる。ただ、残念なことに、中学時代での僕を覚えていないらしく、完全に無視された。ちょっとかなしい。

 まぁ、中学時代の僕は無名だったので、あのときの約束をした人だと当人が記憶していたとしても、当然だったと無理矢理納得してみる。今回の大会で顔は覚えてもらっただろう。

 さて、僕のライバル(勝手に思っているだけ)はこの高さで3回目の失敗をしてしまったようだ。残念。

 残すは後一人、先輩のみ。

 最後の跳躍者は挑戦者であった。

 この場で誰もなし得なかった高さを飛び越えんとする開拓者。

 後1回という残りの回数の中、あろうことかこの高さをパスした。大会の規定上3回の試技の中であれば高さを変更することができる。もちろん、残り一回で高さを変更すれば、変更した高さを挑戦できるのは1回きりだ。

 走り高跳びという競技には独特の雰囲気がある。それは、競技人数が減っていくにつれて、注目度が上がっていくのだ。ほかのフィールド競技、砲丸投げや、走り幅跳びなどは、平等に回数をこなす形だが、走り高跳びは規定の高さをクリアできなければ脱落する。しかし、選手本人にもプレッシャーがかかる反面、自分が注目され、恍惚感を味わうことができる。それを味方にできるかどうかというのは、本人の器次第だ。その過酷な競技で最後まで残った挑戦者が許される特権。

 

 手をおもむろにあげ、手拍子を始める。

 

 ぱん、ぱんと2回、3回、意図を察したのか、観客席からも徐々に手拍子の輪が広がっていく。5回、6回、挑戦者が手拍子をやめ助走準備に入り、手拍子がさらに大きくなる。

 大きく息を吸い込み、助走開始。


 跳躍。


 そして、バーに触れることなくマットに着地した挑戦者は天高く拳を突き上げ英雄となった。


 あまりに美しいその光景。

 プレッシャーをはねのけ、フィールドの恍惚に酔いしれる英雄を見て。


 僕は知らぬ間に涙が出ていた。

 

 翌日。


 学校に行くのはめんどくさい。

 なぜなら、いつも登校するときに早く起きなければならないし、登校するときに登る坂はおっくうだし、いつも持っていく鞄は教科書を選別するのに面倒なのでいつも全部持ち歩くようにするせいで、非常に重いし、部活の練習がてらちょっとジョギングしながら行くせいで、学校につく頃にはちょっと疲れるしでいいことなんて全然ないのだ。

 でも、ちょっといいところもある。部活で大会に出て自分の力を試せるし、学園祭、体育祭、そして甘酸っぱい告白イベントなど、俗にいう青春という非日常への入り口がたっぷり詰まっている。大人が学生時代に戻りたいと声高々に言うのも納得できるものだ。にしても、なんで僕の高校はこんなに坂が多いのだろう。僕の家から学校につくまでにアップダウンのきつい坂が10個以上あるというのはどう考えてもおかしいと思う。ここは関東平野ではないのか。

 僕の通う今石川高校は、中堅どころの高校だ。偏差値でいうと、56ぐらい。プールがなく、それが理由でなぜか女の子の比率が多い。ちなみに水泳が苦手な僕もそれが理由だったりする。強い部活はバトミントン部と吹奏楽部。この二つはインターハイの常連だ。

 校風は温和だ。争いもなく、金髪茶髪喫煙飲酒のような非行イベントもほとんどない。同じようなランクの高校で栄田高校というのがあるが、県内でも屈指のインターハイ常連校で、文武両道ができていれば、多少はしゃいでも目をつむる校風のせいか、柄があまり良くないので、うちの高校と駅も近いこともあり、仲は良くない。

 

 学校につき下駄箱をあけると、大量のラブレターが入っていた・・・なんてこともなく普通に上履きをとって外履きと履き替える。


 下駄箱に靴をしまいながら、つくづく何か変わったことが起きないかな?と思う。生まれてこのかた17年、特に何も特別な体験をすることもなく生きてきてしまっていた自分を恨むことはないけれど、もう少しやりようがあったのではと思っている。もちろん自分から何もしなければそんな特別な体験なんてしようがないのだけど、僕が望んでいるのは非現実的で、妄想の域を出ないものでしかないのだ。

 ということで、僕は非現実的なものが起きる期待度を、『非現実期待レベル』という形で表している。なにか、非現実的なことが実際に起きるかどうかというのを明確にするための自分の中の基準だ。正直、独断と偏見の固まりである。一例を表すとすれば…そうだな、例えば魔法少女が空から落ちてくるとか、いきなり自分の家に妹と称する女の子が押し掛けるとか、転校生がいきなりやってきて、「実はわたし、宇宙人なんです。」と告白されるとか。僕の非現実の範疇は、いわゆる非行行為(万引きとか未成年飲酒とか、そういうもろもろ)とか、大会で賞を受賞する(関東大会出場はうれしかったけど)というような、バカバカしかったり、努力次第でなんとかなる行為ではなく、それなんてギャルゲ?というようなものなのだ。

 まぁ、思春期の男の子ですから。その辺りは察していただきたい。

 

 「おはよう。」

 2年一組の教室に入ると、がやがやとホームルーム前おしゃべりタイムにいそしんでいる面々に挨拶をする。特に返事はこないけども、なんか挨拶した方が気持ちいいのだ。

 席につき、

 「よう、杉山。」

 「那口か、おはよう。」

 「那口か、とはなんだよ、那口かとは。」

 那口と呼んだやや小太りの少年は苦笑した。こいつは小学校からの付き合いで、小学校からこの高校に入学して今までずっと同じクラスという腐れ縁中の腐れ縁だ。中学時代は卓球部に入っていたが、いまは帰宅部でバイトもせず自由気ままに生活している。

 「まぁいいや。それより杉山、知っているか?今日は転校生が来るらしいぜ。しかも女の子だ。」

 「ほぉ、新学期始まってという訳でもないのに珍しいな。」

 「な、こんな時期になんでだろうな。噂では、外国人らしいぜ?なんかほかのやつから聞いたんだけどさ、きれいな銀色の髪の毛だったんだってさ。なんか漫画みたいだよな。」

 「なんだそりゃ。」

 銀髪ってどこのアニメですか?

 僕の心のどこかで非現実期待レベルが1になった。

 「銀髪って、俺の想像のなかでは美少女しか俺の脳内データベースにはないんだが、どう思う?」

 「うむ、俺の脳内陵辱美少女キャラのデータベースにはそれしかない。」

 那口はこの年でエロゲー、それも陵辱系のゲームが大好物なのであった。

 「その比較はちょっとやめてほしいが、ちょっと期待しちゃうよな?」

 「まぁ、そうだろう。ほかのクラスからもその転校生を早く見ようとうちの掃除用具入れに潜入している輩もいるぐらいだからな。」

 よく見ると掃除用具入れが左右にがこがこと不自然に揺れている。不気味だ…

「こらー、お前ら!もうホームルームの時間だぞ、おとなしくしろい。」

 担任の田口先生が、入ってきた。入ってきても一向に静まり返る気配はなかった。まぁ、いつものことだ。しかし、この後がいつもと違った。

 田口先生と一緒に噂通りの銀髪の少女が入ってきたのだ。

 僕の中で一気に非現実期待レベル5まで上昇した。

 

 噂は現実となった。

 

 噂にはなっていたが想像以上の展開ににクラスの連中は一気に静まり返り、好奇の視線が転校生に向けられた。

 「紹介しよう、今日から編入することになった、露木彩菜さんだ。」

 紹介された少女は一言で言えば美少女だ。日本男子の平均身長と並ぶと肩ぐらいの身長と、腰まで届く純銀の色をした髪は、窓からさす光を反射してきらきらと輝き、顔立ちは神様が本気を出して人間を作り出したとしたらこうなるであろうと言うような黄金律。天使の羽衣を全身にまとったような白い肌と、意志の強そうな凛とした瞳には年齢にはそぐわない経験をしてきたのであろう憐憫がたたえられて、それがさらに彼女の魅力を増していた。

 「え〜、露木さんはみての通りの髪の色だが、れっきとした日本人だ。小さい頃の病気でこうなってしまったらしい。ちょっと他の人と違う見かけだからといって、お前ら騒ぎ立てるんじゃないぞ。」

「初めまして、露木彩菜といいます。よろしくお願いします。」

 露木さんがぺこりとお辞儀をすると。

「「うぉ〜!!」」

 大歓声だった。(主に男子)

 「よろしく!」

 「マジかわいいな!」

 「彩菜ちゃ〜ん!」

 それに引き換え女子の面々は冷めた様子で、

 「確かに見た目はかわいいけどね…」

 「ああいうのに限って性格が悪いのよ。」

 「化けの皮がはがれるのが楽しみだわ。」

 などと陰気なことをこそこそと言っている。まぁ、みんな教科書通りの反応でちょっと面白かった。

 おめでとう!非現実期待度レベル6になったよ。

 

 休み時間。

 転校生のことが気になり、話しかけにいこうとしたら、

 「ねーねー、どこからきたの!?」「彼氏はいるんですか?」「ぜひ、うちの新聞部の取材を受けていただけませんか!?」「趣味はなに〜?」「今日、学校終わったらカラオケ行こうよ!」

 どうやら、ほかの連中に先を越されてしまったようで、僕が取り入る隙はないようだった。そんな勇気も俺にはないしね(泣)。当の本人は困惑した様子で周りの人から質問攻めにあい、この異次元な女の子を一目見ようと、ほかのクラスの生徒たちも教室のドアから身を乗り出して見に来ている。ベランダ伝いにやってくるものもいて、さながらどこかのイベント会場にやってきたアイドルのような状態であった。

 しょうがないので、露木さんがクラスの連中に質問攻めに合っているのを尻目に僕は読書をすることにした。

 本を読んでいる間は時間を忘れられる。空間がかわるのだ。ワープしたと言っても過言ではない。

周りの喧噪も次の授業の話だとか、露木さんが質問攻めに合っている内容とかそういったものが全部どうでも良くなるのだ。

 僕は陸上部に所属しているけど、もっぱら授業中以外は本を読むことにしていた。

 読むジャンルは様々。どちらかというと文学作品が多い気がする。冒険ものとかも結構好きかもしれない。

 昔読んだ「押し入れの冒険」とかとてもわくわくしたもので、実際読み終わった後、押し入れの中を覗き込んだりしていたものだ。

本の世界はすばらしいと思う。冒険ものを読めば冒険者になれるし、純愛物を読めば恋をしている気分になれる。魔法ものを読めば魔法が使える気になるし、探偵ものを読めば自分が名探偵になれるから、本というものは一種の変身するための魔法とすら思える。


 まぁ、あくまで「なれる気がする」だけだから、結局は今の自分を慰めているだけにしかならない。

 大会のあのときの様子がフラッシュバックする。

 ああ、本の世界が現実になればいいのに。

授業の開始を告げるチャイムが鳴り、読み進めているスポコン小説をぱたんと閉じ、そう思った。

 

 部活の練習も終わり、下校時刻。今は初夏と言ったところで、学校の時刻は17時半をさしているのにもかかわらず、日はそこそこに高い。

 僕は本を借りるために図書室にきていた。特に借りる本を決めていた訳ではないのだけれど、本に囲まれているのは気分がいい。なんで俺は運動系の部活にはいったのだろうと不思議に思うくらいだ。

 この時間は授業が終わってだいぶたつので、人も少なく、図書委員の人も帰っていってしまっている。元々静かな場所がさらに静まりかえっていた。

「なんかこの辺りはだいたい読んだな…」

 よく見る本棚を眺めながら独りごちる。

最近はライトノベル、略してラノベにはまっていて個人的にだが最近だと、「魔法使いキウイ」とか「とある配管工の伝説」とかがブームだ。この辺りは、今実際本屋で売られているものに比べると昔のものになるが、名作というものは時間が経っても色あせない。

 「この辺りはもう読み尽くしたしなぁ…ほかのところを今日はみるか。」

 そういいつつ、ラノベのコーナーを離れ、文学作品のコーナーに向かった。ここの図書館はワンフロアではあるが、それなりの蔵書量をもっており、いろんな人が調べものに使ったりしている。特に文学作品に関しては、学校の授業で使われることもあり、文学史に登場する主要な文豪の作品のほとんどがあった。

 「こんな作家もいるのか〜」

 新しい作家の発見にそんなことをいいながら、そこの棚を眺めているうちに、

 「ん?」

 一つだけ場違いな本があることに気がついた。周りの本はそれなりに年季が入っているのに、その本だけは今刷られたばかりかのような新しさがあった。

 「私の話」

 タイトルにはそうあった。作者名は何も載っていない。思わず手に取ってぱらぱらとめくってみる。何も書いていない白紙のページがざっとみて250ページほど。いったいなんなのだ、この本は。意味が分からん。貸し出しカードのポケットも見当たらず、本を管理するためのバーコードもない、その不思議な本は文学作品の棚の中で異彩な雰囲気を醸し出していた。神秘的で妖しげな魅力をたたえたその本は、すべてのページが白紙にも関わらず、何か重要なメッセージがあるかのように僕の心に訴えかけてきていた。

 僕は知らないうちに、それを鞄の中に入れていた。入れないといけないような気がした。それから、僕はそそくさと図書室を後にした。

 学校を出たときには日は既に落ち、夏虫の鳴き声がただ響くばかりであった。

 

 翌日、僕はその本を持っていってしまったことを後悔することになる。

 朝、鞄の中に入れたままにしておいた本を見ると、我が目を疑った。

 

 「杉山悠一の本」作者杉山悠一

 

 つい12時間ほど前まで「私の本」と書かれたものが、どういう訳か俺の本になっていた。

 「…」

 非現実期待レベルが10まで上昇。というか、もうこれはすでに期待というレベルではなく起きているじゃないか。これからは非現実レベルと呼ぶべきだ。そうしよう。

 自分が作ったことになっているこの本は、めくってみても今はなにも書かれていない。もしかするとこれから何か書かれるのかもしれない。

 そう思うと、これからどんな文章が書かれるのかというのはちょっと好奇心がわいてくる反面、その本のページがすべてページで埋め尽くされたとき、本が人を飲み込むと言った怪談も知っているので、怖くもあった。

 

 まぁいっか。すくなくとも非現実のカケラが僕のところにすとんと落ちてきた。これは素直に喜ぼう。

 僕はわくわく半分、怖さ半分で家を後にした。


 例えば、世の中に世界の運命を決めるさいころを振る人間がいるとしたら、僕はそいつが他の人を幸せにするためにわざと不幸な目に遭わされているのだと思う。

 小学生の頃の話だ。

 田植えが終わったばっかりの田んぼに頭からものとも見事に落とされた僕は自分の境遇をのろった。きっかけはささいな言い合いだった。いつも僕のことをきもいきもいと言うもんだから、僕のどこがきもいのか言ってくれ、そしたら僕もきもくないように努力すると言ったらいきなりこんな目に遭わされた。

 

 「むかつくんだよお前。」

「そういうところがきもいんだっつーの。」

「なんでそんなことをお前に言わなきゃいけないんだ?」

 

 田んぼに落とした張本人とその取り巻きが頭から突っ込んで身動きが取れない僕にあらん限りの幼稚な暴言を浴びせてくる。そもそも一緒にかえろうと言ったのはそっちの方だろう。僕はこんなことをするやつらと一緒に帰るつもりはもともとなかったし、別に一人で帰ろうと思っていたのに。やっぱり帰るのではなかった。

 「あー、お前を落としたらなんかすっきりしたわ、じゃあな〜」

 ぼくを突き落として全く悪びれる様子もなく、助けることもせずに取り巻きと一緒にげらげらと笑いながら声が遠くなっていった。

 「っくそ〜!」

 やっとの思いで頭を抜き、農道に這い上がるとしょっていたランドセルをおろし、僕はごろんと仰向けになった。不幸中の幸いというところか、頭から突っ込んだおかげで、ランドセルの中身は無事ですんだ。これがだめになったら、お母さんにどんなことを言われるかわからない。下校の時刻からはかなりずれており、周りを見渡しても今は遠くに見える川沿いをジョギングしている人ぐらいしか見えなかった。

 仰向けに見る空は青かった。まだらに散る白い雲と、こんな僕を全く気にすることもない鳥たちが飛び交う様は今僕がされたことがまったくこの世界に影響をあたえることすらないということを再認識させた。

 僕はなんて無駄な存在なのだろう?そんな思いが頭をよぎる。こんなことをされているのだから、何か代償になにかいいことがあってもいいんじゃないのか?あんな奴らのために、僕がやられることはない。むしろ、今度あったら同じ目に遭わせてやろう、いや、もっとひどい方法で奴らを追いつめてやる。そう思ってきたらとまらなかった。むくむくと心の底から沸きがってきた自分では表現できないこの負の感情は、次第に僕の体を廻り始めた。脳から指令が行き、血液を巡り心の蔵を掴み、手先足先を冷やした。そうしてしばらく、精神的絶対零度の心を悪にした新しい人格が僕の体をするかに見えた。

 

 「そんなところでなにしてるんだ?」

 

 そのときだった、不意に軽い調子の声が聞こえたのは。

 かぴかぴになった泥をぱらぱらと落としながら僕は寝転んだまま、声のする方を向いた。

 さわやかな青年だった。年は僕より上だろう。中学校の制服を着ている。身長も180センチを越えていると思う。下から見上げる声の主は逆光に照らされ、後光が射しているような気がした。

 

 「そうするの楽しそうだな。」


 ごろんと、青年が僕の隣に寝転がり、僕と同じ姿勢になる。青年は何も言わず涼しい顔で空を眺める。あたりに人影はなくなり、この半径500メートルばかりの空間は二人だけのものになったような気がした。この人はいったい誰なのだろう?よくわからないけど、なんか安心できるしもう少しこのままでもいいかな、と思った。そうして数刻、

 

 「なんかあったのか?」

 

 真に迫る言葉が一つ僕の胸を刺した。ぱらぱらと乾いた泥がとれる。この人なら話してみるのもいいのかもしれない。根拠のない安心感に導かれるままに、僕は首を縦に振ってしまった。

 

 「うん。一緒に帰ろうって言ったのに帰っている途中に鞄持ちさせられるし、きもいきもいっていうし、田んぼに落とされたんだ。」

 「そりゃぁひどいな。」

 青年は苦笑した。

「まぁ、そういうことをするやつにはじきに罰が当たるんだ。気にすることはないぞ、君は何も悪くない。」

 「そうかなぁ?」

 「そう思っておけって。」

 軽い調子で右手をひらひらと振りながら青年は言った。

 「それはそうと、泥だらけだな。川行くか?」

 青年が指差す方に川があった。

 『一級河川 鶴田川』

 一級というのは、きれいな川ですよということではなく、管理しているところが政府ですよということであるらしい。

 

 「え〜この川、汚いよ?」

 「大丈夫だよ、俺も何回か入ったことあるし。ほらあれだ、魚も住んでいるから大丈夫だろ。」

 ちなみにこの川は日本で1、2を争う汚い川だ。よくお母さんから、あの川には入っちゃいけませんと言われたことがある。でも、そんなこともこの人の言うことならなんとなく信用できてしまう。この人にはそういう魅力があった。

 川に下りる階段を下りるなり、青年はいきなり制服を脱ぎ始め、パンツ一丁で川にばしゃんとダイブした。

 「っぷはぁ!君もこいよ〜気持ちいいぜ!」

 青年が水面から顔を出し、叫んだ。

 おそるおそる川の水に足を入れる。川底に足が触れるとぬるっと滑り、僕は盛大にこけた。

 「うわっ。」

 「おいおい、大丈夫かよ。」

 「大丈夫。」 

青年がびっくりしてこっちにやってくる。幸いなことに浅いところだったので、尻餅をつくだけですんだ。

 春先の川はまだ冷たかった。冷蔵庫に足を入れているみたいだ。僕は溶け出していく泥を眺めながらそう思った。しばらくばしゃばしゃと水浴びの時間を堪能した後、泥まみれの顔を洗い落とし、衣類もすすいで川縁に天日干しにした。

 「あーさっぱりした!君もそう思うだろう?」

 「うん。さっぱりした。臭いけど。」

 確かにさっぱりはしたけど、やはりそこは噂の川だけあって、時間が経つにつれて生臭いにおいが鼻を突いた。

 「臭いか〜!確かにそうだわな。でも家帰ったら風呂はいるんだから、別にいいだろ。」

 「そっか。なら我慢する。」

 「ははは、面白いな君は。」

 それから、僕はいろいろとその青年に話した。家族のこと、友達のこと勉強のこと、将来のこと。話し始めたら止まらなかった。

 たぶん、僕は救われたかったのだと思う。生まれてこのかた、経験したことのないこの感情を誰かに話して、共有したくて仕方がなかったのだ。

 気がついたら、空が赤くなり始めていた。

 「そろそろ、帰らないと。」

 「お、こんな時間か。」

 のろのろと生臭い服を着て、農道に出る。大きな夕日が挨拶をし、5時を告げるチャイムがカンカンとなり始めた。

 「今日はありがとう。」

 こういう年上の人と接する方法を僕はあまり知らなかったけど、親切にしてくれた人には感謝しないとだめだと授業で習った。

 「いや、俺こそ楽しかったよ。がんばりたまえ。」

 振り返り、手を振る。笑顔になった。気がつくと、もうあのとき支配しかけていた感情が消えていた。

 「あ、そうそう君は部活って知ってるか?」

 「ブカツ?」

 「おう、部活だ。楽しいぜ。仲間ができるからな。」

 「仲間かぁ。」

 「そうだ、仲間だ。一緒に壁を乗り越える仲間さ。俺は陸上部で走り高跳びってのをやってるんだぜ。」

 「ハシリタカトビってなに?」

 「こういうんだ。」

 青年は僕から離れた。軽く助走し、両腕を振り、片足を踏み込み軸にして、大きくもう片方の足を振り上げた。すると、ふわっと体が浮き、僕の頭上を飛び越え、そのまますちゃっと着地をした。数瞬、僕は何が起きたのか理解できなかったが、

「すごい!飛び越えた!」

僕を飛び越えたと知ってびっくりした。自然と、僕もこの人と同じことをしたいと思った。

「な、すごいだろ?」

「僕もブカツ入ったら、ハシリタカトビやるよ!」

「お、そうか。一緒にやろうぜ!」

「うん、絶対やるよ!」

「よし、じゃあ男の約束だ。」

青年が小指をだす。僕もそれは知っていた。男と男が交わす約束をするときこうするのだ。

 

 『ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます!指きった!』

「・・・やま。」

「・・ぎやま。」

「杉山!」

「はいっ!」


 がたっ


 気がついたら、大きな声で返事をしながら、起立してしまっていた。

 

 しーん


 周りの白い視線が痛い。

 国語の遠藤先生は、こめかみをぴきぴきと血管を浮き上がらせ、那口はあちゃーという顔で頭を抱え、右斜め後ろの露木さんは驚いた顔で俺を見ていた。

 「杉山、お前は誰と指切りげんまんしてたんだ?」

 「え、え?」

 「とりあえず、廊下に出て反省してろ!」


 状況整理もままならないまま、僕は水の入ったバケツとともに廊下に放り出された。

 

 「ふぎやま、ほまえいったいどんな夢を見てたんだよ?」

 弁当の卵焼きをほおばりながら那口は僕にそう言った。今は昼食の時間だ。きついバケツ持ちの時間も終わり、いまいち状況のわからぬまま廊下に出された僕は、その理由を那口に聞いていたのだった。

 「ああ、僕が小学生のとき下校途中田んぼにほかのやつに落とされてさ、そのときのことが夢で出てきたんだよ。」

 「ほぁ、ほういうことかほうりでふぁゔぇっていたことがほこさまほとばふぁったわけだ。」

 「ごめん、なにいってるかわからん。」

那口はごくんと咀嚼していたものを飲み下し、

 「わりぃ、わりぃ。そういうことか、道理でしゃべっていたことがお子様言葉だった訳だ。」

 「え?どういうことだ?」

 「ああ、教えてなかったっけ?あの、大きな声で指切りげんまん!のところだけじゃなくて、おそらくお前は夢の中のセリフをすべてしゃべっていたぞ。」

 知りたくない事実を知ってしまった。僕は思わず頭を抱えた。

「うぉおお、これはとんでもない黒歴史をさらしてしまった。どうしよう那口、僕はもうこの教室にはいられないよ!」

「まぁ、そんなに落ち込むなよ。きっといいことあるぜ。」

 人ごとだと思って。何を根拠にそんなことを言っているんだ。正直今日は昼休みの時間に隠れてそのまま帰りたい気分だった。

 そんなとき、

「お、授業中なぞの叫びをかましてくれた杉山さんではないですか。」

「佐藤さん、それはひどいぜ。あれ、いつもご飯食べているメンツはどうしたんだ?」

「ああ、なんか用があるとかで職員室にいったよ。さっきまでご飯食べてたし。」

佐藤さんは部活のマネージャーの一人だ。実は僕と同じクラスの人でほかの二人も実は同じ学年だったりする。この三人は本当に仲が良くて、いつもくっついて行動している気がする。

「あ、そうそう露木さん、陸上部に入るって。へっへー、勧誘しちゃったよーん。」

衝撃の発言。

「え、えええ!?」

「そんなに驚かなくても。おまけにマネージャーとしてじゃないよ?選手でやるんだって!ねぇ、露木さん?」

「あ、はい。よろしくお願いしますね、杉山さん。」

露木さんがにっこりと笑う。

「一応、前の学校では陸上部にいたので、足手まといにはならないと思います…」

 もじもじと恥ずかしそうに話すところはとんでもなくかわいかった。まさか、露木さんがアスリートだったとは。長い髪で走りづらくないのかな?とか思ったりしたけど、仲間が増えるのはいいことだ。今日は帰らなくて本当に良かったぜ。

「露木さん、これからよろしくな!」


 「す、すげぇ」

 僕は絶句した。

 100メートル、400メートル、1500メートルとすべてインターハイレベル。しかし、そのどれもが彼女の本種目ではなかった。

 「やぁっ!」

先ほど、もじもじとしていた露木さんとは思えない、力強い声で叫ぶ。

 声の先にはきれいな放物線を描く槍があった。しゅるしゅるとジャイロ回転をしながらグングニルの槍のごとくぶすっと刺さる。

 

 そして、その記録は県記録を塗り替えた。非公式だけど。


 「今日は記録会をします。」

 始まりは先生の一言。入部した露木さんの実力を知るためだった。始まるなり、驚異的な記録のオンパレードにはさすがの先生も開いた口が塞がらなかったようだ。露木さんが陸上部に入ったのがもう学校中に広まったようで、アスリート姿の彼女を一目見ようとグランドの入り口まで見に来るものもいれば、教室のベランダから眺めているものもいた。そして、グランドで部活をしているほかのサッカー部や野球部も彼女が走っている間はしばし練習が止まり、顔面にボールをぶつけたりする者もいた。

 「いやぁ、彼女はすごいね。もういきなり全国の有名選手の仲間入りだろう。なんでいままで有名にならなかったのか不思議なくらいだ。」

 清原部長が感慨深く言った。清原部長は短距離を得意種目にしていて、今回の県大会では関東大会には行けなかったものの、8位入賞と健闘した。3年生なので、もう引退なのだが、もう既に行く大学が内定しているため、道楽で部活にちょくちょく顔を出していた。来月には引退式だ。

 記録会は結局、露木さんの独壇場で幕を下ろした。とんでもない人が来たもんだとつくづく思ったよ。


 そんな記録会の帰り、いつものように僕は図書室に来ていた。すると、いつもだれもいないのに、今日は先客がいるようだった。

あれ?誰だろう?

図書室に入ると、そこには露木さんがいた。

入った瞬間目が合い、お互いフリーズしてしまった。

「あ、あわわわ。」

「お、お疲れ様です。」

 お互いぎこちないやり取り。

 露木さんの表情は夕焼けに紛れてうかがい知る事はできないけれどきっと僕と同じだろうな、と思った。

「本、読むんですか?」

「はい...結構読む方だと思います。」

「へぇ、どんな本を読むんですか?」

「結構昔の文学作品を読むことが多い気がします。例えば有名どころだと夏目漱石とか太宰治とか...読み始めたのは結構最近なんですけどね。」

 露木さんははにかみながら、そう答えた。

斜陽の図書室に男女が二人、しばらく見つめあう。こそばゆいような恥ずかしいような妙な色気と言うものが混じったこの空間で、僕は何をどう発言したらいいのか全くわからなかった。露木さんは何もいってこないこちらを不思議そうに見ていた。

 そんな視線を食らったらどうしていいかわからない...沈黙状態が続くなか、先に沈黙を破ったのは露木さんの方からだった。

「杉山さん、例えばです。例えばの話ですけど。」

そこで言葉を止めて僕の方を見る。

「もし私が魔法使いだったらどうします?」

 ゾッとするような妖艶な笑みが僕を襲った。先ほどまでの様相とは一変、魔女の笑みであった。ついさっきまで純銀であった髪が烈火のごとく真っ赤に燃え盛り、今にも図書室が炎に包まれるかにすら見える。

「…魔法使いだったらとかどうもこうもないよ。実際そうではないってことだろ?」

 僕は声を絞り出してそういった。

「考えはしませんでしたか?なんで全く無名な選手がいきなりこんなすごい成績をだすのだろうと。」

背筋が凍った。

「まるで、魔法みたいだ。そうは思いませんでしたか?」


 そういうと、彼女は鞄の中から一冊の本を取り出した。

あ、あれは...僕の持っている本と同じ装丁だ!!


彼女が本をパラパラとめくり始めると、六芒星の魔法陣が展開されていった…



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