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冬のホリデーの話をしよう

作者: 鈴乃
掲載日:2026/08/28

「来週、イルミネーションを見に行かないか?」


と俺は言った。


「来週?」


と恋人は目を瞬かせた。


 俺たちは二人分のコーヒーを入れて、キッチンをカウンター代わりに立ち飲みしていた。

 コンロには熱が残っているし、暖房も効いているから寒くはない。


 カレンダーは残り二枚だ。

 気の早い店の窓にはサンタやツリーが飾られ、年末セールやパーティを意識した広告が目につく。


「実はホリデーシーズンは休めそうにないんだ」


 俺は苦笑いして肩をすくめた。マシューと過ごす冬は初めてだが、伝えないわけにはいかない。


「パーティーや予約の仕込みで忙しくなる。正直、家より厨房(ちゅうぼう)にいる時間のほうが長いくらいだ」

「ああ、レストランは混む時期だね」

「きみの職場は?」


 マシューは空中の予定を見上げて苦笑した。


「似たようなものかな。利用者さんへの面会が増えるし、クリスマスは家族と過ごしたい職員も多いから」

「お互い苦労するな」

「ふふっ」


 世間の休暇はサービス業の繁忙期(はんぼうき)だ。

 人々がクリスマスディナーを楽しんでいるとき、料理人は厨房で鍋を振るっている。施設の利用者が家族との団らんを楽しんでいる時、介護職員は誤嚥(ごえん)の危険に目を光らせている。


 もちろん俺たちが休んでいる時は他の誰かが働いている。世界は助け合いだ、お互い様だ、これでコンプラはクリアか?


 俺はカップをかたむけてコーヒーを混ぜた。カップの底に残っていた湯気が上がった。湯気ごしにマシューが俺を見ていた。


「ライアン、きみはクリスマス祝う派?」

「子供のころは毎年家族で過ごしたな。今はそうでもないが、町が明るいのは好きだぜ」

「よかった。うちは毎年お決まりなんだ。朝料理を仕込んで、教会に行って、近所の人たちと話して、家で夕食」

「いい家族じゃないか」

「僕もそう思う」


 マシューはくすぐったそうに笑った。俺は彼が家族を愛しているのがわかって嬉しいなと思った。


「今年は仕事があるから、夕食から参加なんだ」


 俺はマシューの頭を撫でた。マシューは「ふふふ」とはにかんだ。


「落ち着いたら打ち上げでもやろう。きみとの約束があれば、俺も厨房暮らしが楽しくなる」

「うん。ホリデーカード贈るよ」


 俺とマシューは平和な年末を願ってカップをかかげた。

 それが3週間前、いやもっと前の話だ。



「………………疲れた…………」


 俺は()(くら)な寝室のベッドに崩れ落ちた。

 明かりをつける気力もない。人生における偉業(いぎょう)はいろいろあるが、今日の俺の偉業はシャワーを浴びたことだ。 


 さっき見たスマホの日付は12月26日に変わっていた。俺が店を出たときにはもう変わっていた気もする。

 ここんとこ退勤と出勤の日付が同じだから、細かいことはわからん。


 幸い今年もサンタとははちあわせずに済んだ。煙突がないから来るはずがない。いや、最近は換気扇(かんきせん)から入るんだったか? だとしてもプレゼントをねだるには大人になりすぎた。


「………………」


 俺は目を閉じた。だが眠気が来ない。

 それもそうだ、2時間前まで厨房で格闘していたからな。神経が(たかぶ)っているんだ。クソッタレ。


 俺は枕元の照明のスイッチを1mmだけ動かした。

 ついてるんだか消えてるんだかわからない明かりが部屋に灯った。俺はぼんやりと明るくなった部屋をぼんやりと眺めた。


「…………はぁ」


 俺は腕で目を覆った。視界がまた暗くなった。


 そうさ、とてつもなくがんばった。今週の俺は、埋めても埋めても現れる皿に料理を盛るプロフェッショナルと()していた。

 後輩のアルバイトくんは初めての繁忙期に白目をむきかけていた。わかるぜ、俺もそうだった。


 どうにか今日の営業を終えた記念に、スタッフ全員でささやかな乾杯をした。シャンパンとオードブル、未成年にはシャンメリーだ。

 毎年死ぬほど忙しいが、終わってみればこれはこれでいいクリスマスだったと思えてくる。

 恋人がいない時期ならな。


「……、マシュー……」


 俺はうめいた。頭は半分ほど寝ていたが、残り半分は起きていた。

 クリスマス当日やイブにレストランが混むのは世界の常識だ。賢明(けんめい)な人々はこう考える。


『2、3日前、いや1週間前に行こう』

『いっそ今年のホリデーパーティーは12月(あたま)にやろう』


 その結果何が起こるかというと、11月末から俺たちの繁忙期が始まるわけだ。正直今月は家には寝に帰るだけだった。

 一応言うぞ。日付をずらすのは正しい。


 忙しいのは飲食業に限った話じゃない。マシューも面会客が増えて大変らしかった。

 お互いメッセージは送っていたが、スムーズとは行かなかった。

 仕事終わりに『今夜通話できるか?』って送ったら、翌朝に『おはよう。ごめんね、夜勤(やきん)で見られなかった』って返事が来たこともあったな。


 通話の約束をしてたのに俺が寝落(ねお)ちてすっぽかした日もあった。

 出勤前なら、とも思ったが、マシューが仮眠中かもと思うと遠慮した。

 実際俺も早めに出る日があったから、朝マシューがくれたメッセージが夜まで未読の日もあった。


 文通してる気分だった。良くも悪くも。


『おはよう』

『おやすみ』

『来週は冷えるらしいから温かくしてね』

『ついにうちの店にもツリーが飾られた。悪くないな』


 もう少し続けてたら季節の挨拶(あいさつ)も覚えただろう。なるほど、ホリデーカードを贈る人たちの気持ちが分かった。


 俺は充電中のスマホを()けた。

 今日の仕事を終えたらこうなるのがわかっていたので、起き抜けにメッセージを送っておいた。


『ハッピーホリデー。いい朝だな。お互い忙しいが、無理なく今日を楽しもう。きみに会える日を楽しみにしてる』


 奇跡的に20分後に返事が来た。

 マシューも同じことを考えて、朝一番に送ったのかもな。


『ハッピーホリデー! メッセージありがとう。きみと初めての冬を迎えられたことに感謝しています。いつもきみのことを想ってるよ』


 そこまで読んだところで新しい一文が届いた。


『愛をこめて。x』


 俺は朝の支度も忘れて5分ほど見入(みい)った。


 キスマークつけてる。


 ガキか、と今思っただろう。なるほどお前の恋人はスタンプや絵文字をよく使うらしい。

 雪国に住んでれば氷を貴重だとは思わないし、南国で暮らしていれば太陽のありがたみに慣れちまう。


 俺が知る限りマシューが写真と文章以外を送ってきたのははじめてだ。ましてキスマークだ!


 マシューが何を考えて最後の一文を足したのか考えると、俺はたまらない気持ちになった。


 俺はすみやかに文字を打ち込んで、自分の手からスマホを引っぺがした。もう5分見とれていたら遅刻していた。

 返信の中身はまあな、想像に任せる。


 俺は改めて、暗闇の中で光る文字を読み返した。黒のフォントのアルファベットがやけに色っぽく見える。

 文字ごしじゃなく直接キスしたかったな。キス……


「………………っ、」


 やっちまった。

 余計なこと考えずにヒツジを数えてりゃよかった。

 間違ってもキスの感触を思い出すべきじゃなかったし、恋人の顔を思い浮かべるなら昼間の映像を選ぶべきだった。


 言いたいことはわかるな。言わせるな。


 俺はのろのろと体を起こした。ベッドヘッドに背中を預けると、目玉だか脳だかがぐらっと揺れた。


 眠い。明日じゃだめか。……だめだな。


 俺の意思とは別に、頭と体が激しくせめぎあうのを感じた。俺はそいつらをわきによけて行動に移った。


 早く済ませよう。


 シャンパンのアルコールが回ったのか、指先までぬるくて熱い。


「……っ、は……」


 眠気も手伝って感覚はあいまいだった。そうかといって放り出すのは難しかったから、俺はどうにか脳を活性化(かっせいか)させようとした。


――――マシューはかわいい。あの触り心地のいい足に触れたい。薄い腹筋のラインを見たい。食後のぽこんと出た腹もかわいかったな。腰振ってる時まで色男でグッとくる。


 っと、危ない。


「は、……っ」


 俺は一度深呼吸した。

 ボトムにかたむきかけた思考回路を引き戻して、イメージを切り替える。

 ええと、なんだ。そう。マシューはかわいい。

 想像しろ。


 天使の輪が浮くやわらかいブルネットを撫でたい。

 透き通ったアンバーの目を見つめたい。あの目に見つめられたい。


――――キスしたい。


「っ、」


 俺は口寂(くちさび)しさをリップノイズでごまかした。


 あの形のいい唇に触れたい。

 きめの揃った肌に触れて、筋肉の芯のある体を抱きしめて、目いっぱい愛したい。


『ライアン』

「――――っ、マシュー……!」


 俺は想像の中の声に息を詰めた。どうにか片付きそうだな、と頭の(はし)で思った。


『♪♪♪』


 スマホが鳴った。

 ()だった脳みそに音が割り込んできて、思わず手が止まった。

 部屋が暗いから光る画面がよく見える。マシューだ。


「…………ッは、」


 今じゃない。

 理性ではそう思った。

 だが、ボタンを押せばマシューの声が聞ける。

 3週間前の記憶を繋ぎ合わせて再現した声じゃなく、今電話の向こうにいるマシューの声が。

 アルコールと諸々の刺激でふやけた頭にはあらがいがたい誘惑だった。


 だとしても今はまずい。


 そう考えた時にはもう逆の手でスマホを拾っていた。いや考えてなかった。砂漠で水を見つけたのと同じだ。


 一応、呼吸は整えてから通話ボタンを押した。


「……っ、マシュー?」

『こんばんは、ライアン』


 まず感じたのは安堵(あんど)だった。

 こんなに耳に響く声だったか。

 首から上の神経が一気に目を覚まして、泥の中にいるようなけだるさが遠のいた。


『遅くにごめんね。寝る前に5分だけ話したくて』

「っ、あぁ」


 俺は上ずりかけた声を気づかれないように立て直した。


「嬉しいぜ。……俺も、きみのことを考えてた」


 柔らかい安堵は一瞬だった。

 つぎはぎだったイメージに色がついて、波が押し寄せるように元の衝動が幅を()かせていく。砂漠で水を見つけたんだ、そりゃ一直線だ。


 俺は(のど)の奥で咳払(せきばら)いした。


『今日はどうだった?』

「毎年だがすごく忙しかったよ。明日は落ち着いてるといいな」

『ふふっ。お疲れさま』


 ささやくような笑い声が耳をくすぐった。


「……ん、ッ」

『? 大丈夫?』

「ああ、寝返りをうっただけだ」


 誤解するな。手が勝手に動いたんだ。


『……ふぅん』


 マシューが声を甘くひそめる。


『なにかしてた?』


 疑問形だが確信のある聞き方だった。でなきゃこんなにぞくぞくするはずがない。


「……たぶん、きみの考えてることをな……言わせるなよ」


 俺は肩をすくめてため息をついた。実際はそろそろ息を殺すのがきつかったので呼吸も兼ねた。返事を待つ間も頬が熱い。


 マシューが小さくため息をつく。


『一人できもちよくなっちゃうなんてずるいなぁ』

「ッ、」


 ドキッとした。

 ベッドでしか聞けないようなウィスパーボイスだ。

 言葉に反してこっちの反応を探るようなニュアンスがあって、腹の下がぐっと重くなった。


『何か話そうか? それとも今日は終わりにする?』

「なにか……話してくれ。なんでもいい」

『オーケー』


 マシューがクスッと笑った。

 ことさら色めいた内容じゃなくていいから声を聴いていたかった。

 そもそも今の脳みそで内容を理解できるか怪しい。俺はわりと切羽詰(せっぱつ)まっていた。


『ライアン。今日はすごくがんばったね』

「んッ……!?」


 不意を突かれた俺をよそに甘い声が続く。

 考えるそぶりか体勢を変えたのかベッドに座り直したのか、『んー』とかすかに聞こえる声さえくすぐったい。


『メッセ―ジを見るたびにきみのことを考えてたよ。今抱きしめてるクッションがきみならいいのに』

「は……!?」


 落ち着け、リップサービスだ。

 俺は頭のすみで冷静に思った。だが頭のすみ以外は冷静じゃなかった。


「あとで、っ自撮(じど)りして送ってくれ……!」

『なに? よく聞こえなかった』


 クソッ。

 ついいらだちが右手に出た。自然の摂理(せつり)で声が洩れた。


「は……っ、ぁあ……!」

『かわいいね。我慢しないで声を聞かせて?』


 そうは言ってもな。

 荒い息が雑音になりそうで、俺は声の加減に苦労した。

 あとから思えばハンズフリーにするという文明もあったが、どうしてもマシューの声を耳元で聞いていたかった。


『目を閉じて。きみのそばにいるよ』

「っン……!」

『好きなところ触ってみせて』


 ね。

 と柔らかく念押しされて、俺はちょっとどうにかなるくらい興奮した。


「は……っ、ぁあ……!」

『きみのプライベートな時間を知れて嬉しいな。……サンタに感謝しなきゃ』


 ふ、と熱を含んだため息が聞こえた。


『好きだよ』

「っ……、マシュー……!」


 背骨から足の間までがびりびりしびれた。

 だが俺はどうしても最後の一線を飛び越えきれなかった。体は十分興奮しているのに脳がOKを出さない。


 俺は薄目を開けた。当たり前だが寝室で一人だ。

 (おさ)え続けた息が喉につかえた。コップの水があふれるように、じわっと視界がにじんだ。


「あいたい」


 俺はうわごとのように口走っていた。

 マシューが驚いたように口をつぐんだ気配がした。

 ぱた、と(もも)に水が落ちた。たぶん汗だろう。


「マシュー、きみにあいたい。声だけじゃなく、きみに触りたい……!」

『っ……!』


 改めて言うが深夜だ。今すぐ来いなんて無茶(むちゃ)を言う気はない。そういう話はしていない。

 ただ言わずにはいられなかった。


 俺の息しか聞こえない沈黙があって、マシューが小さく唾をのむ。


『……僕も会いたい。きみにたくさんキスしたいな……』


 耳元でリップ音がした。

 俺はぶるっと背筋を震わせた。

 さっきまで足踏みしていたラインをあっさり跳び越えて、俺は再びベッドに倒れこんだ。


「……っ、はぁ、はっ、……は……」


 特有の倦怠感(けんたいかん)でどっと冷静になった。

 今はものを考えられる状態じゃない、が、恥じらうべき何かがあった気がする。


 俺は何度か深呼吸して、終わったしるしに礼代わりのリップ音を返した。


「言うべきか迷ってるが……今すごく恥ずかしい」

『かわいかったよ』

「よしてくれ」


 俺は力なく笑った。いや、確実に1時間前より気力は戻った。


「……年末は休みなんだ。どこかでカウントダウンしないか?」

『いいね。明日にでも休み希望を出しておくよ』

「さすがだな」


 控えめな笑い声が重なった。

 マシューが軽いトーンで声をひそめる。


『僕も打ち明けるけど、今日の電話のおかげで次のデートまでがんばれそう。おやすみ』

「ああ、いい夢をな」


 そこで通話は切れた。

 俺は後始末(あとしまつ)を済ませて横になった。

 リセットされた頭がふとさっきの会話をリピートする。


『今日の電話のおかげで』? 『次までがんばれそう』??


 俺は目元を(おお)った。

 頭が冷静な時間、そんなものはない。メッセージのキスマークどころじゃない何かが目の前を通ったというのに!


 俺は一通り()やんだあとベッドにあおむけになった。

 何日かしたらこっちからかけてみるか。今日はずいぶん彼に甘えたから、次はめいっぱい甘やかしたい。


 俺は目を閉じた。

 2日遅れの鈴の音が聞こえた気がしたが、たぶん夢だろう。


 じゃあな、良いホリデーを。



End.

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