或る朝
朝のお話です
目が覚めた時、隣に寝ていたはずの人間が居ないことに気がつき私はベッドの淵の方に寝返りを打ち、うつ伏せの状態で部屋を見渡した。
今日も随分と冷える。一人で眠る時には何も思わないが、自分以外の誰かが居たはずの布団はより一層その温度を失っている様に感じられた。最近は冬場も暖かいと周りの人間は言っているが、夏や秋に比べれば冬が寒い事には変わりはない。それに今は夏だって数十年前に比べてもっともっと暑い。比較すること自体がおかしな話だ。
ぼんやりと見渡す寝室はいつもより綺麗に整頓されていて誰もいない。手持ち無沙汰な左腕を寝具の下にだらりと下ろしぶらぶらと揺らしながらこの部屋に唯一ある腰ほどの高さの窓を見上げる。毎朝このくらいの時間、電柱にとまった小鳥達がビービーと鳴いているのだが今日も例外なく騒がしくお喋りしている。
足元にあるキッチンの方で何やら包丁がまな板にあたるトントンという音や水の沸騰するコトコトという音が聞こえて、あぁ彼女はそこに居るのだと私は首だけを少し持ち上げ自分のつま先の方を見た。
私の住む賃貸は黒い間仕切りカーテンでキッチンと寝室を別けているだけの狭い1K、いわゆるありきたりな一人暮らし用の集合住宅の一室だ。そのカーテンが半分ほど開いていて向こうは蛍光灯の光で照らされている。一体何をしているのだろうとジッと見ていると彼女はハッとした顔で私に気がつきこう言った。
「困ったな。まだ寝てて下さい」
「目が覚めちゃったよ」
「あなたがこんなに早く起きてしまったら私が一人で自由に過ごす時間が無くなるのよ」
「でももう目が覚めちゃったよ」
「全く、どうしたらいいのかしら」
彼女はそう言ってまた作業に戻ったようだった。
しばらくするとピーッと機械が停止した音がして彼女は忙しなく寝室とキッチンを行き来する。
ハンガーで次々と吊るされた窓際の衣類からは冷たい水と洗剤の良い香りがした。
私は布団から出ないまま気まぐれに寝返りを打ち、時に首だけを持ち上げ、時に目だけをギョロギョロと動かし、うろ覚えな歌を口ずさんだり、意味もなく彼女の名前を口にしてみたりしながらただその様子を眺めていた。
「何故そんなに私を見るの?」
「あなたが私の母親だから」
動物の子は親を見て後を追い、人間の幼子は母が自分から離れていけば目で、脚で後を追う。それはその動物達の殆どが母から食事を与えられ母に守られ母を最も身近に見ながら成長するからなのだろうと私は考える。生物として何も責められることのない自然な事だと思っている。
ただ、本当におかしいのは私がもう三十にもなる大人の女性で、それでも母を目で追わずにはいられないという点なのだろう。
理屈ではなく月日の経過でもなく、私にとって母はいつまでも私の母なのだ。
了




