2
「お待たせいたしました。古藤さん、桜子さん」
書店の裏口から中に入ると、おそらく店員の休憩室だろう場所に通された。
田之倉は、そこに古藤 蓮と桜子の姿を認めてやや早足で傍へと寄る。
蓮も桜子も見目のいい容姿に分類される人間だからか、休憩室の外は覗き見をする社員・店員で人が多い。
これでは、秘密裏に進めてきたのにここに二人がいる事が広まってしまう。
文明の利器である携帯は便利でもあるが、情報漏洩・情報拡散の面から見れば随分と物騒なツールともいえた。
「いいえ、こちらこそ無理を通させて頂いて申し訳ありません」
座っていた椅子から立ち上がると、優雅な所作で謝罪の言葉を述べる古藤 蓮。
同じように立ち上がって、神妙な表情で頭を下げる桜子。
田之倉は美少女顔の彼女が、実は思いっきり男前だという事を知っている数少ない人物でもある。
「今回は私情を挟んでしまって、本当に申し訳ございません」
真摯な瞳に真面目な表情で頭を下げる彼女が、その実、恋人関係上主導権を握っていると誰が思うだろうか。
今回の企画を二人から持ちかけられて初めて知った、加藤と桜子の関係性。
確かに会社的には、あまり喜ばしいものじゃないかもしれないけれど。
元々同人誌で活動していた桜子に目を付けたのは、あの大柄くまさんの加藤。
数年前から桜子に担当としてついて、ずっと育ててきた。
へたれだけど、加藤は真面目だから。
立場を悪用するどころか、反対に桜子に悪用されているのだろう。
そっちの方が、頷ける。
「いいんですよ、桜子さん。それにほとんど表に出ないお二人が揃ってイベントに出席してくださるだけでも、うちにとってすごいプラスですから」
そう微笑む田之倉に、桜子はほっと安堵の笑みを浮かべる。
「なんたって便乗して、うちの社のフェアとか開催しちゃいましたからね。シークレット企画でどこまでお客様を引き寄せて頂けるか、楽しみにしてますよ」
椅子に腰を下ろしながら、鞄から一枚の紙を机の上に出す。
「開始まであと一時間半。そろそろ社の者が、街頭に立ちます」
同じように椅子に座りながらそれを見て、蓮は携帯をポケットから取り出した。
「じゃあ、俺の方もそろそろ葉月にメールしておくかな」
「葉月さんも、驚くだろうね♪」
にやりと笑いあう姿はまるで兄妹のようで、田之倉はこの二人に好かれているここにいない葉月と加藤を脳裡に浮かべて思わず苦笑した。
*****************
こちら、場所は変わって加藤のいる屋上のベンチ。
ぺらり……
ぺらり……
魂が抜けたような表情で、機械的に紙を捲っている大柄くまさん。
その名も加藤 祐介。
この数十分。
加藤はひたすら、地獄の底辺を這いずりまわっていた。
読んでいる原稿には。
本気で嘘偽りのない、桜子と自分の恋愛模様が書かれていた。
自伝も真っ青だ。
見た目はどう考えても主導権を握れるはずの大柄編集者が、Sっ気全開の美少女絵描きに翻弄されつつ惹かれていくさまが克明に書かれている。
前回(一年前のバレンタインで)恋人関係までこぎつけた編集者がプロポーズをしようと決意したけれど、悉く計画が失敗。
そしてそれを見守りながらも、Sっ気最大で弄り倒す美少女絵描き。
「埋まってしまいたい……」
ぼそりと呟くが、それを慰めてくれる言葉はなく。
しかも主人公が桜子だけに、その時思っていたことを言葉にして曝け出されているとか。
あぁぁ、しかもしかも――
最後、プロポーズを受けてもらえるんだけれど。
ホワイトディの前日の夜。
あの時の模様が……
「消えてしまいたい……」
しかもこの本が発売されたあと、自分と桜子が結婚したら。
どーみても、主人公二人が自分達だという事がバレバレで。
つーことは、桜子が自分に対して下している色々な……「いろいろな」評価を、……同僚知人に見られるわけで。
名も知らない、読者の方々に見られるわけで。
「お天道様の下をもう歩けない……」
涙目の加藤は、最後の一枚を風化しそうなその手で捲った。
……
「……は?」
その目に飛び込んできたのは、今まで読んでいた真っ黒インクの単色刷りではなくカラフルなイラスト付きのチラシ。
目がおかしくなったのだろうかと空いている手でがしがしとこすってから、再びチラシに目を落とす。
**********************************
”あの古藤 蓮が描く、あま~い大人女子ラブストーリー☆ 前回人気を博した強気な美少女絵描きとへたれなくまさん編集者が帰ってきた! 「二人が共に歩んでいくために」”
発売を記念して、シークレットイベントを開催☆
なかなか見る事の出来ない、古藤 蓮と桜子を間近で見る限りなく少ないチャンス!
本日午後三時から、OX書店八階イベントスペースにて開催。
**********************************
――は?
「え? え、何これ」
一瞬遠い彼方に旅立った思考をむりやり引き戻して、日時を確認する。
「今日?」
腕時計に目を走らせれば、三時少し前。
胸騒ぎがして、加藤は原稿を掴んだまま課へと走った。
「田之倉先輩!」
名前を叫びながら課に飛び込めば、目当ての人物がいるはずのデスクにその姿はなかった。
かわりにその隣の席で、驚いた表情でこちらを見ている後輩と目が合う。
「おい、田之倉先輩は?! どこ行った!」
加藤の原稿チェック待ちだと言っていたはずなのに、何処へ行く用事がある?
後輩はいつにない加藤の怒鳴り声に少しびくつきながら、人差し指をドアへと向けた。
「加藤先輩が出て行ってすぐ、別の用事だとかで出かけましたけど……」
「マジか!」
原稿を自分の机の上に叩きつけると、加藤は田之倉の後を追うように飛び出して行った。
「一体、何事……」
呆気にとられた後輩の声が、静まり返ったフロアに響いた。