バレンタインだからバカがチョコを要求してきたんだが、どうしたらいいと思う?
「告白の練習相手になってくれとかバカのアタマってどういう作りになってんの?」の続き。
「二月十四日だな」
「そうね」
高校からの帰り道。あたしの隣を歩いていた田中が唐突にぼつりとつぶやいた。
「バレンタインだな」
「そうね」
田中はあたしのクラスメイトだ。無駄にでかい図体にゲジゲジまゆ毛の自己主張が鬱陶しい、むさ苦しさだけが存在証明の男だ。こいつとは小学校から同じ学校に通い続ける腐れ縁だったんだけど、最近なにをどうまかり間違ったか、あたしの彼氏になってしまった。
「バレンタインといえばアレだな」
「そうね」
そういうわけで、こういう要求をしてくる。あたしは徹底的にスルーした。スルー検定、回答は「そうね」一択。
「……」
ウイルスバスターのファイヤーウォールをも凌ぐあたしの鉄壁の守りに田中は沈黙する。そして、そのまま歩くこと五分。あたしの家の前に着いた。
「じゃ!」
「待てぃ!」
すばやく逃げようとしたあたしの肩ががっちり掴まれる。くそっ、こういうときだけ反応のいい奴め!
「なによー。なんか用でもあるの?」
白々しく言いながら振り返ったあたしの前に、田中のゲジまゆがずずいと迫る。うわ、ウザっ。
「今日はバレンタインだ! イベントだ! 恋する乙女たちがその想いのたけをチョコレートにこめて、愛する男たちにぶつける日だ!」
身を引くあたしを追い詰めるように、田中はずいずい前に迫りながら熱弁をふるう。うっ、道路脇の壁に背中がついた。
「つまり成沢! オレはお前のハートを受け止めねばならん義務があるのだ!」
「よそはよそ! うちはうち!」
あたしの一喝にみじろぐ田中。逆にぐいぐいと押し返す。
「そう、今日はバレンタイン! 女が男にチョコレートを贈る日! でもね、田中。それは女の自由意志。選択権は女にあるの。たとえ男に受け止める義務があろうとも、女が男にチョコレートを贈らなければならない義務はないのよ!」
あたしの熱弁に押し戻された田中の背中が、道路の反対側の壁に接する。よし、もう一息!
「確かに隣の芝生は青いもの……。女に選ばれたひと握りの男の栄光はまばゆいものがあるでしょう」
そこであたしは伏し目になって首を小さく横に振った。小芝居スキル発動!
「けれどそれは幻。嫉妬が生む幻覚。本物の芝生の青さは自分の足元にあるのよ!」
そして田中を受け入れるように両手を広げてみせる。てか、こんなかわいいあたしが彼女やってあげてんだからそれでいいじゃん、この贅沢な田中め。
「さあ! だから!」
「うん。だからチョコくれ」
「ちっ!」
こいつもスルー検定を実施中だったようだ。ちょうだいポーズで両手を差し出す姿がなんかムカつく。
「オレ、彼氏だぞ。なにか理由でもあるのかよ」
「理由……」
あたしの脳裏に昨夜の惨劇が思い浮かぶ。そう、実は挑戦していたのだ。その……『手作りちよこれいと』という奴に。
あたしはちゃんとレシピ通りにチョコレートケーキを作ったのだ。作ったはずだったのだ。何故「あんなもの」が生まれた?
それは金属かダイヤモンドか、もしくは硬化細胞かなにかに包まれた未知の物体だった。文字通り「歯」が立たない。「歯」どころか包丁も立たなかった。親父が日曜大工に使っているノコギリを持ち出して、ようやく切断が可能であるという代物である。親父曰く「食品サンプルでも作ったのか、コレ?」。失礼なクソ親父である。
そんな食品未満なものをあげるわけにもいかず、かといって作り直す時間もなく、そしてここまでやって市販のチョコをあげるというのもなんかプライド的に嫌だったので、誤魔化すことにしたのだ。そもそも冷静に考えれば相手は田中だ。いくら彼氏ヅラしているとはいえ、あの田中だ。そう考えればこやつがあたしからチョコを受け取るなど、不遜極まりない越権行為であるはずだ。うん、そうだ。絶対そうだ。だからここはなんとしてもお帰り……。
「おじゃましまーす」
「ちょちょ、なに勝手に人の家あがってんのよ!」
気づいたらあたしの家の玄関を開けている田中。呼び止めるあたしに振り返った田中は親指を立ててウインクをした。
「恥ずかしがるな、成沢。そんなおまえの照れもオレは全部受け止めてやるからよ!」
ばかぁぁぁぁぁぁぁっ!
「さあ、チョコはどこだ?」
「ないから! チョコないから! ないないなの、ないない!」
本当はある。あの超硬物質は冷蔵庫にとりあえずしまってある。だから腕を掴んで引き止めているんだけど、まったく意にも介さず前進する田中。ええいっ、この脳筋野郎め! 力だけは無駄に強い! ずかずかとあたしの家の中へ突き進む。
「あら、田中くん。どうしたの?」
「お母さま」
リビングから顔を出したのはあたしの母だった。お母さんもこいつを止めてぇー!
「チョコを探しているのです」
「あら。娘の作ったのなら冷蔵庫に入っているわよ。持ってきましょうか」
お母さま━━━━!!
「はい、どうぞ」
母があたしの作ったチョコケーキを田中に普通に手渡す。本当フツーに。それこそ「はい、ハサミ」ぐらいの感じで、あたしの人生初の手作りチョコは田中の手に渡ったのだった……。ちょっと、泣いていいですか?
「これが手作りチョコ……ケーキ」
恐る恐るといった感じで、田中があたしの作ったチョコケーキを掴む。のこぎりで六等分に切断されたチョコケーキを。やばい、ドキドキしてきた。田中なのに……。
ガキッ
いい音がした。
「かたい……」
いい音がしたよ。田中の骨付き肉を骨ごと砕きそうな頑丈なアゴでもあたしのチョコケーキには歯が立たなかったよ。ああ、なんでこんなもの作っちゃんたんだろう。あーん、なんか涙出てきたぁー。
「しかし甘い!」
田中が叫んだ。えっ、ちょっと田中?
「ふんっ!」
顔を上げたあたしが見たのは驚きの光景だった。歯が立たなかったチョコケーキを口から離した田中は、そのケーキを両手で握り締めたのだ。あ、あたしのチョコケーキになにしてるのよ、コイツ!
「この程度の硬さなど、オレの愛の熱で溶かしてくれるわっ!」
「はいィィィィっ!?」
どんなにガチガチに硬いチョコといってもチョコはチョコだ。このバカは温めればやわらかくなると考えたのだろう。だからといって素手で握るか? 「ワイルドだねぇ」なんてあたしは絶対言わないよ!
「まあ、すごい。よかったわね、和美」
手を叩く母。いや、ツッコミましょうよ、お母さま!
「あたしのチョコケーキ……」
田中の手が開かれた。田中の愛の熱(自称)で溶かされた、というか握りつぶされたチョコケーキは、真っ黒なミンチのごとき醜悪な姿を現した。そして田中の口に運ばれる。
「うまいっ!」
食った。食ったよ、この田中は。素手で握りつぶしたチョコケーキを食いやがったよ。残りのチョコケーキも握りつぶしてさ、「うまい、うまいと」完食してくれましたよ、この田中はさ。くそう。本当にうまそうに食いやがって。人の作ったチョコケーキぐちゃぐちゃにしやがってと怒るべきなのに怒れない。どんな顔すりゃいいんだい。
「ごちそうさまでした」
食べ終わると、礼儀正しく手を合わせて頭を下げる田中。そんであたしにむかい、満面の笑顔で言いやがった。
「来年もよろしくなっ!」
そんなわけで、バレンタインは今でも毎年手作りチョコです。
めでたし、めでたし。