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第5話 恋ではなく、政をいたしましょう


「アリア様。本日のお加減はいかがですか?」


 床から天井近くまである大きな窓のカーテンが開かれ、暗かった室内が一気に明るくなる。

 目の前には、金の飾り縁がついたピンクの天蓋。

 今日も重く響く鐘の音が耳に届く。


 ……目が覚めたら元の家、なんて展開は今日もなかったか。

 現実逃避も天蓋付きベッドの上じゃできやしない。


「昨日よりも体が軽く感じます。あなたやリアムのおかげね。ありがとう」


 私は身を起こし、王女専属の侍女であるミラの呼びかけに微笑みながら礼を述べる。

 ミラが顔を赤くして「とんでもございません!」と、ぶんぶん首を振るのをほんわかした気持ちで見守ってしまう。

 私が教会の礼拝堂で倒れてから、今日で二日目だ。

 相変わらずアリアの意識は感じない。


「今日は少し机に向かってみようと思うの。少しずつ仕事もしていかないといけないもの」

「まだ公務は禁止だとリアム様もおっしゃっていましたよ」


 ミラにたしなめられてしまった。

 私の従順で優秀な侍女は、お母さん気質も持ち合わせていたらしい。


「公務じゃないわ。日記をつけるだけよ」

「……かしこまりました。それでは、これから身支度を調えましょう。本日は、ヴァルグレーヌ王国のアレクセイ王子がアリア様にお見舞いをと申し出られているそうです。いかがなさいますか?」

「そう、アレクセイ様が……。時間は?」

「アリア様のご都合に合わせるとのことです」


 イベントだもんねー、これ。

 そう簡単にはなくならないよなー。

 重くなる気持ちを顔に出さないよう気をつけながら、私は手を顎に当てて考える素振りをする。


「では、昼過ぎに。昼以降ならいつでも構いません」

「かしこまりました。王子の使いにお伝えたします」

「えぇ、お願い」


 これで午前中の時間は対策に当てられる。

 私は侍女に世話を焼かれつつ、ゲームで見たアレクセイルートを思い出す。


 アレクセイ・ヴァルグレーヌは、隣国の第二王子で私の婚約者候補の一人だ。

 現在我が国に留学中で、自国の癒やしの効果があるお茶を持参し、倒れたばかりの私を誘ってお茶会を開こうとするちょっと強引な男だ。

 ただなー、これ、本人的に善意100%なんだよね。

 貴重な香草入りの茶葉をわざわざ自国から大慌てで取り寄せて、アリアに振る舞ってくれるのだ。

 外交的にも非常に断りづらい。

 だから、彼とのフラグを潰すならお茶会イベントをなくすのではなく、イベント以降できるだけ疎遠になる方法で対処したいと考えている。


「王女としても聖女としても品を損ねることなく好感度を下げるって、どんなことすればいいのよ……」


 かなりの無理難題だ。


「アリア様。アレクセイ王子は、14時にこちらにいらっしゃるそうです」


 身支度を調えてもらった私が自室で朝食を食べていると、ミラが王子の伝言を持って戻ってきた。

 14時。

 ティータイムにはまあ良い頃合いか。

 私はまだ倒れて間もないから、時間制限だけはさせてもらおう。


「ありがとう。こちらもおもてなしの準備をしなくてはいけないわね。ミラ、あなたに任せます。あなたなら大丈夫だと思うけれど、失礼のないようにお願いね」

「かしこまりました。アリア様の名誉を傷つけないよう精一杯務めます」


 目を輝かせて張り切る姿が可愛らしい。

 やる気に満ちるミラを眺めながら、私はフレンチトーストをナイフとフォークでいただく。

 真っ白なテーブルクロスの上には、摘みたてらしいビタミンカラーの花々が花瓶に飾られている。

 朝から濃厚なフロマージュがいただけるとは、朝食とは思えない豪華っぷりだ。

 病み上がりのせいか量が多すぎて、少しずつしか食べられないけど。

 品良くナプキンで口元を拭き、私は再びアレクセイ王子のイベントに思いを馳せる。


 あと数時間。

 なんとか彼と距離を置く理由をひねり出さなくてはならない。



* * *



 アレクセイ王子は、時間通りにやってきた。

 この世界では5分前行動は習慣づいていないようだ。


「お忙しい中おいでくださりありがとうございます」


 私は、ミラが調えてくれたサロンで王子を出迎える。

 艶やかな黒髪に、光を吸い込むような金色の瞳をたたえた正統派王子。

 背が高い上に姿勢まで良いので、実際の身長以上に大きく見える。

 そして、言うまでもなくイケメンだ。

 王子の後ろには、側近と思しき若い男性と侍女が一人ずつ控えていた。


「こちらこそ、病み上がりにもかかわらず申し出を受け入れてくれ、礼を言う。……顔色も悪くない。回復したというのは本当のようだね」


 王子が少しかがんで、私と目を合わせる。

 ご尊顔が目の前に迫ってきたが、私の心にはさざ波さえ立たない。

 ただ、澄んだ金色の瞳が目に眩しいなーと感じるだけだ。


「君は日々聖女として祈りを捧げつつ、公務にも意欲的に励んでいると聞く。おそらく疲れがたまっていたのだろう」

「少々自分の体力を過信してしまったようです。皆様にはご心配とご迷惑をおかけして申し訳なく思っております」


 対面で席に着き、謝罪を述べる。

 王女という立場上、簡単に頭を下げてはいけないのだが相手も王族だ。

 これくらいは許されるだろう。

 そして、大事なのは私の謝罪は決してアレクセイに対してだけではないというところだ。

 むしろ、アレクセイをその他大勢の中に入れることで距離を置く。

 大人の社交術だ。


「君が謝ることなど何もない。私も君の重責を理解できていなかった。申し訳ない」

「いえ、アレクセイ様に謝っていただくことなど何もございません。それより、お茶をどうぞ。東方から取り寄せた薬草茶です。滋養強壮の効果があるそうなのです。私も倒れてから愛飲しております」


 もちろん、嘘八百だ。

 考えに考え、相手より先にこちらが体を癒やすお茶を出せばいいのだ!と思いついた私は、急いでミラに用意させ少し前に口にしたばかりだ。

 香りは若干漢方独特の苦みを感じさせるが、口当たりは悪くない。

 このお茶を作った人間は、配合の腕がよいのだろう。


「……そうなのか。では、お言葉に甘えていただこう」


 ダークブルーのラインが縁取られたティーカップを手にし、王子が口元に運んだ。

 最初、わずかに眉をひそめたがすぐに表情を直し、マナーのお手本のように音も立てずに飲む。


「変わった香りだね」

「東方では『漢方』と呼ぶそうです。このお茶には薬と同じ成分が含まれているので、その香りのせいでしょう。その他にも、様々な効能のあるお茶や食事があるそうなのですよ。『医食同源』と言って、病気を治す『薬』も健康を保つための『食べ物』も、もとは同じ自然界の植物や鉱物などに由来し、根本は同じであるという考え方によるものなのです。とても興味深く、私もこうしてお茶や食事に取り入れるようにしました」

「医食同源……初めて聞いた。面白い考え方だね」

「えぇ、私もそう思います。アレクセイ様にも興味を持っていただけたなら、この場に用意した甲斐がありました」


 にっこりと微笑むのも忘れない。

 王子の背後に立つ侍女の視線が下に向いた。

 ヴァルグレーヌ王国ご自慢のお茶を出すタイミングを失ったからだろう。

 事前に用意していたなら、もう蒸れすぎている。


「ぜひ、この品を取り扱っている国を教えてもらいたいくらいだ。ああ、でもこれは陛下に申し入れるべきだったね。失礼」

「いえ、お気になさらず。よろしければ茶菓子もどうぞ。今日はわがままを言って、私の好きなものを揃えてもらったのです」


 そう。

 フラグ潰しを思いついた私は、ミラに私の好物だけを用意するようにお願いしたのだ!

 客人であるアレクセイ王子ではなく、自分ファースト。

 私は倒れたばかりであまり食欲もないから、口にするなら自分の好きなものにしたい。

 王子の好みやヴァルグレーヌ王国特産品などへの配慮がいっさいないお茶会ならば、ぽんぽん上がる彼の好感度も下がるだろうと踏んだのだ。


「君は、真面目な聖王女と聞いていたが……王女らしからぬところが面白いね」

「え?」


 あれ?

 なんか思っていたのと反応が違う。


 眉をひそめられてもおかしくないのに、アレクセイ王子の口元は弧を描いている。

 ――その笑みを見て、一瞬、背筋が凍った気がした。


「今日は思わぬ収穫があった。あなたの体調が回復したら、今度は私の屋敷にも来てほしい。――あなたのことをもっと知りたい」



『あなたのことをもっと知りたい』


 その言葉が、金色の瞳と共に胸の奥まで落ちてきた。

 一瞬、心臓が跳ねたのを、私は深呼吸でごまかす。


「光栄ですわ。ですが、アレクセイ様。私は聖女としても王女としても未熟で、まだまだ学ばねばならぬことの多い身。どうか、そのお気持ちは女神様にお預けくださいませ」


 そう微笑んで、カップを置いた。

 我ながら完璧な返しだと思う。

 けれど、王子は、穏やかな笑みを浮かべたまま言う。


「女神か。私は祈るなら、女神よりもあなたがいい」

「……それは、どういう……?」

「女神ではなく、聖女殿に祈るとしよう。――あなたとまた、このような機会があるように、と」


 金色の瞳を細めたその人は、私の手を取り軽く口づける。

 その瞬間、口づけられた場所が熱を持つ。

 私は息を呑んだ。

 その仕草には、王族同士の礼儀というより……そんなこととは別の、もっと個人的な興味が滲んでいる気がしたのだ。


 ……ねぇ?

 これ、普通に恋愛フラグじゃない?


 内心のツッコミを顔に出さぬまま、私はさっと王子の手から自分の手を抜き取り、再びティーカップを取った。

 苦みが香る薬草茶が、ほんの少し甘く感じられたのは気のせいだと思いたい。

 去り際、アレクセイ王子が私の横を取り抜ける。


「聖女殿。君の理性がどこまで続くか……試してみたくなるね」


 頭上で囁かれた言葉が、私の警戒心をMAXまで引き上げる。


 ――理性は、まだ折れていない。

 でも、ほんの少しだけ……そう、きっと少しだけ。


 軋んだ音がした気がした。



* * *



 夕刻、王印の押されたレオンハルト宛の休暇命令が静かに回った。

 中庭を抜けてゆく騎士の背が、夕闇に溶けていく。


 机上には、教会から届けられた白いバラが一輪と、たった一行の返書――『了解した』。


 薬草茶の湯気が薄くなる。

 三度の鐘。

 ノックは一度。

 私は微笑んで息を整えると「どうぞ」と答える。


 ――恋ではなく、政をいたしましょう。





最後までお読みいただき、ありがとうございました!

転生先はまさかの『推し不在』乙女ゲーム世界。

アラサー聖女は今日も理性で恋愛フラグを潰し、

少しだけ未来を変えることができたようです。


全5話の短い物語でしたが、

ここまで読んでくださったこと、心から感謝いたします。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


今後も皆様に楽しんでいただけるような物語を

ゆっくりと紡いでいけたらと思います。



【 新作のお知らせ 】


明日の21時より、新作短期連載

『婚約者は兄でした。本当に私を見ていたのは双子の弟』

を公開いたします。


前作とはまったく違う雰囲気のお話ですが、

ほんのひとときの気分転換として楽しんでいただけたら嬉しいです。



※本作(転生アラサー聖女)はカクヨムにも同一内容で掲載しています。


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