第二話『愛を知る愚者達』――Aパート『人はそれを同人誌と呼ぶ』
●平成二十三年六月十八日(土曜)午前五時三十四分――神山家、イクサの部屋。
「……ど、どうでしょうか?」
「…………あなたハ、創作活動ヲナメテルンですカ?」
イクサの瞳にニッコリ微笑むオニが映る。
蛇に睨まれた蛙のように身動きできないイクサは、何故こんな状況になったのか現実逃避していた……。
……約一時間ほど前。
予告もなしにイクサの部屋を強襲した葵は「いつまで寝てるんですか、もう五時ですよ!」と強引にタオルケットを引っぺがし、イクサを深き眠りから目覚めさせた。
イクサは、その『幼馴染が朝起こしに来てくれる』という夢の様なシチュエーションに、夢と勘違いして二度寝を決行……しようとしたのだが、源氏が添い寝してきやがったので飛び起きた。大人しく起きてれば良かったコンチクショーな気分である。コンチクショー。
――……あ~。そう言えば、魔導書大戦について詳しく教えてもらうって約束だったっけ?
その為に『神音の魔導書を読ませる』という約束だった事を思い出したイクサは、自作小説『カミ☆イクサ』を葵に手渡して……。
――……なんで俺は朝の五時半に幼馴染の前で正座してるんだろう?
思い返してみても理由が解らない。
そもそも彼は『正座しろ』と命令されたわけではない――なんだか自主的に正座をしなくてはいけない気がしたのである。むしろ土下座した方が良い気もしてきて悩んでいた。
「神音ちゃんがどんな物語から生まれたのかと思えば、……まさか『俺主人公』な自作小説の『俺の嫁』だったなんて、どうりで私も知らないはずですよ。神音ちゃんが不憫でならないのです。イクサくんの欲望の捌け口にされるために生まれたなんて酷すぎです……」
『もっと言ってやるのです!』
「人聞き悪いな……『欲望』じゃなくて『愛』だって」
「そうですね。男はすぐそうやって『性欲』と『愛』をすり替えようとするのです」
葵の同情の視線がイクサの隣へと動く。
そこにはいつの間にか『あずき色のジャージ』を着た少女――精霊・神音が出現していた。
悪く言えばイクサの欲望を一身に背負って生まれた少女精霊……その未来を考えると、ホントにろくでもないイメージしか浮かばなくて、葵は思わず泣きそうになる。
神音としては心配してくれるのはありがたいけれど、『泣くほど酷いのか?』と未来が不安になってきてヘコんだ。正直、笑われた方がマシってぐらいションボリな御様子である。
そんな三者三様にションボリな状況に、イケメンは苦笑いしながら助け船を出す。
『まあ、でも、それは仕方ないよ――マスターの愛を背負うのはボク達精霊の宿命だからね』
「そ、そうなのです! 魔導書の精霊っていうのはですね……そ、その、読み手の強すぎる想いというか……あ、あ、あぃ、『愛』が世界のルールを壊すことで具現するのですよ」
――……フッ。何故かな……ゼンラーを見るよりも恥じらう仕草に興奮するのは……。
愛を口にすることを恥じらう幼馴染にちょっと興奮する漢・神山イクサ(変態紳士)。
全裸よりも恥じらいを尊重するのは、大事なのは中身だと思っている証明。ゆえに『普段着があずき色のジャージ』でも大丈夫。俺の神音ちゃんへの想いは揺らがない。大丈夫だ、問題ない……とか考えてる幼馴染には気づかず、葵の説明は続く。
「ゆえに、他の人が私の魔導書の所有者になっても私の源氏様は召喚できないのです。逆に私がイクサくんの物語を読んでも神音ちゃんは召喚できないわけですね」
「つまり物語をキッカケにして、マスターがその脳内で育てたイメージを現実に投影しているのが精霊、ってコトか。そう考えると精霊の本体はマスターの脳内にあるって考えられる。俺が意識を失うと、追いかけるように意識を失ったって言う神音ちゃん証言とも一致するな」
「イクサくんは飲み込みが早すぎて嫌いです」
一を聞いて十を知る男、神山イクサ。
彼は普段、その残念な行動で台無しにしているが実は頭脳明晰だったりする……のだけど、教師役の葵としては物分かりの良すぎる生徒は嬉しくないので、これも彼女の期待を裏切る残念な行動と言えなくもない。コミュニケーションってホント難しいですね。
おかげで葵は説明するのが一気に面倒臭くなったようで――
「だから本来は……『自作小説』で作者が精霊召喚をするのは不可能なのですよ」
一気に結論に飛んだ。
「え、なんで? 自分で作ったヤツのほうが愛がこもってない?」
「そこら辺は人によって解釈が異なるのですが……私は自作小説の作者は登場するキャラクター全員に対し少なからず感情移入するため、愛が分散してしまうから、と考えるのです」
たとえヒロインを一番愛していても、自分で生み出した以上、仲間や敵にだって愛着はわくだろう。その結果、一人のキャラへの執着が薄くなってしまうと彼女は言う。
「イクサくんの書いたコレはアナタが主人公でヒロインとイチャラブして、他は全部モブ扱いっていう、ひたすらヒロインLOVEなお話だから分散しようもありませんですけど……っていうか、幼馴染で義妹ってなんですか! リアル幼馴染ディスってますですよね!!」
「……イケメン好きで俺のフラグ全部へし折った幼馴染に言う資格はないデスよね」
ノリで軽口叩いたら思ったよりマヂな返事が帰ってきて怯む葵。
自作小説のヒロインに幼馴染設定を導入している時点で、イクサの幼馴染への感情は想像に難くないと言うか、語尾が同じ『です』なのとかで察してあげてーッ!
「……ゴホン。え~、逆に他人の創作物――これは好きなキャラへの愛が一点集中しやすいので、愛が高まりやすいと思うわけですよ」
『葵さんみたいに?』
「ええ! もう、私、源氏物語読むたびに『キャー、源氏様カッコいいー』と思いつつ、『紫の上ぇぇぇ』って嫉妬しまくりますから。ダメな女に引っかかる源氏様のダメなとことか可愛いと思いますよ! 傲慢な俺様系なトコも大好きですぅぅぅッ!!」
なんかダメなこと言ってる幼馴染の姿に『ダメだこりゃ』と感じるイクサ――その気持ちこそ常に周囲が味わっている気持ちなのだが、やってる本人は気づかないものである。
「つまり源氏は葵さんの欲望の捌け口?」
「欲じゃないです! 愛です、愛ッ!!」
その二人のやりとりに、精霊二人は「ヤレヤレ」と肩をすくめ、とりあえず気が済むまで放っておくことにしました。
それから約三十分後……イクサと葵は不毛な会話に疲れ、ようやく『結論』に入った。
「じゃあ、残る三人のマスターは既存の物語の読み手の可能性が高いって事でいいの?」
「まあ、既存の物語なんて星の数ほどあるので、対策なんて立てられ無いですけどね」
つまり、結局この戦いは行き当たりばったりの遭遇戦になるしかないらしい。
『それよりも、対策ってコトならイクサくんは神音ちゃんの能力に心当たりあるかい?』
「可愛いのが神音ちゃんのチカラさ! 可愛いは正義ッ!!」
『お、お義兄ちゃん』
『……葵さん、もう一回読んで確認してもらえるかな?』
「……了解です」
そう言って葵はベッドに寝転んで原稿を読み始める。
しかしこの娘、幼馴染とはいえ男のベッドに寝転ぶとか何を考えているのであろう……と、イクサは『彼女の恋人役』がこの状況をどう思っているのか聞いてみたくなった。
「……なあ、源氏」
『なんだいイクサくん?』
「フツーの人から見たら、俺と葵さんってどういう関係に視えると思う?」
『朝一で男の部屋に押しかけて、そのベッドでくつろぐ女の子……普通の人にボク達は視えないから、個室で二人っきり。どう考えてもいくとこまでいってるラブラブカップルだね』
「……だよな」
『もう襲っちゃえヨ☆』
「そういうコト、お前が言うなよッ!」
冗談ぽく話してるが笑い事ではないだろう。
彼女はご近所付き合いのあるお隣さん。向こうの親にウワサが届いたりしたら洒落ではなく責任問題に発展しかねない。こういう場合、事実よりもどう視えるかの方が問題なのだ。
「……ところで、いまさらだけど葵さんには神音ちゃんが視えてるんだよな?」
「ホントにいまさら何を言ってるのですか?」
「いや、じゃあ……あの日の朝、思いっきり神音ちゃんを無視してたのは俺達を油断させるための罠だったってコト?」
「……すみません。私の瞳はイケメン以外は認識できない特別製なのです」
特別にダメな特別製である。
……この娘、策略とかではなく素で無視していたらしい。恐ろしくビックリだった。
微妙な空気が流れる中、葵が原稿を読み終える。
と、思ったら突如ベッドの上に仁王立ち――輝くようなドヤ顔で、声高らかに告げる!
「神音ちゃんの能力は、おそらく『信じる相手に奇跡を与える能力』です」
「おー。なんかすげー感じだ!」
「残念ですが、凄いけど凄くはないのですよ」
『そうだね。いまのボク達は物理干渉能力を持っていない――物に触れないってコトは、自然現象への干渉もできないってことだからね。奇跡って言っても、モノに影響を与えられないんじゃ意味ないよ』
『……意味わかんないです』
「空からでっかい雹が降ってきて敵に直撃とかいう奇跡は起こせないってコトだな……あ、でも、俺に火事場のバカ力出させたり、痛みを精神力で超越させるとかはできる、かな?」
『お義兄ちゃんに説明されるとヘコむので黙っていて欲しいのです』
「どういう意味だよ!?」
「イクサくんをパワーアップさせても、精霊との戦いでは無意味なのです」
マスターが強くなっても、触れない精霊相手では意味が無い。
この魔導書大戦はマスター同士の『喧嘩』ではなく、相手のマスターに自分の精霊のほうが上だと認めさせる『勝負』なのだ。葵達との戦いも、最終的に我慢比べな勝負だったよね。
『つまり、この魔導書大戦においては限りなく無力に近い能力だね――』
――……もっとも、彼女が人間になれたら、ボクなんか足下にも及ばない『現人神』になっちゃうだろうけど。
なにせ信じる者に奇跡を与える存在だ。
救いを求める人々が彼女の信頼を求めて群がる未来が容易に想像できる。
だから源氏は『彼女は敗けるべきかもしれない』と思ったが、今は言わずにおいた。
それから、葵の「せっかくの休日に一日中イクサくんと一緒にいるのはモッタイナイのですよ」という残念発言でその場はお開きになりました。つまり、朝早くから来たのも面倒事をさっさと終わらせるため……って悲しい事実に気づきかけたトコでイクサは考えるのをやめた。
そんな残念幼馴染が、去り際にふと思い出したように言う。
「ああ、そういえば創作物でも魔導書化しやすいモノが一つあったのですよ」
「ん、なにそれ?」
「二次創作の同人誌です」
●平成二十三年六月十八日(土曜)午前十二時五十八分――市営総合公園、裏広場。
元気にブランコを漕ぐイクサを、冷めた瞳で眺める神音の姿がそこにあった。
『……お義兄ちゃん、いまから誰と会うのですか?』
「会ってからのお楽しみさ☆」
『……これでもし私の知らない女が現れたら、ワタシ、ソノ娘ノコトやッチャウカモ』
「GOOD!」
イクサは笑いながら泣いた。
神音が自分好みのヤンデレに成長している事が嬉しく、幸せすぎて泣いた。
涙で視界がぼやけてきたので、ブランコからジャンプ――着地成功/十点満点!
「まあ、残念ながら今から会う人は男だよ」
『男と会うにしてはいろいろ怪しいのですよ』
彼女がそう怪しんでしまうほど、いまのイクサは気合が入っていた。
髪はわざわざ整髪料と櫛を使って整えてあるし、服だって全身黒一色なのはアレだが、ストリートという劇場に舞い降りた黒騎士みたいにキメていてかなり格好いい。
『――ハッ!? まさか……ここからまさかのBL展開スタートなのですか!』
「……この格好は『師匠』にみっともない姿を見せたくないから! 他に他意はない!」
『師匠、ですか?』
イクサは目を閉じ、思い出すように語る――
――その人は、強い人だった。
異世界に迷い込んで狼狽える俺を救け、なんの見返りも求めず、導いてくれた。
敵との戦い方に始まり、その世界での生き方全部を俺に仕込んでくれた。
彼がいたから、俺はあの世界で生きていけたと言っても過言ではないだろう……。
「その人の名は……」
『お義兄ちゃんッ! いますぐ病院に、病院に行くのです!!』
「……神音ちゃん、葵さんの悪影響を受けすぎだ」
『お義兄ちゃんは異世界に召喚された勇者様じゃないのです。空想をこじらせすぎて社会復帰できなくなる前に悪い幻想からは覚めるのですよ!』
ホントに哀しそうな表情で神音が言う。
イクサの理想のカタマリが『ユメから覚めろ』なんて言ってきたら――
「俺はユメを捨てたりしない! 絶対に――神音ちゃんを捨てたりしない!」
彼が全力全開で否定するのは当然だろう。
『…………へ? い、いえ……そういう意味で言ったんじゃなくてですね……』
――……と、突然そんなこと言われても困るのですよ……。
予想外の返事に戸惑いまくる神音さん――『何か言わなきゃいけないのですけど、巧い言葉が思い浮かばないのです』って心の声が聞こえそうな感じに、テンパッてました。
真剣な瞳をした少年と、戸惑う少女――そんな二人の気不味い時間が流れる。
遠くから消防車のサイレンの音とかが聞こえてくるが、神音は緊張感やら焦燥感で胸が『ドキドキ』『ソワソワ』してそれどころではない。
――……と言うか、私の胸ってドキドキするんですね。
実体がないのに心臓がドキドキ脈打ってるという不思議体験。
まあ、物語の表現として『胸が高鳴る』系の言葉はラブコメのお約束。イクサの書いた『カミ☆イクサ』でも多用されていたから不思議ではないのかもしれない。不思議だが。
そんな事を考えながら、しばらくそのままの状態でいたら――
突然イクサが目を閉じて迫ってきた。
それは彼女が考え事をしていた間、真っ直ぐイクサを見返していた為に起こった勘違い。
イクサの決意表明→目を泳がせ戸惑う→覚悟を決め見つめ合う→キスシーン、という流れ。
――……ど、どうするですか!? この状況って、やっぱり私のせいですよね!?
否は自分にある、と神音は思う。思ってしまった。そう思ってしまうと拒否するのも悪いような気がする……が、よく考えれば悩む必要は無かった。
――……ど、どうせ、すり抜けるのです。ラブコメ的なズッコケで終わ――
キス、された。
神音にはそう思えた。
腰に回されたイクサの左手――実際にはそう視える形で止まっているだけ。
頬に添えられたイクサの右手――実際にはそう視える形で止まっているだけ。
触れる唇と唇――実際には二人の唇がギリギリ重なる位置で止まっているだけ。
その全てが絶妙――『された』神音ですら誤解するレベルのパントマイムだった。
『しぃ――死んじゃえDEATH!』
「ゲルボォッ!」
反射的に繰り出されたエルボー《肘》がみぞおちに埋まり、イクサが大地に沈む。
脳が揺れなかったおかげで、気絶はしていない――そのおかげで神音の意識はハッキリ。つまりイクサの方は死ぬほど苦しいのに気絶もできないという最悪の状況なのだが……自業自得なのでしゃーない。女の子の唇を強引に奪うような奴は悶え苦しんで転げまわるがよい!
そんなイクサを、神音が肩で息をしながら警戒していると――
どこからか『パチパチ』と拍手の音が鳴り響く。
「――見事なラブコメだね。いいモノ見せてもらったよ……まあ、僕としては舌を入れたディープなやつの方が好みだったけど、さすがにそこまで求めてはいけないかな? でも、次回やる時にはソレを求めている人が居るということを心の片隅に覚えてくれていると嬉しいな」
『開き直った出歯亀が居るのですッ!?』
とても丁寧な口調で性癖を暴露する謎の男登場!
何故か妙にボロボロな格好をした青年――見た目は二十代後半ぐらい/黒髪黒瞳/オールバックな髪型/温和な優男風の顔立ち/イクサより少し高い身長/その身を包むのは煤けて汚れた黒のスーツ――どうやらそこの蛇口で顔と髪を洗ったらしく、リアルに水が滴っている。
「フッ……なかなか解ってる人だな」
ニョキッと復活するフェニックス。
どうやら地獄の閻魔に嫌われているらしい。さもありなん。
「そりゃあ、キミにラブコメのイロハを教えたのは僕だからね――EXAくん」
「――!? ま、まさかアンタ……いや、アナタはッ!」
発音上は普通に名前を呼ばれただけなのに、狼狽えるイクサ。
そんな彼の様子に青年は笑みを深めながら――
「はじめまして。僕の名は愛蔵太……ハンドルネーム・ラヴクラフトって言ったほうが解るかな?」
自らの真名を明かす。
「やっぱり、アナタがクラフト師匠なのか……」
『師匠って、さっき言ってた人です?』
「うむ。俺にラノベの書き方を教えてくれた恩人だ。リアルで会うのは初めてだけど」
『……リアルで会わないでどこで会ってたのですか?』
「電脳世界」
『…………』
神音は『異世界ってそういう意味だったですね』と納得した。
むしろイクサが本当に血迷ってたわけじゃなくてちょっと安心しました。良かったね。
「可愛い彼女さんだね。名前を教えてもらってもいいかな?」
「あ、こっちは俺の運命の恋人で、名前は神山神音ちゃ――」
瞬間――イクサは大きく飛び退き、蔵太から距離をとる。
先程までの師弟の友好的な空気から一転、一触即発な緊張感漂う戦闘態勢。
そんなイクサの奇行に、神音は諦め半分の溜息をつく――寸前で気づく。
『――私のことが見えてるのですか!?』
そもそも、視えてなければ「見事なラブコメ」とか言えないだろう。
それはつまり、この青年は最初から神音が視えていたと言うことで……。
この青年が魔導書の『マスター』――イクサ達の敵、だということだ。
「まさか、キミがマスターになるとは……運命は悲劇を好むって言うのは本当だね」
「師匠、アナタは……」
イクサの問いかけに、蔵太は懐から一冊の本を取り出す。
革表紙の古い本。鍵がかけられるトコがイクサのストライクゾーンど真ん中で、思わず自分の書いたラノベもそんな感じに製本したくなってきて困るような本。それが――
「これが僕の生み出した魔導書、『ネクロノミコン(同人写本)』! そして――」