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サイノクニ

作者: 斉藤周二
掲載日:2026/05/04

 午前八時のピクニックテーブルの上には水筒とマテとカメラとパンケイクが置かれていた。そこかしこでぴちゅぴちゅと朝の鳥が鳴いていた。俺はベンチに腰を下ろし、ジョギングシューズと靴下を脱いで、蒸れた足を休めていた。視界にあるのは土と草といくつかの児童用の遊具、転落防止柵とその向こうのいくつかのマンション、木々に繁る葉とその合間の青い空、そんなところだった。公園としか呼びようがない風景であり、俺は生まれて初めて眺めるこの凡庸な風景に困惑しながら、冷めたパンケイクを口に運んだ。



 パンケイクは出発前に焼いてきたものだった。小麦粉、卵、牛乳、砂糖、ベイキングパウダー。シンプルなレシピだ。午前一時の暗い台所で生地をフライパンに落としながら、なんだかケルアックみたいだな、と思ったときの気分は悪いものではなかったが、『オン・ザ・ロード』において彼がときどき食していたのがパンケイクだったかどうかは記憶が定かでなかったし、俺が予定していた「旅」はヒッチハイクによるものではなく、シティサイクル、いわゆるママチャリによるものだったし、その旅路は広大な北アメリカ大陸をNYCからフリスコへと横断するものではなく、埼玉、東京、神奈川と、一都二県を縦断するものだった。

 道程は順調なものだった。むしろ順調すぎるぐらい順調だった。午前二時ちょうどに家を発ち、二五四から環八に入った。甲州街道を過ぎる頃に空が明け始め、延々と続く世田谷区を抜けて、蒲田まで行くことなく最初に見かけた「横浜」の表記に素直に従って第二京浜に入った。いくらかのアップダウンと上り下りが煩わしい異様に急勾配な歩道橋はあったものの、概ね平坦で、迷いようのないシンプルで素直なルートでもあった。荻窪、烏山、町田、厚木、目黒通り、そうした地名にいくらかの思い出す人間たちと日々はあったものの、それ以上の感傷に立ち入ることなく走り続け、五時四〇分には多摩川に着き、橋の袂から川と山と町を眺め、いくらかの写真を撮り、公衆便所で尿をして、草むらに自転車を停め、土手の斜面に腰を下ろして、パンケイクとマテで朝食を採った。パンケイクは見た目はよくなかったが味は悪くなく、マテの苦味との相性も悪くなかった。風を感じる、爽やかで気持ちのよい朝食だった。

 休憩のあとで多摩川大橋を渡り、ガードレールでがっちりと塞がれて渡りようがない交差点に煩わされながら川崎市を抜けて鶴見区に入り、いつか花火を観たことのある鶴見川を越して北寺尾の登り坂をこぐのに飽きて市営バスに追い抜かれながら自転車を押し、頂上が近づいてきて再び自転車をこぎ始めると、響橋のアーチの向こうのすっかり明けた空の中に、白く霞んだランドマークタワーが見えた。横浜だ。

 おお、と声を漏らしてペダルをこぐ足を止め、本当にランドマークタワーだろうかともう少し坂を上がってよく眺め、間違いなくランドマークタワーであることを確認し、肩に斜めにかけていたカメラで何枚かの写真を撮り、軽快な気分で自転車をこぎ始めた。五年ぶりの横浜だったが、横浜は相変わらず横浜だった。下りに変わった坂を降りながら、頭の中には潮の香りが漂い始めていた。


 住宅街を左右に眺めながらアップダウンのある地形を走り、神奈川区に入るなり坂の下から熱風が吹き上げてきた。俺は少し目を細め、さらに走った。産業道路を右に行けば菊名か、菊名にはまださやが住んでいる気がしてしまう、当時十九歳、今は――。そんなことをぼんやりと思いながら走っていると、交差点の先の高架の上を緑の横浜線が横切り、俺はいくらかの喜びと共に、最初の目的地が近づいていることを理解した。

 大口には初めから寄るつもりだった。町に大した思い出があるわけではないが、それを言い始めればN十年間の不毛な人生に思い出深い時期などないし、若い時期に過ごした一年間というものは、若い時期に過ごした一年間ではあるからだ。高架をくぐって少し走り、ここはどのあたりだろうかと自転車を停めてバス停の表記を眺めると、そこにはまさに「大口通」の赤い文字が記されていた。

 次の信号で、俺はふたつの選択肢に直面することになった。第二京浜を挟んで、向こう側には「おおぐち」という表記とワニのキャラクターがアーケイドに描かれた商店街。こちら側には青いウェルカムアーチに「ohguchi 1番街」の白い文字が浮かんだ、やはりアーケイド型の商店街。俺は少し考え、青色にどことなく覚えがある気がし、ワニには覚えがない気がしたので、「1番街」に入っていくことにした。

 ――失敗だった。商店街を抜けて現れたのは、明らかに見覚えのない寺と地下道と、現在地が京急子安駅の前であることを示す、やたらと大きく大味なつくりの「大口1番街あんしんマップ」だった。まぎらわしいな、と相変わらずの自分の方向音痴ぶりを棚に上げて苦笑し、ここは俺には関係ない町だった、横浜線沿いを北上しなければいけないのかもしれない、ワニの方を行けば抜けた先が大口駅だったりするのかもしれない、そんなことを思いながら、俺は来た道を戻った。


 ――だったりした。エントランスを整えるコロラドの店員の姿にすでにこの道が正解である予感はあったが、そこにあったのは間違いなく大口駅だった。

 問題は、一ミリたりとも記憶がないことだった。冗談だろ、と俺は思った。あるいは声に出して呟いていたかもしれない。二十年前とはいえ、一年間、週の半分以上は利用していたはずの駅に、まったく覚えがなかった。こんな駅だっただろうか、と記憶を探っても出てくるものはなく、どんな駅だっただろうか、と問うても出てくるイメージはなにもなかった。

 戸惑いながら、俺は自転車を押してロータリーをぐるりと歩いた。覆いのないバス停、ライオンズクラブの青いベンチ、派出所、餃子屋、コインロッカー、タクシー乗り場、駅舎、自動販売機、公衆電話、コンビニエンスストア、証明写真機、スタンドのない自由なスタイルの駐輪場。コインロッカーの傍にはどこかへ向かおうとするなにかの団体が、公衆電話の脇にはおそらくはその使い方を知らないであろう若い男女が佇んでいたが、それは今の俺の関心事ではなかった。ロータリー中央部の島にはナツメヤシの類、その周囲には時間貸しの駐車場。別の島にはツツジだかサツキだかの植え込みと、量産型の時計塔および犯罪撲滅の類の立看板。視界をもう少し周辺に広げれば、いくらかの飲食店、カラオケ、美容室、歯科医、内科医、土地・建物、学習塾などもあったが、いずれにせよおよそは昭和後期から平成初期型の、乗車人員二万人未満程度の駅の標準的な装備と言えるだろう。再開発という名の不毛な破壊が為された類の駅前ではなく、二十年前の景観と大きくは変わっていないだろうことが、なおさら俺を困惑させた。眺めてみれば、なるほど確かにこのような駅だったかもしれない。だが、自分がこの駅を利用していたイメージが、まったく浮かばなかった。

 困惑しながら、俺は自分が住んでいたマンションを眺めにいくことにした。記憶に自信はなくなっていたが、さすがに自分が住んでいた場所までは忘れるまい。駅から右、それから左。●●●大口●●館。ヘミングウェイの小説にあったようなフレーズと、かつて自分が住んでいたはずのマンション名を脳内で繰り返しながら、俺はロータリーをあとにして通りを渡り、自転車を押したまま歩道を歩いた。向かいの三井住友銀行の無人ATMにも、通りの先を横切る何線だかの高架にも、やはり覚えがなかった。

 歩道沿いの石積み風の塀は進むに連れてだんだん低くなっていき、やがて途切れた。そこにあったのはステインレス製のみっつの防護柵と、通りと平行して地形の上の台地部分へと上がっていく、なだらかなスロープだった。塀の上は木々に被われており、通りからの眺めでは上になにかがあるとは思わなかった。不思議に思いながら通り過ぎようとすると、門柱の銘板が目に入った。大口駅前公園。俺は立ち止まり、すっと息を吸い、首を傾げた。そんな公園、あっただろうか。

 いずれにせよ、銘板があるということは、この上に公園があるということなのだろうし、公園があるということはトイレがあってもおかしくはない。マテの利尿作用によって促進された尿意を解消することは、毎日のように通っていたはずの道に唐突に出現した公園に対する戸惑いより重要な関心事だった。俺は自転車を押して防護柵の間を抜け、スロープを上がった。


 最初に目に入ったのは、スロープの上の木陰のベンチで寛ぐ、タオルを首に巻いた老人の姿であり、これはいささか都合が悪かった。仮にトイレがなかった場合には非合法の手段を取ることも選択肢には入っていたが、地域住民の眼前で堂々と違法行為に及ぶのは俺の好みに合わなかったからだ。

 登り終えてざっと周囲を見渡せば、二段構えの造りになっている公園で、下段がいくらかの球技もできそうな広さのある平坦な広場になっており、階段とスロープで上がれそうな上段には林と呼んでよいほどの木々が繁っていた。それ以上の観察は今の俺には不要なことであり、老人と逆方向に水道と小型の建造物が見えたので、ひとまずそちらに向かってみたが、建造物は残念ながら防災倉庫の類であり、俺の必要を満たせるものではなかった。自転車を停めるべきスペースも見当たらなかったので、俺はひとまず倉庫の近くのベンチの脇に自転車を停め、バックパックを背負い、上段へと向かった。

 上段にもトイレはなかったが、人影もなかった。ベンチの老人の視線もここまでは届かない。思うところは色々とあったが、今俺が為すべきことは膀胱に溜まった尿を排泄することであり、人目につきづらく、罰の当たりにくそうな茂みを見つけ、誰もが好きな時に自由に放尿および排便できる理想社会の実現が夢物語に過ぎないことを思い、現状での社会的インフラの不備とそこから必然的に生じる行為の違法性の認識を黙殺しながら、俺は放尿を始めた。温かい尿が足元で湯気と音を立てている間に俺が考えたのは、次のようなことだった。

 二十年前に俺がこの町に暮らしていたことは間違いない。全体としての生活の記憶はあるし、その年に横浜線と東横線の交点に住むべき理由もあったから、論理的にも辻褄が合う。証人となるべき父親はすでに他界したものの、実家には当時の契約書の類が残っているかもしれないし、その気になれば当時の友人知人に問い合わせ、あるいは戸籍の証明書の類を探ることも可能だろう。にも関わらず、充分な規模があり、ほとんど毎日通っていたはずの通り沿いの公園の存在さえ、俺は知らなかったのか。俺は外界の認識ができなくなるような精神の病を抱えていたのだろうか。それとも夢の中で生きていたのだろうか。 

 尿は終わり、俺は陰茎を振って雫を切ってからボクサーパンツの中にしまった。困惑しながら歩き、ひとまずの休憩をすべく、目についたピクニックテーブルのベンチに腰を下ろした。



 午前八時五分のピクニックテーブルの上の水筒とマテとカメラとパンケイクの上に、葉の影が揺れていた。身体はいくらか重く、蒸れた足の裏に風を感じていた。俺は口の中に残ったパンケイクをマテで食道に流し込み、もう一度呆然と風景を眺めた。六時間の旅を経て、辿り着くべき時に、辿り着くべき場所に辿り着いていた。辿り着いた場所は、まったく見覚えのない公園だった。

 俺は脚を組み、顔を下に向けて、両目を押さえた。指の熱が、疲れて硬くなった眼球をいくらか安らげた。あの日々にも風は吹き、葉とその影を揺らしていたはずだった。だが、俺がそれを眺め、感じていたという証拠がなかった。俺は夢の中で生きていたのだろうか。その夢には、少なくともいくらかの美しさはあったのだろうか。どうだったんだ、俺よ。問いながら俺は目を開け、木々を見上げた。今は葉のきらめきが、クリアに見えていた。

 困惑は続いていたが、俺は予定通りマンションを見に行くことにした。荷物をまとめ、靴下を履き直しながら、右足を蚊に刺されたことに気がついた。今年三度目の蚊だった。蚊が出る季節になっていた。

 木陰から出ると、陽が高く強くなっていた。俺は水道で水筒に水を補給してから階段を下り、ざっざと砂の擦れる広場を歩き、ベンチ脇の自転車を見やり、自転車はそのまま放置することにして、通りに下りるスロープへと向かった。もう一度青い空を見上げ、太陽の熱を感じながら、ぼんやりと思った。あとで日焼け止めを塗り直さないとな。


 駅から右、それから左。ヘミングウェイのようなフレーズを繰り返しながら、俺は駅前の通りを北に向かい始めた。進みながら左に上がる道を覗いていけば、どこかで心に引っ掛かるものがあるだろう。そう思いながら覗いた最初の通りが、早速それだった。

 信号のない交差点の横断歩道から左を眺めれば、一応は車がすれ違える程度の車道と、白いガードパイプと黄色い点字ブロックと金属製の段差スロープを有する歩道が、緩やかな坂の上の消失点に向かって伸びていた。交差点の串焼き屋にも家庭料理店にも接骨院にも鍼灸院にもなんの記憶もなかったが、二百メートルほど先の突き当たりのガレージに降りたシャッターと、そこから左へと向かう白いガードレイルには覚えがあった。この通りで間違いないはずだ。

 呆気なく目当ての通りが見つかったことに安堵しながら、俺は車の来ない車道を上がっていった。近づいてきた右手の四階建てのマンションの名称にも覚えがあり、俺は無意識に頷いた。当時フランス語を履修しており、そこで知った言葉が使われていたから印象に残っていたのだろう。黒いデニムのトートバッグにスペイン語とフランス語の辞書を入れて学校に通っていた時代だ――おそらくはこの坂を往復しながら。

 その向かいの昭和中期型の美容院の前では婆さんが腰を九十度に曲げて店前のゴミ拾いだかプランターの手入れだかをしており、そんな美容院もあったと言われればあったのかもしれない。婆さんは当時はまだそこまで婆さんではなかったのだろう。開業時には三十歳ほどだったのかもしれないが、いずれにせよ俺は彼女の顔も――名前はおそらく美容院名のそれなのだろう――ここで美容院を営むべき理由も知らなかった。紺色の雨よけから通りに突き出した店舗名入りの時計は黄ばんで傾いていたが、まだ動いており、針はおよそ正確に八時N分を指していた。

 美容院の隣りに内科の医院があることにも、俺はやはり安堵した。医院名にも外観にも覚えはなく、それが内科医だったかも耳鼻科医だったかも歯科医だったかも忘れていたが、坂の途中の医者でインフルエンザの罹患証明書の発行を受けた記憶はあったからだ。二千円、二千五百円、おそらくはそのぐらいの費用を請求されたはずだ。

 さらに先のコンクリート造りの二階建ての古びた町内会館には覚えがなく、シャッターに書かれた「神輿山車置場」にもなんの記憶もなかった。当時の俺は町内会館というものの存在や機能を認知しておらず、山車を見たこともなければその読み方さえ知らなかったから、この件に関しては認識と記憶の不存在も無理がない。山車に関心を持つようになったのは二〇一一年以降、三・一一のあとの夏からだった。

 アパート、マンション、駐車場、二階建ての家々、なにかの事務所、そんな景色を過ぎながら突き当たりまで歩き、荷台のあおりにパナソニックのロゴが入った軽トラックを横目に白いガードレイルに沿って左に曲がり、さらにY字路を左側に入った。そこにかつて自分が住んでいたマンションがあり、その裏手には――


 マンションはなかった。代わりにあったのは、比較的新しい何軒かの一戸建ての家々だった。俺は戸惑いながら、状況を理解しようと頭を巡らせた。確かに近年の埼玉でも、駅から離れたいくらか不便な場所にこうした一戸建てが増えていた。三階建てに車二台を置けるスペースというのがスタンダードな様式で、古い商店を潰し、木造アパートを潰し、傾斜地を崩し、あるいは飛び込み自殺が頻発する踏切の脇に、土地の歴史も性質も知らない間抜けな田舎者どもを――

 ふと視線を上に上げると、一戸建ての三角屋根と縦横に走る電線の向こうに、マンションの塔屋看板の一部が見えた。広く展開されているマンションシリーズではあったが、少なくともカタカナのその三文字は、俺が住んでいたマンションのそれと同一のものだった。

 やはりここでよかった、と安堵はしたものの、次の問題はどこからマンションのエントランスに辿り着けばいいのかということだった。うろうろするまでもなく少し周囲を見渡せば、ここが袋小路であり、向こうに抜けられそうな通路がないことはわかったし、戸建て住宅の隙間を抜けていくような奇妙な入り方をするとも思えなかった。

 首を傾げながら坂に戻り、どうしたものかと思いながら歩き始めると、なにかの事務所だと思った建物の一階部分がピロティになっていることに気がついた。足を止め、ひんやりとした翳の中に目を凝らせば、多角形の陽光が落ちたスロープと、その向こうに駐められている数台のバイクと、L字が組み合わされたプラスティックの配管と、柱の陰の消火栓格納箱の赤い側面が見えた。右に視線を移していけば、スロープと平行する数段のごく低い階段と、その脇のポッカの白い自動販売機が見え、その要素が記憶のどこかに触れたところで、ピロティの内側側面の壁にある館名板に気がついた。間違いなく、俺が住んでいたマンションの名称だった。俺は少し考えてから敷地内に入り、ひんやりとした空間を進んだ。

 タイルの上を進むと、右手にあったのは宅配ボックスだった。利用したことはなかったが、確かにそういうものがあったはずで、入居時に説明を受けた記憶がうっすらとあった。その記憶も、今ここに宅配ボックスがあるから「確かにそんなものがあったかもしれない」と思う程度のものであり、なければないで特になにかを思うこともなかっただろう。コンクリート打ちっぱなしの殺風景な壁を過ぎ、タイルの色の変化に誘導されて突き当たりを右に入った。そこにあったのは階段だった。

 ――階段? エントランス前に階段がある? まったく記憶になかった。真ん中に手すりの通った階段を上がれば左手にキャノピーのついたエントランスという構造が目の前に見えていたが、上下の移動さえ覚えていないということはさすがに認め難く、エントランスの位置を変えた可能性、あるいはやはりさっきの一戸建てが新しいものであり、本来はそちらから入る構造になっていたという可能性を慌ただしく考えたが、地形を変えるような大規模な工事が必要になるその発想がナンセンスであることは即座にわかったし、自動販売機と宅配ボックスを過ぎて出入りしていた記憶はあったので、やはりもともとこの造りだったのだろう。

 俺は首を振り、溜め息をつき、心に重いものを感じながら、階段を上がった。身体がなにかを覚えていないかと朧に期待したが、なにも覚えていなかった。二十段を上がってエントランスに辿り着き、ガラス扉の外から薄暗いロビーを覗いた。なにも心に引っ掛かるものはなかった。縦型のポストから郵便物を取り出したことがあったのかも、どのようにオートロックを解除すればよいのかも、エレヴェイターがどこにあるのかも、エレヴェイターを降りてからどのように自分の部屋に歩いていけばよいのかも、どこからどう鍵を出したのかも、鍵の種類も、ドアノブの形状も、ドアの重さも、ドアを開けたときの気分も匂いも風景も、電灯のスイッチがどこにあるのかも、なにも思い出せなかった。

 息が詰まるような気持ちになりながら扉を離れ、階段の下を見下ろし、毎日眺めていたはずのこの角度のこの視界から思い出せるものはないかと心を探った。なにも思い出せなかった。外廊下を見上げ、階段を降り、振り返ってエントランスを眺め、階段下の排水溝を見下ろし、自転車置場を眺め、バイク置場を眺め、自転車置場の区画図を眺め、ゴミ捨て場を眺めた。なにも思い出せなかった。

 俺は敷地を離れ、坂を下った。この道を毎日のように歩いていただろうことが、信じられなかった。二十年の歳月は、思うより多くを奪っていた。俺は意味もなく内科医院の診療時間を写真に撮り、さらに歩いた。坂の下の交差点の向こうには、横浜線の線路を渡る歩道橋が見えていた。美容院の婆さんはいなくなっていた。


 交差点を渡り、自転車置場を過ぎ、歩道橋を渡った。歩道橋は確かに青かった。そんな手応えはあったが、そこから見える景色にも、向かいにある公園にも、小さな川にも、まったく記憶がなかった。歩道橋の向こうにはスーパーマーケットがあるはずだった。正確な立地も店名も外観も店員のユニフォームもレジの位置もBGMも覚えていなかったが、インフルエンザにかかったときに黒胡麻のおかゆを作ろうと食材を買いに行った記憶があった。ライフかマミーマートか、その類の店舗だったはずだが、少し探して見つからなかったので、俺は早々に諦め、一度も渡ったことがないであろう踏切で八王子行きの電車が駅に着くのを待ち、線路の西側に戻った。

 もう一度駅前に戻り、なにも思い出せないことを確認してから、商店街の方へと歩いた。どこかの角にコンビニエンスストアがあり、ナカムラという名の若い女が働いていたことは記憶にあった。それらしきコンビニエンスストアは見つからなかった。モスバーガーがどこかにあったような気がしていた。ミスタードーナッツはあったが、モスバーガーは見当たらなかった。


 暑さが増しつつあった。俺は商店街には向かわずに、東西に走る大通りの交差点を曲がり、特に意識もせずに脇道のいくらか急な登り坂に入った。明確な記憶や認識があったわけではないが、この坂を上がればみなとみらいが見え、マンションの裏手のベランダ側に出ることが、なぜかわかっていた。

 アスファルトに落ちる光と影の中をしばらく上がり、振り返れば緑色のワイヤー・メッシュ・フェンスの上部のよれた鉄条網の向こう、木々と建物の狭間に、ランドマークタワーの上部が見えた。もう少し上がり、もう一度振り返ればフェンスが切れ、手前の建造物群に下部を遮られながら、ランドマークタワーを中心に、メディアタワーの通信塔からインターコンチネンタルホテルの上部のカーブまでを望むことができた。

 この立地、この見え方には確かに心当たりがあった。妙蓮寺駅への行き方を探っていてなのか、夜景がよく見える場所を探していてなのか、単に道に迷ったのかはわからないが、いずれにせよ俺は当時ここに来たことがあったし、記憶を同定するのは、そのときはさほど意識も認知もしなかったであろう、視界の周辺部分に映り込んでいる緑色のワイヤー・メッシュ・フェンスなのかもしれなかった。

 いずれにせよ、俺はかつてここに来たことがあり、夜のみなとみらいを眺めたことがあった。それは間違いない。あるいは明滅する航空障害塔の赤い光に町の呼吸を感じ、なにかを思ったのかもしれなかったが、そのときの生き生きとしていたであろう感情は、決して甦ってはこなかった。

 さらに上へと歩いた。団地のような造りの何棟かの三階建ての集合住宅を右に過ぎ、上部の錆びた白いガードレイルが蛇行する道を登り切ると、フェンスに囲まれた児童遊園と木々の向こうに、マンションがあった。

 俺は坂の上のT字の交差点から駅方面に降りていく道を下りながら、マンションのベランダを眺めた。視線の高さに六階があった。そのどれかに俺は住んでいた。どれだったかはわからない。俺は、坂の傾斜に従って斜めに傾いたオレンジ色のガードフェンスに近づき、金網に指をかけ、顔を近づけ、メッシュの隙間から、ひとつひとつの部屋を眺めた。ある部屋の窓は開き、ある部屋にはパラボラアンテナが設置され、ある部屋にはキャリーカートが転がり、ある部屋では洗濯物が揺れ、ある部屋では洗濯ピンチに挟まれた白いシーツが朝の光を浴びていた。

 ベランダからはランドマークタワーが見える。それが俺がこのマンションを選んだ理由だった。かつては俺も、コンビニエンスストアの横のコインランドリーで洗った洗濯物を抱えて坂を上がり、ベランダに出て洗濯物を干し、あるいは取り込み、ランドマークタワーを眺め、なにかを思っていたはずだった。そのときの思念や感情はすべて消え、どの部屋を眺めても、そこに若き日の自分の姿を見つけることはできなかった。

 電車の音が聞こえてきた。俺は顔をガードフェンスから離し、何枚かの写真を撮り、駅の方角へ降りる下り坂へ向かおうとした。なにを思えばいいのかわからなかった。

 向かう途中で、高台の集合住宅の間を抜けてマンション方向に突き出る、小綺麗な通路に気がついた。おそらくは高架型の通路を経て、低地部の駐車場に降りることができる経路なのだろう。通路の先は防護柵越しの宙であり、マンションの全景を含む良好な眺望が得られそうだった。俺は少し考え、煉瓦調の通路を進んだ。

 眺望は期待通りのものだった。左手には一階から六階まで、傾斜に沿った複雑な構造のマンションのほぼ全容が見え、防護柵越しに記憶通りのマンションの裏手の駐車場を見下ろせた。正面と右手には町が――多様な形状と色彩の、大小と高低のある住宅群が起伏と遠近を描く町が――相当の遠くまで広がって見えた。どこまで見えるのかは正確にはわからなかったが、目を細めれば、北東には鶴見のさらに先の川崎駅周辺のビル群までは見えているのかもしれない。町は思っていたより広く、複雑で、多くの要素を含んでいた。

 俺はもう一度マンションに向き直り、上から下までを眺め、何枚かの写真を撮った。それからマンションに背を向け、ありがとな、と指を二度振り、小綺麗な煉瓦調の通路を戻り、下り坂へと向かった。いくつかの思いが胸をよぎり、それから消えた。しばらく歩いてからふと振り返ると、マンションはもう見えなくなっていた。

 眺めのよさそうな二階建ての木造アパートを端として高台の住宅地は切れた。青い大気の向こうに火力発電所の二基の煙突とつばさ橋の白い主塔が霞んで見えていた。俺は草の繁る低い崖と竹垣に挟まれた小径を降り、小さな稲荷社を過ぎて南側の小ぶりな階段から公園に戻った。ベンチの老人はいなくなっていた。代わりにTシャツとショートパンツ姿の少年たちがサッカーの練習を始めていた。声が上がり、砂が擦れ、ボールが蹴られ、壁に当たり、土に弾む。そんな音を、妙に遠くに感じていた。

 陽はさらに高く、熱くなっていた。俺は歩きながら何枚かの写真を撮り、自転車に戻ってバックパックを前かごに入れ、ポケットからマテを取り出してバックパックとかごの隙間にねじ込み、ジャージを脱いで腰に巻き、そうだ、とぼんやり思い出して、バックパックのサイドポケットから日焼け止めを取り出し、顔と腕にぺたぺたと伸ばした。匂いの少ない日焼け止めだった。

 自転車の鍵を開け、なんとなくスロープには向かわずに、少年たちを横目に駅の反対方向へと自転車を押した。公園を振り返り、住宅街へ抜ける階段を、タイヤを傷めないように気をつけながら、ゆっくりと降りた。それから、サドルにまたがり、ペダルを踏み込み、立ち上がって、住宅街を抜けて左に曲がり、坂を上がってもう一度マンションへと自転車をこいだ。

 俺は自転車にまたがったまま、金属製の館名板を撫で、タイル張りの壁にぽんぽんと触わり、それから方向を変えて、光の中へとペダルを踏み込んだ。そして、この町と、かつて暮らしたはずのマンションに申し訳なさを感じながら、スピードを上げて緩やかな坂を駆け下りた。

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