ノットフラットVS病魔
駅のロータリーに戻ってくると、そこは悲惨な有様と化していた。
地面に転がる息も絶え絶えの人類防衛軍達、粉々に砕かれたタクシーやバス、地割れを起こし、一部が溶けて土が剥き出しになった地面。
幸いな事に、防衛軍達が決死の思いで食い止めてくれたため、虎型の病魔は駅の中には進行していなかった。進行していたら、被害は大きくなっていただろう。
その虎はというと――大きな口を開けて、鋭い牙を見せる。一人の少女を喰い殺そうとしていた。しかし、近場のタクシーが独りでに動き出し、彼女の盾となる。タクシーは、虎の暗い口内にぱくりと呑み込まれた。
「カナハっ!!」
今の今まで一人で病魔の猛攻を食い止めていた、遥の親友であり、チームの仲間である彼女の名前を呼ぶ。
カナハは遙達の姿に気付き、「遙ちゃん! 陽炎くん!」と掠れた声を上げた。
彼女の制服は血だらけになっており、腕には大きなガラスの破片が刺さっていた。足首も怪我しているようで、手で押さえている。
「今、助けに行くから! 一人で戦おうと、無茶しないで! 宮下、全力で飛ばしなさい!」
ぐうんと身体が前方に持って行かれる。バイクが加速し、百メートルあった距離が高速で縮まり、黒紫色の巨体にあっという間に近づく。
遙は汗ばんだ手で拳銃の銃把を握りしめながら、
「《改改改改》」
と、静かに祝詞を告げた。それから、銃弾に念じる。
――狙った獲物を、追尾するように。
――その獲物に命中した時、爆発するように。
すると銃弾から目映いばかりの閃光が包まれ――収束する。
カスタムが完了した合図だった。拳銃の外見に変化はないが、中身は明らかに変わっていた。
遙の能力、それはありとあらゆる物を自分の都合の良いように、使い勝手の良いように造り替える(カスタム)事だ。
その時、病魔は黒い羽根を上下して浮かんだ。遙は腕を両手で拳銃を構え、照準を合わせる。病魔は矢のように身体を細くし、カナハを目掛けて突っ込む。遙は拳銃の引き金を引いた。
パンッ!! パンッ!! と二発の銃声が鳴り、二発の弾丸が拳銃から発射される。
その二発の銃弾は病魔へと刹那的に迫り――右足と横っ腹に命中すると、大きな音を立てて爆発した。虎の右足は吹き飛び、翼に特大の風穴が空く。そして身体から紫色の――人間で言うところの血が噴き出て、それがタクシーやバス、ビルや駅をじゅわっと溶かす。
体液だけでなく血液も、物体を溶解するらしい。しかも――
「グルゥルルルルルルルルゥ――ッ!!」
と、呻き声を上げて、翼を失って飛べなくなった虎は地上へと真っ逆さまに落ちる。その衝撃で、地面が陥没した。
倒したかに思われた。しかし、負傷した箇所ぶくぶくと奇怪な音を立てて、再生したのだ。虎は起き上がり、光さえも呑み込むほど暗い口を開けて、天に向かって咆えた。何事もない事を示すかのように。
「――しかも、不死身ってわけねっ……! 宮下、バイクを止めて!」
「えっ? ……ええっ!? バイクを急に止めたら、身体が投げ出されて大怪我するよっ!」
「そんな事分かってるから! 承知の上で言ってるの! いいから、さっさとして! 怪我しても、あんたの責任にしないからっ!」
「う、うん! 分かったよっ!」
陽炎が急ブレーキを掛けると、キキイイイイイイ! とゴムが擦れた音がし、バイクが横に傾く。その反動を利用して遙はバイクを蹴って大きく跳び、拳銃で適当に撃つ。牽制のためだ。そのどれもが当たり前のように病魔に直撃し、炸裂。血が撒き散る。しかし、身体の半分以上を失ったのにも関わらず、次の瞬間には何事もなく甦ってしまう。
病魔は一歩退き、その勢いで飛んで、羽根を羽ばたかせて、空へと舞い上がっていく。
遙は地面を転がって何とか落下時の衝撃を押し殺したのだが、犠牲として左肩を折った。
「ぅううっ!」
苦悶の声を上げる。しかし、そんな事を気に留める暇はない。小走りでカナハのところへと向かい、彼女の前に立つ。
「宮下! 今の内に、彼女を連れて逃げて! バイクに乗るまで、あんたらを護衛するから!」
背後を見ずに病魔を見据えたままで、拳銃を構えたままで、遙は咆えた。
「悠木、平気なのかよぉ!? 怪我しているようだけれどっ!」
「あたしなら大丈夫! それよりも、チームメイトの安全の確保を優先して!」
「あ、ああ……! ほら、肩を貸すから、逃げよう!」
背中から陽炎の焦った声が聞こえる。
「ありがとう、陽炎くん。でも、遙ちゃんを一人で戦わせるわけにはいかないよ!」
カナハは、素早くそう返した。
「いいから、あたしの言う事を聞きなさい、カナハ! 今のあんたじゃ戦力にならないし、この際だからはっきりと言うけど、足手まといなの! あんたを守りきれる自信がないから言ってるの! 分かって、カナハ!」
話している間に、遙は空を旋回する病魔に、発砲した。
吐き出された薬莢から硝煙の匂いが漂い、鼻腔を貫く。遙は顔を顰める。それが、カナハには苛立ったように見えたようで、
「……分かったよ、遙ちゃん。逃げるよ。お願いだから、死なないでね!」
珍しく、カナハから折れた。
遙の細い肩に、彼女の細くて小さな手が乗っかる。顔を横に向けると、陽炎の肩を借りて何とか立っているカナハは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
心配してくれている彼女に対して、遙は胸を張って鮮明に答えた。
「平気! あたしを誰だと思ってるの! 超能力者という、神様から選ばれた人間にしか授からない力を得たんだから! ほら、宮下! さっさとカナハを連れて!」
「う、うん」
ゆっくりとではあるが、陽炎とカナハはバイクの方へと歩いてくのを、横目で窺う。
そして、遙は前を向いて、病魔に細心の注意を払いながら、思考する。
(今ので、銃弾が八発になってしまったわ……。たとえ、病魔の身体に銃弾を当てたとしても直ぐに傷が癒えてしまって意味がない。やっぱり、あの額の透明な玉、《星の雫》を破壊しない限り、倒せないってわけねっ!)
「《改改改改》」
静かに告げる。すると、折れた左肩が輝きを放ち、一瞬で光が収束する。そして、遙は肩を回して、腕の感触を確かめる。痛いけれど、動かす分には弊害はない。
遙は、超能力を身体にも適用したのだ。骨の成長を無理矢理速くさせて、折れた骨を接骨して、治した。病魔のような異常な再生能力ではなく、荒療法で。それが後々、自身の身体に悪影響を与える事になったとしても、能力を使った。
そして、治った手で拳銃をしっかりと持ち、空を飛行する黒紫色の化け物に向けて、三発の弾丸を放つ。
追尾機能があるので、たとえ躱されたとしても当たるまで永遠に追い続ける。
しかし、当たったとしても、未だに病魔を殺せる決定的な一打にはならなかった。
(顔に、出来ればあの透明な玉に当たれば、病魔を倒せるのにっ!)
背後を確認すると、カナハは陽炎の手により、バイクに乗せられていた。
これでもう、彼女達は逃げられるだろう。と、安心していたのが、運の尽き。
前を向くと、病魔はいつの間にかこちらに向かって来ていたのだ。
隙を狙って仕掛けてきたのだろう、虎の動きは恐ろしく速かった。二百メートルあった病魔との距離が、瞬きする間に縮まる。
策を弄する暇も考えもなく、遙はただ自動式拳銃を即座に構えて、射撃した。
太い首を吹き飛ばし、血を撒き散らすが、再生。病魔は苦悶の声を上げるが、それで怯んだ様子はない。最早、捨て身覚悟の上での行動のように思えた。
堪らず撃とうとするが、カチカチっという絶望の音が拳銃からする。弾切れを起こしたのだ。何度も引き金を引いているが、一向に弾は発射されない。焦る遙の視界を、病魔の暗い口が覆い、逃れようもない死が迫ってきて――
「《暴飲暴食》ッ!」という声が聞こえた。それは慣れ親しんだ声だった。
奇妙な事に、遙の僅か十メートル先にいた病魔が、重力に逆らうようにして突如方向転換すると、カナハのところへ吸い寄せられていったのだ。
彼女は自分を助けるために、能力を使って、身代わりになったのだと遙は瞬時に悟り、
「カナハぁぁぁああああぁぁぁあああアアアッッ!」
絶叫を上げる。何も出来ない遙は手を伸ばして、彼女の元へと全速力で走る。しかし当然、追いつけるわけがなくて。恐怖と焦燥と後悔で、遙は泣き出していた。
その時だ。パンッ! と発砲音が天に轟いたのは。そして、星の雫がきらきらと輝きながら砕け散り、最期に虎が咆哮すると、跡形もなく消え去った。
カナハはバイクから投げ出されて地面に仰臥していたが、命に別状はなかった。陽炎はというと、気絶していた。恐らく病魔を間近に見てしまったからだろう。
遙はカナハの元に駆け寄り、細い身体を抱き起こす。
「カナハっ……! カナハっ!」
「そんなに私の名前を呼ばなくても、聞こえてるよ、遙ちゃん」
瞳から流れる透明の雫を、カナハの暖かい手が掬ってくれる。遙はその手を取り、ぎゅっと握る。
「だって! あんたって子は自分の命を省みないで、無茶ばっかりるすから……! こっちの身にもなってみなさいよ! どれだけ心配したか! どれだけ不安だったか!」
「心配かけちゃってごめんね……。でも涙を流すぐらい心配してくれるなんて、嬉しいよ」
えへへとカナハは笑う。それは戦場に咲く花のようで、遙の不安を消し飛ばしてくれた。
やはり、カナハは笑顔が似合っている。悲しみは、彼女には必要ない。
無事だった事に安堵する遙だったが、そう簡単にはカナハの身勝手な行動を許さない。
「はぁ……あんたって子はこんなに言っても、人の話を聞かない子なんだから……」
頬をプクっと膨らませて怒る。けれど、遙はカナハの柔らかい黒髪を優しく撫でた。
彼女は目を細めて、まるで猫のように気持ちよさそうにする。
「遙ちゃん、彼が行っちゃうから声を掛けて! お礼をまだ言ってないから!」
小さな手を精一杯伸ばして、カナハは指差す。その指の先を、遙は追う。
信号の手前に――ここから五十メートルほど離れた位置に、夏も真っ盛りだというのに、黒いジャケットを羽織った少年がいた。あどけなさが残る小さな顔、短髪で黒い髪、漆黒の瞳。首元にぶら下がっていた、装飾の施されたペンダントが揺れていた。歳は十五、六ぐらいだろうか。遙達と大差ない。
しかし、彼のオーラは、十代のそれとはかけ離れていた。
黒く淀んだ歪なオーラは、殺気だ。その殺気が離れた場所にいる遙達へと届き、遙は知らず知らずの内に、敵意を剥き出しにしていた。
睨みつける遙とは違って、彼は闇よりもなお黒い二つの瞳で、遙達を冷静に見ていた。しかしその目は虚ろで、遙達を見ているようで、遥か彼方を見ているようだ。
手には、遙の持っている拳銃とは違ったものが握られている。確か、デザート・イーグルという呼称だった気がする。それで病魔を倒し、カナハを助けてくれたらしい。
少年は興味を失ったのか、コートを翻らせ、歩き出した。
「待ちなさい、そこのあんた!」
大声を出して言うと、少年は遙達に背を向けたまま立ち止まる。聞く気はあるようだ。
「この子が……あたしのチームメイトが、あんたに感謝を述べたいらしいから、こっちに来なさい!」
「は、遙ちゃんっ! ついさっき会ったばかりの人に、上から目線で言ったら駄目だって……! でも、遙ちゃんは悪気があって言ってるわけじゃないですから、許してあげてください」
と、カナハが慌てた様子でフォローする。
「えっとですね、その……、助けてくれてありがとうございました!」
彼女は頭を下げる。そして、ぱっと顔を上げると、微笑んだ。
しかし、少年は顔を横に傾けて一瞥をくれただけで、駆け出した。
「あっ、ちょっとどこへ行くのよ、あんた! 名前ぐらいは教えなさいよ!」
少年の後を追おうとする遙の手を、カナハがガッシリと掴んだ。
「ううん、遙ちゃん、追い掛けなくてもいいよ。きっと彼にも彼のやるべき事があるんだと思うから」
「カナハがそういうなら良いけど……そうね、あんたを病院に連れて行く事の方が最優先事項だわ。あんな奴の事よりもね」
遙はカナハをバイクの上に軽々と乗せた。そして、バイクをカスタマイズさせて、車体の横に新たな座席を――サイドカーを誂えた。そこに地面にぐったりと伸びていた、宮下を放り投げた。
それからカナハはバイクに跨り、ハンドルを握ってブロロンとエンジンを吹かす。腰に小さな腕が回された。
「それじゃあ、行くわよ……! しっかりと掴まってなさい!」