病魔(アポストル)
二十分程が経ち、渋谷駅に到着した。
平成の時代は、ここ渋谷は、若者の街として有名だったらしいとカナハは歴史の授業で習った事を思いだした。繁華街として栄え、ファッションや流行を取り入れ、デパートやミュージカルや劇場、ライブハウスや映画館といった娯楽施設が多く点在していたそうだ。
その名残だろう、確かに娯楽施設は渋谷にあるものの、小規模となっている。
現在も若者が訪れる街として有名なスポットではあるにはあるけれど、彼らがここへ来る目的は、平成の時代とは異なる理由だった。渋谷は《学生街》と化し、小学校から大学院までの学校が乱立している。若者は、学問を学ぶためにこの場所に訪れているのだ。
カナハも一学生であり、他校や同校の生徒に混じって、通学していた。
「それにしても、いつも込んでるよね、ここ……」
電車から出ると、駅構内には人の波が出来ていた。
その人の波は、ほぼ全て学生らで構成されていた。中には教師やサラリーマンがいるけれど、逆に彼らの方が目立っているぐらいだ。
今はもう見慣れてしまった光景だが、初めて来た時は驚いたものだ。こんなに学生がいるのかという事に。
「学生の本業は昔っから学業だと言うし、仕方ないのかな……」
誰にも聞かれる事のない呟きを吐き、改札口に向かおうとした――その時だ。
ウゥゥゥ――――――ンと、駅構内にサイレンが反響する。それは、化け物が襲来する合図だった。喧噪は一瞬にして静まり返り、そして学生達の心に混乱と恐怖が伝播していき、一人が悲鳴を上げた事を輪切りに、暴走し始めた。
「みなさん、落ち着いてください! 私は人類防衛軍の候補生です! 大丈夫です、危険な事があっても私達が対処します! ですから、落ち着いてください!」
カナハは懐から生徒手帳を取り出し、手帳の拡声器機能を使って、叫ぶように言った。防衛軍や防衛軍の候補生も同じようにして、注意を促していた。
「有事の際に駅構内は防壁になっていますので、病魔が襲撃してきたとしても、多少の事なら我々を守ってくれます。加えて、我々人類防衛軍がついています。ですから、一般市民は絶対に外へは出ないでください! もう一度言います、外へ出る事が何よりも危険なので、絶対に出ないでください!」
繰り返し市民に伝え続けると、混乱は次第に収まっていく。
カナハは市民が完全に落ち着いたのを待ってから、改札口を通り、外へと出た。すると、丁度駅の出入り口がシャッターで封鎖された。
「これで、いくらか人々の安全は守れたはずっ!」
と言って、周囲を見渡す。外も同じく、人類防衛軍の手によって人々をビルの中へと誘導していた。緊急事態になると、建物は一時的な避難先になるのだ。
「慌てないでも大丈夫です! 近くの建物の中に入ってください! そして建物の管理者は直ちに人々の安全を守るために、緊急避難先として受け入れてください! ご協力をお願いします!」
生徒手帳を使って、カナハも人類防衛軍にならい、市民の誘導を促す。
そうして大体の人々が建物の中へ避難すると、突如、辺りが急に暗くなった。
見上げれば、鋼鉄の板が空を―――都市全土を覆っていたのだ。
空中都市は、様々な仕掛けが施されている。例えば、外周は高い外壁で囲まれており、人々が誤って都市から外へ転落しないような構造をしている。
カナハの言う都市閉鎖も、その仕掛けの一つである。それが、ここ日本東京都が要塞都市と呼ばれる所以である。
閉鎖とは〝敵〟が来た際に、都市を鋼鉄の板がドーム状に何枚も折り重なり、空を覆い尽くす事を指す。これは花が、生殖器官を保護するために花弁を閉じる習性があり、それになぞらえて、《守神の花》と人々の間で呼ばれている。
この仕掛けが作られたのが、今から四年前に起きた《第一次病魔大戦》という人間VS病魔の戦いの後だった。
病魔は、地球の意志によって生まれた《星の使い魔》である。
今まで、病魔が都市を襲撃する事はなかった。だが、四年前にそれは起きた。
大群の病魔が押し寄せてきて、都市は壊滅の危機に陥ってしまったのだ。
今度は被害を極力なくそうという事で、病魔から都市をひいては市民を守るために、守神の花が出来たのだ。
「とりあえず、学舎に向かってチームと合流しなきゃ!」
カナハが走り出そうとした瞬間、ブロロンと音がして、「待ちなさい! カナハ!」と背後から声を掛けられる。
駅のロータリーを黒いバイクが疾駆し、丁度、カナハの横に止まった。
そのバイクのハンドルを握っているのは、美少女だった。彼女の背後には「やあ」と手を挙げて、苦笑いを浮かべるヘルメット姿の少年がいた。
「遙ちゃんに、陽炎くん! どうしてここにいるの!」
「どうしているって、当たり前じゃない! 獅子屋先生から、人々の安全を守る旨が書かれた連絡が手帳に来たんだから! あなたのところにも送られたはずよ!」
美少女――悠木遙が怒ったように言って、碧眼を見開く。
遙は、腰まで伸びた髪の先をパーマにしており、はち切れんばかりの胸が制服を着ていても盛り上がっている。その上、百六十五センチと女性にしてはかなり高い身長。更に更に、きゅっと引き締まった腰、小さなお尻、そこから伸びる細い足。カナハですら憧れる抜群のプロポーションを誇っているのだ。彼女は、カナハと同じ学舎に通っている生徒だ。
「えっ? 嘘、ホントに!?」
カナハは懐から生徒手帳を取り出し、指で画面を操作して、メールボックスを開く。
一件のメールが来ていた。それを確認すると、確かに彼女の言う内容が書かれていた。
「あんた、もしかして手帳を見てなかったの!? ……でも、そうね、それなら合点がいく。何度もあなたに電話しても、繋がらなかったわけよ!」
「ごめんね……遙ちゃん。人々の安全を確保していたら、気づくのが送れたの……」
「あんたって人は本当に……。おっちょこちょいというか、一つの物事を決めたらとことん貫いて、周りが見えなくなるというか。……あたしらはチームなのよ! だから、困った時はあたし達を頼って! でないと、チームの意味がないのよ!」
「あーあー二人とも。君達の意見は十二分に分かるけどさ、こんなところで熱くなってる場合じゃないと思うんだよなぁ。ほら、獅子屋先生からの命令を遂行しないとさ」
と、ヘルメットを被った少年――陽炎が慌てた様子で、話しに割って入ってくる。
宮下陽炎。眼鏡を掛けており、その眼鏡の奥から覗く瞳と笑顔は、人畜無害という言葉を人の形にしてみた、と言われても不思議ではない。ひょろっとした体つきを半袖の制服で見に包み、加えその性格だから、気の強い遙の尻にいつも敷かれている。彼もカナハと遙の通う学舎の生徒だ。
この三人が合わさって、一つのチームだった。チーム、《ノットフラット》。そのチーム名を名付けたのは獅子屋先生であり、意味は凸凹だそうだ。
ぴったりのネームだとカナハはこの時思った。
「まずは、市民の避難を優先するのよっ! 他のチームに遅れを取っているのだから、その分を取り返さないと、チームの名折れになるからっ!」
チームは、全体の評価で決まる。野球やサッカーと同じだ。いかに一人が活躍したとしても、他の人が身勝手な行動を起こして、チームを負けさせてしまったら、評価は零だ。
カナハは既にノットフラットの評価を落としてしまった。そんなカナハが、遙の指示に対して首を横に振れる訳がなかった。
その時だ。ガンッ! と空が悲鳴を上げた。覆っていた鋼鉄の板が凹んでいたのだ。そして最初の一撃を合図に、次々と鋼鉄の板がボコボコと凹みだしたのだ。
「もう病魔が来てるの!」
見上げたカナハは、板の向こう側にいる存在を確かに感じて、恐怖が込み上げてきた。「これじゃあ、市民の避難を優先するどころの話じゃないよっ! 後、数秒もしたら――」
ドンッ――――!! とカナハの声を遮って、大きな音が響いた。
鋼鉄の板が、ぽっかりと穴を空けていたのだ。そこから天然の光が差し込み、そして一体の病魔が侵入すると、それを発端として、次々と黒い影の大群が押し寄せてきた。数にしておよそ五十体。
黒い影は統率の取れた動きで、広がりを見せると、瞬く間に地上に降り立つ。
「GIRYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
その内の一体が、渋谷駅のロータリーに――カナハ達の前に姿を現したのだった。