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01_羽衣華子の背後(5/5)

 すっかり日の落ちた歌舞伎町は、惨憺たる状況だった。あちらこちらから男性の悲鳴や恫喝が聞こえてくる。まだ死者は出てないと思うよ、と笑う樽水さんは、時折襲ってくる連中を毎度丁寧にのしながら、僕を先導する。ガガさんは、俺達のブレインだからという理由でさっきのテナントで留守の状態だ。

「武道か何か、やられてるんですか」

「同期に最強の女がいるんだ。ビシバシと鍛えられてるんだよ……さて、着いた」

樽水さんが指を指した先に見えるのは、『長尾家』の看板。店までの通りにはざっと見ただけでも数十人の般若と泥眼がいる。

「さっきはああ言ったけども、般若も泥眼も、どんどん増えている。今が夜の八時……緊張状態から見るに、あと一時間もすれば全面衝突が起きそうな気配だ。時間は無いよ」

樽水さんは、ポケットからピルケースを取り出すと、中から赤いカプセルを二錠差し出した。

「これは、俺とガガちゃんが緊急時にあちら側へ復帰するために用意しておいた、スペシャルアイテムだよ。一錠飲むだけで、すぐに『オモテの歌舞伎町』に復帰できる」

「僕が会いに行くんですか?」

「渡したイヤホンから、ガガちゃんと通信ができる。向こうに着いたら指示するから」

職員が丁度出払ってるんだ、と申し訳なさそうに苦笑う樽水さん。そういう問題ではない。

「僕じゃなくて、樽水さんかガガさんがやられた方が」

「万が一対応が間に合わなかった時、俺たちはこちら側の混乱を収拾しなくちゃならない」

「その時お二人は? 『ウラの歌舞伎町』に閉じ込められるんじゃ」

まさか! と笑いながら、樽水さんはピルケースをカシャカシャと振って、音を鳴らす。

「仮に閉じ込められても、同志・奏丞と奥田君のことは鐘楼が責任を持って保護するよ。俺たちだって、プロなんだから大丈夫」

樽水さんは、片方のカプセルを奥田君の口に入れて、ペットボトルの水を飲ませる。そして僕にもカプセル一錠とペットボトルを手渡す。

飲み込んですぐ、景色がぼやけていく中で聞こえた「頼んだよ」の一言は、一切の圧力を殺したような、優しい響きの一押しだった。


 気づくと、そこは悪臭漂う路地裏だった。

すぐ傍には奥田君が──彼本来の顔のまま、眠ったようにのびている。高収入をうたうアドトラックが近くを通ったのか、馴染みのある歌声が狭い通路に反響する。

戻ってきた。

僕は無線イヤホンを耳に押し込み、「今から向かいます」と宣言しながら歩き出す。

『…**す*さん。**え***す*?』

「もしもし? もしもし」

通信が悪いのか。ガガさんの声が飛び飛びで聞こえる。またそれ以上に電光掲示板や通行人の喋り声、車のエンジン音などで声が明瞭に聞こえない。ノイキャン機能くらいつけとけよ、と思わず声に漏れる。

道路を渡ってすぐ、僕は『長尾家』の店前に着いた。夕飯時というのもあって、大繁盛の様子、店内は男性客で埋め尽くされている。背伸びして引き戸の向こう側を覗こうとすると、「並んでます」と後ろから声をかけられた。どうやら店前から向こう十メートルほど、行列になっている様子だ。

「ガガさん。羽増さんは、まだ店の中にいますか?」

一歩引いたところで、改めてイヤホン越しに話しかける。

『**ちゃ***らおし**く***。つぎ***を***す』

「……僕は、店の前に着いています。羽増さんは、どこにいますか」

「はい?」

聞き取りやすいようにと、ゆっくり大きな声で話していた僕に、中年の男性が声をかけてきた。その顔は間違いない、羽増さんだ。

「羽増ですけど…」

「あ…すみません。僕えっと羽衣華子の友人で。すみません大きな声で名前呼んじゃって」「はご、誰って?」

羽増さんは目を真ん丸にして首を傾げる。僕は動揺で高鳴る心臓を抑えながら、口が回りすぎないよう息を整える。

「羽衣華子です。『ミートス』の」

「……あ、『ミートス』ってコンカフェの? はいはい。はごろもはなこさん……?」

まさか、覚えていないのか?

「その方が、何か?」

「……『ミートス』で、嫦娥をやっていた女の子。覚えていませんか」

「じょ…和服っぽい子かな? あの、ずっとシンクにいた子? ほとんど話してないな」

「そうなんですか」

「そもそも、あの店も友人の誘いで行っただけなんですよ。二回くらい。嫦娥でしたっけ?居た気もするけど、ちょっと分からない」

羽衣華子は、恐らくずっと、この人を探していた。この人に、般若か泥眼の如く、自分を追いかけて欲しかったのだ。しかし話を聞く限りじゃ、この人と彼女の間柄に特別な絆や友情、関係があるようには思えない。そもそも二回じゃあ、常連とは呼べないじゃないか。どういうことだ? どうしてこの人に、追いかけて欲しかったんだ?

「話したことも、ないですか?」

「ないね。顔もちょっと……シンクに立つ、後ろ姿しか見てないね。……何か、お役には立てそうかな」

『もしもし』

その時、無線イヤホンから明瞭な声が聞こえた。ガガさんの声じゃなかった。

『あの…もしもし』

僕は慌ててイヤホンを外し、(耳垢がついていないかよく確認して、指で拭いて、息を吹きかけてから)羽増さんに手渡す。つけてください、話してください、と何度も頼みこむ。

 羽増さんは、イヤホンを着けると「もしもし?」と恐る恐る口を開き……次の瞬間には、嬉しそうに笑っていた。

「あぁやっぱり。ドリンク作ってくれた子ですよね。覚えてますよ、覚えてます」


 翌日。と言っても、数時間後の深夜一時。

「しょっぱいは正義だね。疲れた体に染みる」

樽水さんは満面の笑みでポテトをつまんでいる。その横ではガガさんが、粉末状のフレーバーとポテトを詰め込んだ紙袋を無心で振っているが、疲れているのか、さっきからちょくちょく目を閉じている。こればかりは、無理もない。こちら側に戻って、諸々の報告を済ませたのがつい三十分前とのことだ。とは言え、それでもファストフードを希望したのも他でもないガガさん本人とのことで、この、睡魔に抗いながらも何としてでもフレーバーを味濃くまぶしてやろうと言う振り様は、そんな食い意地の現れなんだろうと思う。

 僕達三人は、新宿のバーガーテリアに訪れていた。『ウラの歌舞伎町』に居た行方不明者は総勢で二百人を超えようとしていたらしく、今も鐘楼の職員たちを中心に全員の無事の確認が続いているが、僕達は直接『ウラの歌舞伎町』に行っていた功労者ということで、早めの切り上げが許された。夕方、職員が香川へ移動するのにわずか一時間しかかかっていなかったことと言い、鐘楼は、かなり緻密な連携が取れている組織らしい。

また奥田君と荒木とは、一時間前くらいに連絡が取れた。二人とも「午後から夜にかけての記憶が曖昧」らしく、樽水さん曰く、

「知らない赤の他人と、意識を同調させていたんだ。記憶の混乱がない方が不思議だよ」

とのことだが、ともすると僕は一体……。

 「なにはともあれ、お疲れ様。奏丞のお陰で、事態は解決したよ」

樽水さんとコーラを乾杯する僕。さすが新宿、午後一時とはいえ店内は声で溢れていて、よっぽどの大声でなきゃ、聞き耳を立てられる不安も起きないくらいだ。

「解決で良いんですか」

「諸々の後始末は必要だよ? でも『ウラの歌舞伎町』が観測されなくなったこと、行方不明者が続々とこちら側に戻ってきていることは確認済み」

となるとやはり、あの電話が事態の収拾のカギになっていたことは、間違いなさそうだ。ノイズばかりの無線イヤホン越しに聞こえた、ガガさんではない女性の声。あれはやはり、羽衣華子本人の声だった。僕の通話相手は、いつの間にかガガさんから羽衣華子へと変わっていたのだ。それに気づいた僕が、羽増さんにイヤホンを受け渡したのがファインプレー。

また通話当時、僕からはなんとなく、ガガさんの声の輪郭のようなものが聞こえていたが、ガガさんからは僕の声はおろか一切の音が聞こえていなかったらしい。しかしそれでもガガさんが、僕が羽増さんを見つけていることを信じて、通信を羽衣華子本人へと受け渡してくれたことにより、『オモテ』と『ウラ』から『オモテ』同士の通信に変わり、結果ノイズのないクリアな会話が可能になった。ガガさんも物凄いファインプレーだ。

「とはいえ改良が必要だね」と樽水さんがイヤホンを指して苦笑し、眠たげなガガさんが「私の機転を褒めて欲しいです」と口を尖らす。

「結局、羽衣華子は羽増さんと話したかっただけだったんですかね」

不思議だった。まず羽増さんは、『ミートス』には二回しか通っていなかったわけで、これを羽衣華子が『常連さん』と親しみに呼んでいたのは不自然だ。またそんな彼と短い電話を交わしたというだけで、あれほどの異常現象…『ウラの歌舞伎町』自体が消失してしまったことも、なんだか噛み合わせが悪く、割に合わない。

侮っちゃいけないよ、と樽水さんはうなずく。

「奏丞には、この街がストレスに思えるのかもしれない。けれどこの街が、誰かの居場所になっているのも確かなんだ。この街に限ったことじゃないよ。人が集まれば、そこは自ずと誰かの居場所になる。きっと『ミートス』は、羽衣華子の居場所だったんだよ。そして『ミートス』と羽衣をつなぎとめる(かすがい)が羽増だった」

「あの人が?」

「人間だからね。たとえ、交わした会話が短くとも──なんなら交わしてすらいなくとも、些細な態度や一言が、他人の人生に大きな影響を与えてしまうことはある」

良くも悪くもね、と続ける樽水さん。飲み込んだコーラが、僕の食道の内壁をシュワシュワ撫でながら落ちていく。これまでの僕の人生、忘れられない一言はあっただろうか。分からないけれど、今日のこのポテトとコーラのマリアージュは絶対に忘れられない気がする。

「因みに羽衣さんですが、また『ミートス』に復帰することに決めたらしいです」

「そうなんですね……なんか、ドリンクがめちゃ美味しいらしいですよ。羽増さんが言ってました」

今度、時間があったら『ミートス』に行ってみてもいいかもしれない。一人で行く勇気はないので、奥田君と荒木を誘って。

 「ていうか。私としては、羽増さんが東京にいたことに怒りを感じざるを得ないんですが、お二人的にどう思います?」

ガガさんが、らしくない強い口調で不満を零す。いい加減、眠いのだろう。そういう頬の赤みだ。

「ま~会いたくもない男達が徒党を組んでまで自分を取り合っていた凄惨な現実と、肝心の本命の男がそれすらも知らずにただただラーメンを啜っていたというお気楽な現実は、なんとも皮肉に感じられるよね」と、樽水さん。

「男とか女とかそういう話大嫌いなんですけど、男ってそういうところありますよね」

なんてことだ。ガガさんが、たった一文の中で矛盾したことを言っている。

「どうでもいい男に限ってしつこいし、本命だっつー奴は鈍いんだよなーマジで嫌になる」

いい加減に寝てくれ。お願いだから寝てくれ。

「そろそろ解散しようか。本当にありがとうね、奏丞」

そう言って立ち上がる樽水さんに、僕は思わず声を上げる。

「あっ、あの……」

しかし、それ以上の言葉が見つからなかった。「ありがとう」は何度も伝えている。伝えたいのは別件だが、何と言えば良いのかが分からない。どう言えば、嫌味や自意識過剰に思われないだろうか。

「……奏丞に任せるよ」

「……僕の、答えによっては?」

「国家権力だからね」

 樽水さんは、妙にリラックスしていた。この人はきっと、こういう状況に慣れているのだろう。そして僕はきっと、これまでにも沢山いた、鐘楼の部外者の一人に過ぎないのだろう。この先に待っているのが、口封じでも記憶操作でも、はたまた別の何かでも不思議じゃない。

 僕からは一つだけ、と樽水さんは人差し指を突き立てる。

「なんにせよ、この先の人生、沢山のイベントが奏丞を待っている。でもその全てが、非日常の形をしているとは思わないことだよ。人生、何事も解釈次第だ。自分の世界に閉じこもることなく、いい人生にしてやろうと強気に挑む心意気が、奏丞を強くする」

今の僕は、樽水さんやガガさんの日常を知らない。目の前にぶら下がっているのは、大味の非日常。そこに眠る喜びも、恐怖も、僕は何も知らない。

しかし、それを知りたい。

日常的な非日常を、また非日常的な日常を送りたい。

断じて、目の前の餌が特別だからではない。

新たな世界を、知ったならば。

ましてや目の前に、それが日常として、広がっているならば。

それを見ずして、死んでしまうのはもったいない。

僕は、生来の物好きなのだ。


 答えは決まった。


「僕も、鐘楼に入れてください」

「喜んで」


樽水さんは、笑って即答した。

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