01_羽衣華子の背後(2/5)
「ガガちゃん! その子助けて!」
はい! という突き抜けるような返事と共に、僕の元に一人の女性が駆け寄る。
「大丈夫ですか? 救急です。ケガや痛いところは?」
そう言う女性は、パーカーにスラックスを合わせていて、その上からオレンジ色の救急風のジャケットを羽織っている。お世辞にも救急隊員には見えない。
「あっ、この服装は緊急事態で仕方なくです」
「いいから!! ちゃちゃっと避難!」
男は、スーツと老人の二人の身柄を拘束しながらこっちへ呼びかける。
「一旦この場から離れましょう」
女性の先導で、僕達は、雑居ビルのフロントに避難した。助けてくれた男も、さっきの異質な二人組をのしたのだろうか、僕達に追いついて、ひっきりなしに後方を確認している。身長は180cmはありそうだ。ニットにワイドパンツ、脚にはブーツを履いている。やけに身軽だと思ったら、女性が大きなアウトドアリュックを地面におろしているのが見えた。全ての荷物を持たせているのだろうか。
追っ手はないね、と笑う男と、しばらくここで撒いた方がいいですかね、と首を傾げる女性。
「あの、ありがとうございました。助けていただいたみたいで」
「どういたしまして。大変だったね。急に誰も居なくなったから、びっくりしたでしょ」
「なにが、なんだか」
「まずは、自己紹介かな。俺は樽水。この子はえっと…山狩だったよね?」
「山狩加鈴音です。この人からはガガちゃんって呼ばれてますけど。お好きなように呼んでいただいて構いません」
「君は?」
男改め樽水さんは、腰が抜けっぱなしの僕の前に、ヤンキー座りのようにして座る。
「雨谷奏丞です。お二人は一体?」
「雨谷奏丞……──奏丞」
いきなり呼び捨てか、この人。
「結構、頭が回る方と見た。俺たちは見えないだろうけど、救急隊だよ? 一旦はそれくらいの理解で充分。うかうかクドクドと説明している暇がないのは、なんとなくで分かるよね」
「樽水さん」
「分かり……ます。パラレルワールドって言いましたよね。さっき」
僕の返事に、樽水さんは眉を挙げて見つめ返してくる。話が早いな、と言わんばかりの表情だ。正直なところ頭がパンクしそうではあるけれど、こういうパニック系のシチュエーションだと、話の分からないモブキャラは早々に脱落するのがお決まりの展開だ。ならば表向きだけでも、フラグをへし折ろうじゃないか。それに、分かった気になっているうちに分かってくることもきっと沢山あるだろう。
僕は某スパイムービーの主人公ばりに、キリッと視線に力を入れなおす。
「……そう。混乱しているだろうけど、申し訳ない。事情が事情だから、状況を簡潔に説明させてもらうよ。俺の方からいくつか質問したいこともあるから、適宜答えてもらえると助かるな。奏丞も、疑問は聞いてもらって構わない。ただしここで聞いた内容は他言無用だよ。仮に誰かに話したら、見えない権力によって口封じされちゃうからね」
「冗談じゃないですよ……」とうんざりするガガさん。
「俺たちは、とある国家秘密組織の一員だよ。その名も《ベルフライ》」
ガガさんが、目を真ん丸にして樽水さんを見返す。馬鹿、言うのかよ、と顔に書いてある。
「べるふらい?」
「通称名は《鐘楼》。寺とか教会に、でかい鐘が釣り下がった建物があるだろ。由来はなんだっけか」
「諜報部隊…みたいなことですか。本当に」
「本当にあるんですね、とかそういう反応は一旦保留で」
「樽水さん、見て」
二人は、影から出ないように、首を伸ばすようにして大通りを観察する。僕も見ようとしたが、下がれ下がれ、と後ろ手に樽水さんに押しやられる。そのまま三人で中央の階段奥、行き止まりになるところまで退いたのち、ぎゅうぎゅう詰めになるようにして身を縮める。
大通り、数十人の男達が群れになって、デモ行進のように歩いていくのが見えた。風体は様々、思い思いの凶器を手にしているが、表情は一貫している。全員、さっきの連中とは違った。眉間は大きく下がり、眉尻が対照的に吊り上がる。小鼻と口角はぎゅっと持ち上がり、口は上下の歯が出るようにして広い。その奥で、湿った舌が真っ赤に光っている。
「般若みたいな表情ですね。能面の」
「じゃあさっきの奴らは、さしずめ泥眼かな」
樽水さんは、暑い、と手を扇ぎながら再び離れる。そういう割には、汗をかいているようには見えない。
「ここ新宿では、先月の初め頃から立て続けに、複数の男性が行方不明になっていたんだ。総勢で約100人」
「それは多いんですか、少ないんですか」
「多いね。多すぎるよ。たった二ヶ月、男性のみの約100人。警察は必然、誘拐・拉致・監禁を疑ったけれども、並みの捜査じゃ手も足も出なかった」
樽水さんは、防犯カメラを指さす。
「カメラに映ってたんだよ。行方不明の男性諸君が、文字通り“消える”瞬間がね」
新宿中に張り巡らされた数百の監視の視線が、わずか1フレームの瞬間に忽然と姿を消す男性百数人を、まさしくその消失の瞬間百数件を、映像に捉えていた。これは防犯カメラが役に立ったのか、立っていないのか、なんとも判断が難しい。
「何も映らないよりかはずっと良い。共通点は男性であることのみだった。経歴はてんでバラバラだし、年齢は下が10歳、上は90歳と幅広い。その上異常現象がそのまんま写ってしまったから、優秀な日本警察も頭を抱えて、俺たちに白羽の矢が立ったわけだ」
私たちは調査を重ねていました、とガガさん。
「鐘楼はこの一ヵ月で、行方不明になった人、全員分の個人情報を特定しました。また聞き込み調査などから交友関係も洗い出し、全員に一切の共通点がないことを確認しています」
「一切ですか?」
「男性であること、新宿の歌舞伎町で行方不明になっていること、を除いての一切です」
そんなことがあり得るのか。僕たちの知らない共通点が、まだ眠っているだけの気もする。
「ガガちゃんは、調査が専門だからね」
「専門という訳ではありませんが、私を含めた鐘楼全体の結論です。そしてその行方不明者が、神隠しという形で、この『ウラの歌舞伎町』に迷い込んでいる…あくまで都市伝説のレベルですが、そういう話を、トーヨコ・ホスト・組事務所などから聞き入れました。ここからは専門的にもなるので詳細は省きますが、そう言った情報源を元手に、私たちは問題の根本原因がこちら側にあると推測の末、断定。準備を整え、私と樽水さんの二人が中心となって、異常現象の解決に取り組んでいる次第です」
やけに大雑把で胡散臭い話だが、嘘っぱちにしては、ガガさんの話しぶりは理性的だった。詐欺師だったらとんでもない実力の持ち主だ。いくらの壺を買わされても文句は言えない。
「質問良いですか」
勿論、と笑いかける樽水さんだが、その目は絶えず大通りの気配を探っている。
「お二人が秘密組織の人間で、今起こっていることが異常現象だということはなんとなく分かりました。じゃあ僕は? どうして僕は、そんな機密事項に巻き込まれているんです?」
思わず強張って、想像以上に肉薄する問いかけになってしまったと思った。なにせ不安だ。気づけば、さっきの判断…理解が早いフリをするという、あの一瞬の判断を皮切りに、僕は、国家秘密やら行方不明やら異常現象やらの物騒なワードを一度に聞き入れてしまっている。もちろん話の流れ的に、何を聞いても驚かないつもりではあったが、にしても覚悟が決まっていなかった。今の話を「またまた~悪い冗談を~」を突っぱねられるほど、僕は強くないし(ましてや静寂の歌舞伎町も暴力的な連中も実体験した後だ)、かといって「分かりました。僕はどうすれば?」なんてきけるほどに、度胸が据わっているわけでもない。また「なんですかそれ!? どうにかしてくださいよ!」と声を荒げられるほどおめでたくもないのだ。
こんな話になるとは。いや少しは期待していたけれど、まさか本当にそうなるとは思ってもいなかった。こうなると催眠の方がマシだったとすら思う。もしやこれは、たとえ悪ふざけであっても首を突っ込むべきじゃない、そういう、とてつもなく重大で深刻な状況なのではないだろうか?
僕は今更生唾を飲み込み、想像以上に渇いていた喉が苦しいことに気付くと、小さな咳をする。
しかし樽水さんは、そんな僕をじっと見返すと、ほっとしたように目尻にしわを寄せて、嘆息した。
「いいね」
「え?」
「樽水さん。話す内容は慎重に選びましょう」
刺すような声。
「大丈夫だよ、ガガちゃん。この人は信用できると思う」
何か気に入られるようなことを言った自覚はなかった。今の僕にそんな余裕はない。ただ自分が余計なことをしていないか、一般市民のままでいられているかを知りたいだけだ。
「その答えはシンプルだ。奏丞も、行方不明者の男性の一人なんだよ」
言われて、僕はフリーズする。それはつまり、今の僕は一般市民でも、問題の部外者でもなく、異常現象の一部……この事態を作っている当事者の一人、ということ。
「……僕が?」
気づくと太陽はかなり落ちていて、薄暗かった新宿の路地には、あっという間に光が届かなくなった。そこで僕たちは、樽水さんの先導で場所を移動。途中何度も般若や泥眼の連中に襲われたが、樽水さんの健闘によって安全に、また別のビルの空きテナントへと身を潜めるに至った。この階数なら、窓を開ければ横のビルの屋上へと移動でき、機動性が高い。ガガさんは、アウトドアリュックから懐中電灯を取り出すと、近くのコンセントを探し出し、慣れた手つきでタブレットをそそくさ操作する。……と、そこまで見て僕もようやく思い出す。動揺の余り、存在ごと忘れていた。慌ててズボンのポケットから自分のスマートフォンを取り出し、画面をつける。右上には「5G」の文字が見えた。
「で、電波! 電波ってあるんですか!?」
「あるだけです。試しに、どこか連絡してみてください。誰も出ません」
そう言われて僕は、チャットの一番上、奥田と荒木のグループにスタンプを送り、またそれぞれに電話をかけてみたが、いずれにしても一向に出る気配がなかった。アドレス帳からも、親やバイト先に電話をかけてみようと思ったが、徒労になる気もして、またもし出てきたときにどう説明するべきかも分からなくて、僕は泣く泣くスマホをしまう。
「もし誰かに連絡したいのなら、私のスマホを使ってください。意識の影響を受けないように調整しているので、通常通りあちら側に繋がります」
「いえ、大丈夫です。……意識。これは、意識の問題なんですよね」
「何か、思い出せそうですか」
樽水さんは、窓から道路を監視しながら、僕たちの会話を横耳に聞いている。その姿を見ながら、移動中の会話を思い出す。
「俺達鐘楼は、人の意識によって起こる異常現象を専門にしているんだ」
樽水さんは、アウトドアリュックから警棒を取り出しながら語った。その姿を見て、僕は樽水さんが、今朝駅前でリュックを広げていたあの男性であることに気づく。
「思い出した? ナンパなんてやりたくても出来なかったな。度胸が無いんだ。尊敬する」
「僕達のこと見てたんですか」
「仕事柄、人間観察は癖だから」
中二病臭いか、と肩をすくめつつ、樽水さんはリュックをガガさんへ手渡す。
「奏丞。世界の数について考えたことは?」
「世界の数…並行世界ですか?」
「俺たちが生きる世界は、全部で一体いくつあると思う?」
科学だろうか、哲学だろうか。とんちや謎々の類かもしれない。僕は空を見上げて思案する。
「……無限大」
ちょっと違う、と樽水さんは、振り向きざまに言葉を続ける。
「世界は、人の数だけある。俺たちは自分の主観でしか物事を捉えられないからね。たとえば俺は、俺の後ろ頭をこの目で直接見ることができないから、この点俺にとっての世界は、俺の後ろ頭以外で出来ていると言える。ガガちゃんの世界はガガちゃんの後ろ頭以外だし、奏丞の世界は奏丞の後ろ頭以外になっている。さてそう聞いて、奏丞はどう思う?」
「どう思うかと言われたら……自分の後ろ頭は見てみたいですけどね。耳の裏とかも、他人のすらなかなか見れないんだし」
樽水さんはニヤニヤして、隣のガガさんに視線を送る。
「後ろ頭は見たいですけど、耳の裏は絶対に嫌です。最近、乾燥で切れてて痛いんですよ。血だらけの汁だらけになってそうで、わざわざグロいもの見たくないです」
ガガさんは耳の裏を自分で指差している。グロいものとは言うが、彼女の健康的な褐色肌からはとてもそんな映像を想像できない。
「因みに俺は、後ろ頭が見たくない。年齢的に怖いんだ」
また樽水さんの髪は夏の狼のようだ。一本一本が太く複雑に重なっている、年齢なんて感じさせない若さそのものだ(そもそもこの人は幾つなのだろうか)。
しかし、なるほど。何となくわかった気がする。
「後ろ頭と耳の裏、ここ三人の外見ひとつ取っても、意識の在り方は様々なんだ。誰が何をどう意識しているかなんて分からない。だから俺たちは、他人の気持ちを思いやって、背景やまさかの事態を想像して生きていかなくちゃいけない」
「道徳ですか」
馬鹿馬鹿しかったのか、つい声に出てしまった。謝った方がいいのか? 向こうから聞いてきたくせに?
「まぁまぁ。ここからが大事な話なんだ」




