第四話『破滅の預言者』――Bパート『過去《きのう》と未来《あした》』
●平成二十三年八月十三日(土曜)午後六時三十分――神山家。
イクサと奇跡が一緒に住み始めてから約一ヶ月。
お風呂でバッタリ遭遇とか、寝ボケて一緒のベッドで寝るとか、奇跡がトイレに入ってる時にドアを開けちゃうとかいう嬉し恥ずかしラブコメイベントは多々あれども、魔導書大戦の方は何の進展もなく……イクサ達はサマーバケーション《なつやすみ》に突入していた。
それはつまり、敵の情報を得る手段を持たない彼等の『いつ襲ってくるか解らない敵』を待ち続ける日々が一ヶ月以上続いているという事でもある。
そんなストレス溜まりそうな状況でイクサと神音は――
「んじゃ、いってきまーす」
『行ってくるのです』
意気揚々と花火大会へ旅立っていきました。
今日は暁市納涼花火大会――空に大輪の花を咲かせる、夏お約束の一大イベントの開催日。健全なカップルなら行くしか無いだろう。だから行く。行って当然。現実逃避じゃないよ!
奇跡はそんな二人を自室の窓から見送り……溜息一つ。
「まさか本当に二人だけで行くとはね……」
『……私は兄さんを侮っていたようね。兄さんは……神山イクサは勇者よ』
くどいようだが、精霊である神音は普通の人には視えない。
つまり、おそらく大量のカップルに溢れるであろう彼の地に、イクサは傍目には野郎一人で挑むことになるのである。これを勇者と言わず何と言おう。
「てっきり途中で気づいて、『一緒に行こう』って泣きついてくると思ってたのにな~」
『……誘われるの、待ってたの?』
「もちろんよ! 誘われた上で『だが断る』って言ってやりたかったのに……無念」
『……私はそんな奇跡ちゃんが大好きよ』
とても慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、花音は奇跡を肯定した。
……昔っからダメな子ほど可愛いといいますからね。大丈夫、味方が一人でもいれば人は強く生きていける。たとえ、その味方が普通の人には視えなくても……。
●平成二十三年八月十三日(土曜)午後七時三分――神山家、奇跡の部屋。
「そんなワケで、葵ちゃんとパジャマパーティーします。今日は寝かさないわ」
「……ぶっちゃけミラちゃんとの距離感が掴みづらいのです」
戸惑いつつも、ちゃんとパジャマでお邪魔している葵さん。
そして、その隣にピッタリと寄り添うように座っている――お風呂あがりの濡れた髪/ほんのり赤く染まった頬/絶妙にはだけたパジャマ/蠱惑的な瞳/艶かしい唇/小悪魔のような笑み――男嫌いな百合少女・奇跡。イケメン好きの葵が生唾飲んじゃうぐらい魅力的で……。
――……っ!? と、ときめくな私の心! 揺れるな私の心! 同性愛は道を踏み外すのですよ……ただし、BLは除くのです。あれは真実の愛の道ですからッ!! でも、可愛い……。
東野葵の理性の法則が乱れつつある!
だが、奇跡のターンはまだ終わっていない。彼女のアプローチは始まったばかりだ!
「……フフ。葵ちゃんって髪キレイよね」
そう言いながら奇跡はその手で葵の髪を一房すくい――口付ける。
「綺麗な黒髪と対照的な白い肌……まさに大和撫子って感じで羨ましいかな」
「……みら、チャン?」
二人の距離がどんどん近づいていく。
既に息がかかる距離――奇跡はもたれかかるように体重を預け、葵は『ヘタに動くとミラちゃんが転んじゃうのです』とか甘いことを考えて逃げるのを躊躇う。その甘さが命取り……。
「もう一ヶ月くらい経つし、そろそろいいよね?」
「え? な、なにが良いのですか!? ちょ――顔近いのです! 待つのです! 早まっちゃダメなのです! アナタのお姉様と源氏様が見てるのですよ!?」
だが、葵の静止の声など気にもとめず、奇跡はその唇を近づけ――
「な・か・な・お・り・の・キッ・ス」
葵の頬に『ちゅっ』と口付けする。
ニンマリ笑って離れる奇跡――その背後で同じ微笑みを浮かべる花音を見て、今のが冗談だということに葵は気づく。本気だったら花音が嫉妬のひとつでもしていないとおかしい。
――……一発かまして主導権ゲット。ついでに前回の意趣返し、ですか。
からかわれたのはちょっと悔しい……が、葵もニンマリ笑い返す。
これで恨みっこなし、と言うように。
※ちなみに葵の相方のイケメンさんは、この友情の儀式を邪魔しないようずっと部屋の片隅に控えてました。今も微笑みながら見守って……この精霊、空気読みすぎてマヂイケメン。
そんな儀式を経て、二人は改めてお友達になりました。
隣り合わせで座っていることに抵抗を覚えなくなるぐらいの友情を一気に育んで、肩を寄せあっておしゃべり――しかし、この二人に共通する話題はまだ少ない。ゆえに、その話題に行き着いたのはある意味必然だったのであろう。
「……ところで葵ちゃん。お兄ちゃんって、昔からああなの?」
「気になるのですか?」
「のん。大好きなお兄ちゃんのことを知るのは妹としての義務であり権利! 良くできた妹はお兄ちゃんの過去・現在・未来、趣味嗜好性癖に至るまで知っていて当然!! 気にする、気にしない、なんて言う問題じゃないの!」
『わ、私は別に兄さんのことなんて知りたくないけど、葵ちゃんが話したいって言うなら聞いてあげてもいいよ! べ、別に兄さんのこともっと知りたいなんて思ってないんだからね!』
「二人ともビックリするほどデレデレなのです!?」
『どうやらこの一ヶ月で完璧に調教されちゃったようだね。イクサくんも罪な男だよ』
「『調教言うな!』」
百合姉妹の抗議はスルーしつつ、いつの間にか進行していた事態に驚愕する葵と源氏。
彼女達とはほぼ毎日顔を合わせていたのに、イクサの前では変わらずツンツンしていたのでまったく気づかなかった。まさか裏ではここまで……恐ろしい。
『……ところでキミ達の「男嫌い」って設定はどうなったんだい?』
「『ダマレ! お前如きとお兄ちゃん(兄さん)を一緒にするな! 穢らわしい!!』」
「…………いや、ホントに何があったのですか?」
この短期間でキャラクター性を歪めるほど好感度を上げるとは……ホント、恐ろしい。
「そんなことよりも葵ちゃん、昔のお兄ちゃんのこと教えてよ! ねえ~、ねえ~」
「え、え~っと、ですね……昔のイクサくんは――」
甘えるように上目遣いで催促する奇跡に、葵は生唾を……訂正、目の前の現実から目を逸らし、遠い目をして過去を思い出す。遠い、幼い日の……。
一番近くでイクサを見続けた彼女だけが知っている彼の記憶を。
――「俺に、近寄るな」
泣きそうな瞳で彼女を拒絶した、彼の記憶を。
葵を守ろうとした挙句に運命に負けた敗者の記憶を。
中学時代、彼は葵を拒絶しなければ自分を保つことができないほど追い詰められていた。そのくせ捨てきる事もできなくて、どんどん荒れていった。自暴自棄になって、盗んだバイクで走り出しそうな雰囲気を身にまとっていた。可哀想で可愛い初恋の男の子……。
――……あの頃のイクサくんはギラギラしてて素敵だったのです。
いまの残念イケメンではなく、危険な香り漂う良いイケメンだった。
でも、それはいまにも壊れそうな脆さを秘めていて……怖かった。
「……悪い意味で凄く怖い人だったのです」
『「『怖い?』」』
その意外な言葉に奇跡、花音、ついでに源氏の声が重なる。
それから葵はちょっと席を外し――どこからか一冊のアルバムを盗ってきた。
「まずはコレを見てください」
『なにコレ? なんでアルバムに宝くじが挟んであるの? ハズレクジコレクション?』
「――ッ!? ちょっと待って、お姉様。これ……全部当たりクジよ! 百万、一千万……あ、うそ!? 前後賞合わせて三億円っ!!」
「それがイクサくんの能力――『未来予知』なのです」
「『……マヂですか?』」
思わず中二病扱いしたくなるが、先に証拠を見せられているため反論しづらい。
「イクサくんは未来を視ることができるのです。好きな時間を好きなように。その上、ノーリスクで使いたい放題、見放題なのです。あ、でも今は友達の彼女に催眠術でリミッターかけてもらって、封印解除のキーワード唱えないと使えない厨二仕様にしたらしいのですが……」
その結果『五感を封じてコスモを高める理論』が発動し、無意識に危機回避できちゃうという新能力が覚醒。自動防御で飛んできた矢を掴んだりできて便利らしい。
「ノーリスクって、何そのチート!? 反則過ぎ! ……私はたまに予知夢見るぐらいなのに」
『……死角からの矢文を掴めたのはそういうワケね。さすが私の兄さん』
「でも、未来が視えるということは、何かをする前に結果がわかるということ……そのせいでイクサくんは未来に希望を持てず、熱くなることができない子供になっちゃったのです」
「……今と違い過ぎない、ソレ?」
葵の語る過去と、奇跡の知ってる現在が重ならない。
「そして、『視たくない未来』まで視えてしまったせいで――」
●平成二十三年八月十三日(土曜)午後七時十五分――桜公園、花火会場。
夜空に輝く花火に照らされる影はひとつ。
でも、見上げているのは二人――浴衣モードの神音と、びしょ濡れで海パン一丁のイクサ。
花火会場に海パン一丁の高校生男子はどこまでも異質。通報されてもおかしくない……のだが、周囲の人達は彼を変な目で見ていない。むしろ好意的な視線をイクサに向けていた。
「フッ。まさか花火を見に来て溺れる幼女を救出することになるとはな……これがヒーローの宿命ってやつかぁ~♪」
『……人助けは良いことなのです』
川沿いに設けられた花火会場。
空を見上げる大量の観客――さきほど、そんな足元不注意な人の波に流され、小さな女の子が川に落ちて溺れるという事故が起こった。でも、隣に居た親が気づくよりも早く海パン姿の少年が川に飛び込み、見事その幼女を救出したので大事には至りませんでした。セーフ!
※なお、救出が早かったので人工呼吸イベントは起こりませんでした。セーフ!
……まあ、そんなワケで、イクサは楽しいイベントを守ったヒーロー。
びしょ濡れで海パン一丁な姿は名誉の負傷みたいなモノという認識なのでありました。
ちなみにお礼を言う幼女の親に「幼女を救けるのは紳士の義務」とか「名乗るほどのものではないさ」とか言ったりしてました。あの師にして、この弟子ありですね。
『でもお義兄ちゃん……なんで服の下に海パン着込んでたのですか?』
「なんとなく!」
『……私、お義兄ちゃんのことわかんないのです』
花火よりも輝く笑顔に、神音の心は暗く曇っていったそうな……。
●平成二十三年八月十三日(土曜)午後七時十六分――神山家、奇跡の部屋。
「――未来に絶望して周囲に当たり散らしたのです」
自分から喧嘩を売ったりはせず、気に入らない相手が喧嘩を売ってくるように誘導して返り討ちという最悪な方法で。誘い受けな正当防衛を、何度も何度も繰り返した。
モチロン、誰にも負けなかった。
それも当たり前――彼には未来が視えるのだから、勝てない相手と戦わなければ敗ける理由がない。そして、当時の彼は勝てない相手と戦うことに意味を見出していなかった。
「そんなイクサくんが、とあるキッカケで現暁学園生徒会長・蒼井皐月、旧姓不知火と出会って、対立して、激突して……半殺しで病院送りにされて、退院したら『強い想いは運命だって打ち破れる! 人生は熱血だーッ!!』な熱血おバカになってたのです」
「……何が起こったのか、すっごく気になるわね」
おそらく頭を強打したのだと思われるが真相はナゾ……なのだが、たぶん『負けた』ということが重要なのだと奇跡は推測してみた。
自分の能力を超える存在は、自分の能力に絶望させられたイクサにとっては希望だろう。希望があるなら自暴自棄になる必要はない。たぶん。きっと…………でも、一応答え合わせはしておこうと、奇跡は話の続きを促す――が、葵はためらった様子で口をつぐむ。
数秒の沈黙の後、葵は絞りだすように――
「そして――」
『ねえ、私としては会長さんの「旧姓」って説明がちょっと気になるんだけど!』
話し始めたのに、お姉様がヘンテコな事を言い出してインターセプト。
あまりにも唐突に変なことを言い出すので、奇跡は思わず普段イクサに向けているような目で花音を見る。見ながら、彼女の言葉の意味を考え…………思わず納得した。
「まあ、たしかに。言われてみると、私もちょっと気になるかも」
「……えっとですね、彼はこの前十八歳になって、許嫁と籍を入れて苗字が変わったのです」
『「高校生で妻帯者!?」』
奥様は女子高生ならぬ旦那様は男子高校生。
でも、高校三年生なら十八歳――未成年者の結婚は親の同意が必須。さらに許嫁を決めるのも親という事を考慮すると……複雑な家庭事情とかあるのかもしれない。婿入りしてるし。
「学校的にいいの、それ?」
『うちの学校は男女交際に寛容ですから。不純でないなら二股も賞賛されるのです』
『……不純でない二股ってあるのかしら?』
「狂ってるわね」
『賞賛されるってトコにそこはかとない狂気を感じるよ』
ダメな方向に法律に真っ向から立ち向かってる教育機関である。
そんな校風を許す教師達や、そんな学校に子供を通わせる親達は頭がオカシイのかもしれない…………と、葵はいつの間にか不自然なほど思いっきり話が逸れている事に気づく。
言い出しっぺをチラリと見ると――ウィンクひとつ。どうやら彼女は葵がこれ以上は『言いたくない』と思っていることを察して話を変えてくれたらしい。
葵はその厚意をありがたく受け取り、感謝の笑みを返す。
そして、言葉にしたくなかった続きを思う。
――……イクサくんは生徒会長と喧嘩して変わって……私に告白してきたのです。
それまでは「近寄るな」とか言っていた男が突然「好きだ」と百八十度方向転換したら、まず正気を疑う。正気を疑った挙句、葵は……。
「――そういえば葵ちゃんって、昔、お兄ちゃんに告白されてフッたって聞いたんだけど?」
せっかく花音が空気を読んで話を変えてくれたのに、マスターの方は空気をまったく読んでくれませんでした。むしろズバッと斬り裂いてきて困る。
「…………え、ええ。そうですね」
「フッた相手と友情って成立するんだね」
「………………あ、ええ。そうですね」
それは葵にとって消したい過去――イクサは葵にフラれたと思っているが、真実は違う。
イクサの正気を疑った挙句、焦って自らの正気を失った葵が彼の告白の答えとして口にしたのは「私はイケメンが好きです」という残念すぎる言葉で……結果、イクサが自分自身をイケメンと認識していなかった為にフラれたと思い込んでしまっただけ。葵の主観でまとめるなら『好意を持っていた異性から突然告白されて、焦った挙句に嗜好を暴露しちゃったら、断ったと勘違いされてフラれた』という……色々な意味で残念な真実だった。
モチロン、葵はすぐさま訂正しようとしたのだが、「愛は見返りを求めない」とか言い出して勝手に自己完結してしまったイクサには通じず……結局、そのまま彼女の初恋は終わる。
その後、ヤケになった葵はそれまで以上に度を越したイケメン好きになり、さらにBLの扉まで開いてしまうのだが、それはそれで満足しているので問題ナシ! って事にしておこう。
――……もう、昔のコトなのです。
あれから新しい恋も見つけた。
でも、その恋を叶えるためにはイクサの新しい恋を叩き潰す必要があった。
彼女は嬉々として実行し……そして、見事に返り討ちにあった。
自分の恋人――源氏の身も心も奪われかけるという散々な結果だった。
なんとか最悪の結果は免れたけれど、それがキッカケで、こうして彼の恋を成就させるためのお節介を焼くハメになっている。ちょっと御人好しすぎるだろう。
――……でもまあ、未練がまったくないというコトもないのですよね。
だからこそ、イクサと神音の恋を葵は応援しようと思った。
あの二人の恋が成就すれば――葵は余計な事を考える必要がなくなる。自分を好きだといってくれた初恋の男の子とのおかしな関係をリセットできると思うから。
でも、その前に――
「――ところで、その話は誰から聞いたのですか?」
「え? ラブコメマスターって名乗るすっごいイケメンが教えてくれたんだけど」
「アノらぶこめばかガ」
「え?」
「なんでもないのですよ。こっちの話です」
暗い気持ちを笑顔で流す。ニッコニコ♪
ちょっと悪意が漏れてて怖いけどニッコニコ♪
そのあまりのニコニコっぷりに恐怖した奇跡と花音は、それ以上何も聞けなかった。
●平成二十三年八月十三日(土曜)午後八時二十五分――桜公園、入口付近。
イクサと神音は花火を程よく堪能した後、帰路についた。
いまだに身体が乾ききっていないので海パン一丁――来るときに着ていた服は極力濡れないように脇に抱えています。いまが夏で良かった、良かった。
「やっぱ花火はいいもんだ。物語のワンシーンって感じで」
『……そうですね。ユメみたいな一時だったのです』
色とりどりの花火に照らされる、海パン漢――物語のワンシーンというなら、それは間違いなく『コメディ』で、ユメと言う字はたぶん『悪夢』と書くのだろう。
それでも、神音にとっては悪くない思い出になった。
誰かを救けるために恥をかけるイクサを、彼女は誇りに思う。
見知らぬ誰かの命を色恋よりも優先できる男を、神音は好ましく思う。
口にするのは恥ずかしいからしない。けれど、確かにそう思っている。
だから、笑顔で皮肉を言いながらも、いつもよりも近く、寄り添い歩く。
「また、来年も一緒に来ような」
『……はい、です』
――……来年、ですか。
その時、彼女は初めて考えた。
来年の自分のことを。
物語から生まれた自分の明日を。
自分の始まりである、すでに結末の描かれた物語のことを。
それは物語に綴られた彼の理想――幼馴染がいて、妹ができて、彼が物語の中に望んだものは現実に揃いつつある。
『……その時、私は、まだ……お義兄ちゃんに必要なのですか?』
現実が妄想に追いつきつつある事は、少女の小さな胸を不安で締め付ける。
その不安は少女の心を追い詰め、その瞳のハイライトを失わせていき……。
――……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………まあ、その時はお義兄ちゃんと一緒に永遠の世界に旅立てばいいのデスね。アハ☆
その日、少女は修羅道への確かな一歩を――踏み外した。