獅子屋神楽
病魔が襲来する三十分前の事。獅子屋神楽は、都庁の第一本庁舎の前に訪れていた。
五分ほど前に、神楽の携帯に都知事からの緊急連絡が入ったからだ。
「一体何だろうな……。随分と切羽詰まっていた様子だったが……。まさか明後日に行われる連結についての話か? でも、それなら私は関係ない。今や、外交官ではないのだからな。ならありえるとしたら――まさか、病魔の事か! だとしたら、マズイことになってきたな……。とりあえず、直接都知事に聞くしか他にないな」
神楽は吸っていた煙草を落として靴の踵で踏み、黒いジャケットとポニーテールにした黒髪を揺らして、都庁へ力強く入ったのだった。
「そこの貴方、少しよろしいですか?」
中に入ると警備員が神楽の元へと駆け足で近寄り、身分証明書の確認を要求してきた。
神楽は懐から取り出した《能力者証明書》を見せる。
能力者証明書とはその名の通り、自分が超能力者または《異能力者》だと証明する書類である。それは普通の人間とは違うという意味があり、異常な力を持つという意味があり、地位を示すという意味もある。
神楽は、超能力者だった。
異能力者と違うのは、生まれ持った潜在的能力か、外的内的要因で身につけるかだ。
超能力者は前者で、二十歳未満の内に能力が開花しなければ生涯、超能力者にはなれないと言われている。彼らが誕生したのは、丁度、平成から新平成の時代に移り変わってからだ。次々と生まれてくる子共の中に、何故か特別な力を持った子共が出てきたのだ。
無論、能力を持たないで生まれてきた子供もいたが。
選ばれた人間のみがなれる超能力者とは違って、異能力者は誰でもなれる。
とはいえ、条件がある。外傷体験が必要なのだ。たとえば、それが事故による損傷で身につける場合もあれば、人の死を見た事による場合もある。
能力者となった人達は、人類の敵に対抗するべくして現れた救世主といえた。彼らは人類防衛軍に志願し、幾度となく人々を救った実績がある。英雄として賞賛されるべきなのだろう。だが、特殊な力を使用して頻繁に問題を起こすようになっていた。ニュースで取り上げられるほどに。
だから、能力者は《無能力者》から忌避、警戒、羨望、あるいは畏怖の対象と見なされている。それが、昨今の社会情勢だった。
「お、お疲れ様です!」
と、警備員は慌てて敬礼する。神楽はそんな彼を切れ長の瞳で一瞥し、エレベーターがある方へと足を進めた。
神楽はエレベーターに乗り、長い事揺れると七階で止まる。ドアが横にスライドし、大理石の床が出迎えてくれた。それが、天井の人工の光を反射して、白に拍車を掛ける。
目の前には都知事室と書かれた扉があり、その前へ立つと、神楽はノックを三回した。
「私です、獅子屋神楽です。勝手に中に入りますが、よろしいですか……?」
『ああ、構わん』
扉の向こうからしゃがれた低い声が聞こえ、神楽は扉を勢いよく開けて、部屋に入った。
神楽は、切れ長の瞳で室内を見渡す。
中央には大きな丸テーブルがあり、八脚の椅子がテーブルを囲むようにして並べられていた。その椅子には、男女合わせて四人が話し合っていた。どれも見た事のある顔ぶれだ。それそうだろう、都市の間ではかなり有名な政治家ばかり。
丸テーブルの奥には高級そうな木彫りのデスクがあり、髭を蓄えた片眼鏡の男性がデスクに肘を突いて手を組んでいた。歳の頃は五十代後半。髪の毛に白髪が少し混じっている。
彼は眉間に深い皺を寄せながら、口を開いた。
「静かにしたまえ。今から、大事な話をするんだ」
それまでの喧噪がぴしゃりと消える。ごほんと咳き込み、彼は続きを言う。
「防衛軍少佐という階級、元外交官という立場、そして現桜木学校の教師という役職。素晴らしい経歴を持ち、更に都市では十本の指に入り込むほどの実力者である君をここに呼び出したのは他でもない。つい先程、都庁の最上階に設置してあるレーダーが北西の三十㎞先の上空にいた、五十体の病魔を感知した。病魔はここ、日本東京都を狙っておる。そこで有能な君をたった今、防衛軍の総司令官に任命する。現場の監督は全て、君に任せた。いいな?」
「つまり、また戦争になるって事ですか、野沢都知事!」
「ああ、そういう事だ。だから、彼らにもその事を伝えるために呼び出したんだ」
都知事は、丸テーブルに座る物静かな四人の人物を手で示す。
「とは言っても、とある理由があって出席出来ない輩が四人いる。分かるよな? 人手が今足りないんだ。君の力が必要なんだ」
「拒否するつもりは端っから頭になかったのは事実ですが、それにしてもいささか強引な気がしてならないんです。一介の教師である私が、このような場所に呼び出された理由の説明を要求します」
「頭のキレる君なら聞いてくると思った。私と君は旧知の仲だ。君を外交官に任命したのは、この私だ。君の腕を期待したゆえの事だ。その君の事だから、この案件を引き受けてくれると思ったんだ。まぁ君はその後、自ら外交官という立場から退いて、一介の教師になったわけだが……」
「そうじゃない、そうじゃないんです、野沢都知事」
神楽は、首を振りながら言った。
「私が聞きたいのは、そんな嘘で塗り固められた言葉じゃないんです。どうしてこんなに切羽詰まった状況になっているのか、その訳を知りたいんです。確かに私は、野沢都知事に多大な評価を与えられてもらいました。けれど、私よりも有能な人材は沢山いるはずです。なのに、今はいない。その事が、おかしいと言っているんです! どうなんですか!」
ぐぐぐと握り拳を作って叫ぶと、都知事は、はあと溜息を吐いて組んでいた手を解く。
「さすがに、長年共に働いていた君には騙し通せぬか」
片目眼鏡の位置を直して、彼は話出す。
「明後日に、アメリカワシントンB・Cとの連結があるのは知っておるな?」
「はい、知っています」
「あれは……連結ではないんだ」
「えっ……? それは一体どういう事ですかっ!」
「連結は友好関係を結ぶために使われる言葉だが、本当は統合なんだ。つまり、この国を――都市を、彼らに譲渡したのだ……いや、この際だから取り繕った言葉をかなぐり捨てて言おう。この国を、他国に売ったんだ。明後日、アメリカワシントB・Cが来国するのは、日本東京都を視察するためだ」
「なっ……? な、何を言ってるんですか、野沢都知事! そんな馬鹿な話がまさかあるわけ……ないはずですよねっ?」
神楽は都知事の前へ来て、どんと机を手の平で叩く。
丸テーブルに座り、神楽と都知事の話に黙って耳を傾けていた政治家達もざわめく。どうやら、彼らも知らされていなかった内容らしい。
都知事は、そんな神楽を見上げて、言った。
「これが、馬鹿な話であったならどんなに良かったか……。この話は、大臣も承知の上だ。そして政府と我々と、今不在の四人もだ。その四人というのが、明後日行われるアメリカワシントンB・Cとのミーティングで忙しいから、出払っているのだ。いいか、君達。近い内に、日本東京都がアメリカワシントンB・Cの支配下になった事の正式な発表を、大臣からなされる。それまで、今の話は他言してはならぬ」
「じゃ、じゃあ、市民はその事を知らないっていうか……! くそっ! いつからですか、いつからこの国は他国に売り飛ばされたんですか!」
「四年前だ」
「四年前、というと……」
神楽はその場を行ったり来たりする。そして、それに辿り着くと、神楽は足を止めた。
「第一次病魔襲来の時じゃないですかっ!!」
「そうだ。その時に、日本東京都は彼らから援助を貰ったんだ。多大な援助金を……な。しかし、日本東京都はその膨大な金を返す宛がなかったんだ。だから――」
「この国を売ったっていうんですか!」
都知事の言葉を遮って、神楽は叫んだ。
「つまるところそういう事だ。そう……あの時も、アメリカワシントンB・Cと連結していた時に、病魔が現れたんだったな。今回も、アメリカワシントンB・Cと統合しようという時に病魔が来るとは……何とも皮肉な話だ。もしかしたら、また援助してもらわねばならなくなるやもしれない」
「……もう、この国を取り返す事は、無理なんですか?」
その問いに、都知事は首を左右に小さく振った。
「言っただろう……第一次病魔襲来の際に我が国は、甚大な損害を負った。都市の四分の一は崩壊し、四分の一は消え去り、そのせいで一週間に及んで交通機能が麻痺した。人々の多くは病魔により死に絶え、生き残った我々に科せられたのはもう二度と同じような事を起こさせないという誓いと、都市の再建と、そして国防対策。これだけの事を為すには、日本東京都の財源だけでは無理だ。だから、アメリカワシントンB・Cに頼った。それなのに、彼らに手の平を返す事など出来ない。もしそうしたら日本東京都という国は、世界の国々を敵に回す事になるだろう」
「くそがッ……!!」
握り拳を作った右手を頭上高くまで上げて、「《限界突破》ッッ――!!」と声を荒げた。
事の成り行きを見守っていた四人の政治家達は、神楽を瞬時に拘束する。
「その能力で、その手で、私を殺すか? そんな事をしても、無意味だと気づかぬか? 冷静になれ。私だって怒りをどこへぶつけたらいいのか、分からないでいるんだからな」
都知事は顔を俯かせると、握り締めた手をもう片方の手で覆った。
「これは、誰のせいでもない……――いや、もし仮に誰かのせいであるとしたら、我々人類を滅ぼそうとしている地球が諸悪の根源だ。星が意志を持たなければ、こうはならなかったはずだったんだ……!」
ぼそりと呟いた都知事の言葉を聞いて、神楽は何も言えなくなった。
「確かにそうかもしれないな……。百四十九前に起きた大災害が元凶だ……」
俯きながら、呟いた。掲げていた右手をだらんと下げる。
「でもな、それと今回の件は違う! これは、人間の手で変えられる問題だ。だから、私は諦めないぞ。お前らと違って、ただ指を咥えて見ているだけの哀れな人間にはならない! 私は一人でも、この国を守ってみせる!」
面をばっと上げて、神楽は切れ長の瞳で都知事を睨みつける。
「邪魔です、退いてください」
神楽は拘束していた政治家達を突き飛ばし、踵を返すと、都知事室を出た。
そして、直ぐに安定剤の煙草に火を付け吸う。苛々していた気持ちが、ほんの少しだけなくなった気がした。落ち着きを取り戻してから、懐から携帯を取り出し、コールする。
数秒経ってから、相手は出た。
「遅い! もっと早く出ろ!」
「すいません、獅子屋さん。読書をしていて気づきませんでした」
と、若い男の声が冷静に返した。その口調が、神楽の苛々を刺激する。
「『死んだ人間を蘇らせる方法』の本をまた呼んでるのか、黒道?」
「はい、そうです」
「ったく――」
いい加減目を覚ませ、とは言えなかった。それは彼に言ってはならない言葉であったし、何より神楽が彼に対して強く出る事は出来ないのだ。
「いい加減、私の事はさん付けするな。私はお前の親であり、家族なんだ。神楽と呼べと何度も言ってるだろ!」
「すいません」
「まぁ、いいや。それで、黒道に連絡したのには訳がある――」
神楽は手元の黒い時計をちらりと見て、
「十九分後に、病魔が都市に襲来する。黒道、お前の出番だ。単独での行動を今日だけ特別に許可する。病魔を残らず殲滅しろ。それが私からお前に科せた任務だ。いいな?」
と確認すると、やはり彼は「はい、分かりました」と短い言葉で返す。
「お前、もうちょっと会話を続けるように努力しろ。それじゃあ――」
「それじゃあ?」
「何でもない。兎に角、そういう事だ」
はぁと溜息をつき、神楽は「それじゃあ、切るぞ。くれぐれも気をつけろよ」と最後に親らしい事を言ってから、通話終了ボタンを押した。
そして咥えていた煙草を長く吸って、肺に送り込み、ふぅっと煙を吐く。
(……私は、諦めない。何が何でもこの国を守ってみせる! 病魔からも、他国からも!)
決意を秘めた言葉は、誰にも聞かれる事はなかったのだった。