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第一話『初めての○○』――Aパート『初めての彼女』

 ●平成二十三年六月十二日(日曜)午後十一時二十七分――神山家二階、イクサの部屋。


「そうだな、一応改めて自己紹介しとこうか――俺の名前は神山イクサ! 『愛』と『奇跡』と『熱血』が大好きで、『諦める』のはクソ喰らえ! 夢は『可愛い彼女と公衆の面前でイチャラブすること』って言う、どこにでもいるナイスガイさ!」

 いや、自分の事をナイスガイと豪語する漢はあまりいないだろう。

 さらに言うなら『公衆の面前でイチャラブしたい』と胸を張って言う露出狂予備軍も……。

 だが、それを堂々と言ってのけるのが神山イクサ――黒髪黒瞳/短髪/筋肉質な身体/高身長/大人びた顔立ち――パッと見はかなりハイスペックな少年である。

 もっとも、その大人びた顔立ちはそのヤンチャな表情が台無しにし、メガネが似合いそうなのに視力が良いのでノーメガネとか、スポーツ得意なのに帰宅部とか、頭もけっこう良いのに勉強より趣味優先とか、話術も巧みなのにすぐネタに走ったりとか……持って生まれた高いスペックをことごとく空回りさせている残念な男だったりする。ゆえに男友達は多い。

『そんなこと言われなくても知ってるです。私を誰だと思ってるのですか、お義兄ちゃん?』

 興奮するイクサを鈴の鳴るような声が咎める。

 その声の主はベッドの上――その美脚をブラブラさせながらイクサの書いたラノベを読んでいるゼンラー美少女改め裸Yシャツ美少女。もちろん裸ワイシャツなので下は履いてません。おかげで健全な青少年は健全ゆえにドッキドキさ☆

「……あ、ああ、解ってるさマイヒロイン! キミこそ俺が書いた俺主人公なラノベ『カミ☆イクサ』のメインヒロイン・神山神音ちゃん。ぴっちぴちの一億十六歳な俺の嫁!」

『……そんな設定だったですか? えっと~、白に近い銀髪のツインテールで――』

 少女――神音が自分のキャラ設定を声に出して読んでいく。

 さすがのイクサも『目の前で自分が書いた文章を朗読される』という羞恥プレイに転がりながら悶え――神音はそんな彼を見て『ニヤニヤ』嗤いながらさらに続ける。だがしかし――

『――黒曜石のような黒い瞳、真珠のような白い肌、中学生女子の平均身長な一五〇センチくらいで、ちょっとロリっ娘フェイス、でっかいお尻と美脚がチャームポイント……』

 読み進めるにつれ、その声は段々不機嫌になっていった。

 どうみても爆発までのカウントダウン進行中――だがイクサは逃げない! ソレが嘘偽りのない理想だからこそ、彼は勇気を振り絞って踏みとどまる。踏みとどまってみせる!

『……む、胸、が、ツルペタ、なのが、コンプレックス……デスカ?』

「しょ、少々の欠点があったほうが魅力的だと思うがゆえなれば、お、お許し頂きたい」

『お義兄ちゃんはツルペタLOVEじゃないのですか……残念です。ウルウル』

「大好物サ☆」

 トラップ発動――語るに落ちた漢・神山イクサ(彼女いない歴十八年)。

 だが、誰が『己の創作物のヒロインに自分の好みを反映させた』この漢を責められる?

 そもそも彼の書いた物語は、彼自身が主人公――相手役に苦手なタイプを配置するほどチャレンジャーではなかった、と考えれば身の程を知っているとも言えよう……。

『あとこの――幼馴染で、義妹で、ツンデレで、小悪魔っぽいけど迂闊者で、見た目中学生だけど実は一億十六歳なロリババアで、それでいて世間知らずで、なのに「お義兄ちゃんのお嫁さんが夢だけど世間体が悪いから、ずっと一緒にいたいけど義妹のままでいいの。でも彼女とか作るのは絶対に許さないから!」って、いろいろおかしいです! おかしすぎです!!』

「それが俺の理想だから、……たとえ人からおかしく見られても後悔はしない!」

『それを背負わされた身になって考えるのですよッ!!』

「ホントに申し訳ございませんッ!」

 そのあまりにもごもっともな御言葉に――イクサは素直に頭を下げました。ゴメンナサイ。


 散々文句を言い――言いすぎて疲れた神音さんが溜息をつきながら原稿を置く。

 対するイクサは、彼女に怒られるのすら嬉しいって感じで、ダメージ0どころか、さらにノリノリ……確かにこれじゃあ溜息の一つもつきたくなるだろう。

『――そもそも、この状況ってなんなのですか?』

「俺の愛が起こした奇跡☆」

『自分がこの原稿ものがたりから生まれたって自覚はあるですけど……なんで出てこれたのか解らないのです。それに、なんか記憶もいろいろ曖昧ですし……』

 創造主の戯言を華麗にスルーする被造物サマ。

 ……まあ、イクサはそんな彼女の素っ気ない態度にも興奮していたりしますがね。

『原稿用紙には触れるのに、他のモノには触れないですし――』

 おもむろに伸ばされたその手がイクサの胸を貫く――が、イクサに痛みはない。

『……お義兄ちゃんにも触れないです』

 むしろ、触れられないことを確認してしまった彼女のほうが痛そうな顔をしていた。

 そんな表情も良い、とイクサは思った。が、彼はそれ以上に、女の子の笑顔とか、素っ気ない態度とか、虐げるような視線が好きなHENTAI……否、漢なのである。

「気にしない、気にしない――触れないぐらいで俺の愛は揺るがないさ。って言うか、『お触り』できないならプラトニックにイチャラブすればいいだけだよ。大丈夫、問題なし!!」

『難易度むっちゃ高いデスっ!?』

 爽やかな笑顔で無茶を言い、神音を心底驚愕させる漢・神山イクサ(HENTAI)。

 おかげで神音は痛そうな表情から、痛ましいモノを見る表情になりました――が、それこそイクサの望むところ。蔑む視線はご褒美です!

 そんな彼の態度にイヤな予感でもしたのか――神音は視線を逸らし、ついでに話も逸らす。

『……まあ、でも、イメージするだけで服を着替えれるのは便利ですね』

 そう言って神音はその衣装を『パッ』と瞬きする間に変えてみせ――ワンピース、サマードレス、着物にセーラー服にスクール水着と、楽そうに次々着替えていった。

 そしてイクサは、そんな美少女のファッションショーを爽やかな微笑みを浮かべて――全力全開で視姦していた。魂に刻みつける勢いで視姦しまくっていた。

 そんな彼だからこそ、その疑問を感じたのは当然といえば当然と言えるのかもしれない。

「……そういえば、なんで最初に出てきた時はゼンラーだったの?」

 その不用意な発言に、少女は一瞬時を止め――次の瞬間、大・爆・発!

『お義兄ちゃんが服の設定を書いてなかったからですよぉぉ――――――――――ッ!!』

 キャラ設定には拘ったけれど、服装描写を書き忘れた漢・神山イクサ(ラノベ初心者)。

 彼女が言うにはイラストなしのラノベで書いてないのは着て……いや『履いてない』のと同じというコトらしい。つ・ま・り――

「――と、言うことは……物語中ずっとゼンラーッ!?」

『死・ん・じゃ・え・DEATHデスッ!』

 叫びとともに放たれた少女の肘鉄キョウキが少年の意識を刈りとる。

 ハナヂを撒き散らしながら、無様に倒れるイクサ――だが、その表情はご褒美を貰った子供のように無垢で幸せな表情だったそうな……。

 ※ちなみにハナヂが興奮によるものか肘鉄のダメージかは不明です。察してあげましょう。

 そんな創造主を――完全に無視して、神音は自分の両手を見つめる。

 可愛らしい小さな掌。先程は確かにイクサの胸をすり抜けた人外の手。それなのに……。

『…………いま、なんで触れたですか?』

 残念ながら、その疑問に答えられる人どころか相談できる相手もその場にはいなかった。

 それどころか、少女の意識も少年を追うように――……途絶えた。



 ●平成二十三年六月十三日(月曜)午前七時十五分――神山家、玄関前。


「いってきまーす」

 イクサはいつも通りの時間に、いつも通り学校目指して家を出る。

 その身を包む白いカッターシャツも、教科書を全部机の中に入れているため軽いカバンも、遅刻でもないのに口に咥えたパンもいつも通り。これが彼の日常風景――だが、隣で眠そうな顔をしながらついてくるセーラー服美少女天使の存在が彼の世界を輝かせていた。

「フフフ……今日は記念すべき彼女同伴での初登校だ! ときめく! ときめくぞぉぉッ!!」

 そして、そんな彼氏に、彼女がドン引きしているのは言うまでもないだろう。

 神音は正直離れて歩きたかったのだが――離れても向こうの方から寄ってくるから、ホントどうしようもない。どうしようもないから、せめて三歩下がって付いて行くと――


「――おはようございます、イクサくん」


 突然、耳元で話しかけられてビックリ仰天。

 神音が驚きながら振り向くと、そこには――長く美しい黒髪/優しげな黒い瞳/穏やかな微笑み/綺麗な肌/小柄で自己主張しない身体――日本人形というか大和撫子な女の子の姿。

「あ、おはよう、葵さん」

『お、おぉぅ、お義兄ちゃん、これダレ!? ダレですか!』

「この娘は東野葵さんっていって、ウチのお隣さんで、保育園から高校まで一緒な幼馴染さ」

「……何故突然そんな説明ゼリフを言ってるのですか、イクサくん?」

 首を傾げながら尋ねる幼馴染さん。

 天然ぽい雰囲気を持った美少女ゆえ、そんな少々あざとい仕草も可愛らしいです……まあ、不審者を見るような視線に晒されているイクサがそんな気持ちを抱けるかどうかは謎ですが。

『……ふ、ふ~ん、幼馴染、ですか』

「神音ちゃん……俺としては『お義兄ちゃんどいて、そいつ殺せない』って展開を希望する」

『お義兄ちゃんは私に何を求めてるんですか!?』

「俺の、理想の、女性は、ヤンデレぇぇ――――――――――――――――――――っ!」

『だったら最初っからそういう設定にしとくのです!』

 イクサとしては『彼女を作るのは絶対許さない』ってあたりにそのニュアンスを入れたつもりだったのだが、残念ながら彼女は読み取ってくれなかったらしい……だが、彼は負けない!

 ――……フフ……初期設定など『その後のストーリー展開』でどうとでも変わるモノ! むしろ俺としてはその方が燃えるわ!!

「……イクサくん、その……頭大丈夫ですか? 独り言をブツブツ言いながら『理想の女性はヤンデレ』とか……正直、通報したいぐらい引くのですよ。いつも思っていることですが」

「……幼馴染のその発言にはこっちもドン引きなのですよ」

 あまりにも愛を感じさせない御言葉にイクサはヘコんだ。

 だが、そんな彼をスルーして、葵は周囲を『キョロキョロ』見回し――追い打ちをかける。

「あとですね、さっき彼女同伴とか叫んでましたが……どこにいるのですか?」

「え!? ……あ、いや……あ、葵さんには見えない俺の心の恋人がここにいるのさ☆」

「……こういう場合は病院ですか? それとも警察の方がいいですか?」

「俺は正気だよ!」

「わかっているのですよ。大丈夫、大丈夫。きっとお医者様が治してくれるから安心するのです。私も暇だったら三ヶ月に一回ぐらいお見舞いに行くですから」

「…………ホント、勘弁して下さい」

 ……その後、思いっきり下手に出て必死に説得した結果、なんとか通報は免れました。


「あ~、ま、マヂでヤバかった~。葵さんは人の話を聞かないから、話してると疲れるよ」

『……恐ろしい幼馴染さんですね』

 神音から見ればぶっちゃけイクサも同類なのだが、今は言わないでおきました。

 死者に鞭打つほど非情ではないし、そんな事よりも気になったことが――

「――しっかも、葵さんには神音ちゃんが視えてないみたいだし……」

『……そう、みたいですね』

 視えてるのにあそこまで無視していたらイジメであろう。

 神音には彼女がそんな女性には見えなかったので、『視えてなかった』と思うことにした。

 ――……視えない、触れない……まるで幽霊みたいですね。まあ、似たようなモノですか。

 と、少女は後ろ向きな自虐の笑みを浮かべる――が、イクサはどこまでも前向きだった。

「いや、待てよ……って事は、たぶん他の人にも視えないって事か? じゃあ、人前で神音ちゃんとエロハプニングなラッキースケベが起こっても咎められる心配無いってことかぁッ!」

『……触れない相手とエロハプニングってどんな状況ですか?』

「裸エプロンが風でめくれてイヤ~ンとかッ!!」

『まさか答えられるとは思いませんでしたデスヨ!』

 この漢、よりにもよって屋外で裸エプロンをやらせるつもりである。

 室内でやることが当たり前な裸エプロンを屋外で……その上で『風のイタズラ』イベントを組み合わせる発想力に神音は――自分の未来が暗闇に閉ざされた気がして――驚愕した。

 そして、この漢に優しさを見せた自分の甘さを悔やみ……ほんの少し、救われた気がした。



 ●平成二十三年六月十三日(月曜)午前七時四十五分――暁学園校門前。


『ここがお義兄ちゃんの通ってる学校ですか』

「そう。ここが俺達の主戦場! そして今日から神音ちゃんも通う『私立暁学園』さ!!」

 二人の前にそびえ立つのは大量の緑に囲まれた三階建て校舎。

 そこは昭和の戦後、良い人材の確保が難しかった時代に、『人材がないなら無いなら育てればいいのだ!』と言い出した漢によって創られた学校で、現在創立六〇年ちょっと。

 一応進学校ではあるのだが……来る者拒まずの精神にのっとって入学・編入試験が無く、その上学費は格安。ただし、進級試験に合格しない限り進級できず、卒業難度が高いという入りやすく出にくい罠のようなシステムゆえに退学者もちらほら。さらに生徒の自主性を尊重した結果、学校公認の『おかしなルール』や『あやしいイベント』が次々生まれちゃったという、かなり混沌とした教育機関である。なお女子の制服は可愛い←ここ重要。

『……ホントに私も通っていいのですか?』

「視えないんだから問題ないさ――むしろ視えないってコトは授業中に神音ちゃんとラブラブしていても誰にも咎められることは無いということ! 素晴らしくファンタスティック!!」

 ――……視えなければ何をしてもいいってワケではないのです。

 そう思う神音だが、目の前でダメな事言ってるダメな人には何を言ってもダメだと思った。

 人はコレを『諦め』とか『悟り』とか『泣き寝入り』というのかもしれない。

「――というわけで、キミの指定席は俺の膝の上だよ、ベイベー」

『触れないのに無茶言うのです』

「やろうと思えばできる! 強い想いが不可能を可能にするんだ! 昨日俺を殴った時の気持ちを思い出せ! そして俺と、公衆の面前で、ラブラブするんだぁぁ――――――――ッ!!」

『……ホントに無茶言いますのです』

 全力で『拒絶』したコトを思い出して『ラブラブ』とか矛盾しまくりであろう。

 だけど、あくまで『公衆の面前』に拘るブレのなさには、神音も思わず感心してしまう。感心してしまった挙句に――

 ――……まあ、別に視えないんですから、ちょっとぐらいはいいですか。

 妥協しちゃダメなことを妥協して、彼女はイクサの背中を追いかけていった。

 ※凄く無茶な事を言われると、多少の無茶は軽く感じるものです。注意しましょう。



 ●平成二十三年六月十三日(月曜)午前十二時二十八分――暁学園校庭。


「――やあ、イクサくん。午前中は大活躍だったそうだね」

「ういっす、マイ・フレンド! ――彼の名前は渚紫門なぎさ しもん。この学園たった一人の園芸部員で、花を育てることを愛する美少年。ただし、育てることは好きだけど、花そのものはあんまり好きじゃないって変わり者さんだ」

 ※育てられた花は露天市で売り払われ園芸部の活動資金になっています。

「ああ。今日のキミはパントマイムしたり、シャドーマンザイしたり、出会う人出会う人の人物紹介をするってウワサは聞いていたけれど……実際にされると少々恥ずかしいね。フフフ」

『変わり者扱いされてるのに笑って許したのです!?』

 許すどころか、むしろイクサの行動を楽しむような余裕の微笑みを浮かべている――サラサラな茶髪(天然)/赤みがかった瞳/長い睫毛な女顔/丸みのある身体つき/低い背丈/もう衣替え済んでるのに詰襟の学生服(黒)――かなり美少女な美少年だった。

「でも、ボクも変わり者かもしれないけど、園芸部員でもないのに、いつもボクを手伝ってくれるキミも十分変わり者だと思うよ」

「俺は『花』を愛でる男だからな! いろんな意味で『花』を!!」

『……ろくでもない意味にしか聞こえないのですよ』

「あはは――やっぱり変わってるよ、キミは」

『変わり者って、ぶっちゃけ「変人」ってことですよね、お義兄ちゃん』

「……オブラートに包むって大事だよな……ゴメン、紫門」

「ボクはゼンゼン気にしてないよ――それよりお昼休み終わっちゃう前に活動始めよ」

「おう!」

 そう言って二人は黙々と草取りを始めた。

 ――……ちょっと、意外かも、です。

 そんな二人を眺めながら、神音は思う。

 彼女にとっての神山イクサという男は……ぶっちゃけ大雑把な人ってイメージだった。

 それは彼の書いた物語の中の彼が『愛』と『奇跡』と『熱血』で困難を乗り越える――物事をよく考えず、ノリで全部片付けるご都合主義のカタマリのような漢だったから。

 ――……草をとるより農薬バラまいて花ごとヤッちゃうタイプだと思ってたのですよ。

 かなり酷いイメージだが、それが彼女のイクサなのである。

 ――……現実のお義兄ちゃんは物語のお義兄ちゃんと違うのです。それに……。

 神音は制服姿の自分を――彼の物語の中では着ていなかったモノを見ながら考える。

 ――……『お義兄ちゃんに触れない』とか『人から視えない』なんていう現実世界での追加設定に悩んでる私も物語の中の私とは別モノです……そんな私を私は神山神音と認めていいのですか? お義兄ちゃんは、それでいいのですか?

 彼女のアイデンティティへの思索は、草取りが終わるまで続いた。

 …………残念ながら答えはでなかった。



 ●平成二十三年六月十三日(月曜)午後五時四十三分――暁学園三階廊下。


「神山、もう帰ってもいいぞい」

「らじや、ですティーチャー井上、彼女いない歴四十八年」

 担任教師の言葉に、イクサは両手に持ったバケツを置く。

 辛く苦しい授業の果てに、彼は両手にバケツを持って廊下に立たされていた。

 何があったのかと聞かれれば、「授業中に『エア彼女』とイチャイチャしていた罰」と誰もが答えるだろう……そう、彼のあまりにも真に迫ったイチャラブぶりは、複数の生徒に「視えないはずの彼女が視えるような気がする」と言わしめ、頭痛で保健室行きになる生徒を続出させた。事態を重く見た教師陣は元凶の両腕を封じ教室から隔離する事を決定し……それが『エア彼女とイチャイチャしてクラスメート保健室送り事件』の概要である。


 ●平成二十三年六月十三日(月曜)午後五時五十七分――暁学園二階廊下。


 処刑道具バケツの片付けを終え、夕暮れの廊下を二人で歩く。

 先生からのお許しが遅かったのもあって、すでに下校時間ギリギリ――周囲に人影はない。

「どうだった、この世界の学園生活ってやつは?」

『そうですね……まあ、私の知ってる学園生活は、「文化祭で売上勝負」したり、「体育祭で格闘トーナメント」やっちゃったり、「林間学校でサバイバル」やったり「入学式がサバトもどき」だったりですから……それに比べれば平和(?)で楽しいと思うのですよ』

「いや、全部やったぞ、それ」

『へ?』

「俺がラノベに書いたネタは、全部俺が見るか経験したネタだからな」

『マヂですかっ!?』

 驚く彼女にイクサは親指を立ててニヤリと笑う。

 ウソを言ってる雰囲気ではない。だが、だからこそ神音には――この世界で生きていくのが不安になる方向で――衝撃的だった。ろくな未来が想像できない。

「これからは神音ちゃんも加わるって考えたら、楽しみすぎてワクワクが止まらないぜ☆」

『……私はすっごく不安デス』


「――残念だけど、そうはならないのです」


 突如、不吉な言葉が二人に振りかかる。

 その声は階段の上――窓から差し込む夕日を背にした小柄な影から。

 それは幼い頃から、いつも、いつでもイクサの近くにあったシルエットで――


「……葵さん?」

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