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キーウ上空ウクライナの翼  作者: バッシー0822
西岸の死闘編

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第三十三章:オレクサンドル

戦場の音が振幅を増した。T-72の影から歩兵が次々と這い出し、装甲の陰で身を低くして進んでくる。銃声と金属の鳴りが交錯し、砂煙の向こうで誰かが呻く声が聞こえる。


「もう引くぞ、早く行け!」イヴァンは声を張り上げ、ミコラを背中を押すようにして突き飛ばした。

ミコラはためらいなく走り出すが、足取りは重い。瓦礫と泥が靴底に吸い付くようだ。


国防軍の若い兵士が火炎瓶を構え、腕を振りかぶって投げつけた。瓶は弧を描いて着弾し、直後に小さな炎が壁を舐めた。だが、その直後に反撃の砲撃が降り、投げた兵がばたりと横倒しになる。血が土に滲む。


「――倒れた!」誰かが叫ぶ。空気が一瞬凍るように静まる。


イヴァンは振り返り、倒れた兵のそばに走った。瓦礫の合間で男が手足をばたつかせ、呻いている。砕けた眼差しがイヴァンに向く。泥と血にまみれた顔。横でミコラが立ち止まり、嗚咽を堪える。


「オレクサンドル…お前も来るんだ」イヴァンは叫んだ。声には重さが滲んでいた。彼は倒れた兵を抱え起こし、遮蔽物へと引きずり込もうとする。


オレクサンドルはそこに立っていた。胸に手を当て、携帯の事を思い出しているような表情だ。顔には疲労と後悔の影。彼は一瞬目を閉じ、そしてゆっくりと口を開いた。


「俺は…もう裏切らない。ここで、やらせてくれ」その声は震えていたが、揺らがない決意があった。


イヴァンはその言葉を聞くと、短く頷いただけだ。言葉はいらなかった。戦場では行動だけが真実を問う。


オレクサンドルは瓦礫の上に転がっている破片を拾い上げ、即席の投擲用の瓶を作る。手は震えていたが、動作は迷いがない。ミコラが近づき、必死に止めようとするが、オレクサンドルは押しのけるようにして前へ走った。


「俺が時間を稼ぐ。お前らは逃げろ!」彼は短く叫び、路地の角へ出る。そこは敵歩兵が露出するであろう最も危険な位置だ。


火炎瓶が投げられ、直後に周辺で銃火が降り注ぐ。オレクサンドルの身体が閃光の中で踊り、崩れ落ちる。近くの壁に火が付き、爆ぜるような音がして、オレクサンドルの一瞬のシルエットが揺らいだ。


ミコラは駆け寄ろうとしたが、イヴァンの腕に押しとどめられた。イヴァンの目は冷たく光り、だがその奥には激しい痛みがあった。彼はミコラの耳元で低く言った。


「行け。今は行くだけだ。あの男のことは、俺たちが忘れはしない。」


二人は振り返らずに走った。振り返る余裕はなかった。後方で、オレクサンドルの息が途絶える音がかすかに聞こえ、次いで近くの瓦礫が崩れる音が続いた。ミコラの肩は震え、鼻をすすりあげる音だけが夜空に溶けた。


イルピンの街は罵声と砲撃の間をぬって、さらに深い夜へと沈んでいく。遠ざかる足音の向こうで、燃える炎が揺らぎ、誰かが叫ぶ声が断続的に続いた。生き残った者たちは前へ進むしかない。だがその胸の奥には、今しがた失ったものの重さがしっかりと刻まれていた。



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